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第2章 秘密のお茶会

第二章 秘密のお茶会


 努力の甲斐あってか、フィリアは数か月後には恐怖小説を一度も閉じることなく読めるようになっていた。

 まだ楽しみを感じる域には達してはいないが、フィリアにすれば大した進歩である。

 そうすると、さらに次の段階に進みたくなるのがフィリア性格だった。

「どうかしら?」

「どう、と言われましても……」

 フィリアの前に座らされたティーダは困惑した。

 いつものごとく日記帳を届けた帰り、フィリアに捕まり室内に引っ張りこまれたのだ。

「なにかクロド様の喜ぶことはない? 贈り物とか」

「それなら殿下御自身にお聞きした方がよろしいかと……」

 最もなことだが、それで解決しないから聞いたのだ。

「それと姫君。お聞きしたいことがあるのですが……」

「なに?」

「あそこに置いてあるものはなんでしょうか?」

 ティーダが示したのは、部屋の隅に置かれた等身大の人形だった。

「あれは殿下の人形よ。ジゼルが作ってくれたのよ」

 フィリアは自慢げに話した。

 ジゼルが等身大人形を完成させてから、フィリアはこの人形が大のお気に入りになっていた。首が無くても、もう恐怖は感じない。長く傍に置いたことで愛着が湧いたのだ。

「他にもあるの。ほらっ」

 なんとも言えない顔をしているティーダに、フィリアは掌に乗った人形も見せた。

「可愛いでしょう」

 笑う彼女に、ティーダは困惑した。

 数か月前に恐怖で気絶した少女と同一とは思えなかったからだ。

 あの時の彼女は、無意識ではあったが体全体で王子のことを拒絶していた。

「驚いてる?」

「あ、いえ……」

「無理もないわ」

 言葉を濁すティーダに、フィリアは人形を渡した。

「見事ですね」

「ジゼルは素晴らしい針子でもあるの。いい香りもするでしょう? きっとティーダさんの人形も頼めば作ってくれるわ」

 フィリアに言われて人形を振ってみると、確かに花の香りがした。

「……これを差し上げてはいかがですか?」

「え?」

「贈り物です。殿下に姫の人形を差し上げてはいかがでしょう」

 彼は会話の中で律儀にも考えてくれていたのだ。

「私の人形?」

 ティーダの提案に、フィリアは顔を顰めた。

「それは……ちょっとどうなのかしら」

「姫様のことをもっと考えるようになるかと思います」

「でも、恥ずかしいわ」

 自分の人形を自分で作って送るのだ。自作の詩を他人に読まれるのと同じくらい恥ずかしい。

「それに、これを作ったのはジゼルよ。私には作れないわ」

「そうですか……」

 また考えなおすティーダ。

「まだ、殿下にお会いになるのは怖いですか?」

 ティーダは率直に聞いた。

 遠まわしな聞き方が出来ないのはティーダの性格だ。

「お茶でもご一緒になさったらどうでしょうか? 最近の殿下は仕事仕事でなかなか休憩をなさらないので」

 人形が大丈夫なら、もう本人を前にしても大丈夫ではないかと思ったのだ。

 それはフィリアも思い始めていたことだったが、やはり人形と人とでは差がある。

 前回見た光景を思い出すと、実際に会うことにはまだ躊躇いがあった。

「クロド様はお忙しいの? 王位継承権は剥奪されたと聞いたのだけれど」

 フィリアは首をかしげた

「ああ、他国にはそんな噂が流れているようですが、正しくは殿下御自身が放棄されたのです。ですが、首が無くても殿下が優秀なのは変わりませんので、まだ多くの案件が殿下のもとに送られてくるんです。会議にはさすがに出られませんが、殿下の政策上の発言権は実は密かに強いんです」

「そうだったの」

 得心がいったフィリアは、喉が渇いたためジゼルにお茶を要求した。

「でも、殿下が王位を放棄なさったのなら、次の国王様はどなたになるのかしら? 陛下のお子はクロド様お一人だったはずよね」

 ジゼルがお茶をカップに注ぐ。

 フィリアのお気に入りの甘いお茶の香りが広がった。

「陛下には歳の離れた弟君がいらっしゃいます。 厳格な方で、長年陛下を支えてきた方です。今はその方が第一王位継承者になります」

 その人物なら、フィリアは結婚式で一度だけ目にしたことがあった。

 笑ってはいたが、国王と同じ黒とも藍色ともつかない瞳は冷たい光を宿していた。挨拶に回った時も社交辞令以外は一言も話さず離れたため、それっきりフィリアの記憶からなくなっていたのだ。

