14.泣き落とし
ここ二週間、朔夜に連絡できなかった。以前は軽い気持ちでメール攻撃を仕掛けていたのだけれど、それができなかった。相手にされず、また無視されるのが怖いから。
だけど、今日はいよいよ我慢できなくなって、昼休みにメールを入れた。<今、なにしてる?>って。無反応。それがつらい。物凄くつらい。泣きたくなる。もはや半泣きかもしれない。屋上でおしゃべりしようという友達の誘いを断って、自席でスマホの画面を見つめ続ける。いつまで経っても返答はない。リアルに嫌われてしまった? 嫌われるような真似はなにもしていないつもりだけれど。それとも、私に興味がない? その確率は高いかもしれないけれど。
目元を右手の甲で拭った。ほんの少しだけど涙が付着した。うえーんと泣きたくなるところを、机に突っ伏してごまかす。人生において、恋愛において、こんなに苦しい思いをする羽目になるとは思ってもみなかった。
向こうは大人だ。対して私は全然子どもだ。そう考えるたび暗い気持ちになる。やっぱりかまってもらえないのかなあ、って。やっぱり彼からするとただのガキでしかないのかなあ、って。あの浅黒い肌をした美女のことが脳裏に貼りついて剥がれない。朔夜と彼女との間になんの関係もないとは、到底思えない。だからこそ、余計に凹む。凹んでしまう。
私は紛れもなく思いつめている。胸が苦しい。この気持ちをどう処理すればいいのだろう。いっこうにわからない。
朔夜にもう一度メールを打つ。
<会いたいです。お願いだからリプライください>
そのうち、とてつもない弱気な思いに駆られた。声を振り絞るようして、一筆、したためた。
<会ってください。お願いです。お願いします>
すると、一分ほどが経過してから、返信が届いた。「やった!」と思い、思わず椅子から腰を上げた。あまりに勢いよく立ち上がったからだろう。クラスメイトの視線が刺さるのを感じたけれど、そんなこと、気にしてなんかいられない。
<なんだよJK。うざってーな>
<会いたいです。貴方に会いたいんです。私のお願い、聞いてもらえませんか?>
<大げさな言い方だな>
<だって……>
<だってじゃねーよ。用件だけ伝えろ>
<だから、会いたいの>
<妙なガキだ。俺と会ってどうするよ。ヤらせてくれんのか?>
<いいよ。それでも>
<おまえがそこまで俺に固執する理由がわからねーよ>
<理由や理屈じゃないの。ただ会いたいの。だから、ね?>
<しょうがねーな。いいよ。今日、非番だし>
<えっ、本当にいいの?>
<駅まで迎えにいってやるよ。けど、俺がおまえに興味がねーってことは忘れんな>
<それでいいです。会ってくれるなら>
<待ってるよ>
<ありがとうっ!>
メールのやり取りは終わった。私は机の側面のフックに引っ掛けてあるスクールバッグを手にした。午後の二限はサボってしまうことになるけれど、なりふりかまわず走って、昇降口で外靴に履き替え表に出た。今日はいい天気だったんだって、そのとき、初めて気づいた。
朔夜の自宅の最寄りの駅に着いた。一際のっぽでゴツい男がタンクトップにハーフパンツ姿で改札の向こうに立っていた。心が躍る。メチャクチャ嬉しい。本当に迎えにきてくれたんだ。
「ごめん。遅くなって」
「遅くはねーよ。つーか、マジですぐ来んなよ。午後の授業はどうしたよ?」
「すっ飛ばしてきちゃった」
「誰もそんな真似しろとは言ってねーぞ」
「でも、私がソッコーで来るだろうって思ったから、こうして待っててくれたんでしょ?」
「その点については、否定も言い訳もできねーな」
「ありがとうね?」
「なんてこたねーよ」
朔夜はずんずん進む。脚が長いから歩幅も大きい。うしろから見ると見事な逆三角形のボディー。綺麗だな美しいなと思うと同時に、ドキドキもした。
