チョコレート狂詩曲
バレンタインなので、書いてみました。
ありがちなお話ですが、にやっと笑って頂けると嬉しいです。
私は学校に着いてすぐ、スクールバックの中身を確かめようと机の上で急いでファスナーを開いた。ちゃんとあるかどうか、形がよれちゃってないか、確認しておかなきゃ。
だって今日は2月14日。決戦のバレンタインデーなのだから。
玄関の入り口で合流してクラスまで一緒に来た花ちゃんが「どしたの、ひな。そんなに焦っちゃって」と可笑しそうに笑いながら、右隣の席に腰かける。その席には田中くんがすでに座っていたのだが、花ちゃんにぐいと横から押されて、可哀想に椅子から転がり落ちてしまった。
「関川、お前ケツでかすぎ」
「何ですって!? 16歳の可愛い女子高生つかまえて、よくそんな事が言えるよね! 私のお尻はそんなに大きくないもん! 小尻だよ、小尻!」
16歳の乙女が「尻」を連呼するのってどうなの。
田中くんは小柄で可愛い感じの男の子だ。『草食系男子』という言葉が彼ほど似合う人はいない。花ちゃんは同じクラスになったその日のうちに、彼に心を持って行かれたらしく、今日も健気に方向違いのアプローチをかけている。一目惚れってよく聞くけど、花ちゃんのそれは秒単位の速さだった。
関川花ちゃんは、すらりとした体型できつめの美人顔。染めてない黒髪はサラサラで、リップなんて塗ってないのにサクランボ色の唇はいつも艶々している。
クラスの女子は皆、そんな花ちゃんに憧れを抱いているんだけど、彼女のお目当てがあまりパッとしない田中智也くんであることにホッとしている子も多かった。可愛いんだけどねー、カッコイイ方がいいよねーというのが私達二年生女子の田中くん評だ。
ライバルはゼロ!の楽勝コースのように思える花ちゃんの恋路なのだが、世の中そうそう上手くいかないようになってるみたい。
はあ……。花ちゃんですらこうなのだから、どちらかというと地味な女子に分類される私の恋なんて上手くいくはずないんだけどね。相手はしかも、学年一イケメンだと評判な芝崎くんなんだもん。
「可愛い女子高生? え? どこ?」
わざとらしく目をキョロキョロさせる田中くん。花ちゃんがいつも言うように、小動物のように愛らしいなあとは、私も思う。
「そんなヤなこと言うなら、チョコあげないよ?」
花ちゃんは朝一番に、勝負を決めてしまうつもりらしい。
一緒に色んなお店のチョコ売り場を回ってようやく決めた一品を、無造作に鞄から取り出して田中くんの目の前でひらひら見せびらかしている。
私の喉がゴクリ、と鳴った。
平気そうに見えるけど、花ちゃんの指先はよく見ると小さく震えてる。
田中くん、気づいて!! 彼が鈍感系でないことをひたすら祈る。
「関川。違うだろ」
最初はあっけに取られたような顔で花ちゃんを見ていた田中くんだったが、綺麗に包装されたチョコレートと花ちゃんをしばらく見比べ、ニヤリと笑った。
――うわ、田中くんってばこんな悪い顔しちゃうような子だったの!?
完全な傍観者である私が驚いたのだから、花ちゃんはもっとびっくりしたに違いない。
「な、なによ。本当にチョコだよ、これ」
「そうじゃなくて。貰って下さい、だろ?」
まさかのドS系でしたかー!!
花ちゃんは真っ赤になって、「はあ? わけわかんないこと言うなっ!」と言い捨て、ついでにチョコも田中くんに投げつけ、あたふたと自分の席へと戻っていった。
この勝負、田中くんの勝ちみたい。
一部始終を見ていた私が、あんまりポカンとした顔をしていたのだろう。田中くんは花ちゃんのチョコを自分の鞄にしまうと、「橘さん、口開いてるよ。物欲しそうに見えるから、気を付けてね」とにこやかに言った。
――怖い。リスだと思ってたら、肉食マングースだった。
私は、「うん。ごめん、気を付ける」ともごもご謝って、そのまま一限目の準備をすることにした。えー、こんな人だったっけ、田中くん! 一年近くなんやかんやで一緒にいることが多かった気がするんだけど、私は今初めて君の本性を知ったよ!!
びくびくしながら、四限目が終了。
さてお昼休みの間に、私も勇気を振り絞って突撃してみますか!
