13.やられた
朝方。伊織がご自慢のスイフトスポーツを高速道路で流している。助手席にいる俺は訊いた。「今日はどんな仕事なんだ?」って。
「シラリア共和国って知ってる?」
「ああ。最近、ネットのニュースでネタを拾ったよ。なんでも、一週間前にシャヒーンっつー大統領が殺されたらしいな」
俺でもそれくらいは知っていて、海外のこととはいえ、本件が非常に剣呑な事案であることくらいは理解していた。
「それは計画的な犯行だった。彼らは少数で、軍の返り討ちに遭うのも辞さない上で、事に及んだ。片道切符であることを覚悟してたってわけ」
「軍事政権下においても、比較的、大統領は話がわかるヤツだったって聞いたぜ?」
「対外的にはそうだよ。でも、実質的には独裁だった」
「それって本当なのかよ」
特に欧米諸国がそう断じていたとしても、実際のところは怪しいものだ。西側東側に限らず、自分たちに都合がいいように解釈、世論を誘導するのが奴さんらだからだ。今回もなんともうさんくせーなぁと思う俺である。
「殺害についての犯行声明は出されてる。知らない?」
「そこまでは把握してねーよ。記事を斜め読みしたってだけだからな」
「シラリアに本物の民主主義を。そんな志のもとに立ち上がった若者の仕業だよ。そうである以上、政府に権力が集中していたってのは、まず間違いないんだと思う。大義なき反体制なんてあり得ないでしょ」
「腐った世の中にあっても、立派な若造ってのはいるんだな」
俺のその台詞は皮肉めいたものでしかない。
「今回、手を下した、あるいは手を汚したニンゲンは少なかったけど、暗殺してやろうっていう動きは以前から多くあったみたい。未遂事件だって何回も起きてたらしいよ。そういったことから、大統領は身の危険を感じ、怯え、我が国に何度も亡命を申請していた。立場を放り出して、一市民として、ニッポンに逃げ込もうとしたの。でも、政府はその要請をことごとく突っぱねた」
「あたりまえだろ。なにも好き好んで爆発物を抱えるこたあない。シャヒーン大統領は我がニッポン以外にも、亡命したい旨をどこかに伝えていたのか?」
「そんな話は聞いたことがない」
「ふぅん」
つまらない話だと思うから、つまらないリアクションになった。
シャヒーン、死んだなら死んだでそれでおしまいだろって考える。
なにも死んでまで他国に気を揉ませるなんて真似、しなくてもいいだろうに。
「妙な話だと思う?」
「思わねーよ。ここは世界で最も平和な国の一つだろうからな。鉄砲の携行すら認められちゃいねーんだし。ハリネズミ国家のスイスとは大違いだ」
「スイスをディスってる?」
「いんや。敬意を抱いてる」
「で、ここからが問題なんだけど」
「聞かせろよ」
「大統領の側近だったニンゲンが、ニッポンに入ったの。確認したところ、確かに成田のカメラに映ってた。名前はイブラヒム。物騒な奴みたい。平たく言えば凄腕の殺し屋」
「その殺し屋さんがは、どうして入国してきたんだ?」
「大統領が殺されたのは、亡命を受け容れなかったニッポンのせいだって思ってるんじゃないかな。よって日本人に復讐しようとしているものと考えられる」
俺はふんと鼻を鳴らしたのち、くつくつと笑った。阿保みたいな話だと思い、だから、「とんだとばっちりじゃねーか」と実際口にも出した。「そうなんだけど、それだけ大統領に心酔していたとも受け取れるよね」と言ったのは伊織さん。そりゃそのとおりなのかもしれないが、やっぱり矛先が明後日の方向を向いているようにしか思えない。
「そもそも、どうして空港のカメラなんか調べたんだ?」
「CIAの関係部署が情報を寄越してきたんだよ。最重要人物として追ってるってね。それでウチの『情報部』が調査に乗り出すことになった」
「CIAはどうして奴さんにご執心なんだ? 実は暇だったりすんのか?」
「イブラヒムは大統領の側近を務めるいっぽうで宗教家らしくってね。西側に幾つもテロを仕掛けてる。銃撃に自爆。なんでもござれ」
俺はふむふむとうなずき、「だったら、まあ探すか」と納得した。
「実のところ、シャヒーンはイブラヒムの奔放な行動に、手を焼いていたのかもしれないね」
「なんにせよ、後藤さんは依頼を受けたってことだな?」
