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第4章 修羅場は夜道で

第四章 修羅場は夜道で


 フィリアは暗闇で目を覚ました。

 無言で辺りを見回したが、見知った寝室ではない。

 樽や木箱が積み上げられていることを考えると、倉庫か物置という線が強いだろう。

 しかし、フィリアにはどうして自分がこんなところにいるのか分からなかった。

(確か、クロドへの菓子を届けようとして……)

 記憶を巡り、フィリアははっと辺りを見回した。

「ジゼルッ。いないの?」

 確か、クロドの私室への道を歩いていたら、向かい側からロザーラ姫が歩いてきたのだ。

 クロドとの騒ぎがあってから部屋に閉じこもっていると聞いていたので気まずく感じたフィリアだったが、ロザーラ姫はフィリアへ話しかけてきた。

 

「ごきげんよう、フィリア姫」

「……ごきげんよう」

 人の目を引く美しい容貌。しかし、フィリアはその笑みに陰りを感じた。

「そちらはクロド様に?」

 フィリアの持っていた皿に目をやり、問いかけてくるロザーラ姫。特におかしな点はないはずなのに、違和感がぬぐえない。

「ええ。」

 短く答えて早く会話を終えようとするフィリアだが、ロザーラ姫はさらに近づいてきた。

「わたくし、以前からフィリア様とお話ししたいと思っていましたのよ」

 どこか不気味な雰囲気に、ジゼルがフィリアの前にでた。

「申し訳ありません。姫様は殿下とのお約束のお時間が迫っていますので、後日改めていただいてよろしいでしょうか?」

 有無を言わせない口調で告げるジゼルだったが、姫にはきかなかった。

「あら、侍女のくせに立場がわかっていませんのね。王族の会話に割り込むなど。無粋の極みですわ」

「申し訳ありません」

「謝るのは速いのね」

 高見から見下した態度は勘に障るものだが、ジゼルの表情は崩れない。

 それがなおさらロザーラ姫の不興をかったようだった。

「貴方たち、自分の立場を理解していて? 邪魔者だってどうして気が付かないのかしら?」

 フィリアはロザーラ姫よりも、その後ろに控えている護衛たちが可哀相になった。

 彼らはロザーラに言葉に顔を引きつらせ、すっかり青ざめている。

 無理もないだろう。

 フィリアはこの国の王子妃であり、ロザーラは他国の姫で無理を言って滞在している身だ。どちらが弱い立場で邪魔者なのかは言うまでもない。

 ロザーラ姫の言っていることは嫉妬に狂った女の戯言でしかなかった。

「ロザーラ姫、このような場所でそう言った発言は避けられた方がよろしいですよ」

「なんなの、その口のきき方は!! 援助目的で嫁いできたくせに。貴方なんかとわたくしでは、同じ一国の王女でも品格というものが違うのよ!!」

 フィリアの忠告も虚しく、ロザーラ姫の声はどんどん荒くなっていった。

 このままでは騒ぎになってしまうだろう。

「お話ならお部屋でしましょう」

 仕方なく、フィリアはクロドのもとへ行くことを諦めて、ロザーラ姫を自室へ招いた。

「貴方は外してくださる?」

 護衛を外にだし、ロザーラはさらにジゼルにも退去を命じた。

 再び抗議しようとしたジゼルだが、フィリアに制される。

「ジゼル」

「姫様、ですが」

「大丈夫よ」

「……わかりました。扉のすぐ傍にいますので、何かありましたらお声を」

 心配そうにしながらも、ジゼルが部屋を出ると、扉が閉まった。

「さあ、これで邪魔者はいなくなったわ。思う存分話し合えるわね」

