とある夏
~1・とある夏~
あいつらは、この暑さに腹をたてているんだ。そのイラつきを、俺達人間に伝えようとしている。
陽炎がたちめくなか、垂れるアイスを片手に俺は考えていた。
そうでなければ、こんな人通りの多い庭木を住み家になどするものか。
うっとうしいくらいの日照りに当てられ、割り箸にシャーベットをぶっさしただけの手作りアイスは、もはや液状化していた。
手に伝うアイスの感じがなんとも気持ち悪い。
それを舐め取るも、肌にはべたべたとした悪感が残っていた。
縁側の板に手を付きながら体制を整える。
ギシリと縁側を軋ませ、足を宙に投げ出した。
俺の住むこの家は築160年を迎える、相当古いものだ。
科学の国とよばれる現代日本では最新テクノロジーの恒常化に向けて、なかなか「昔ながらの家」、つまり「和風家屋」を保存させるには高額な資金がかかる。そのためか、今では世界 文化遺産に一般家庭住宅だったこの家が採用されるくらいだ。
最初こそ俺達「徒野家」が家の保存金を払っていたものの、残す日本型建築物が両手で数える分だけになり、今では国が負担してくれている。
ぼんやりと夏の高い空を見ながらシャクリ、とアイスを一口かじる。
酸っぱい、柚子の味がした。
生温かい風が頬を撫でる。
それすら許さないと言うように、あいつらはより一層鳴き声を荒げた。
ふと、白い点々が視界に入り込んできた。
それを確認しようと顔を上から下へと降ろすと、宙に放り出していた足に不快な感触が伝わってきた。こしょばったいその感触に眉を寄せ、それを振り払うようにブンと乱暴に片足を振る。
蝶だ。突然の振動に驚いたかのように蝶は白い羽をぱたぱたと動かし始めた。
庭を飛び交う蝶たちをぼんやりと眺めていると、先ほどから右手にもっていた割りばしの存在を思い出した。目の前を醜く飛ぶ蝶に再度目をやる。
くしゃりと目端を持ち上げ、まるで額縁の先にあるような景色にそれをのばしてみる。
「…やっぱり、か。」
思い通り、割りばしの先に止まった蝶を見つめる。
ぐい、と手前に寄せても逃げることのなかった蝶を俺はただ見つめ、もう片方の手を伸ばした。
そこで俺の意図を読み取ったのか、止まっていた蝶は慌ただしく飛んで行った。
どれだけそのヒトが優れていようと、そのヒトが悪いわけじゃない。
どんな生き方をしていようと、それを侮辱していいわけがない。
どんな生き物でも、殺していいわけがない。
どれだけ感情を抑えていても、好かれるわけじゃない。
脳裏に浮かんだあの人、彼女は確か、長身で細身で美しかった…。
どんな顔だったっけ?
思い出そうとすればするほど、脳裏に浮かんでいた彼女が黒い影に包まれていく。
もう溶けきろうとしていた、残り一口のアイスにかぶりつく。
さっきまでの酸っぱさは消え、口の中には苦みだけが広がっていった。
どこかで、風鈴の揺れる音が聞こえた。
うちに飾った覚えはないから、近所宅のどこかだろう。
「リーン。」
今度は近くで聞こえた。目を瞑り、心地よいその音色に耳をすませる。
「リーン、リーン、リーン。」
強い風が頬を撫でていく。その音は次第に近くなってくるような気がした。