「彼からすれば有意義だと思ったんでしょ。『治安会』のボスとして考えたんだよ。CIAに貸しを作っておいて損はないってね」
「貸しを作る。それは対象を仕留められるか否かにかかってるってわけだ」
「そうなるね」
なるほどと感じさせられる判断ではある。
打算的な後藤さんらしい選択だなとも思わされた。
「面が割れてんなら、空港でストップかけりゃよかったんじゃねーのか?」
「それができなかったから、追うんじゃない」
「ホント、この国は平和ボケしてんのな」
「文句を言ったところで始まらない」
「そのイブラヒムとやらの顔写真はあんのかよ」
「もちろん」
伊織がジャケットの胸ポケットから一枚の写真を取り出し、それを手渡してきた。バストアップだ。口のまわりに髭をたくわえていて、顔の彫りは深い。中東のニンゲンらしい顔だなと感じさせられた。
「それで? 俺達はなにをするべく動くんだ? 首相の警護にでも加えてもらおうってのか?」
「首相が狙われる可能性は極めて低い。壁が頑丈だから。奴さんだって、それくらいは理解してるはず」
「じゃあ、誰がターゲットだっていうんだよ」
「首相を殺れない以上、大臣のうちのいずれかだろうね」
「なんでそうなるんだよ」
「フツウに思考すればそうなるの」
なんだかんだ言っても、その「フツウの思考」とやらの結果から国の重役が狙われるであろうことはわからなくもない。むしろ予想の範疇だ。
「けど、大臣の誰かだっつーだけじゃ、動きようがねーだろうが」
「ボスはかたっぱしから当たれって言ってる」
「さっきも言ったけど、確実な仕事をしなけりゃCIAに恩は売れねーじゃんかよ」
「たとえ失敗したとしても、仕方のないことは仕方のないこととして、ボスは割り切って処理するよ」
それもそうか。
ミスったことにいつまでもツッコミを入れようものなら、それは時間の無駄でしかない。
「ウチの先輩方は使えねーのか? 参加してもらったほうがいいと思うんだけど?」
「彼らは彼らで忙しい」
「プライオリティってもんがあんだろうが」
「それを判断するのはボスだよ」
「わかったよ。それで、いったい、どの大臣につこうってんだ?」
「まずは地方創生大臣」
「マイナーなとこから当たるんだな」
「そうだよ。悪い?」
「悪かねーけど」
伊織は大臣宅の前で車をとめた。門番のようにして立っている警護の男が二人。そのうちの一人がすぐに近づいてきた。パワーウインドウを開け、俺は二つ折りの身分証を提示する。後藤さんの根回しの成果だろう。警戒されるようなことはなかった。だけど、煙たげな顔を寄越された。理解できる話ではある。よくわからないニンゲンの介入をゆるすことで、あるいは自分達の仕事を否定されるような気分になっているかもしれない。裏を返せば、大した自信だ。
車からおりようとした時のことだった。玄関からヒトが出てきたのだ。女だ。五十代のなかばといったところであり、ろくすっぽ化粧もしていないようだが若々しく映る。紛れもなく地方創生大臣だ。名前は畠山だったか。ジョガースタイル。これから走りに出掛けるつもりなのだろう。
「あらあら、新人さん?」
降車した俺と伊織を見て、畠山大臣はそう言った。笑顔だ。熟女ではあるが、結構綺麗だ。なんとなく後藤さんが好きそうなタイプだなと感じた。
大臣の応対は俺が担う。
「『治安会』のニンゲンッス」
「へぇ。噂だけだと思っていたけれど、本当に存在したのね」
「警護に加えていただきたいんスよ。とりあえず、今日一日で結構ッスから」
「警護って、どうしてなのかしら?」
めんどくせーって思いながらも、俺はかくかくしかじか、経緯を話した。
「イブラヒムっていう名前は知っているわ。だけど、私なんかが狙われるかしら。というか、そもそもどうして狙われなくちゃいけないの?」
「いろいろあるんスよ。狙われないかもしれない。けど、狙われちまうかもしれない。可能性がある以上、大臣のことを放ってはおけないんスよ」
「放ってはおけない、か。貴方は頼もしいことを言うのね」
「そうスかね」
「わかったわ。車は駐車場に入れてもらえる? 道路にとめてちゃ、近所のヒトに迷惑がかかっちゃうから」
「了解ッス」
伊織のほうを向く。うなずくこともしないまま乗車し、伊織は車を邸宅の地下駐車場へと滑り込ませたのだった。
