ドル物が発見されました!
バレンタインデーとかマジで滅べばいい。
二月十四日という日を恨めしく思っている男子はおおむね二種類に分けられるだろう。それを周囲に公言するか、しないかだ。
バリッバリに後者の僕は、前者のやつらを内心馬鹿にしている。けっ、ありきたりに「どうせ俺はもらえねーよー」とか吹聴しやがって。期待の裏返しなのが見え見えだぜ!
僕がバレンタインデーを嫌うのは、自分がチョコレートを貰えないからではない。僕だって普通の男子高校生だ、こんな日には将来良いおばちゃんになりそうなお節介気味の女子が分け隔てなく配る義理チョコのおこぼれにはあずかれるだろうし、好きでもない女子から本命チョコを渡されたって敵わない。
なんというか、このソワソワした感じが面倒くさいのである。
自由恋愛とは言うけれど、なんか急かされているような。
まあ、僕の在籍している鯉踏学園は、五月の時期にラブレターを渡すと恋が叶う言い伝えがあったりして結構その手のイベントには事欠かないので、バレンタインも言わずもがなだ。
もっとも、こちらはラブレターじゃなくて普通にチョコが飛び交う、他の高校と変わりない催しになるだけなんだけどさ。
とりあえず僕は、五月の時期もバレンタインも仏頂面でいるだけだ。おそらく、現在校内に気になる女の子がいないっていうのは大きいかもしれない。ロマンスが急にやってきて来年あたり、自分も貰えないもんかソワソワしていないとも限らない。来年の今頃は受験まっただ中だけどね。
とにかく今。バレンタインなんて滅べばいいっていう僕の思いは本物だ。
「仏頂面っすねー」
そんな中、どこの体育会系の後輩だよって口調の同級生の声がする。
「なんだよ、今西」
名前を呼んでやったそいつは、今西美和。昼休みのこの時間、教室の隣の席で一心不乱に消しゴムハンコを作っている眼鏡女子だ。髪はボサボサ、制服はダルダル、口を開けばアニメの話、大好きなアニメキャラの消しゴムハンコを作るのが大好きという絵に描いたようなオタクである。
「鳴子クン、自分がモテないからってひがんじゃダメっすよ」
「ぐぅ」
なんかイヤな声が出た。自分がひがんでいるとは思わないが、客観的に見てどうかとなるとなんとも言えない。鳴子一郎、そりゃモテるのならばモテたいです。
「僕はこのソワソワ感が苦手なだけだからさ。他の人が楽しむ分には構わんよ」
うーん、今のは本音であるものの強がりっぽいなあ。美和もしたり顔で、
「鳴子クン、今の仏頂面を維持してれば腐女子受け良くなるっすよ。普段の鳴子クンより貫禄が出るっす」
「やだ。今すぐ雰囲気変えるわ」
ヒヒヒ、と女子力最底辺の笑い声を上げて彫刻刀を走らせる美和。このやろうと思うが、こいつはこいつでバレンタインに備えて動いているから人は見かけによらない。
というのもさっき、手作りのチョコを作ったんだけど不味くないかどうか毒見してくれと頼まれたのである。
いえーい。僕、本日一個目のチョコ獲得―。
と喜んでみるにはあまりに御粗末なチョコだった。おいしかったけど、要は完成品の余りを渡されて、なんのデコレーションもない茶色の塊だったからである。
毒見ってまさにこういうの口にするときに言うんだなって心底思ったね。
「ってか今西よ」
「なんすか?」
「さっき食わされたあのチョコ、お前誰にあげるの?」
「え。言わないっすよ馬鹿なんですか」
「あー安心した」
「なんでっすか!」
「てっきりアニメキャラに贈るのかなって。あるんだろ、そういう文化」
「ああ、そっちは先週贈ってるっすよ。じゃないと今日届かないでしょ馬鹿なんすか」
「お前もう手遅れだよ……」
はてさて、美和のバーチャルラブは見なかったことにして、リアルラブは叶うのだろうか。気がかりだね。そうでもないか。
「それより鳴子クン」
「どうしたよ」
「ウチの例のコイン、知らないっすか?」
「ああ、あれ? 知らんぞ。失くしたのか?」
「そうなんすよー」
コインというのは、美和が持っているドル硬貨である。僕にはよく分からないが、ちょっと値打ちのある代物らしい。なんでも美和が小学生の時、習い事で一緒だった親友とも言えるほど仲の良かった子が遠くに引っ越しするときに、丁度二枚あったそれを一枚ずつ持って以来、大事にしているそうだ。
「いつから無いんだ?」
「うーん、昨日の午後の体育終わってからっすかねー。午前中はあったんで」
「あっそう。生徒部に紛失届出したら?」
「望み薄いっすねー。まあそんなに焦っちゃないんすけどね」
「なんでだよ」
「やー、今までも何回か失くしたことあったんすけど、なんだかんだで手元に戻ってくるんすよ、アレ」