「そう、あの方が王になられるのね」

 確かに、年齢でいえば王子とのほうが近いだろう。国王陛下とは、兄弟というよりも親子と言った方が違和感がないほど歳が離れているのだ。

「あの方はよくあちこち視察に行かれているので、あまり城内にはいらっしゃいません。私も、滅多にお見かけしませんし」

「だから式で会ったきりお姿を見ないのね」

 今はこの国の建国を祝う祭りの準備で忙しい時期だった。

 古くからある大きな祭りで、王都に合わせて各地方でもそれぞれ開催するため、現地との連携が重要となるのだ。

「話が逸れてしまいましたね。殿下も通常の業務に加えて祭りの準備も行っているため、最近は寝る間も惜しんで動いていらっしゃるんです」

 ティーダはため息をついて締めくくった。

 働きすぎの王子を諌めてはいるのだが、聞かないために手を焼いているのだ。

「今までもよく働く方ではあったのですが、殿下はあの状態になってからは責任感からかさらに酷くなってしまって」

 途方に暮れたような口調から、ティーダの心労が伺える。

 彼も、王子が呪われたあとの劇的な環境の変化に振り回された人間の一人なのだろう。

 そこまで聞いたフィリアは、どういうべきか正直迷っていた。

 本音で言えば、殿下のためにもティーダのためにもお茶会くらいして疲労を和らげてあげたいのだが、実際にそれが上手く出来るのかと問われると、自信はなかった。

 また殿下を目にして気絶してしまえば、あの時の二の舞である。それどころか、日記によって今まで積み上げた信頼さえも崩れかねなかった。

「まだ、断言はできないわ。ただ、考えておくわね」

 なんとか口にしたのはそれだけだった。

 ティーダも、フィリアの心情を察したのか、それ以上は無理には勧めなかった。そして、その代りにとある提案をした。




「殿下、そろそろお休みになってはいかがですか?」

 クロドは側近の言葉に手を止めた。

 時間を確認すると始めてから結構たっていたが、まだ止める気にはなれなかった。

 書類が遅れている。

 建国祭で使われる物資の確認名簿がまだ全然出来上がっていなかった。

 担当だった者が、誤って一度完成していたものを処分してしまったためだ。

「殿下」

 再度、今度は先ほどより少しきつく呼ばれたが、クロドはそれも無視した。

 今の自分にとって、公務をすることこそがここに存在する意味であり証明であった。

 国王夫妻にはもう長いこと会っていない。

 部下だった者たちもティーダ以外は解放した。

 もうクロドが会う人間はティーダ以外はほとんどいなくなっていた。

 彼の姿を皆が厭う。

 恐ろしいと恐怖し、畏怖の目を嫌いクロド自身も人前では出歩かなくなった。

 最近は目下、人目を盗んで散歩するのが趣味だ。

 他人に気付かれぬよう行動することに少し楽しみを見出してはいるが、それは個人のみでの楽しみだ。

 皆に自分がいると示すのは、自身の書き記した文書のみ。これがなくなれば、自分を知るものはいなくなる。

 そんな考えが、クロドには脅迫概念のように付きまとっていた。

 ふと、机の隅に置かれた日記帳を見る。

 最近は、示すものが一つ増えた。

 押しかけ妻がよこしたものだ。

「先にそちらをお書きになってはいかかですか?」

 ティーダがあからさまにクロドの視線を日記に誘導したのがわかり、クロドはようやく筆を止めた。

 それと同時に気持ち的にはティーダを睨みつけたのだが、残念ながら顔がないためそれは全く伝わらない。それでも雰囲気で怒りは伝わっているはずなのだが、長年連れ添った側近に効果はない。

 クロドは気持ちため息をついて筆を置いた

(最近、流されている気がするな)

 呪いを受けてから三年。周りとの関係は数か月で諦めた。

 呪われる前は、自分の容姿に蟻のように群がっていた連中は数えきれないほどいた。それらにうんざりしたことは多々あったが、こちらで上手く利用していた。しかし、彼らは所詮利害で動く者たちだ。利用価値のなくなったクロドから、彼らは蜘蛛を散らすように離れていった。