放課後の待ち伏せには、もう飽きた。
チョコの入った袋を持ち、クラスを出ようとしたところで、私の視線は廊下の先に釘付けにされた。
あの黒山の人だかりの中心は、もしかしなくても芝崎くんですか。
「これ、貰って!」
「あ、ずるい。私のも受け取ってね!」
「芝崎くん、私も……」
「ちょっと、渡したら後ろに下がってよ。他の子が渡せないでしょ!」
うわあ。予想はしていたけど、去年よりすごいことになってるじゃないか――。
180センチを超える長身で、整った甘い顔立ち。バスケ部のエースで、勉強もわりと出来る方。
どこの少女漫画から抜け出てきたんだよ! と突っ込みたくなるほど高スペックな彼が、私の片思いの相手、芝崎涼くんです。
――実は私は彼に一度、思いっきり振られている。
高校に入学してすぐ、部活見学の時に体育館で見かけた芝崎くんに一目惚れした私。花ちゃんのことを笑えないほどアッサリと、私は彼に恋をした。
その時彼は、まだ新入生らしい初々しさを残した男の子で、身長も170センチちょっとくらいだった気がする。バスケ部の見学に来ていたらしく、体育館の壁際で数人の友人らしき子たちと熱心に試合に見入っていた。短髪も好みだったし、時折のぞく少し幼い笑顔に私の心臓は撃ち抜かれてしまった。
高校生になったら、好きな人を作って絶対告白しよう!
中学三年間、ちょっといいな程度の好きな人すら出来ず、友達同士の恋バナに全くついていけなかった私は、高校の合格が決まった日にそう心に誓ったのだ。
不細工ではないと思うけど、人目を引くような美人でもない私。ぼーっと待ってたって、向こうから告白されるなんてことはあり得ない。だったら、こっちから動くしかないでしょ!
今考えると、無謀としか思えないんだけどね。思い込みって怖いよね。
芝崎くんが隣のクラスだと突き止めた私は、下駄箱で彼を待ち伏せし、暗くなった校舎の裏手に戸惑う彼を引っ張っていき、そこで告白したのですよ。
「好きです! 付き合って下さい!!」
ああ、思い出すだけで身もだえしてしまう!!黒歴史以外の何ものでもないっ!!お金で記憶が消せるなら、小さい頃からずっと貯めているお年玉を全部使ってもいいくらい。
彼はキョトンとした顔をして(そんな表情もカッコ良かった)それから何故か大きな声で笑い出した。(そんな笑顔も素敵でした)
「ごめん、君を笑ったんじゃなくって、……その名前、聞いてもいい?」
「あ、すみません。橘です。橘ひなこ」
大笑いされて、私の頭は真っ白になった。あれ、何か変なこと言ったっけ、私。
「そうか、橘さん、ね。ごめん、俺、よく知らない人とは付き合えないから――」
芝崎くんが済まなそうに眉を下げたので、私は馬鹿みたいにぶんぶん首を振った。
「ですよね! ごめんなさい。伝えたかっただけなんです。お時間とらせて、すみませんでしたっ!!」
一気に早口でそう言って、私は深くお辞儀をするとダッシュでその場から逃げ出した。
失恋したのか~、という悲しさより、自分のアホめ!!という恥ずかしさが先に立ったので、ショックは少なかったんだと思う。涙は出なかった。しばらくは自分の行動を脳内でリプレイしては、部屋をごろごろ転げまわった。本当に記憶を消したかった。前に見た映画で、黒服のお兄さんとおじさまが持ってたビカッって光るエイリアン対策のあれ、どこかにマジで売ってないかな――とすら思った。
そんな風にドキッパリと私を振った芝崎くんなのだが、何故かそれからちょくちょく顔を合わせることになった。彼は何事もありませんでした、というような平然とした顔で「お、橘じゃん。おはよ」とか「調理実習、何作んの? 甘いものも俺イケるよ?」なんて声をかけてくる。
最初は呆然とそんな彼に上の空で受け答えしていた私だったのだが、そのうち彼の真意に気が付いた。
なかったことにしてくれたんだ!!
芝崎くん、本当に優しい人ですよ!!
