西梨々香の乙女
最近、彼氏の付き合いが悪い。
テスト期間だから、時間を調整しなくても一緒に帰れるはずなのに、隣の教室を見に行くと伊吹は既に帰っていることが多い。
──何よ、せっかく待ってあげてたのに。
付き合い始めてまだ何週間かしか経ってないんだから、まさか倦怠期というわけでもないはず。というより、やっと……私側が、あいつを好きになってきたところだったのに。
伊吹から告白された。最初はあり得ないと思ってたのに、好きと言われてからあいつのことばかり考えてた。やっぱり私も伊吹に救われてたところあるし、コクってくれたんだからと、OKを出した。ちゃんとデートに行ったのはまだ1回だけだけど、その時はそれなりに楽しかったし、案外うまくやっていけるのかな、なんて思い始めていた。
なのに近頃、伊吹は私との時間をあまり作ってくれない。向こうから告白してきたのに、なんか悔しい。
だから今日こそはと、帰りのHRが終わるなり私は一目散に1年3組の教室へとダッシュした。よく考えたらこんな行動、本当にあいつを好きな乙女っぽくて誰かに見られたら恥ずかしいけど、この時の私は伊吹を捕まえることで頭がいっぱいだった。
「いぶ──」
私たちが付き合ってるのは、伊吹が自分から暴露したせいでもう周知の事実になってしまっているので、私は教室の入口から大声であいつを呼ぼうとした。
だけど、伊吹は真面目な表情で……森山と何かを話していた。だから私は、あいつを誘うのに躊躇してしまった。
「もうしないから、それはまた今度にしてくれないか?」
「ああ……わかった」
森山との話は終わったのだろうか。伊吹はこっちに足を向け、そこで私に気づいたようだった。
「あ、伊吹、あの、今日さ……」
「ああ、西。一緒に帰ろうぜ」
──伊吹から誘ってくれた。
私が言おうとしていたことを伊吹も考えてくれていた。私は嬉しくなって、
「うん!」
と、明るい声を出してしまった。
あの日以来、こんなに気分が弾んだのは、初めてかもしれない。
教室から西門まで、2人で歩く。ちょっと周りの目が気になるけど、まあそれくらいは我慢しよう。
「そろそろ中間だけど、伊吹って成績いいんだっけ?」
「まあ小6の通知表は図工と家庭科以外3だったけど……あんまり参考にならないよな」
適当に雑談しながらの帰り道。やっぱり私は、こいつと一緒にいる時間を楽しんでいられている。
コンビニの前を通りすぎて、まだまだ車通りの多い道に出る。信号待ちで立ち止まったところで、伊吹がふとこんなことを言い出した。
「なあ、恋する女の子って、やっぱり魅力的だよな」
「なに、どしたの急に」
もしかしてこれ、遠回しに私のことを可愛いって言ってるのだろうか。
──だったら、嬉しいな。
そう思っている間にも、伊吹は前を見たまま続ける。
「俺、森山と仁藤と同じクラスだろ?」
「え? うん、そうだね」
これ、話は繋がっているのだろうか。横断歩道を渡りながら、伊吹の顔色を窺う。ここを渡りきって住宅街に入ると、一気に静かになる。
その辺りまで来て、伊吹は私を見つめて言った。
「俺さ、やっぱり仁藤が好きだ」
「え…………は?」
伊吹はとても真剣な様子で私に真っ直ぐに言う。
「毎日、同じ教室で、森山と楽しそうに話す仁藤を見てて、そう思ったんだ。だから俺、近々あいつに告白する」
「え、ちょっと……何言ってんの?」
「やっぱり、自分の気持ちに嘘はつけないよ。西も、はっきりさせてくるといい。応援してるから」
「いや、ちょっと待ってよ」
1人で勝手に話を進めてしまう伊吹を、私は慌てて遮る。
「今、私たちは付き合ってるよね? なのにあんた、仁藤が好きだって言うの?」
「……そうだ」
「……そんな」
──嘘だ。さっきまで、楽しく話していたのに。ようやく、伊吹を好きだと思えるようになったのに。
「西も、まだ森山のことを忘れられないだろ? だからさ──」
私が絶句しているのに構わず、伊吹は私に何か言ってくる。でも私は、その殆どが頭に入っていなかった。
──なんて惨めなんだろう、私は。
あんな形で失恋した。今度はそれを慰めてくれた人を好きになって、うまくやれるとやっと思えるようになった。その途端、こんな訳のわからない理由で──
「だから西、俺たち、別れよ──」
パチン、と音が響いた。私が平手打ちしたことで、伊吹は言葉を途中で止めざるを得なかった。
「……最低」
私はそう言い残し、伊吹を置いて独りで帰った。