プロローグ 一人の天才の死
わしの名前はエルディット・シルベスター
錬金術と魔法学者として世界で10指に数えられるた事もある天才じゃった。今は見る影もなくなり、一人の老いぼれとなっていたがな。
「ごほ、ごほ、うぇっほ、ぅえ」
長年の研究に付き合ってきた体は年齢による衰えとこれまでの不摂生でボロボロだった。ベッドに横になって楽にしていても咳が出て呼吸が苦しくなる。しわがれた手を伸ばし枕元に置いてある薬をつかみ、その横に準備していた水差しから水を汲んで薬を飲む。
「はぁ」
薬を飲んでしばらくすればまたしばらくはこの忌々しいベッドから起き上がることができる。自分に残された時間はもうさほど残っていないだろう。薬を飲んで誤魔化してはいるが自分の体の事だ自分が一番よく知っている。
人の体のなんと弱きことか。
人の人生のなんと短きことか。
『死にたくない、まだ死ぬわけにはいかん』
そこには死を前に人の道を踏み外した狂気の天才がいるだけだった。
「わしが死ぬなどこの世界の損失じゃ。それにわしはまだまだ研究したいことが山ほどあるんじゃ」
延命はとうの昔に諦めた。数年寿命が延びたところで意味がない、やり直すとしたら子供の頃からだ。健康で数十年活動できる身体。
わしは今それを“人工的”に作り上げようとしている真っ最中。自身の持つ錬金術の粋を結集させ体の入れ物は完成した。後は自分の記憶、知識、思考、魂すべてをこの入れ物となる身体に入れることができれば完成じゃ。
じゃが如何にわしが天才でもこれを行えるのは1度限りになる。
失敗は許されん。
そのためには目の前に広がる魔法陣を完成させる必要がある。
“物を運ぶ魔法陣”はすでに存在している。それを基に自分の魂を新しい身体に定着させる必要性がある。移すものが臓器などではなく目に見えない魂というのが曲者なのだ。それを理論的に数値化、具体化していかなければならない。
「まったくもって忌々しい、理論は頭の中にあるというのに手が震えて上手く書けんとは…」
魔法陣とはある意味芸術である。必要なものを必要なだけ描き無駄を省いていく。
それは陣の中に縦横無尽に書かれた図形であり、その図形を補助する文字であったりと一流の魔導学者が描く魔法陣は一部の乱れもない芸術品となる。
さらに言うならば今回、シルベスターがやろうとしているのは“生きた生物”から“特定の物”を抜き取り“別の生物”に移すというものだ。
要求される難易度は最初の段階で格段に跳ね上がっているのだ。図形や文字の量もその分多く複雑になっていた。
「うっ!!」
突然体に激痛が走りその場に崩れ落ちた。咳が止まらない、肺が痛くて痛くてどうしようもない。胃液がせり上って来たのか吐き気がする。口に手を当て吐瀉物を受け止める。
しかしその吐瀉物は赤く、口元と床を真っ赤に濡らした。
自分の 血 だった。
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「老いたわしは死を前に天才から凡人へと変わった。こんな不完全な物を、ただでさえ成功率が低いと言うのに…」
エルディット・シルベスターの体はもう見るからに衰えていた。
あの日以来、食事も満足に取ることもできなくなり一日の大半がベッドの上へと変わってしまった。満足に動くこともできなくなりそのため筋力も一気に無くなった。
シルベスターは苦渋の決断をすることにした。
このまま死ぬ前に未完成の魔法陣を用いて新しい身体に自身の魂を移す。
失敗しても後悔はしない。
このままベッドの上で朽ちるより、最後の最後まで自身の研究に賭け、偉業を成そうとした姿で死ぬ。これが自分が出した結論だった。
「死を司る闇の神よ、生を司る光の神よ、一人の老人の願いを受け入れ新たな旅路に祝福を」
祈りの言葉を残しシルベスターは魔法陣を発動させた。
そして魔法学者の第一人者であり一流錬金術師の肩書きを持つエルディット・シルベスターはこの世を去った。
享年86歳。
彼の葬儀は住んでいた町の者はもちろん自国の国王、隣国の名のある学者たちが挙って参列する大きなものとなった。喪主は彼の血縁者を名乗る10歳の少年が執り行い、彼の亡骸が火葬される姿を涙を見せずただじっと見つめていたと葬儀に参加したものが語っている。