 室内を踊るように動きながら語るロザーラの姿は、やはり普通ではなかった。

「さて」

 くるりと一回転する度に、ストロベリーブロンドの髪が舞う。その光景は確かに美しくはあった。

「どうして貴方がクロド様のお傍にいるの?」

 一変して無垢な少女のように問いかけるロザーラに、フィリアは緊張した。

 状況に合わない無垢さは疑惑を通り越して、恐怖しか感じさせない。

「どうして、あの方をずっと愛していたわたくしではなくて、貴方なの? 貴方、所詮お金が目当てで嫁いできたのでしょう?」

 それは否定できない事実だった。

 確かに、フィリアはクルトネ王国への食糧援助と引き換えに嫁いだ身だ。それがなければ決して今回の婚姻はありえなかっただろう。

「わたくしは、ずっとあの方だけを思ってきたのです。今回だって、ようやくお父様から許可をいただいてこの国に来ることが出来たというのに」

「では何故、逃げたのですか?」

 言ってからしまったとフィリアは思ったが、もう構わなかった。

 彼女のあまりに勝手な物言いに耐えられなかった。

「クロドは貴方を責めはしなかったはずです」

 そう、クロドは責めたりしない。ただ悲しげな顔をするだけだ。

「だから、お父様が邪魔をして」

「でも、他にも連絡の取りようがあったでしょう。貴方は父親の言葉を免罪符にしているだけだわ」

 フィリアの切り返しに、ロザーラの顔は怒りで真っ赤になった。

「な、なんて失礼な!! わたくしはただ、皇女としての立場をおもかって行動しただけです。それを逃げたなどと」

「でしたら、貴方のクロドへの思いは所詮その程度だったということですね」

 フィリアは厳しい言葉を放った。

「本当に彼のことを愛していたというのなら、せめて一言でも、彼を安心させる言葉をかけるべきだったのではないですか? 彼が今までどんな思いでいたか、わからないのですか?」

 声なく泣いていたクロドを思い出すと、今でも胸が痛む。

 彼はきっと待っていた。恋人からの便りをずっと。

 待って、待って、でも来なくて。彼は心を閉じたのだ。

「貴方なんかに、彼はわたさない」

 するりと口からでた言葉に、フィリアは驚いた。

 そう、わたさない。わたしたくない。

 フィリアの中で確たる想いが叫んでいた。

「なによ。それが本心ってわけ」

 ロザーラはフィリアを指さした。

「どんなに綺麗ごとをならべたって、結局は自分のためじゃない」

 ロザーラの言葉がフィリアを糾弾する。

 しかし、フィリアは怯まなかった。

「そうですね」

 今まで、フィリアは自身の中にこんな激しい感情があるとは思っていなかった。

 彼が欲しい。彼の一番でありたい。他の女性など見ないで欲しい。

 黒い感情が渦巻いて、きっと自分は今、とても醜い顔をしているに違いない。

「でも、私は、あの人を一人には絶対しない」

 フィリアは真っ直ぐにロザーラを見て言いきった。

「……なによ。なによ、なによ」

 ロザーラは、髪を振って取り乱し始めた。

「わたくしだって、わたくしだって」

「ロザーラ姫?」

「わたくしだって、あの方のお傍にいたかったわ!! でも、駄目だったんだもの。あの姿を見て、恐ろしくてたまらなかった。愛していたのに、受け入れられなかった!!」

 ロザーラの悲痛な叫びが室内に響く。

「愛していたのに受け入れられなかった。そんなわたくしに、あの方が失望するのも怖かった。どうしてこうなるのよ。あのまま呪いなんて受けなければ、今頃あの方の隣にいたのはわたくしだったのに!!」