そんなもんなのか。やっぱり念が宿っていたりするのかな。
「とりあえず僕は見てないな」
「でしょうねー。申し訳ないっす」
言葉の割にさして申し訳なさそうにもせず、ハンコ作りに戻る美和。僕も昼休みの残りはまだまだあるから部活動でもしようと思い立った。
部活動と言っても、僕のは将棋部なので、解けていない詰将棋の問題を考えようとそんなものである。こういうところ、運動部よりやりやすい。
さてさて、と問題の棋譜に目を落とした時。
右肩を二回叩かれたので振り向くと、涙目の女子が一人いた。
「うわっ」
思わずのけぞる。そこにいたのは小坂若菜、隣の隣のクラスの同級生で同じ将棋部の部員だったのだが、こいつの涙目なんて初めて見たからだ。
今すぐ運動部に行けと言いたくなるほどの元気、将棋部でありながら趣味はマラソンと徹夜カラオケという体力モンスターの若菜、女子の中でも小柄だがどこにパワーを溜め込んでいるのかと不思議になる。高校生にもなっていまだにツインテールだが、そこなのか。
「ど……どうした?」
そんな若菜のしおらしい姿なぞ、不気味だ。見たくない。
「ふられた」
「え?」
「ふられた!」
「……ああ」
そ、そうか。今日バレンタインデーだもんな。さっき若菜も、誰かにチョコを渡しに行って玉砕したってことだろう。うわ気まずいな。
「……誰にってのは、聞いてもいいやつ?」
恐る恐る問いかけると、若菜は顔を歪ませて、
「三組の滝井くん」
「まじか」「まじすか」
僕と隣の美和の驚きの声が合わさった。そして、思う。
そりゃ無理だろ……
三組の滝井といえばそりゃもう学年一のイケメンである。あいつが近くにいるせいで、僕はテレビのイケメンアイドルもパッとしないように見えてしまう時がある。すごく性格のまっすぐな妹が一人いるらしいが、余りに兄貴が女性に言いよられるためにマネージャーめいた存在になっているとかいないとか。
「き、気を取り直すっすよ」
美和が慰めるが、視線が完全に消しゴムに向いているからきっと内心は僕と同じだ。なんて無謀なことをするのだ若菜。
「……俺、彼女いるから受け取れないって言われた」
「え! そーなの!」
僕は意外に思った。そりゃ、あれだけのイケメンだし彼女の一人や二人、千人くらいいても別に驚かないが、モテすぎるあまりに誰かと付き合ったなどの話は聞かないのだ。ということは、今頃この学校内は滝井に彼女がいるというネタで阿鼻叫喚になっているということだろうか。
ぐず、と若菜が鼻をすする。かわいそうといえばそうなのだが……いかんせんなあ。一般人が世界記録保持者にガチで挑んで負けて真剣に悔しがるようなものだからなあ。
「食べて」
「はい?」
どうも今日の若菜は言葉がぶつ切りである。なので、食べてというのが若菜の手にしているチョコレートだということに気づくのに、僕は少し時間がかかった。
「……これ? 滝井のやつ?」
「そう」
「……マジで?」
「……もったいないもん。自分じゃ食べる気になんないし」
普段はうるさいなと思う声だが、こうも弱弱しいとなんとも断りづらく、気付けば僕はチョコを受け取ってしまっていた。
いえーい、本日二つ目。他の人の本命チョコを頂きました!
ま、まあここで食べてあげるのが、部員仲間としての優しさだよな……
僕は観念して、包み紙を開けた。
で、でっか!
手作りで成型したであろうハート型のチョコは綺麗な仕上がりではあったものの、めちゃめちゃでかい。箱から察するに色んなチョコが仕切られて入っているタイプのやつかと推察したんだけど、それら仕切り分も含めたドでかい一個だ。ハンバーグ何個分だこれ。
「い、頂きます……」
その大きさに、つい手を合わせてしまう。お菓子というより料理だろ、これ。
とりあえず一口。うん、うまい。
とりあえず二口。うん……うまい、けど……この量全部食べるの?
流し目で若菜を見れば、食い入るようにこっちを見つめている。元彼の写真を燃やすシーンが昨日テレビドラマで流れていたが、目力がそれに近い。僕は腹をくくった。
三口目。
かりっ。
なにか、歯に特別硬い感触を感じる。なんだろう。何か入っているのかな。なんか食べ物って感じはしないけど。
行儀が悪いと知りながら、ごめんなんか入ってるみたいと指で口から取り出す。
コインか、これ?
ティッシュを取り出して丁寧に拭き、眼前に持ってくる。案の定コインだ。
すると。
「あーっ! それ、ウチのっす!」
突如立ち上がって叫んだ美和の言う通り。そこには、美和が失くしたと言っていた、ちょっとプレミアなドル硬貨が輝いていた。