1話 目覚め
目が 覚めた。
目に見えるのは最後に見たものと同じ、自宅の天井だった。
失敗したのか。
何とも言えないものがこみ上げてくるがこれは仕方がない。目が覚めたことをまず喜ぶべきか…
失敗し二度と目が覚めないことも考えていたのだから。
さて、目が覚めてこうして考えていても仕方がないのだが動かない体というのは本当に困り果てる。仕方がないのでまずは首を動かすことにした。
ゴロンとなんの気もなく右を向いた。するとそこには年老いた老人の顔があった。
「うわぁぁぁぁ」
心臓に悪いが驚いた衝撃で手を付いて体を起こすことができた。人間、緊急時はなんとかなるものだ。
改めてそれを確認する。
見慣れた白髪の老人だった。
手入れしていなかったのか髪も髭もボサボサ。健康状態も悪かったのだろう目の下には隈が色濃く確認できるし、病的とまではいかないが全体的に細い。
改めて自分の体を見た。老人よりもさらに細く小さな手、先ほど悲鳴で出した声も聞き覚えのない子供のもの。
実験の際、自分は新しい身体となる見た目が10才ほどの少年のホムンクルスを横に置いていた。
つまり結論から言うと横たわる老人はかつての自分であり、今の自分はホムンクルスの体に意識が移り変わっていたのだと。
失敗ではなかった。自分は新しい体を手に入れた。
「闇と光の神に感謝を」
神への感謝が終われば次は自分の新しい体についてだ。
目で景色が見える、手は動く、口から声も出る、耳はその声が聞こえる。
残りは足だけだ。
元の体の近くには今まで使っていた椅子とテーブルがある。歩き始めの幼児のように椅子につかまり、今度はテーブルにと順番につかまり2本の足で立つ。
たったそれだけでプルプルと足が震える。
このままでは不味いと家の中を見渡し目にとまったのは錬金で使う混ぜ棒だった。
長さは1m程だが子供の姿になった自分には丁度良い長さだ。
混ぜ棒を使いゆっくりと家の中を進み風呂場にある姿見の前に立つ。
「ああ、そういや服は着せてなかったな」
鏡を見て最初に出た言葉がこれだった。
春の季節が通り過ぎ夏の兆しが見え始めた頃でよかった。これが冬の寒い季節なら成功の如何に関わらず凍死していただろう。
実験の際は服という余計な物を着せる発想は頭からなく、効率、結果重視の配置で裸のまま横に置いたのだ。
また、起きてすぐ自分の死体を見たことで軽い興奮状態になっていたのも一つの原因か。
「自分の血を使って作ったから幼い頃の顔とそっくりだな」
素っ裸のまま鏡に向かって体を捻ったりしゃがんだりを繰り返す。新しい身体を少年の大きさまで成長させるということを優先し、魔法陣の作成に大きく時間を割いたのでこうして時間をかけじっくりと新しい身体を見たのは初めてだ。
髪の毛は若かりし頃と同じライトブルー、瞳の色も同じ青色なのだが色が薄いので子供の時は灰色とよく間違えられたものだ。
眉毛は生えかけのように薄らとあるだけだった。しばらくすれば濃くなるはずだ。筋肉はほどよく付いており骨と皮しかないという状態ではない。ただ培養液の中で育てたため見た目に反して筋力と体力は驚くほどない。リハビリをして少しずつ運動してまともに動けるようにならなくては…
肌は幼児特有のプリプリのたまご肌。
最後に股の間にあるこれは年相応。この体になっても排泄以外で使うかどうかは未定。
新しい体を手にした今、色恋に使う時間など無駄だ。俺は研究がしたい。
さて体の確認は終わったのでさっさと服を着るとしようか。
自分の服とズボン、下着を手に取る。流石に大人と子供ではサイズが全く違うので加工が必要だ。
加工をするためにそれらを腕に持つのだがそれだけで腕が震える。
「家の中を歩くだけでしんどい。これは、完全に、予想外だった」
息切れを収めようと全裸の少年が床に経たりこんでいる姿はなんともシュールだ。だがこれはしなければならないことだ。
息が整い服をテーブルの上に広げる。
「『縮小』の魔術であっという間に終わらせるわ」
そう言ってテーブルの上に置いてあった魔法陣を書くためのペンを握り新たに『縮小』の魔法陣を書こうとした。
そう、書こうとしたのだ。
「ぬ?書き方がわからん。思い出せん。何故じゃ、『縮小』など今まで数え切れぬほど使ってきたんじゃ」
軽いパニック状態になった。
いうことを聞かない体に鞭を入れ自分の研究部屋の本棚に突撃するがすぐに思い直す、この場所にある本は高度な学術書ばかりで覚えたての新人が初めて使うような魔法陣が懇切丁寧に載っているはずがなく。あるとすれば物置部屋の奥、必要無くなった資料や過去に作成した論文などがしまってあるはずだ。
通気性が悪く湿気がこもり、埃も積もった物置部屋でそれは見つかった。
『初級魔法陣の書き方と素材収集』
かつて居た幼い弟子たちに始めに渡す資料であり、よくもまぁ取っていたものだ。
だがこれでようやく服を着ることができた俺は椅子の背もたれに身を預け状況を整理していく。
一つ、自分、エルディット・シルベスターは実験に成功し、自身が生前に作成したホムンクルスの少年体に意識を移すことができ、元の体は生命活動を停止し死体となっていた。
二つ、今のところ新しい体に不備は見あたらず体力がないというのはこれからの課題で問題ではない。
三つ、魔法陣を書こうとした『縮小』の魔方陣が思い出せなかった。資料を探し、見たことで事なきを得た。
四つ、魔法陣が通常通り発動したことでこの新しい体でも魔法が使えることが立証された。
こうして俯瞰してみると先ほどの物忘れが目下、問題であることがわかる。
取り敢えず大事な物から思い出してみる。まずは自分がいる国。これは問題ない、ウォルターだ。自然豊かで四季がはっきりとしていて過ごし易い。
そのウォルターにある南西の町、ここマリッサは林業が盛んな町である。森で取れる上質な木材は建材や家具として高値で首都などに流通されている。
首都であるウォルターニャに続く街道も整備され、首都の水源であるセイヌズ河もマリッサの流通経路の一つである。
自分がここに拠点を構えたのは一線を退き余生を過ごすためだが首都に近く、森に自生する薬草や木の実が豊富であり、それを食べる魔獣の素材も簡単に手に入る。また首都に行く直前に通る街の一つであるため物流も良く、旅商人が持ち込む掘り出し物も手に入りやすいのも魅力の一つだった。
後は日付や時間か。
1年は360日。1ヶ月は30日、12ヶ月で1年となる。
1週間は6日、光の日、火の日、水の日、風の日、土の日、闇の日の順で回っていく。
1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒。
暦は光神歴。光の神がこの世界に人を創ったとされる時からの暦であり今は2823年5月7日のはずだ。目覚めるまでに1日しか経ってないならば今日は7日のはずである。
「あっ」
俺は横たわっているかつての自分を見下ろす。
新しい体で生活するにしてもまずはこの遺体の葬儀を行わなければいけない事に気が付いた。そして同時にこの家に食材を持って来てくれる商人の男と薬を持って来てくれる薬師の女性の顔と名前が全く思え出せないことにも同時に気がついた。
俺は頭を抱え思いっきり悩んだ。
コンコンと玄関の扉を叩く音がした。
「エルディットさんいますか?フランツです。食べ物を持ってきましたよ」
という若い男の声。
どうやらその内の一人がやって来てしまったようだ。