 フィリアは息をのんだ。

 確かに、呪いが全てを狂わせたのは確かだろう。

 しかし、フィリアはそれ以前から、ロザーラはクロドのことを愛していなかったと決めつけていた。

 だが違ったのだ。

 愛していた。

 でも、受け入れられなかった。

 それは、最初の頃のフィリアに少し似ていた。

「ロザーラ姫」

「同情なんてやめて。余計みじめだわ」

 フィリアはそれ以上何も言えなかった。

 ロザーラの気持ちがわかっても、クロドを譲れないことに変わりはなかった。

「一つ聞いていい?」

 やがて落ち着きを取り戻したロザーラが言った。

「はい」

「貴方は、あの人の姿を見てもなんとも思わなかったの?」

 ロザーラの問いに、フィリアは真っ直ぐに答えた。

「いいえ。私も、初めて拝見した時は悲鳴をあげて、挙句に気を失いました」

 ロザーラが驚きに目を見開く。

「なら……」

「それでも」

 ロザーラの言葉をフィリアは遮った。

「私はあの人から逃げたくなかった」

 挑むようにロザーラを見つめ返すフィリアに、ロザーラは言葉を失った。

「そう」

 一気に勢いを失ったロザーラは、扉に向って歩いた。

「帰るわ」

「……はい」

 俯きがちに部屋を出ていくロザーラをフィリアは見送った。

 同じ人間を想う者同士、決して気が合ったわけではないが、ロザーラの想いを知った今、フィリアの胸には鋭い痛みが伴っていた。

(もし、殿下が呪いを受けなければ、彼女は確かにクロドと結ばれていた)

 あったかもしれない未来。

 呪いがもたらした結果はやはり大きい。

 フィリアは、ため息をついて椅子にもたれかかった。

「な、一体なんなの!? 無礼者!!」

 扉の外から慌てた声が聞こえ、フィリアは驚いて部屋から出た。

「ロザーラ姫!?」

 外に出ると、見知らぬ男が三人、ロザーラ姫を襲っていた。

「なっ、誰か!! 賊が姫をっ」

 フィリアは近くにいるはずの護衛やジゼルに聞こえるよう大声を発した。

 しかし、賊の動きは速かった。

 気付けば一人がフィリアの背後に回っており、フィリアは首に強い衝撃を受けた。


 覚えているのはそこまで。

 気が付けは、今の場所にいたのだ。

「ここはいったい……誰かいないの? ジゼル、衛兵っ」

 呼びかけてみるが、外に人の気配はない。

 フィリアは流行る気持ちを抑えるように、深呼吸をした。

 どこか出られる場所はないかと見わたすが、扉らしきところにはしっかりと鍵がかかっており、窓は格子窓でフィリアの手の届かない高さにある。

 あれからどれくらいの時間が過ぎたのだろうか?