私が恥ずかしさや気まずさをいつまでも引きずらないように、彼は考えて振る舞ってくれているのだと分かった。スッキリして、それからは自分からも普通に声を掛けるようになった。
「おはよー」正面玄関で朝、彼を見つけたら、駆け寄ってポンと背中を叩く。「なんだよ、一緒の時間だったのか」人懐っこい笑顔で芝崎くんがそう言うから「坂道で見かけたんだけど、追いつけなかった」と私もへらりと笑う。「頑張って追いついてこいよ」と無茶なことを言う芝崎くんに「コンパスが違い過ぎるでしょう」とスカートから細くも長くもない足を見せつけてやる。「こら、はしたない!」今時の若者っぽく洒落た感じに着崩したブレザー姿からは想像もつかないような言葉を芝崎くんは遣ったりもする。
はしたないって!!おじいさんですか!
そんな感じで一年目は過ぎていき、去年のバレンタイン。
芝崎くんが素晴らしい気遣いを発揮してくれているにも関わらず、諦めの悪いことに私はまだ彼のことが好きだった。告白はもう出来ないけど、チョコくらいは許されるのでは? そう思って、本命なんだけども義理チョコにも見えそうなギリギリラインのやつを買ってきて、当日渡そうと企んでいた。
かなりの数のチョコを抱えてやってきた芝崎くんを下駄箱で待ち伏せて、捕まえる。
ワンパターンだと笑わないでよね。みんなの視線に晒されながら、クラスまで乗り込んでいってチョコを渡すなんて芸当、小心者の私には出来ません。
部活帰りだからか、他にも男子がいたのだけど、私の顔を見ると「んじゃな、お先ー!」「頑張れよ、涼!」なんて口々に言いながら、さっさと帰っていく。
いや、頑張るのは私ですよね?
「遅い! 貰えないかと思った」
ぎっしりとチョコの詰まった紙袋を下げて言う台詞ですか、それ。
私は驚いて、「それ以上、まだ欲しいんだね……」といっそ感心してしまった。
芝崎くんは自分の左手を見下ろし、バツが悪そうに口元を歪めると「これは、ほら、アレだ。受け取らないと後々面倒なことになるし、橘だって困るかもしれないし」と謎かけのようなことを言ってくる。なんで私が困るんだろう。時々、芝崎くんって不思議なことを言う。
「はい。どうぞ」
考えても仕方ないので、フラレ女ですけどもいつも仲よくして頂いて感謝です、という気持ちを込めてチョコを手渡した。
「やった! サンキュ」
芝崎くんは、それは嬉しそうに笑った。
ああ、このハート泥棒め! どこまで私を翻弄すれば気が済むの!?
私はそっと右手で鼻の下を押さえた。
「なんで、鼻?」
もしかして、寒い? と芝崎くんはチョコをブレザーのポケットにそうっと仕舞ってから、私の顔を怪訝そうに見下ろした。ズボンの後ろポッケから、暖かいカイロを取り出し、ほら、と私に差し出してくれる。
「いや、鼻血出てたら恥ずかしいなって」
本当にそう思ったからそう言ったのに、芝崎くんはぶはっと吹き出し、ひーひー笑っていた。
その日、初めて芝崎くんと一緒に帰った。家まで送る、と何度も言う芝崎くんには、分かれ道で丁重にお引き取り願った。そこまで気を遣ってもらわなくても、いい。
それに早く一人になって、ニヤニヤしたかった。カイロ貰った! 笑ってチョコ受け取ってくれた!
しょっぱな玉砕した私の恋だけど、非常に楽しい片思いライフをありがとう、芝崎くん!