 クロドは日記を開くと、フィリアの書いた文章を読む。

 すっかり見慣れた書体は滑らかにフィリアの言葉をクロドの中に入れてくる。

 最近はほぼ日記というよりも手紙に近い形で、問いかけるように書かれている文章。

『クロド様のお好きな本はなんですか? よろしければ、私の蔵書を何冊かご紹介したいのですが』

 彼女はクロドのことを良く知りたがる。

 好きな色、季節、花、食べもの。なんでも聞いてきた

 自身のことについても他愛もないものの話を何行にもわたって書き記しており、クロドはこの日記を読むだけで彼女のことを詳しく知るようになってしまっていた。

(あまり良い傾向とは言い難いか……)

 クロドは女性が苦手だ。

 呪いを受ける前から女性の近くにいると気分が悪くなったし、獲物を狙うかのような捕食者の目にいつも怯えていた。

 女は役者だ。

 花のように笑い男を虜にするが、その裏では同性に対して容赦ない仕打ちをする。

 男のために泣いたかと思えば、次の瞬間には笑い、違う男に尽くしている。

 王宮で、社交の場で、クロドは幾度となくそんな場面を目にしてきた。

 それはクロドの不信感、不快感を増長させ、無意識に女性に対して極度の拒絶体質を作り上げた。

 女性が近づくだけで冷や汗が流れ、気分が悪くなる。会話はほとんど相槌のみですまし、他はほぼその恵まれた顔で微笑むのみ。

 今思えばそれだけで人間関係が成り立っていたことに驚きだが、それは所詮その程度の関係だったからなのだ。

 そのため、クロドに近づいた女性はフィリアが久方ぶりだった。

 結婚式では形式通りに大人しくしていたが、二度目の対面でクロドはフィリアがどんな女性か試すとともに、これから関わらないようにしたつもりだった。

 しかし、この現状はどうだろう。

 フィリアはクロドから距離を置きはしたものの、決して離れようとはしなかった。

 恐ろしげに悲鳴を上げ、気を失ったにもかかわらずだ。

 クロドにはその神経が信じられなかった。

 今ではティーダの次に言葉を交わしていると言えるほどに交流してしまっている。

(どうしてこうなったんだ?)

 考えてみるが、原因としたら一つしか思い当たらない。

 やはりこの日記だろう。

 姫の提案を受けたのは、王の独断で王子には全く責任は無いにしろ、脅迫紛いの無理な結婚を強要したからにはそれなりに姫の要求には応えなければならないと決めていたからなのだが、それが思わぬ結果を生んでしまった。

 予定では、フィリアにはクロドと関係のないところで適当に好きに暮らしてもらうつもりだったのだが、彼女はそれを良しとしなかった。

(俺のことを知りたい、か……)

 そう言われる度に、クロドは不思議な気持ちになる。

 今までその言葉を言ってくれた人間は何人いただろうか。

 容姿が先走って、内面が追い付いていかない。

 クロドは無意識に首を振る動作をし、日記を書き始めた。

『歴史書を読む。何かいい本があれば紹介して欲しい』

 書き終えたとき、見計らったようにティーダが盆を持って戻ってきた。

「殿下、先ほどアルマデス殿下がお戻りになられました」

 ティーダの言葉に一瞬、クロドの動きが止まった。

 アルマデス・ド・ラディエント。

 現王の弟であり、現在の第一王位継承者の名だ。

 彼とはクロドが生まれたときから微妙な関係が続いていた。

 現王であるクロドの父と王妃の間には、長らく子供が生まれなかった。

 それでも今まで側室云々をうるさく言われなかったのは、王には年の離れた大変優秀な弟がいたからである。

 アルマデスは若干五歳にして帝王学を学び、教師を驚愕させる才能を見せつけた。

 彼がもっと早く生まれてきていれば、王になっていたのはアルマデスの方だったかもしれない。

 そんな強力な後継がいたため、王は好きにできていたのだ。

 しかし、その後間を開けず王妃に男子が生まれてしまったため、その体制は逆に問題になった。

 生まれてきた男子は人々を魅了する美貌の持ち主だった。母方の祖母の血を濃く継いだのだろう。更に無能でもなく、なんでもそつなくこなす子だった。

 王になって何の問題もない。

 臣下たちも王自身も、どちらを次代の王とするか悩んだ。

 年齢的に兄弟ほどにしか変わらない二人はよく一緒に鍛錬に励んだが、その都度周囲からどちらがより王にふさわしいか値踏みされているような気分だった。

 結局はアルマデスが辞退する形で水面下の争いは収まったかのように見えたのだが、それから数年後。今から三年前。クロドはアルマデスの部下と思われる人間に呪いをかけられ継承権を失った。