近所のコンビニに寄った。「アイスでも奢れよ」ということらしい。朔夜はクーラーボックスからバニラモナカとミルクチョコレートのカップアイスを手に取った。「いいよ、それくらい」と応じて、私はレジの前でピンク色の財布を取り出した。すると彼は「馬鹿か、おまえは。間違ってもJKなんかに奢らせるかよ」と言い、ハーフパンツのポケットから小銭を取り出した。釣銭をもらうと、それをまたポケットに突っ込む。乱暴なお金の扱い方で、品のないように映るのだけれど、その様子がとても絵になっていたので、だからなにも注意しようとは思わなかった。
朔夜の自宅に。
彼に「ま、上がれよ」と言われたので、「お邪魔しまーす……」と小さく呟きながら部屋の中へと足を踏み入れた。短い廊下を経てリビングへ。相変わらずの殺風景。ポールハンガーが立っていて、黒いちゃぶ台の上に飲みかけのウイスキーのボトルがあるだけだ。
バッグを床に置いたところで、私は「シャワー、借りていい?」と訊いた。「なんだよ、毎度毎度。おまえはそんなに汚ねーのか?」という返答があった。
「き、汚いとか、そんなわけないじゃんっ」
「いいよ。例によって、トリートメントなんざねーけどな」
「えっと」
「なんだよ」
バスタオルが洗面所兼脱衣所のコーナー棚に積まれていることは知っている。だけど着替えはないわけだ。だから「部屋着、貸してよぅ」と、ねだった。朔夜はめんどくさそうな顔をしてから寝室に入り、戻ってきた。手には折り畳まれた白い着衣。Tシャツだろう。それを私の頭にのせた。これを使えということらしい。
「とっとと入ってこい」
「うん。そうするねっ」
シャンプーを使い、スポンジで体を洗い、お湯で泡を落としてお風呂場からあがった。バスタオルで体を拭き、ショーツをはいてブラをつけ、髪にドライヤーをあててから大きなTシャツをかぶった。彼の匂いが体に染みつくような気がして、なんだか嬉しかった。
リビングへと戻る。やっぱり朔夜はウイスキーを豪快にラッパ飲みしている。
私は制服一式をスクールバッグの上にどさっと置いた。
「お酒ばっかり飲んでたら、そのうち、体を壊しちゃうよ?」
「うるせーよ。JK風情が」
「JKじゃない。理沙っ」
ちゃぶ台を挟んで、私は朔夜の正面にぺちゃんと座った。彼は「おまえがなかなか出てこなったせいで、アイス、溶けちまってんぞ」と言った。たしかにそうだ。シャワーの前に食べるべきだったかもしれない。だけど、シャワーのあとで食べたほうが格段においしいと考えるのも事実であって。
「女性はそれなりに長風呂なんですぅ」
「女性じゃねーだろ。女のガキだ」
「わー、なんかヒドい言い方ぁ」
「どっちか選べよ」
「んとねー、じゃあ、こっちで」
私はちゃぶ台に置かれている二つのうちから、ミルクチョコレートのカップアイスを選択した。すると、朔夜はちっと舌打ちした。
「なに? 朔夜もこっちがいいの?」
「なんでもいいから食えよ。いよいよ溶けちまうから。つーか、朔夜なんて偉そうに呼ぶな」
「朔夜は朔夜じゃん」
「うるせー」
「半分ずつ食べよっか」
「そいつは名案だ」
若干、溶けてしまってクリーミーになっているアイスを、プラスティック製の小さなスプーンを使って食べた。ちょうど半分というところで、カップを「はい、どーぞ」と朔夜の前に、ちゃぶ台の上に置いた。かわりに彼はバニラモナカを手渡してくる。もう一口、二口くらいしか残っていなかった。
「えー、これって不公平じゃーん」
「だったら食うな」
「食べます」
「ああん?」
「だって、朔夜と間接キスできるから」
「馬鹿なのか、テメーは」
「馬鹿ではありません。年頃の女のコです」
朔夜は掻き込まんばかりの勢いで食べ終えた。一方、私はゆっくりと大切に味わった。思わず「うふふ」と笑みがこぼれた。
「アイス、美味しいね」
「そうかあ? こんなもんだろ?」
「きっとね、なにを食べるかより、誰と食べるかが重要なんだと思う」
「けっ。それっぽいこと言いやがる」