畠山大臣の護衛は、俺と伊織、それに黒服の二人を合わせた四人となった。黒服らは不甲斐ない。ジョギングのペースにまるで合わせられないでいる。本当に情けない話だ。
畠山大臣は、「あなた達、やるわね。スタミナもあるみたいだし」と言い、公園内を快調に飛ばす。「あの二人は私のスピードについてこられないみたいなのよ。だから、いつもはもっとゆっくり走るの」と続けた。
「軽装での勤務を容認してやったらどうスか?」
「それでいいって言っているわ。でも、彼らは拒むの。どうしてかしら?」
「どうしてなんスかね」
「あなたはほんとうに思ったことをすぐ口にするのね」
「とりあえず、スーツ姿でジョギングってのはイマイチッスよ」
「ふふ。でしょうね」
なるべくなら最低限の外出にしてもらいたいものだ。イブラヒムのターゲットではないとは言い切れないのだから。それでもまあ、問題ないかとも思う。伊織もいるのだ。俺達二人を向こうに回した上で大臣を暗殺する。客観的に考えても、それは相当な離れ業であるに違いない。
大臣とともに帰宅すると、彼女は玄関口で「お茶でもどうかしら?」と誘ってきた。俺は「国会はいいんスか?」と訊ねた。
「サボるつもりはないわよ。少し時間に余裕があるってだけ」
伊織と顔を見合わせる。これといって、断る理由もない。玄関の戸の鍵を畠山大臣が開けようとする。
事が起きたのはその時だった。
いきなり畠山大臣が膝から崩れ落ち、横にどっと倒れたのだ。背後から狙撃に遭ったことはすぐにわかった。俺と伊織はすぐさま身を翻して左右に別れ、生け垣の陰に素早く身を隠す。黒服らの動きはまるで要領を得ない。狙撃の範囲にいるにも関わらず、大臣の様態なんかを確かめている。俺は「いいから、こっちに来い!」と叫んだ。すると、ようやく二人は駆け寄ってきた。揃って身を低くした。
伊織が立ち上がり、生け垣の上からほんの少しだけ顔を覗かせた。「誰かいるか?」と俺は訊いた。「ダメ。視認できない。見当たらない」との返答があった。まあ、そりゃそうだろう。ある程度の距離はとっているだろう。一発で仕留めたあたり、感心せざるを得ない。間違いなくスナイピングに長けたニンゲンの仕業だ。
三分ほどが経過し、もう危険ないだろうと考え、俺は大臣に近づいた。後ろから撃ち込まれた弾丸により、頭部はぐちゃぐちゃだ。黒服の一人が慌てた様子で「きゅ、救急車を呼ぶ」と言い出した。「無駄だよ」と遮ったのは伊織だ。まったくもってその通り。即死に違いないのだから。
大臣の死体を見下ろしながら、俺が「やられたな」と言うと、隣に立つ伊織も「うん。してやられたね」と述べた。
「どこから撃ってきたのかね」
「当然、見当はつく。この住宅の正面に位置する家の屋根の上」
「ひとまず、そのへんから洗ってみるか」
「そうだね」
大臣宅の玄関を真正面から見渡せる赤い屋根の一軒家に至った。家人に断ってから敷地を確認する。すると、裏の庭にスナイパーライフルが落ちているのを見つけた。弾は入っていない。サプレッサーがついている。確かに狙撃の瞬間、銃声が鳴り響くなんてことはなかった。
「大臣が殺された以上、おまわりさんが大挙して押し寄せてくることだろうが、この銃を鑑識に回したところで、無駄だろうな」
「当然、指紋の一つも出ないだろうね」
「この件からはもう、手を引いてもいいのかね」
「そうするしかないでしょ」
「犯人はどう動くと思う?」
「すぐに高飛びする。経由地はドバイってところかな」
「となると、『情報部』からの知らせを待つしかねーか」
「念のため、国内すべての空港に目を光らせる必要はあると思うけど」
「それができない後藤さんでもねーだろ」
「まあ、そうだね。今のところ、ボスに預けるより他にない」
「吉報を待つとしようぜ」
三日後、我らがボス、後藤さんに、「治安会」のホームであるホワイトドラムに呼び出された。
彼の居室にて、ソファの上で話をする。
「二人とも、ご苦労様」
「用件はなんスか?」
「朔夜君。あまり強く言うつもりはないけれど、ニュースくらいは見てほしいな」
「なんかあったんスか?」
「イブラヒムの件でしょ?」
「伊織さんは事の次第を理解しているようだね」
「そりゃあね」