 互いにそこまで王位に執着はなかったはずなので、あれは部下の独断か暴走だろう。

 クロドはそこそこアルマデスと共に過ごしていたため、それくらいは察しがついた。

 結局はクロドが生まれる前に逆戻りと言うわけだ。

 クロド自身、王位を失ったことに怒りはない。もともとアルマデスが受け取ることが正しいとさえ思っていた。傍にいれば、彼がいかに為政者として優秀であるかよくわかったからだ。

 ただ、アルマデス自身がいらないというならば押し付ける気もなかったので受け取っただけなのだ。

「久しぶりに狩りをしないかとのことでしたが、いかがなさいますか?」

 あれこれ思い返していたクロドは、ティーダの声に引き戻された。

 アルマデスはクロドの容姿を気にしない数少ない人物だ。しかし、容易に近づけない人物でもあり、あまり一緒にいることはできない。

 この誘いはあくまで社交辞令なのだ。

『断っておいてくれ。今は忙しい』

 クロドは走り書きした紙を見せ、疲れたように肩を回した。

 クロドが王位を失った経緯により、また水面下の争いが勃発した。

 いくら優秀であっても、気に入らない人間はいつの時代にもいるものだ。アルマデスの失脚を狙うものたちが、盾としてクロドを担ぎあげようとするのだ。

 今のところ呪いを理由に上手くいっていないようだが、ああいう輩は往生際が悪いのだ。あれこれしょうもないことを企んでいる。

 そのせいでアルマデスの信者たちから今度は命を狙われるのだから、世の中は理不尽で満ちている。

 圧倒的に癒しが足りない。

『ティーダ、お菓子』

 疲れをどっと感じたクロドは、もう一枚の紙をティーダに差し出した。

 よく使いまわされている紙で、だいぶくたびれている。

「もちろん。お茶と一緒に持ってきました。本日はエクエアです」

 甘い香りと共に出されたのは、たっぷりのクリームをパン生地に挟んだ細長い焼き菓子だ。

 見たことのない菓子だったが、甘い香りに誘われてクロドは素早く手を伸ばすとあっという間にそれを平らげた。

 一つはそれほど大きくはなく、皿にはまだ四つ乗っている。

「あまり一度に食べてはいけません。ゆっくりです。ゆっくり」

 お前は俺の乳母か。という意味を込めて睨んでみるが、相手に見えなければその威力も半減だ。

 フィリアはクロドが食事出来ないと思っているようだが、それは大きな間違いだ。彼は、呼吸も出来れば食事も出来る。ただ、それが他人の目に見えないだけなのだ。

 彼の首は、実はどこにもいっていなかった。ただそこにあるが、人の目に見えなくなっているだけなのだ。

 所為、首だけ透明人間というところだ。

 そのため、クロド自身に首がない自覚はほとんどない。触ることは出来ないが、彼は自分の意志で首を動かせるし、眼球も動かせる。口は動くし、言葉も発することが出来る。

 ただし、透明とは他人からは存在しないものとされるため、口から放たれた音声は他人からは無きものとされ、受け取ってもらえないのだ。

「いかがですか? このエクエア、製作者の自信作らしいのですが」

『ああ、上手かった。次も頼む』

 珍しく感想を聞いてきたティーダに少しの違和感を抱いたクロドだが、本当に気に入ったので、もう一つ手を伸ばす。

 一口で食べやすく、後味が意外とさっぱりしているところが良い。

『誰が作ったんだ? 今までの菓子とは雰囲気が違うようだが。新しい職人でも入ったのか?』

「いいえ。これはフィリア姫がお作りになったものです」

 思いがけない者の名が出たため、クロドは虚をつかれた。

(これを、彼女が?)

