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仁藤新菜の結び


 そんな風にして時間は過ぎていき、時刻は午後6時半。だいぶ、薄暗くなってきた。今私たちがいるのは、真ん中に直径100メートルほどの池を構え、その周りに森のように木が植えられた、大きな公園だ。その遊歩道を、2人で歩いていた。


 この時期のこの公園には、桜が満開に咲いている。あっちを見てもこっちを見ても桜だ。さりげなく配置された街灯によって照らされた夜桜は、とても綺麗だった。


「新菜」


 ゆっくりと歩きながら、清磁くんが言った。


「なに?」

「今年はまだ映画観てなかったこと、忘れてたでしょ」


 ……やっぱり、気付いていたんだ。まあ、例年は公開されてすぐに観にいっていたし、私が忘れていることくらい、簡単にわかっただろう。


「……うん、忘れてた」

「やっぱりね」


 清磁くんは苦笑した。


「あれから……どっか浮き足立ってる感じするもんなあ」


 そして、私がそのことを忘れていた原因も、清磁くんにはわかっていた。


 確かに遊園地に行ったあの日から私は、何かに焦るような気持ちでいる。言うまでもなく、清磁くんがいなかったあの瞬間が、私をそうさせているのだろう。だからここ数週間の私は、どうしても清磁くんの傍を離れられない。自分でも引きずり過ぎだとは思うけど、感情には逆らえない。


「そのことはわかってるから、これは責めてるわけじゃないからね」

「……?」


 突然、脈絡のないことを言われた気がする。何のことかわからずに清磁くんを見上げると、彼はこう続けた。


「もうひとつ、忘れてることがあるでしょ」

「もうひとつ……?」


 何だろう。「忘れてること」とだけ言われてもわからない。


 私が頭を悩ませていると、清磁くんは助け船を出した。


「ヒント。今日の日付は?」

「えっと、4月17日……あっ」

「思い出した?」


 清磁くんはこちらを見てそう言ったけど、私は二の句が継げずにいた。


 今日、4月17日。この日は――


「清磁くんの、誕生日……」

「正解」


 今やっと、それを思い出した。そのことに、私は驚愕した。


 一番、いちばん大切な人の誕生日。それを忘れるなんて、私は……。


 俄に申し訳なさが込み上げてくる。私は必死に清磁くんに頭を下げた。


「せ、清磁くん、あの……ご、ごめんなさい! 私、」

「だから、責めてるんじゃないんだって」


 清磁くんは回り込んで、その場に立ち尽くした私の目の前に立った。


「でも私、プレゼントとか何も……」

「さっき言ったでしょ? 新菜がどうしようもなく不安になってるのはわかってたんだから、気にしないで」

「でも、でもっ……!」


 どうしよう。涙が出てきそうだ。こんな大切な日のことを忘れていたなんて……!


「新菜、落ち着いて」


 不意に、唇に柔らかい感覚が触れた。


「そんなに心配なら、そうだな、新菜がプレゼントってことで」 

「……え?」


 呆然としている私をよそに、清磁くんは持っていた袋を地面に置き、パーカーのポケットから、握りこぶしほどの大きさの、角の丸まった白い箱を取り出した。


「あの時のことが尾を引いて、新菜が不安定になって……なんとかして安心させてやりたいって、考えてたんだ。だから今日、色んなことをした」

「……今日?」

「そう。多分、今日は久しぶりのデートだったけど、新鮮な感じはしなかったんじゃない?」


 ……言われてみれば、そうかもしれない。今日行った場所はどこも、1度行ったことのある所ばかりだった。


「過去に2人で行った場所に行って、やったことのあることをして、初めて2人で食べたものを食べて……あと、えっちもしたね」

「……っ」


 唐突にそんなことを言われると、照れる……。


「おれは今日、意識してそうしたんだ」


 清磁くんは微笑みながらも真剣味のある表情で語る。


「おれは新菜とのこと、ちゃんと覚えていて、今も大事にしてるって、伝えるために」

「あ……」


 そうか、と納得した。


 私は今日、知らず知らずの間に緊張の糸が緩んでいたことを思い出した。それは、今までの清磁くんとの時間を、無意識のうちに思い起こしていたからだったのだ。


「そっか……そんなこと、考えてくれてたんだ……」


 清磁くんが私のために色々なことをしてくれた。そう思うと、心が暖かくなったような気がした。


「でも、それだけじゃない」


 一際ハッキリした声で、清磁くんが言った。


「それだけじゃ、ない……?」

「そう。今日は、おれが新菜との過去を大事にしているってことを示したかった。だから次は、新菜との将来も大事にしたいってことを、伝える」

「……将来……」

「これは、これからも、新菜の隣にいるっていう……おれの気持ち」


 清磁くんは私の右手を取って包み込むように自分の手を被せ、持っていた箱をその上に乗せた。


 そして、それを開くと、そこには――


「新菜……結婚しよう」

「――――!」


 ――プラチナの指輪が、収められていた。


「おれは新菜の傍を離れるつもりはない。一生、新菜を大切にする」

「清磁くん……!」

「だから、新菜」


 夜桜越しにライトアップされた清磁くんは、私の左手の薬指に指輪を嵌め――


「おれと、ずっと一緒にいてくれ」


 ――そう、プロポーズした。


 勿論、私の返事は。


「はい……喜んで……!」


 こうして、私たちは結ばれた。 

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