森山清磁の練習試合
野球部の3年生が引退した6月下旬、おれは中学生になってから初めてキャッチャーマスクをかぶった。
今日は午前中に2つの練習試合をこなした。どちらも上級生による試合だったが、2年生が昼食をとっている間に、1年生試合をやらせてもらえることになったのだ。おれは普段は外野手としてプレイしているが、出場する選手が1年生に限定されるこの試合では、捕手の経験があるのはおれだけだったため、久し振りにミットをつけることになった。
それに加え、そもそもうちは1年生部員が9人しかおらず、ピッチャーをやっている西水が体調不良でいないため、なんと今日は部外からの助っ人が呼ばれている。それがこの、藤原遼太郎先輩だ。
「サインはそっちで決めてくれる? 俺、変化球はカーブとスライダーしか投げられないけど」
この藤原先輩、自身は部活をやっていないにも関わらず、過去に何度か助っ人として色々な部の練習試合に参加してきたらしい。人望もあって、学業の成績もいいスーパーマンなんだそうだ。今日は、部員じゃないから1年生試合に出してもいいよね、ということで、2年生の藤原先輩に声をかけたらしい。
「藤原先輩、野球やってるわけじゃないのに2つも変化球持ってるんですか? それだけでも凄いですよ」
「まあ、遊びでやったことならあるし、大したことじゃないよ」
これを本当に何でもないことのように言うのだから凄い。
おれは藤原先輩とサインをきめると、投球練習に入った。
*
「ゲーム!」
「ありがとうございました!」
5-0で勝った。
信じられない、という気持ちで、クールダウンのために藤原先輩とキャッチボールをする。
実際に試合が始まってみると、この先輩の才能がよりはっきりとわかった。真っ直ぐは普通に速いし変化は曲がる、打球への反応も良くて、結局完封勝ちした。打撃も、四球安打犠牲フライで非の打ち所がない。なんなんだこの人。
「もういいよ、ありがとう」
最後におれに一球投げて、藤原先輩はそう言った。帽子をとって汗を拭う姿もサマになっている。
「藤原先輩、本当に上手いですね。何で野球部入らないんですか?」
おれは当然の疑問を先輩にぶつける。先輩は少し考えてから、
「あんまり、興味ないから」
と答えた。それは仕方ないけど、もったいない。
「森山だっけ。多分また来ることになると思うから、俺のこと覚えておいてよ」
藤原先輩は持参していたらしい水筒で水分補給をしてから、そんなことを宣う。
「いや藤原先輩を忘れられるとは思いませんけど、どうしてですか?」
「野球部の顧問の石田先生、毎年真っ先にノロとかインフルにかかるんだよ。特にノロの時期は野球部も試合禁止期間じゃなかったりするから、うつされた部員が出て、去年も俺が試合に出たんだ」
ああ、そういえば野球部の先輩から聞いたことがある。冬の石田の唾には気を付けろ、と。
「わかりました。その時は、お願いしますね」
「ああ、お前も手洗いうがいはちゃんとしろよ」
そう言って藤原先輩は2年生の人たちの方へ戻っていった。
──驕ることもなく、最後までクールな人だったな……。
「おーい清磁! ダウン終わったんなら整備手伝え!」
藤原先輩の後ろ姿を眺めていると、グラウンドにトンボをかけている達哉に呼ばれた。
「ごめん、今行く!」
オレンジ色の日差しを受けながら、校庭の端を駆ける。ひとつ上の先輩に、もの凄い人がいることを知った1日だった。