 ついまじまじと菓子を見てしまうが、それで何かわかるはずもない。

 しかし、確かに美味だった。

「姫はよくご兄弟に菓子を作って差し上げていたようで、殿下が甘いものがお好きだと話しましたら、殿下に渡して欲しいと頼まれまして」

 ティーダは飄々嘘をついた。

 フィリアに殿下の甘い物好きを話したのは本当だが、菓子を作るよう進言したのもティーダだった。フィリアは、殿下が何も食べられないと勘違いをしていたため、そのような考えに及ばなかったのである。

 ティーダの説明を聞いたフィリアは、殿下の予想外の状態に驚きはしたものの進んで調理を始めてくれた。

 これで少しは今より交流のきっかけを掴もうという二人の策略である。

(ティーダのやつ、だからさっきから色々と聞いてきたのか)

 心なしかティーダの顔がしたり顔に見えてきたことに、クロドはいらっとした。

 防衛線に開いた小さな風穴に針を通された気分だ。

「姫にご感想をお伝えしてみては?」

 にっこりと笑ったティーダの視線の先にはあの日記。

 クロドの見間違いか、先ほど書き終わったはずのものが机の上で異様に存在を主張しているように見える。

「いつも一行ほどしか書かれていないのですから、書く余白は十分にありますよね?」

 いつも以上に強く推してくるティーダにクロドは思わず身を引いた。

『最近、お前はやけに彼女を押してくるな。俺が女嫌いなのは知っているだろう』

 文章を書いた紙をティーダの顔に突きつけると、ティーダは笑みを引っ込めて真剣な顔になった。

「姫は殿下の奥方です。それに、彼女はただのお嬢様とは違うようですので……殿下もお判りでしょう? 彼女は大変諦めが悪いようですよ」

 クロド自身、少し思っていたことを言われ、クロドは肩を落とした。

「少し、歩み寄ってみてもよろしいかと思います」

 真摯な声で言われ、クロドは白旗を上げた。

 こんな姿になっても、ずっと傍で支え続けてくれた側近の言葉だ。なによりも説得力があった。

『わかった。書き足そう。少し待て』

「はい」

 さっき閉じたばかりの日記を再び開く。

 それと共に、今まで頑なだった心までも緩んだ気がした。




 その日は朝からフィリアは緊張していた。

「姫様。落ち着かれたらいかかですか? あまり歩き回ると、せっかく纏めた髪が乱れてしまいますよ」

「そうは言っても、とうとう今日なのよ」

 フィリアはぐるぐると部屋の中を歩き回って気を紛らわせようとしていたが、その効果はない。

 今日はフィリアとクロドの初のお茶会の日だった。

 ティーダに促され、殿下のために菓子を焼いた日。殿下からの感想を受けフィリアは飛び上がってよろこんだ。

 フィリア自身、思っていたよりもずっと嬉しかったのだ。

 それから何度か同じやり取りを繰り返し、やっとの思いで今日のお茶会にこぎつけた。

 殿下が甘党だったことはフィリアにとって意外だったのだが、その意外性がよりフィリアに殿下を身近に感じさせた。

 初めの頃よりずっと余裕をもって対応できるようになったと自負したフィリアは、意を決してクロドにお茶会を提案した。

 殿下の好物となったエクエアを作り、薔薇に囲まれた中庭でのお茶会だ。

「殿下もご了承下さったのですから、大丈夫ですよ。あまり緊張なさっていると、かえって失敗してしまいます」

「わかっているのだけど……ああ、駄目。そう簡単に落着けないわ」

 フィリアは手の中の王子人形を強く握りしめた。

 普段は花の香りで安らぐのだが、今回ばかりはそれは気休めにしかならなかった。

「とにかく、ティーダ様が呼びに来られるまでお座りください」

「ええ、そうね」

 なんとか椅子に座ったが、そわそわして仕方ない。

 それは不思議な感覚だった。

 早く殿下に会いたいような、会いたくないような。

 会って傷つけてしまわないか不安になる一方で、もう大丈夫だと思う自分がどこかにいるのだ。

 実際にどうなるのかは、殿下に会ってみないとわからない。

「大丈夫、よね」

 願望を口にすることで落ち着こうとしたフィリアは、かえって不安が増したことにため息をついた。

 しかし、その息苦しい時間も戸を叩く音によって終わりを告げられた。

「姫、お時間です。準備が整いましたのでお越しください」

「は、はいっ」

 弾かれるように椅子から立ち上がったフィリアは、さっとドレスと髪を確認すると、戸を開けた。