「朔夜君。君はイブラヒムの顔くらいは知っているかい?」
「知ってるッスよ」
「ちょっとこっちに来てもらえるかな」
後藤さんはそう言い、俺と伊織をマホガニーの机の上にあるデスクトップパソコンの前へと促した。三人して腰を屈め、頬を寄せ合うようにしてディスプレイを覗き込む。
「今回の一件、畠山大臣が殺されたことについてなんだけれど、犯行をうたうニンゲンが現れた。例のイブラヒムだ。本国からの声明だよ」
「本国? 空港で張ってたんじゃなかったんスか?」
「張っていたよ。でも、その網を掻い潜って、出国したらしい」
「どういうことなんスか?」
「まあ、そう焦りなさんな」
パソコンを操作し、後藤さんは動画のウインドウを開いた。その隣にイブラヒムのバストアップの画像を並べた。後藤さんは改めて言う。
「この動画が畠山大臣殺害に関する犯行声明だ」
「写真と見比べると、まったくの別人じゃないスか」
「わかるよね?」
「なにがッスか?」
「一撃離脱の作戦だった」
「それは、まあ、はい」
伊織が口を挟む。「これだけ情報が出揃ってるのに、まだ見当がつかない?」と俺に言葉を向けてきた。
「結論から言おう。イブラヒムは犯行後、顔を変えたんだよ」
「整形したってことッスか?」
「うん。あらかじめ、どこぞの闇医者と話をつけていたんだろうね」
「だから、網にかからなかった?」
「顔を変えられて、おまけに偽造パスポートまで所持していたとなると、今のセキュリティじゃお手上げだ。この国は甘々だからね」
「そこまで用意周到だったとは考えなかったッスね。にしても」
「なんだい?」
「いや。大臣を殺したあとで整形したってんでしょ? そんな真似をせずに、テメーの国で顔を変えた上で入国すればよかったんじゃねーかなって思うんスよ」
「あ、言われてみるとそうだね。どうしてそうしなかったのかなあ」
「ま、今となっては些末な問題だし、しょうもない意見スよ」
伊織は肘を抱えつつ、「今回は私達の負けだね。完璧に仕事をこなされた」などとしおらしいことを言った。俺は「だな」と同意して、ディスプレイを見るのをやめた。それと同時に鼻から息が漏れた。マウスを使って動画と写真のウインドウを閉じた後藤さん。彼は背を真っ直ぐにすると、黒いネクタイを緩めた。「あるいは、ウチの落ち度なのかもしれない。だけど、誰にもどうすることもできなかったとも思うんだ」と口にした。歯がゆそうに映るのは気のせいだろうか。
「なら今後、たとえば奴さんが刺客を送り込んできたとしても、ただ手をこまねいて見ていることしかできないってことッスか?」
「警護のニンゲンは増員されるだろう。この国のボディガードは絶望的に実戦経験が足りないけれど、それでも盾くらいにはなるはずだから」
「なんだか、むなしい話ッスね」
「君達みたいな腕利きのほうが珍しいんだよ」
「お世辞を述べるくらいなら、給料を上げてくださいッス」
「おや。現状じゃ不満かい?」
「冗談ス。俺達以上に後藤さんが働いてるってのも知ってるつもりッスから」
「犯罪に対しては抑止的でありたいけれど、なかなか難しいみたいだね」
「基本的に法を守るほうは後手後手にしか回れないんスよ」
「元刑事としての経験則かい?」
「まあ、そうスね」
俺は訊く。「それで、大臣の後釜はすぐに見つかるんスか?」って。すると伊織が「見つかるよ」と割り込んできた。
「なんでそう言い切れるんだよ」
「不勉強みたいだから教えてあげるけど、畠山は大臣だというだけであって、なにか重要な法案を主導していたわけじゃないの。政府を運営していくにあたって、彼女の死は痛くも痒くもないってこと」
「だとすると、大臣は浮かばれねーなあ」
「そうかもね」
後藤さんは「とりあえず、君達の働きには感謝するよ」と述べた。「重ね重ねになるけれど、これからも頑張っちゃってよ」と続けた。
俺と伊織は顔を見合わせると、お互いに肩をすくめた。事件を上手くディレクションできないことは、刑事時代にもままあった。そのたび、苦い思いをさせられたものだ。けれど、それはもはや過去の話だ。この先、引きずっていくようなことでもない。今回の相手を憎むとは言わない。執着するほどでもない。俺はこれからも俺らしく、犯罪と向き合っていくだけだ。