幸せな日々
「僕と結婚してくれないかな」
お付き合いをはじめてちょうど一年。記念日の今日、夜景の見えるちょっといいレストランに連れてきてもらったと思ったら、食後に彼が小ぶりの箱を差し出しながら、そう言った。
私は、え、と言って瞬きをした。話自体もびっくりだったけれど、理由はそれではなかった。
彼が開けたビロードの張られた小箱。噂ではかねがね聞いていた、女性の憧れの品が収まっているはずのそこに、鎮座ましましていたのは、……ナスだった。
どう見てもナスだった。おかしかった。ナスは箱より大きかった。収まっていたはずがない。なのに、蓋がぱかりと開いたら、そこには光量が抑えられた照明にもかかわらず、ナスが燦然と輝いていた。
「え、あの」
私は彼の顔をうかがった。彼は生真面目に少し不安そうな様子で私を見ていた。
彼は八つ年上の上司だ。仕事ができて、背が高く、顔も整っていて、性格は温厚。社内どころか取引先の女性社員にも人気な人だ。
なんで平凡が服を着て歩いているような私なんかを、と思ったが、そういうところがいいんだ、と彼は熱く口説いてきた。……仕事の打ち上げで酔ったあげくにゲロゲロ吐いて、眠ってしまった私をお持ち帰りせざるをえなくなり、一晩どころか翌日の夕方に二日酔いがなんとかなるまで面倒をみてくれて、あまりの申し訳なさに平謝りした私を。
ほんのりとした憧れを彼に抱いていた私は、迷惑をかけた負い目もあって、戸惑いながらもうなずいた。そうして私たちのお付き合いは始まった。
会社でやっかまれるのは嫌だったから、お付き合いは内緒にしてもらった。すぐに飽きられてお別れすることになるだろうという打算もあった。別れた後に、関係ない人たちに後ろ指さされて笑われながらお仕事を続けるのは御免だった。
だけど、お付き合いは順調だった。彼は誠実で愛情深かった。そんな彼にどんどん魅かれていった。彼と結婚できたらいいな、と思っていた。そうなったら夢みたいだな、とも思っていたけれど。
そのうち素敵な女性が現れて、一瞬で彼の心を攫っていってしまうに違いない。私のことなんか、ふるどころか忘れて自然消滅。そうなるんじゃないかって恐れが、いつでも頭の片隅にあった。
だから、結婚を申し込まれたのが、夢みたいだった。
というか、夢なんだろうな、これ。
白いビロードの中で、黒と見まごう深い紫が高貴に煌めく。……ナスが高貴って。wwwって、いっぱい草を生やしたくなった。
「あーちゃん」
懇願するような響きに、ナスから彼に視線を戻す。何かを言おうとして唇を開き、でも迷ったように閉ざす。そこには焦燥や悲壮ささえ感じられて、ああ、本当に、この人は私のことが好きなんだな、と思った。
私がいつかふられるんじゃないかって恐れずにはいられないほど、好きになってしまったみたいに、この人も、私に結婚を断られるんじゃないかって自信がなくなるくらい、想ってくれているんだって。
夢だなんてことはすっかり忘れて、私はこみあげてくるものに目元を潤ませながら微笑んだ。
「喜んで」
彼は満面の笑みになった。小箱の中に手をやり、ナスを引き抜く。そして、さし出した私の左手の薬指にナスをはめた。
彼は指を絡めて、掌を合わせるようにして繋いだ。穏やかで優しい私の大好きな微笑みで瞳をのぞきこんでくる。
「全力で幸せにするって誓うよ」
「はい。……わ、私も、正幸さんを幸せにできるように頑張ります」
「うん」
彼は嬉しそうに笑って、身を乗り出してきて、ちゅっと唇に一瞬のキスをしていった。
恥ずかしいけれど、嬉しくて、幸せで、夢見心地でその晩は彼と過ごしたのだった。
そして、結婚して、子供も生まれて、時には大変なこともあったけど、それも過ぎてみれば笑って話せる日々を過ごして二十年。
今もビロードの箱の中には、ナスが鎮座ましましている。
あのころの輝きもそのままに、けっして萎びることなく。
だから私には、未だにこれが夢なのか現実なのかわからない。
夢ならば、覚めないでと願う、この幸せな日々が。