「おはようございます」

「おはようございます。ティーダさん」

 笑顔で挨拶してくれたティーダに、少しだけ落ち着いたフィリアが笑い返す。

「準備をお任せしてしまって申し訳ありません」

 本来、お茶会に招待した側が準備をするのだが、今回は殿下の姿を城の者に見られないようにするため、ティーダが主立って動いていた。

「いいえ。姫様が謝ることではありません。今日は良いお茶日和です。どうか、殿下とお楽しみください」

「ありがとう」


 ティーダに連れられて向かった先には、赤、黄、白と三色の薔薇が咲き誇っていた。

「こんな場所があったのですね。綺麗……」

 見とれるフィリアの背後で、草を踏む音がした。

「殿下。フィリア姫をお連れしました」

 ティーダの言葉に一気に緊張を思い出した。

 強張る体を叱咤し、唾を飲み込むと意を決して振り返る。

「お、お久しぶりです殿下」

 多少かんでしまったが挨拶は出来た。

 しかし、すぐに目に入ったクロドの姿に硬直した。

 フィリアの名誉のために弁解をするならば、それは恐怖からではない。

 クロドは頭にベールを被っていた。

 縁は簡素に縫い止められ、見た目柔らかそうな生地に包まれた首から上は全く見えない。

「クロド様。これは……いえ、」

 問いかけようとしたフィリアは言いかけて止めた。

 これがフィリアに対するクロドなりの気遣いなのだと気付いたからだ。

「本日は、私の誘いにお応えいただいて、ありがとうございます」

 初めの衝撃が去ったフィリアは、至極穏やかに挨拶が出来た。予想外の出来事が、緊張もそして少しの恐怖もを持ち去ってしまったのだ。

『こちらこそ、お誘いいただき感謝する』

 クロドは、普段使用するものよりも、大きめの丈夫な板に書いた文字を見せた。

 この日のためにティーダが見つけてきた、異国の書き物だ。白い石で板に文字を書き、さらにその書いたものを布で何度でも消して書き直すことが出来る。

「さあ、始めましょう。殿下のお好きなエクエアも焼いてきました」

 ジゼルに運ばせた菓子をテーブルに並べる。

 心なしか、クロドが喜んだ空気が伝わってきて、フィリアは微笑んだ。

「今日は、少し味に工夫をしてみました。こちらが通常の物で、その横の三つが果物をいれてあります。さらにこっちの四つには茶葉を混ぜ込んでみました」

 皿の上の菓子を指さしながら説明をする。

 それに合わせてクロドの体が動くのが面白く、笑いそうになるのを堪えた。

「でも、作りすぎてしまいました。二人で一度にこの量は無理ですね。残りは包んでお渡ししますね」

 フィリアの言葉に、クロドの手があがった。

 慌てたようにぱたぱたされる手に、フィリアは首をかしげる。

「殿下、一気に食べてはお体に悪いですよ」

 ティーダの諌めに合点がいく。

 クロドは全部食べると言いたかったのだろう。

「そうですよ。お部屋にお持ちになっても構いませんし、なんでしたらまたお作りしますわ」

 不機嫌そうに腕を組むクロドに、フィリアは今度こそ声をあげて笑った。

「姫様?」

「す、すみません。面白くて」

 怪訝そうな目を向けてくるティーダを躱して席に着く。

 クロドのことを今まで以上に近くに感じ、なんだか楽しくなった。

『笑われるなんて心外だ』

 憮然と取れる筆跡で訴えてくるクロドに、さらに笑うフィリア。

 お茶会の空気は一気に穏やかになった。

「クロド様は本当に甘いものがお好きなんですね。他にも好きなお菓子はあるんですか?」

 フィリアが気楽に尋ねる。

『暑いときは果汁を煮詰めたものを凍らせた氷菓子が好きだ』

「まあ、それは活気的な菓子です。クルトネには有りませんでしたわ。どんな味がするんです?」

『甘い。あとは果実の味がする。冷たいから食べ過ぎると体を冷やすがな』

 書かれた言葉にフィリアが頷く。

「クロド様、実は食べ過ぎて冷やしたことがありますね?」

 からかい気味に話すフィリアに、クロドは手を止めた。図星なのだ。

「やっぱり」

 ふふふ、と笑うフィリアに、クロドの肩の力も抜けた。

『姫は何が好きなのだ?』

 それはクロドからの初めての問いだった。

「私、ですか?」

 心臓が小さく跳ねる。

 戸惑うフィリアに、クロドは体を使って頷いて見せる。

「私は……本と、花、が好きです」

 ドキドキする胸を押さえながら、どうにか口に出来たのはそれだけ。