そんな感じで私の一年は終わった。
そして二年目。
同じクラスになれるといいな~と思っていたのに、またもや芝崎くんとはクラスが別れた。でも一年の時に仲よくなった花ちゃんとまた同じクラスになれたので、良しとしておく。
花ちゃんは女子バスケに所属してるので、芝崎くんともいい感じにお友達だった。
バスケ部繋がりなのか、芝崎くんはちょくちょく花ちゃんのところにやって来る。なので棚ぼた的に私も芝崎くんとお喋り出来るのだ! いいでしょ。
2人が並ぶと、『ベストカップル』という文字が嫌でも頭に浮かんでくる。二年生に上がったばかりの時、一度そう言ってみたら、花ちゃんには可哀想なものを見る目でじーっとガン見された。
芝崎くんは何故か不機嫌になり、むすっと唇を引き結んだ。
はいはい、ごめんね。あれこれ詮索されたくないお年頃なんだよね。
花ちゃんは二年の頭からずーっと「田中くんラブ」なので、私と芝崎くんはしょっちゅうそれに巻き込まれた。
ゴールデンウィークは、差し入れを持って彼らの試合を見に行った。ええ、気乗りしない風の田中くんを無理やり引っ張って行きましたよ。花ちゃんが「来ないと酷い目に合わす」って脅してくるんだもん。
夏休みは、夏祭りに行ったんだっけ。芝崎くんと花ちゃんは、屋台や花火に興奮して大はしゃぎだったけど、私と田中くんはわけが分からないまま連れまわされて、非常にくたびれた。「橘さ、もっとちゃんと周りを見たら」と何故か田中くんにダメだしされたのも、その時だ。
人出が凄かったので、よろよろ歩く私が危なっかしかったのかも。トロくさくてすみませんね。
二年になって困ったことと言えば、芝崎くんのスキンシップが激しくなってきたことだった。
平気で手を繋いでこようとしたり、肩に手を回してきたりする。そんなことは好きな女の子相手にやりなよ!と注意したこともあるのだが、知らんぷりされるかニコっと笑われるかのどちらかで、有体に言えば全く相手にされてない。
花ちゃんがボソッと「気づかないうちに食べられてそう」と呟き、気の毒そうに私を見ていたこともある。すぐさま、自分のぽってりとした二の腕を見た。ううう、確かに美味しそうかもね……。
そして、もうすぐ三年になるこの季節。バレンタインが再び巡ってきた。
私は今日、もう一度当たって砕けるつもりです!!
朝からテンパってたのは、そういうわけ。
いや、もう本当に限界なんだよね。芝崎くんがすごく優しくしてくれることに。
去年は、それが嬉しくてたまらなかったけど、これじゃあちっとも私は前に進めない。
キッパリもう一度振ってもらって、そしたらちゃんと「勘違いする子もいるから、ほどほどに振る舞った方がいいよ」と教えてあげよう。彼と友達として適度に距離を保った付き合いをしていく為にも、私にはけじめが必要なのです。
ああ、でも今回は、泣いちゃうかもな。
相変わらず好きなままだけど、そろそろ辛くなってきたんだもん。しょうがないよね。
そして現在に至るわけなのですが。
近づけない――。
しばらく遠くから芝崎くんを見てたんだけど、こりゃダメだと諦めた。
放課後まで待つしかないかな。
そう思って、クラスに戻ろうとした瞬間。
「ひな!」
芝崎くんの大きな声が廊下に響いた。
続いて、いやー、とかギャーとか、悲鳴が上がる。すごいボリュームで、耳が痛い。
空耳かなと思ったんだけど、私は念のため振り返ってみることにした。
私の名前は確かに、橘ひなこ、だけど、芝崎くんに下の名前で呼ばれたことなんて一度もないからね。
「ちょっと通して、ゴメン」
大勢の女の子を押し分けながら、芝崎くんがこちらに大股で歩み寄ってきた。
射殺されそうな視線が、一気に私に集中する。
本当に、私を呼んだってこと? 芝崎くんが?
あのー、逃げてもいいですか。
「ひな、それ俺にだろ。今、貰ってもいい?」
この強烈な視線の束にびくともしない芝崎くんの心臓って、どうなってるの!?
私は息も絶え絶えに、ようやく腕を持ち上げ、操り人形のようにぎくしゃくと紙袋を彼に突き出した。
「ありがと。で、俺に言うことはない?」
悪魔だ、悪魔がここにいますよー!!
私は口をぱくぱくさせて、彼を見上げた。嬉しそうにニコニコ笑いながら、芝崎くんはどうぞ、というようにジェスチャーで先を促してくる。
「好きです」
こうなったら自棄だ。どうとでもすればいいよ!
私は、芝崎くんの緩く結ばれたネクタイを睨みつけながら、それだけを口にした。唇は震えるし、声はかすれて出ないしで、かなりみっともないことになっている。
さあ、みんなの前で私を振れば。どうぞ、どうぞ。お気になさらず!
「良かった。俺も好き」
あー、空耳が悪化しているー。耳鼻科へ行かねば。
早退しよう。そうしよう。だって私、耳鼻科に行かなきゃいけないんだもん。
「また、どうせ変なこと考えてるんだろ」
芝崎くんは、くくと笑ってそのまま私の手を取った。
ギャーとかイヤアーとか、女子の悲鳴で鼓膜が破れそう。
一緒に耳鼻科に行ってくれるつもりなのかな。
ぼんやり彼を見上げると、初めて見かけた日のようにはにかんだ笑顔で私を優しく見つめていた。