2 これからよろしくね
朝靄に包まれる早朝。閉じた瞼の隙間から差し込む光がいつもより多い気がして目を覚ますと、明らかにいつもより寒気がして体をさすった。
ふと上を見上げてみれば、日がみえて外の澄んだ空気が周りに満ちている。
「夢じゃなかった……」
肌寒い中で、唯一温かかったのは手に握る黒い尻尾。
そして視線をずらすと、眠たさに負けて布団をひっつかみ被って寝たはずのその布団の下で丸くなって寝ているこの尻尾の持ち主の黒猫。
コイツ、私の布団を奪ってスヤスヤ寝ている!
一瞬踏みつぶしてやろうかとも思ったけど、この尻尾と黒猫に助けられたことも事実なので、踏みとどまる。
私は手の中の尻尾をみた。二又にわかれた不思議な尻尾。尻尾だけだというのに生きているように温かく、血も流れない。
私はそれを懐に仕舞いながら、立ち上がる。最近暖かくなってきたとはいえ春先のまだ寒い時期。完全に冷えてしまう前にとにかく体を温めなければと、竈に火を入れることにした。
家の前の井戸から水を汲み、そして竈で湯を沸かす。湯を急須に入れてそこから茶碗にそれを注ぎ温める。湯を捨てたあとは茶葉を急須に入れて湯で蒸らし、再び茶碗に注ぐ。
個人的に茶が薄い方が好みなので蒸らす時間は短め。その方が長く茶が飲めるという理由もある。我が家に贅沢をする余裕はない。
一口飲んで体にじわじわと温かさが広がる。
温まってきたことで、ようやく体に力が入るようになった。ほっと息をついて、周りを見回した。
昨夜の乱闘で、貯蓄していた米はバラまかれ、干した魚は散らばり、野菜は砕かれていて、まずは片付けをしなければならないと脳が結論を出した。
「……はぁ」
貴重な食料を失った。今のご時世、若い女の一人暮らしは大変なのに。
とりあえず、はらえばまだ食べられそうなもの。一部切り捨てて火を通せば食べられそうなもの、完全に畑の肥やしにしてしまうものに分けて籠に放り込む。
日が中天にさしかかる頃、片付けもそれなりに終わり、上を見上げる。
「今日は雨が降らないといいけど」
雨が降ったら屋根のない今、どうなるかは想像に難くない。
「今日は降らねーよ」
振り返ると、同じく空を見上げた黒猫がいた。
「腹減った。朝飯は?」
そのふてぶてしい態度にイラッとしながら、私は籠に放り込んだ食材達を指差した。
「なんでか誤解されるけどな、俺達猫は生の魚は食べないんだぜ。まあ高位の妖である俺は生でも食べられるし、寛大だからな。仕方なく食べてやるけどな」
「……」
地面に落ちた食べ物は食べられないというから、わざわざ川までおりて魚を捕まえてきたというのに、この言い様。
だいたい朝飯ではなく昼御飯の時間帯であるし、そもそもご飯を用意しろと当然のように言われる筋合いは私にはないんだけどな。
私は内心の怒りを宥めながら、なぜか器用に箸をもって魚を頬張る黒猫をみる。……確かに少し食べにくそうにしてるかな。
「ところで、お前ここに1人で住んでるのか?」
「そうよ」
「……ほんとに1人で?」
「私1人じゃおかしい?」
「おかしくないというつもりな?」
「まあ、そうね」
黒猫はじいっと私をみた。
怪我して倒れていたこの猫を拾ったのは、江戸の町の裏路地だった。けど、私の家は江戸から少し離れた里山の中。村もなく、ぽつんと一つだけ建っているこの家を不思議に思うのは仕方ないかもしれない。特に、私1人だしね。
だから江戸の大工さんに屋根の修理を依頼するのも大変だ。こんなとこまで来てくれないからね。
「昔はお母さんと住んでたのよ。2人暮らし。だけど、亡くなったから今は1人」
「ふーん」
それ以降黒猫はそのことについてなにも言わなかった。ちゃんと答えたのになんだその興味なさそうな返事は。
「そんなことより本題だ。俺の尻尾どこにやった?」
「ここにあるわ」
「……っ!」
私が懐から取り出すと、黒猫が爪を見せながら私に飛びかかってきた。
それを避けつつ、尻尾をしまう。
「返せ!それは俺のだ!」
「……」
それはそうなんだけど、それをすんなり返せるほど私も暢気な頭はしていない。
「昨日の土蜘蛛、子供って言ってたわ。じゃあまだ襲われることもあるかもしれないでしょ?だからせめて二週間、ここにいてよ」
「はあ?なんで俺がそんなこと」
「……そうね、二週間私を守ってくれたら、この尻尾返してあげる」
着物の上から温かい尻尾を押さえる。
「俺を脅そうってか?矮小である人間ごときが、この俺を」
黒猫の雰囲気が変わる。彼の周りから黒い靄が立ち上り、黒猫の輪郭が曖昧になる。
私はぎゅっと手を握りながら、平静を装った。
「違う。脅しじゃなくてこれは取引よ。私はあなたの足の手当てをする。あなたは私を守る。二週間私を守りきったら、尻尾を返す。どう?」
「……」
黒猫はしばらく考えた後、爪を引っ込めた。姿も普通の黒猫に戻る。
「疑問点が一つ。俺は妖怪だ。手当てっつっても普通の薬じゃこの傷は治らないぜ?どうやって手当てする」
黒猫は包帯の巻かれた前足を卓袱台の上に乗せた。
「保証するわ。その傷は治る」
「……わかった。その話乗ってやるよ」
「それじゃ、これからよろしくね。そういえば、あなた名前はなんていうの?」
「教えるわけねーだろ。俺達にとって名前は大切な物なんだ」
「ふーん。でも、それだと呼ぶとき不便よね」
「……」
私は二又に分かれた尻尾を思い出す。
「あなた、猫又よね?」
「そうだ」
「じゃあ、あなたは又さん!猫又の又さんね!」
「名前が安易過ぎるだろ!」
そこからしばらく又さんからの抗議は続いたけれど、私は譲らなかった。これくらい、反抗してもいいと思うのよね。