『なら、ここは好きか?』

 クロドが示したのは薔薇園のことだった。

 三色の薔薇が咲き誇るひっそりとした小さな花園。城の者でも、ここを知る者は少ないのではないだろうか。

「はい。すごく素敵な場所だと思います。ここは誰が管理なさっているんですか?」

『私だ』

「クロド様が?」

 何気なく聞いた問いの答えは意外だった。

 花園ということで、管理者は勝手に女性の印象を持っていたのだ。

『もとは王妃のものだ。私が今の状態になってすぐ、不憫に思った王妃が寄越してきた』

 クロドが書いた言葉はどこか他人事のようで、フィリアの表情が曇った。

 クロドの両親である国王夫妻は、もう長いこと彼に会っていないのだ。

 故意に彼を避けるように過ごしている夫妻に、フィリアは今更ながら怒りを覚えた。

『姫に譲ろう』

「え?」

『この庭が気にいったのだろう? 私は適当な管理しかしていないから、姫が管理すればいい』

 フィリアの心情を余所に、あっさりとそんなことを言い出したクロドにフィリアは慌てた。

「そんな、いけませんっ。王妃様からの贈り物を私などに」

『私のものを誰に譲ろうが私の勝手だろう』

「ですが……」

 クロドは軽く言うが、簡単にはいと言えるものではない。

 フィリアはクロドの後ろで沈黙を守っているティーダに助けを求めたが、綺麗に無視された。

『受け取って欲しい。私ではどうせずさんな管理しか出来ない。姫に楽しんでもらえた方がずっといい』

 なかなか押しが強いクロドに、フィリアはたじろいだ。

「でも……」

 躊躇うフィリアは、ふと良い考えが浮かんだ。

「でしたら、ご一緒にいたしませんか?」

『一緒に?』

 疑問が飛ぶクロドに、フィリアが説明する。

「難しいことではありません。二人で一緒に管理するんです。夫婦なんですし。今度ご一緒にここを散歩しませんか?」

 そうすれば、次の機会の口実にもなる。

 フィリアは小首を傾げながらお願いをすると、クロドの動きが一瞬止まった。

「クロド様?」

 声をかけられてびくりと動き出す。

 ぎこちなく動き出したクロドは、手をぐるぐる回して意味不明な動きをした。

「クロド様!? どうかなされたんですか?」

 なんでもないと手を振るクロドの手が赤い。汗をかいているようで、しきりに手汗を拭いていた。

『大丈夫だ。わかった。今度ご一緒しよう』

 見せられた板に、フィリアは満面の笑みを浮かべた。


「なんだか初々しいですね」

「そうですね」

「殿下、よかった……」

「ええ、本当に」

 側近たちがそんな会話をしていたことを、当人たちは知らない。




 お茶会は予想以上にいい結果に終わり、フィリアもクロドも上機嫌だった。

 並んだ菓子を次々平らげる王子にフィリアが注意したり、ジゼルを制してフィリアのカップにクロドがお茶を注ぎ足したり、なかなか親密になれたといっていいだろう。

 成り行きを見守っていたジゼルもティーダも、好感触な主たちにほっと肩の力を抜いた。

「次は違う菓子を持っていこうかしら?」

 お茶会の余韻で上機嫌なフィリア。

「いいと思いますよ。姫も随分と殿下と打ち解けられたようで。特訓の成果が出たようですね」

「ええ。これからも頑張るわ」

 意気込んだフィリアは満面の笑みを浮かべた。

「ただ……」

 フィリアには、最近困っていることがあった。

 思い出してまた頬が熱をもつ。

「どうなさいました?」

 ジゼルが聞く。

「ねぇ、なんだかこの頃殿下の様子が変わっていないかしら?」

 フィリアの言葉にジゼルは思案した。

「それは、まえよりずっと雰囲気が柔らかくなったように感じますが」

「そうじゃなくて……」

 フィリアは言いにくそうに口ごもった。

「姫様?」

 ジゼルが様子のおかしい主人に近づく。

 フィリアは小さな声で呟いた。

「なんだか、輝いているように見えるのよ」

「…………」

 ジゼルは沈黙した。

「きらきらして見えて、なんだか直視できないの」

 頬真っ赤に染めて語るフィリアの姿は、恋している人のそれだった。

「……青春でございますね」

「え、なにか言った?」

「いいえ」

 ジゼルは取り敢えず見守ることにした。

「気のせいでしょう」


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