 フィリアがいないことにはそのうちジゼルが気付くだろうが、それでは遅い。

 ロザーラ姫が襲われていた光景を思い出すと、どうしても気持ちが焦ってしまう。

 フィリアは意を決して近場の木箱に足をかけた。勢いをつけて飛び乗る。

 そこで背伸びをすると、どうにか窓に届いた。

「あれは、厩舎?」

 窓を開けて見ると、外には見慣れない建物が見えた。何頭もの牛を繋いであるということは、おそらくは厩舎だろう。ということは、ここは城の外ということになる。

「なんとか、人に伝えられたら」

 誰かいないかと視線を巡らせる。

 すると、厩舎に人影が入って行った。

「すみません!!」

 声を張り上げてみるが、届く距離ではない。

 このままでは行ってしまう。

 フィリアは焦って身を乗り出そうとしたため、背伸びした足を滑らせてしまった。

「きゃあっ」

 派手な音を立てて木箱から転げ落ちる。

 背中と腕を打ち付けて、痛みに呻いた。

 無力さが込みあげてきて、涙がでてくる。

「いたっ」

 手をついたところに何か固い物が散らばっており、フィリアは手を切ってしまった。

「こんなところに……ガラス?」

 フィリアは妙案が浮かんで地面に飛びついた。

 床には他にもいくつかガラスが散らばっている。その中で一番大きな破片を手にとり、もう一度木箱に上った。

 窓から漏れる光にかざす。

 この光が厩舎にいる者の目に留まれば、気付いてもらえるかもしれない。

「お願いっ」

 フィリアは祈るような気持ちでガラスをかざし続けた。

 数分後。

「誰かいるのか?」

 気付いてくれたのか、人の声が外からかけられた。

「はいっ。閉じ込められてしまって、助けて下さい」

「フィリア姫?」

「え?」

 相手はフィリアを知っているようで、フィリアは驚いて扉を見つめた。程なくして開いた扉の向こうから現れたのは、フィリアも見知った人物だった。

「アルマデス殿下!?」

 そこにいたのはアルマデスだった。

「どうして殿下がここに?」

「フィリア姫こそ、何故このような場所に!?」

 アルマデスもフィリアの姿に驚きを隠せないようだった。

「……怪我をされているようですね。取りあえず、こちらに」

 目ざとくフィリアの手から流れる血を見つけ、気遣うように促す。しかし、今のフィリアには、そんなことを気にしている余裕はなかった。

「いいえっ。それよりも早く、ロザーラ姫をお助け下さい。姫が何者かに襲われました」 

フィリアの言葉にアルマデスの動きが止まる。

「早くしないと、手遅れになるかもしれません!!」

「フィリア姫」

「急いで、捜索を」

「姫」

 力強い声で呼ばれ、焦って取り乱しかけていたフィリア我に返った。

「アルマデス殿下……」

 戸惑うフィリアに、アルマデスは優しく語りかける。

「ロザーラ姫はご無事です。今、自室で休まれています」

「え……」

「賊は捕えられました。大丈夫です」

 微笑むアルマデスの言葉に、フィリアはほっと息をついた。

「よかった……」

「ですが、フィリア姫には少し、お話を聞かなければなりません」

 賊についてだろう。協力は惜しまないつもりだったので、フィリアは当然と頷いた。

「もちろんです」

 しかし、返事を聞くアルマデスの表情はさっきと打って変わって優れなかった。

「アルマデス殿下?」

「少し、不快な思いをなさるかもしれません」

 辺りが不穏な空気に包まれた。

「アルマデス殿下」

 聞きなれない声が聞こえた。

 それとともに、何人もの兵たちがフィリアとアルマデスを取り囲む。

「え?」

 フィリアは驚き、アルマデスを見上げた。

「申し訳ありません姫。事情は後でご説明いたしますので、今は彼らに従っていただきたい」

「そんなっ」

 それはまるで賊の扱いだった。

「フィリア・ド・ラディエント。国王暗殺未遂の疑いで拘束する」