「でしょでしょ?」
朔夜はキッチンに入り、ミネラルウォーターを持ってきた。彼は腰を下ろして一口飲む。それからボトルを私に手渡してきた。ごくごくと飲み終えると、苦笑いが浮かんだ。口にしたものを簡単に寄越してくる。そうである以上、私はやっぱりなんとも思われていないのかもしれない。いや、誰にでも同じように振る舞うだろうとも考えられるのだけれど。
「やっぱよ、おまえは俺に幻想を抱いているみてーだな」
「幻想、なのかな……?」
「俺はおまえが考えてるような立派なニンゲンじゃねーんだよ」
「立派じゃなくたっていいよ。だって好きなんだもん」
「あのな、JK」
「だから、理沙だってば」
「それじゃあな、理沙」
理沙って言って欲しいと散々口にしてきたわけだけど、いざそう呼びかけられると、ドキリとしてしまった。心臓が跳ねた。どぎまぎもしてしまう。
「ななっ、なに?」
「俺が人殺しだとしても、おまえは同じような感情を抱くことができるか?」
「人殺し……?」
「例えばの話だ」
「か、仮にだよ? 仮にそんなことがあるんだとしたら、それは相手が悪者だからでしょ?」
「いいも悪いも誰が決めるんだよ。善悪の境界線なんて、誰が説けるってんだよ」
「そ、それでも私はいい」
まいったなぁとでも言いたげに、朔夜は頭を右手で掻いた。
苦笑を浮かべているようにも映る。
「そいつはダメなんだよ。俺の気持ち、わかってくんねーかな」
「私がいわゆる一般人だから、巻き込みたくないってこと?」
「そうだな。JKだってんなら、尚更だ」
「あの浅黒い肌の爆乳女はいいの?」
「あっはっは。爆乳女か。それは事実だわな」
「でも、私は私でイケてない?」
「話が逸れてっけど、ま、イケてんじゃねーか?」
私は「まるで心が籠ってないよ、それ……」としょんぼりとなって、しょんぼりとなったからうつむいた。どう考えたってどうとらえたってあまりにいい加減な台詞ではないか……。
「かもな。とはいえ、おまえを元気づけたり勇気づけたりするつもりはねーんだけど、女を家に上げるのは、おまえで二人目なんだぜ?」
「そうなの?」
「ああ」
「それだけ私は特別だってこと?」
「そうなるな」
「嬉しい。抱きついていい?」
「そいつはお断りだ」
「いけず」
「うるせー」
私たちは笑い合った。
「でも、これからも会ってくれる?」
「ダメだダメだって言いながらも、どうしてもってんなら、仕方ねーかなとも思ってる。だけどな、年頃の女には年頃の男がいたほうが、しっくりくんじゃねーのか?」
「かもしれない。だけど、私が飽きるまでは付き合ってやってよ」
「飽きるまで、か。いい文言だな。俺としても、そうしてもらえることが望ましい」
「だけど、飽きないと思う」
「ああ、そうかよ。つーか、なんでいきなり泣き出すんだよ」
「また朔夜に会えたことがほんとうに嬉しくて……」
右手を伸ばしてきた朔夜が、くしゃくしゃと頭を撫でてくれた。
「今日はあの女、来ないの?」
「イオリさんな」
「どんな漢字を書くの?」
「伊藤さんの伊に、織物の織だよ」
「かっこいい名前だね」
「理沙っつー名前だって、そう捨てたもんじゃねーよ」
「ねぇ。本当に抱き締めてくれない?」
「なんでだよ」
「とにかくそうして欲しいの。それなりに私のことを大切に思ってくれているなら、それくらいできるでしょ?」
やれやれといった感じで立ち上がった朔夜の胸に、私はえいと飛び込んだ。
「だから、どうして泣くんだよ」
「嬉しくて、嬉しすぎて……」
「もういいだろ。離れろよ」
「嫌。もう少しこのままでいさせて」
「ホント、うざってーなあ」
「女子高生って、少なからずそういうものだよ」
「おまえの髪、綺麗なんだな」
「初めて褒めてくれたね」
朔夜が後ろ髪に指を好かせてくれた。優しく背を抱いてくれた。
この時間がずっと続けばいいのになって思った。