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外村亮介の啓蒙


 王帝の文化祭に行かないかとシンに誘われた時、1度は断った。オレが入学することの叶わなかった高校で、しかも振られた相手と一緒に回ると言われて、ホイホイついていくヤツなんていないだろう。それでも行かざるを得ない理由ができたから、オレは今ここにいるんだが。


「うーわ、すごい並んでるね……」


 いくつかの教室で食べ歩きをした後、トイレに行きたいという声があがった。この高校のトイレのうちいくつかは階段の踊り場にあり、オレたちはそのひとつに来たのだが、今雨野が言った通り、男子も女子も長い列ができている。


「とりあえず、終わったら2階に集合しよう」


 森山の一声で、オレたちは男女に分かれた。男子トイレは1階と2階の間、女子トイレは2階と3階の間にある。


 上の階段に上っていく六花、陽下、仁藤さんを見送り、男子組も列の最後尾につく。


「あ、俺はいいから、2階で待ってるね」


 そう言って雨野は1人、2階に留まる。

 

「男子トイレにも列ってできるんだなあ」

「なのに、僕たちの後には誰も来ないっていうね」


 確かに、3人の一番後ろに並んだオレの後、人は来ない。間の悪いことだ。


 しかも、人の回転を操る神様の悪戯としか思えないことに、オレたちの前で2人が一緒に出てきた。つまり、シンと森山だけ中に入れて、オレだけ列に残されたということだ。もはや列になってないけど。そしてやっと順番が回ってきた時には、シンと森山はトイレを出るところだった。ちくしょう。


 オレもさっさと用を足して手を洗い、ハンカチで拭きながら2階に上がる──


 そうしようとしたが、オレは足を止めてしまった。


 雨野とシンと森山の話が聞こえてきたからだ。


「えっ、じゃあ清磁と仁藤ちゃん、もう4年半も付き合ってるの?」

「そうなんだよ、凄いよねー」

「いや、別に凄くは……まあ、新菜のお陰かな」


 ………………………………。


 気付かなかった自分のアホらしさに、嫌気がさした。


 今日一緒に文化祭を回っていて、仁藤さんの森山の呼び方が「清磁くん」だったから、仲は良いなと思ってはいたのだ。だが、付き合っているわけではないオレのことを「亮介」と呼ぶ六花の例もあるし、ただ仲が良いだけだと思っていた。


 それなのに、あの2人はもう4年半も付き合っているという。ということは、オレが仁藤さんに告白したあの時も、2人は絶賛交際中だったということ。いや、交際中どころか、既に恋人としてあれこれをしていた可能性だって充分にある。


 ──そんなの普通、気付くだろ……。


 だがオレは中3と高1の時、全くそんなことを考えていなかった。思えば、オレは塾に通っていた時、家が遠いことを理由に周りの人間と会話したことが殆どなかった。だから仁藤さんと森山の関係にも、何も感じることはなかったのだ。


 絶対に王帝に受かる。その決意があったから、オレはあの塾に通うことを決めた。しかし結局合格することはできず、遠方の塾を選んだことによって恋愛においてもしなくていいミスをした。


 ──何だよ、それ……。


 オレは、欲しかったものを、何一つ手に入れられなかった。しかもその原因が、遡れば高く設定した目標だった。


 胸に苦しさを覚えつつも、何とか3人の待つ場所まで上ろうとする。その途中で、雨野のウキウキした声が聞こえてきた。


「ねぇ清磁、流石にもうえっちしたでしょ? いつしたの?」

「えー、いや……去年の、夏休み直前」


 再び、足が止まる。


「おおー! やっぱりしてた! きっかけは?」

「……新菜が、おれの知らないところでコクられたらしくてさ。不安になっちゃって」

「なるほど、身も心も自分のものにしてやる、と。なるほどー!」

「理玖、楽しそうだなー」

「でも清磁、理玖はいつも楽しそうじゃないか?」

「それもそうだ」


 ──……酷すぎるだろ、それ。


 さっきの話だけでもかなりの致命傷なのに……。


 オレは学業で失敗し、好きだった女の子に振られ、その上セックスのダシにまでされたのか。


 思わずその場で泣き出したくなるような絶望──しかしオレは、それに耐えることができた。


 今のオレには、別の希望がある。


 オレは階段の手すり越しに、未だに列に並んでいる六花を見た。彼女は陽下と、そして今日知り合ったばかりの仁藤さんと楽しそうに話している。


 あいつの笑顔を見ていられれば、それで──


「新菜!」「唯音、六花!」


 その時突然、森山とシンがオレの視界に入ってきた。


 何かと思って身を乗り出し注視すると、2人は六花と仁藤さんと陽下に駆け寄り……その3人にちょっかいを出していたらしい男2人組に、睨みを利かせている。その男たちは、さっきはオレからは死角になっていたようだ。


「おれの恋人に手を出すの、止めてもらえませんか」

「彼女たちは僕の大切な友達です。立ち去らないなら、僕が相手をしますよ」


 ……オレは彼らがそこまで怒るのを、初めて見た。特にシンは最近一緒にいることが多いから、驚きもヒトシオだ。


「んだよ、カレシ持ちかよ……」


 男たちはシンと森山の剣幕に怯み、去っていった。


「2人とも、凄いね! ヒーローみたいだった!」


 雨野が彼らに駆け寄って賞賛する。


「ヒーローは大袈裟だよ……」

「唯音、六花、大丈夫だった?」

「大丈夫。ちょっと怖かったけど」

「わたしも、大丈夫……でも、新菜ちゃんが……」


 陽下はそう言って仁藤さんを見る。仁藤さんは、少し青ざめた顔で、自分の二の腕を抱いていた。


「新菜、何かされたの?」

「ううん、ちょっと……触られただけ」

「あいつら……」

 

 森山は男たちが去っていった方向をもう1度睨み、そしていきなり、


「きゃっ……せ、清磁くん?」


 仁藤さんを、後ろから抱き締めた。そのまま目を閉じて、深呼吸をしている。


「ね、清磁くん、どうしたの……?」

「いいから」


 ……数秒眺めていてわかった。どうやらあれは、森山なりの怒りの鎮め方らしい。だんだん、表情が柔らかくなっていくのがわかる。


「清磁くん……あの……」


 一方、仁藤さんは顔を真っ赤にしながら、視線をあちこちに撒き散らしている。


 ──オレの知らない間に、どんどん仲良くなってんな……。


 前は、少なくとも人前であんなことはしなかった。それが、今はこれだ。


 ──オレは本当に無謀な告白をしたんだ。


 そんなことを考えながら階段を上り、オレはやっと彼らに合流した。

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