「暗殺!?」

 驚くフィリア。

 しかし、一方的に罪状が告げられフィリアは拘束された。

「なんでこんなっ。 アルマデス殿下!!」

 フィリアの叫びに、アルマデスは申し訳なさそうな顔をするだけだった。

「お前たち、姫に手荒な真似はするな」

 それだけ言い残して、アルマデスは行ってしまった。

「こちらに」

 フィリアは言われるままに従うしかなかった。




 連れて行かれたのは、単にフィリアの自室だった。拘束をはずされ、自由になる。

「許可がでるまで、部屋から出ないようにお願いします」

 連れてきた者たちも、それだけ言うと行ってしまった。

「一体、なにがあったというの?」

 フィリアは状況が分からず眉をひそめた。

「姫様!!」

 部屋の奥から影が飛び出してきて、フィリアは身構えた。

「ジゼル」

 飛び出してきたのはジゼルだった。

 彼女は普段きっちり詰められている髪を振り乱し、やや憔悴した面持ちでフィリアに駆け寄る。

「ご無事だったのですね。どこかお怪我はありませんか? ああ、手に血が。私がついていながらなんてこと」

 始めてみるジゼルの姿に、フィリアは目を丸くした。

「ジゼル、いったいどうなっているの? 私どのくらい閉じ込められていたのかしら?」

 フィリアの問に、ジゼルは涙目で答えた。

「姫様はまる一日行方不明でした。私が不甲斐無いばかりに」

「ジゼルは大丈夫だったの?」

 フィリアに問われ、ジゼルは悔しげに俯いた。

「私も賊に襲われ、姫様のお声に駆けつけることが出来ませんでした」

 賊は三人だけではなかったのだ。

「不意を突かれたようで、私たちも気を失わされてしまいました。私が駆けつけた時には廊下にロザーラ姫が倒れていて、姫様のお姿が消えていました」

 と言うことは、彼らの標的は初めからフィリアだったということになる。

 考え込むフィリアに、ジゼルは手じかな椅子を運んでくると座らせた。

「取りあえず手当てをいたしましょう。なんですか、この乱雑な包帯の巻き方は」

 やや憤慨した様子でジゼルは衛兵によって巻かれた包帯をはずした。

「それでジゼル。私はどうして軟禁されているのかしら?」

 フィリアは一番気になっていたことを聞いた。

 ジゼルの手が止まる。

 見ると、ジゼルは緊張した面持ちでフィリアを見ていた。

「ジゼル?」

 声をかけると、ジゼルは固い口調で答えた。

「姫様がいらっしゃらない間に、何者かが国王陛下に毒を盛ったのです」

「なんですって!?」

 フィリアにも緊張が走った。

 それは明らかな暗殺行為だ。

「それで、陛下はご無事なの?」

「はい。詳しくはわかりませんが、大事には至らなかったようです。今は療養されています」

 ジゼルの言葉に、フィリアはひとまず安心した。

「では、その嫌疑が私にかかっているのね?」

 ここにフィリアを連れてきた兵たちはそんなことを言っていた。

 アルマデスが止めなかったということは、きっと間違いないのだろう。

 ジゼルは暗い表情で答えた。

「姫様の作られた菓子を、陛下は口になされたようです。そのすぐ後に血を吐いてお倒れになったらしく……」

 それで合点がいった。

 フィリアはロザーラに会う前に、クロドのために新作の菓子を焼いた。

 厨房の皆も、いつものことなのでフィリア一人に好きにやらせてくれていたが、それがかえって仇になったのだろう。

 誰もフィリアの無実を証明できないのだ。

「でも、あれはクロドのために作ったものよ。陛下のためではないわ。それをどうして陛下が口になさったのかしら?」

 不可解な点が多い。

 まるでこじつけだが、フィリアを陥れるために大きな力が無理やり働いているように思える。

「わかりません。私も、事態収拾のための兵が付いたときに、この部屋に入れられましたので」

 それからは今と同じく、この部屋に軟禁状態だったのだろう。

