森山清磁の意志
「受験勉強で一番重要なのは、集中力だ」
期末テストの終わった翌日。クーラーの効いた教室で、藤原先輩が語る。
「何を当然のことを、と思うかもしれないが、実際かなり大事なことだ。特に高校受験の場合、理屈を教わらず丸暗記で対処せざるを得ないことが多い」
藤原先輩の成績は知らされているので、先程自分の番を終えた小山先輩以外、みんな真面目に聞いている。
「教科書やノートを読んでいるつもりで、実は頭の中では別のことを考えている、なんて経験のあるヤツは多いと思う。雑念があると集中できず、何度も同じ部分を読む、なんてことになってしまう」
今日は、卒業生に合格体験談を語ってもらう日になっていた。藤原先輩は聞き取りやすい声量とスピードで話し続ける。
「勉強に集中するためには、頭の中に他のことがあってはならない。特に15歳って時期だと、興味のあることや、悩みなんかもあるだろう。特に後者、悩みの方だ」
──なんだろう。
そこまでクラス全体に視線を配っていた藤原先輩が、あからさまに一箇所を見ている……誰かに向けた話ってことだろうか。後輩にも知り合い多そうだし。
「これは今のうち、できるなら今日にでも解決しておいた方がいい。自力じゃ難しいっていうなら、第三者に協力を求めてもいい。とにかく、何らかの形で、自分の中で決着をつけられるようにしろ。俺の周りにも、悩みを解決できないまま受験を迎えて、失敗したヤツがいる──」
*
『ありがとうございました』
クラス全体でお礼を言って、合格体験談はお開きとなった。藤原先輩と小山先輩は、久し振りに会ったからか先生と雑談している。
「清磁、やっぱ藤原先輩ってすごいんだな。集中できなくて何度も同じ文章を読むことって、確かにあるわ」
智輝は藤原先輩の話に感銘を受けたらしく、クラスが解散するなりすぐにおれのもとに来た。
「……まあ、そうかもね」
「何だよその含みのある言い方」
「あの人、おれたちが思うような勉強したことないって前に言ってたから」
「……どういう意味?」
「やらなくてもできる人ってこと。だから多分、少なくとも集中力がどうってところは『体験談』じゃないと思うんだよね」
「……それはそれで凄いけどな。じゃ、俺帰るわ。また塾で」
「うん、後で」
藤原先輩も引き上げるようだし、おれも帰ろう。……小山先輩は帰り際、何故か教卓の中を覗きこんでいった。あの人、もしかして変な人なのかな。合格体験談の時もノリで喋ってる感じだったし。
「……あ、あの、清磁くん、塾行こっか」
殆どの生徒がさっさと教室を出ていく流れに逆らって、今度は新菜がおれの席まで来る。目線が、下を向いているけど。
「うん、行こう」
智輝は一旦帰宅するらしかったけど、おれたちは塾の授業がある日は自習室に直行し、そのまま授業を受けることにしている。並んで廊下に出て、階段を降り、昇降口で下足に履き替えて、玄関を出る。その間、会話はない。
「…………」
「…………」
昨日のおれの「カラダ」発言以降、2人の空気は少し気まずくなっている。新菜はことある毎に頬を染めるし、目を合わせてくれない。
……気まずい。
学校から5分とかからずに塾にはついた。エレベーターに乗って、自習室へ行く。ここでは各机がパーテーションで区切られているので、席についたら一息つける。
──一息つける?
……おれは今、新菜との時間に息を詰まらせている?
確かに昨日から微妙な空気が続いている。だけど、そんなことでおれは新菜と一緒にいることを楽しめなくなるのか?
──そんなはずはない。
ノートも筆記用具も取り出さずに、おれは考える。
今どんな気まずさがあろうと、おれは彼女が好きだ。だったら……。
だったら。
*
「外村、で合ってるよな? 同じタイミングで帰るのって、初めてだな」
その日の授業後、おれと新菜は、駅に向かう葉山・外村と一緒に塾を出た。横断歩道の少し先までは道が同じなので、同行する。
「……そうだな。オレ、家が遠いからなるべく早く帰るようにしてんだけど、今日は授業の後で質問してたから」
おれと新菜と智輝、それからこの葉山やその他何人かのAクラスのメンバーは、授業後に15分ほど雑談してから帰宅しるのが常だった。しかし
葉山の言う通り、外村と絡むのはほぼ初である。
「俺は葉山な、覚えてくれよ」
「おれは森山。よろしく」
「に、仁藤です」
軽く自己紹介をしておくと、外村もそれに倣った。
「……外村だ。志望は王帝」
「あれ、そうなんだ。おれたちも3人とも、王帝志望なんだよね」
「そうなのか? じゃあ、仁藤さんも?」
「あ、うん、そうだよ」
「……へぇ」
人見知りなのかそれまで固い表情だった外村が、そこで僅かに顔を綻ばせた。
「まあみんな仲間ってことだな! 頑張ろうぜ、外村。じゃあ俺ら電車組はこっちだから、またなー」
葉山は馴れ馴れしく外村と肩を組んで、夜の駅へと消えていった。
そして、おれと新菜は2人きり。
「………………」
「………………」
葉山と外村がいた時ですら、新菜は無口だった。今も沈黙している。
「…………………………」
「…………………………」
ずっとこんな雰囲気でいるのは嫌なので、おれは新菜に話しかけた。
「新菜」
「ひゃ、はい」
「あの……昨日は変なこと言って、ごめん」
やはり女の子相手に不快だったかと謝罪しておくと、新菜は途端にわたわたと手を振って早口で喋り出した。
「え、あ、いや、別にいいの、あの、私も別に嫌だったわけじゃないし別に」
「…………嫌じゃないの?」
「んんっ」
……どっちなんだかわからない……。
恋人になって2年と少し、こんなにムードがおかしかったことはない。
これはもう、正面から話すしかないか。
「……新菜、あのさ」
「は、はい」
「新菜は、そういうことについて、どう思ってる?」
ぴきん! という感じで、新菜はその場で固まった。その顔は真っ赤だ。
「そ、それはその……」
たっぷり10秒間を空けて、次に深呼吸をして、新菜はやっと、おれの目を見てくれた。
「せ、清磁くんとなら……してもいいかな、って……」
「してもいい……」
「したいですっ」
何を思ったか、おれが新菜の台詞を反復すると、新菜は勢いよく訂正した。
──ん?
「したいの?」
「あ、その…………………………………………はい」
もう観念した、といった様子で、ものすごく恥ずかしそうながらも、新菜は首肯した。
「女の子でも、そういうことしたいって思うの?」
「……思うよ。大好きな清磁くんとのことだもん。……清磁くんは、思わないの?」
「……最近、やっと考え始めたってところかな」
「……清磁くんも、か、考えるんだ……」
新菜は一層頬を赤らめて俯いた。……まあ、これじゃ半分、「お互いにその意思がある」ってことになるわけだし。
──でも。
「けど、おれは新菜を大事にしたい。まだよくわかってないのに、新菜を傷付けたくない」
彼女とはこれからもずっと一緒にいるつもりだ。だから、焦って新菜を傷付けるようなことはしたくない。
「清磁くんになら、傷付けられてもいいんだけどな……」
新菜は聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。そして、
「でも……うん、わかった。いつか清磁くんが抱いてくれるのを、待ってるね」
そう言って、未だ赤いままの顔で微笑んだ。
「これからも大事にしてね、清磁くん」