「ごめんなさいね、ジゼル。辛かったでしょう」

「いいえ。姫様」

 フィリアはジゼルの心労を思うと胸が痛んだ。

 疲れた顔は一睡もしていないのが一目瞭然で、普段の無表情がなくなるほど心配してくれたのだ。

「今はお休みください。姫様もお疲れでしょう」

 そんな場合ではないとわかっていたが、フィリアはどっと疲れを感じた。

 どのみち、今は大人しくしているしかないのだ。

「……クロドは?」

 会う約束をしていたクロドのことが心配になった。

「殿下は今回の一件でお忙しいようです。一度だけティーダ様がおいでになって、状況を説明されていかれました」

「そう……」

 フィリアはクロドの現状を思って胸が塞いだ。

 妻であるフィリアが疑われたことによって、クロドにも多大な迷惑をかけているのだろう。国内での彼の立場は未だ不安定なのだ。

「顔色が悪いです。さ、姫様」

 ジゼルに促されて、フィリアは寝室へ向かった。




 クロドは憤慨していた。

『フィリアに嫌疑をかけるなどと、ふざけている』

 昨日、約束していたお茶の時間に、フィリアは来なかった。

 心配して見に行かせたティーダが血相を変えて戻ってきて、クロドに信じられない状況を説明した。


「フィリア姫が何者かに連れ去られました。護衛の者は皆気を失っており、一緒にいたロザーラ姫も意識がないとのことです」

『どうしてそうなった。何故フィリアが攫われる!!』

「それと、ほぼ同時刻に国王陛下が何者かに毒をもられたようで、今城内は混乱しています」

『なんだと!!』

 信じられない気持ちでクロドは椅子を蹴り倒して立ち上がった。

 騒がしい足音が聞こえ、アルマデスの配下が数名やってきた。

「クロドベルトス殿下。アルマデス様がお話したいとのことです」

 ティーダが取り次ぐと、アルマデスが入ってきた。

「クロド」

『アルマデス様、どういうことですか?』

 クロドは急かすように詰め寄った。

『陛下は? フィリアは無事なのですか?』

 掴みかかりこそしないものの、板状で歪んでいる文字がクロドの焦りを物語っていた。

「クロド、落ち着きなさい」

『俺は落ち着いています。早く状況を知りたいのです』

 アルマデスはため息をついた。

「それを焦っていると言うんだよ。無理もないが、とりあえず座りなさい」

 諭されるようにしてクロドは椅子に座った。

「フィリア姫は今捜索中だ。ただ、少し面倒なことになった」

「と、言いますと?」

 ティーダの問に、アルマデスは険しい顔で答えた。

「フィリア姫に嫌疑がかかっている」

 クロドは耳を疑った。

 部屋の空気が冷たくなり、緊張が走る。

 もはや文字を書く気にもならなかった。

「陛下が食べたのは菓子だった。変わった形をしていて、珍しいからと陛下に届けられたらしい。それに毒が入っていた。作ったのはフィリア姫だ」

 円形の揚げ菓子で、毒見はされたが問題がなかったため、陛下口にしたらしい。

 しかし、予想を反して国王は倒れた。

 国王自身、異変を感じてすぐに吐き出したため摂取した毒の量は微量だったが、そこは問題ではなかった。

 何故、毒見をしたのにわからなかったのか。

 騒然とする城内で、菓子を作ったのはフィリアだということがわかった。彼女がよく厨房で料理をするのはある意味有名だったからだ。

「事情を聞こうにも姫自身が見つからないため、一部の者からは逃げたのではと言う声もあがっている」

「そんなっ、姫は攫われたと」

「どちらにしろ目撃者がいない。護衛もロザーラ姫も気を失っていて、見ていないようだしな」

 たった数刻で状況が目まぐるしく動いていた。

「とにかく、姫を見つけないことには事態の収拾がつかない。私はこれから議会に赴く。ロザーラ姫まで襲われ、このまま収集出来ないでいると国家間の争いに成りかねない。お前はここで待っていなさい」

 アルマデスは忙しそうにまた出ていった。本当に説明をしにきただけだったのだろう。

「殿下……」

 クロドは強くこぶしを握り、ともすれば暴れだしそうになるのを抑えていた。

 些細なきっかけで叫びだしてしまいそうだ。


 それから一睡もせずに待っていたが、フィリアが見つかったという報告はないまま一日が過ぎてしまった。

 一度ティーダに侍女の様子を見に行かせたが、彼女も相当焦燥していたとのことだった。

 当然だろう。クロド自身、自由に動けないこの身がもどかしかった。

「殿下!!」

 部屋に転げるように入ってきたティーダが、ようやく待ちに待った報告を告げた。

「フィリア姫が保護されました」

 報告を聞くとともに、クロドはすでに歩きだしていた。

 周囲がざわめく。

「ひっ」

 久しぶりに人気の多い回廊を、全くの気遣いもせずに歩いた。

 どこからか悲鳴が聞こえた気がしたが、気にもならなかった。

 会いたい。

 たった一つの衝動がクロドを突き動かしていた。

「で、殿下!?」

 目当ての一室に着いたときに、ようやくティーダが追い付いてきた。

 一応戸は叩いたが、返事を聞く前に開けてしまった。

「王子殿下!?」

 フィリアの侍女が驚きの声をあげる。

 クロドは部屋の中を素早く見渡し、フィリアの姿がないと隣の寝室にまで向かった。

「姫様は今、疲れてお休みに……」

 侍女の声が聞こえるが、頭に入ってこない。

 クロドはベットに近づいた。

 掛布団の間から黒髪が見える。

 疲れ切って眠る少女の姿に、クロドは手を伸ばした。

 もはや本能に近かった。

「え……クロド!?」

 思いのままに、眠っていたフィリアの体を抱きしめていた。

「あの、え?」

 温かい。

 その時、クロドはようやく衝動の正体を知った。

 クロドは怖かったのだ。また手の中にあるものを失うことが。

 温もりを思い出したクロドにとって、また失うことは、もう耐えられないことだった。

 もしこの温もりを失ってしまったら、自分はもう正気ではいられない気がした。

「クロド……」

 そっとフィリアがクロドの背をさする。

 大丈夫だとなだめるように、赤子をあやすように。

「心配をかけて、ごめんなさい」

 フィリアはクロドが満足するまで抱き続けた。




『気分はどうだ?』

「もう、大丈夫です」

 落ち着いたクロドはフィリアのベットの横に腰を下ろした。

『怪我をしている』

 フィリアは、クロドの視線が手の包帯に向いていることに気が付いて、そっとそこを撫でた。

「ジゼルが手当てしてくれました。大丈夫です。もう、痛くないです」

 クロドはフィリアの言葉にほっと息をついた。フィリアの手を取って優しくさする。

 それはまるで宝物を触るようで、フィリアは心が温かくなった。

「クロド」

 フィリアは意を決してクロドに問いかけた。

「国王陛下は……」

 フィリアの言葉に反応するように、クロドはフィリアの手を握った。

『大丈夫だ』

 たった一言。

 そこには、色々な思いが詰まっていた。

『フィリアのことは、私が守る』

 クロドは力強い言葉でそう綴った。

 守られている。それはフィリアにとって大きな力となった。

「私も、クロドを守ります」

 そう言ったフィリアを、クロドは精一杯抱きしめた。




 クロドは今まで、なるべく城内で目立たないように過ごしてきた。

 呪いを受ける前は容姿のせいで、そして王位継承権を失ってからは馬鹿な連中が荒波を立てないよう、小さな箱庭のなかで隠居するかのように生きてきた。

 しかし、最早そうしてはいられない。

 大切なものを手に入れた今、ただ手を拱いてはいられない。

 何もしなければ、手の中のものはあっという間にこぼれていってしまうのだから。

 クロドは堂々とした足取りで歩いていた。

 周囲の人間が恐れるように避けていく道を、怒気をまとって進んで行く。

 ばんっ。

 盛大な音をたてて豪奢な扉を開いた。

「なんだ!!」

 会議を開いていた重役たちがざわめく。

「貴方は……」

「殿下」

「殿下が何故?」

 久しぶりに公衆に姿を現した首無し王子に、皆虚をつかれた。

『我が妻に嫌疑がかかっていると聞いた。放っておくわけがないだろう』

 差し出された板に書かれた言葉に、何人か目をそらした。

『妻は賊に襲われた身であるはずだが、何故そのような不名誉な疑いがかかっている? 事と次第によっては、ただでは済まないが?』

 クロドの気迫に、重鎮たちは口ごもった。

 しかし、これだけで済む話ではない。

「姫の作られた菓子に毒が入っていました。決してあらぬ疑いではありません」

 一人が声をあげた。

「それに姫が襲われているところを目撃したものはおりません。自作自演と疑われてもしかたのないことです」

 その隣の男も声をあげた。

 調子を取り戻したのか、口々に言い始める。

 声をあげた者の大半はクロドを排除しようとしている者たちだった。

 その時点で、これが何らかの策略であることは明白だ。

 しかし、何故そこまでクロドを蹴落とそうとするのか不思議だった。

 もうクロドは継承権を失っており、次代の王はアルマデスで決定している。何もしなくてもアルマデスは王になるのだ。今ここで事を起こす理由などないはずだ。

 訝しむクロドは室内にアルマデスの姿を探すが、ここにはいなかった。

『アルマデス殿下はどこにいる? 彼はなんと?』

 クロドの問いに、重鎮の一人が答える。

「ただ今、陛下のもとにいらっしゃいます。話をお聞きすると」

『では、皇太子がいないのに会議を進めていたのか?』

「殿下はお忙しい身、その憂いは我々が払わなければなりません」

 もっともらしく忠誠心をしめすものたちに、クロドは内心舌打ちした。

『では、私が出席しよう』

 クロドは手近な椅子に座った。

『そうそう、フィリアは厩舎の近くの小屋に閉じ込められていたそうだ。発見したのはアルマデスと聞く。その時、小屋は中からは開けられず、窓からの出入りも出来なかったと言っていた。これでどうやってフィリアの自作自演とする?』

 クロドは尊大に見える態度で足を組んだ。

『菓子も、一部からしか毒はでなかった。菓子が出来た後からかけられたと考えるのが正しいのではないか?』

 クロドの言葉に、会議室はすっかり静かになった。

 重苦しい沈黙が降りる。

「珍しい者がいるな」

 不意によく通る澄んだ声が響いた。

「アルマデス様」

 誰かが呼んだ。

「国王に話は聞いた。フィリア姫にかかっている嫌疑はまだ確証がない。証拠がないものを拘束することは出来ないよ」

 アルマデスは人の良い笑みを浮かべて言った。

「彼女の軟禁は解く」


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