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秋の朝のコーヒー

作者: 竹仲法順

     *

 朝出勤前にキッチンでコーヒーを一杯淹れてから、飲む。秋なのだけれど、まだアイスコーヒーを口にしていた。社ではずっとパソコンのキーを叩きながら、上の人間たちが会議などで使う資料や、企画書などを打ち続けている。

円山(まるやま)さん」

「はい」

 係長の寺澤(てらさわ)に呼ばれたので返事をし、係長席へと歩いていく。そして口を開いた。

「ご用件は何でしょう?」

「君も何年も会社にいるのに、まだ文書類はおかしなところばかりだね」

「おかしなところ……と申されますと?」

「誤字・脱字だけじゃなくて、文章の書き方自体おかしいんだよな。いくら企画書は後で修正が効くと言っても、これじゃ根本的にダメだよ」

「はい」

 素直に聞くしかない。そして印字された書類の束を持ち、席へと舞い戻る。寺澤が赤ペンでチェックを入れた個所を修正し、打ち直してからメールに添付し、再度送った。文書類は日付や件名などを付けて、パソコンのハードディスクとフラッシュメモリに保存している。

 これまで膨大な数の文書を打ち続けてきた。大学を卒業して、新卒で入社したのが八年前の二〇〇〇五年で、パソコンは使い慣れている。OSが古く、動作が遅いマシーンなのだけれど、最低限ネットとメールが出来て、ワードとエクセルが搭載されていれば十分だった。午前中の時間、ずっとパソコンに向かう。会社で女性社員をやっていると、疲れるのだ。何かと。

     *

「お昼行ってきます」

 正午になり、寺澤や他の社員たちに対し、そう言ってフロアを出る。何かと食欲が出てくる時季なので、ランチ店で日替わりを食べようと思い、店へ向かった。足取りは軽い。歩きながらスマホを見続ける。ずっとネットニュースを読んでいた。別に変化はない。いつも通りのお昼だ。

 馴染みのランチ店へと入り、テーブルの椅子に座って、やってきたウエイターに、

「日替わり一つとアイスコーヒー一杯」

 と言った。

「かしこまりました。お待ちくださいませ」

 ウエイターがそう言って注文品を端末に打ち込み、厨房へと歩いていく。待ち時間、スマホを弄っていた。午後からは眠気が差してくると思う。だけど別によかった。眠ければフロア隅にあるコーヒーメーカーでコーヒーを注ぎ、飲めばいい。

 しばらく経ち、料理が運ばれてきた。豚肉と野菜の炒め物をメインに、ライスとスープが付いている。コーヒーには砕かれた氷がたくさん浮いていた。食事に箸を付け、食べ始める。せめて昼休みぐらいゆっくりしたかった。心が落ち着くのは、まさにこういった時だからである。

 コーヒーは朝の一杯も美味しいのだけれど、ランチを食べながらの一杯もなかなか行ける。そう思って飲んでいた。食事を取りながら、合間に飲む。特に肉が食材として使われている時は、消化を助けるため、欠かさず口にしていた。

 食事を取り終え、ちょっとゆっくりしようと思い、コーヒーをもう一杯アイスで頼む。そして持ってこられたグラスに口を付けた。食後だから、眠気は来る。飲みながらそれを振り払うと同時にリラックスしていた。確かに体調は万全だったのだけれど……。

     *

 食事休憩後、社に戻り、デスクに座って午後の始業時刻を待つ。その間、またスマホを弄っていた。ネット依存症なのである。今そういった人が多いと聞く。仕方ないと思っていた。

佐央理(さおり)、何か疲れてない?」

「うん、少しね」

 同僚の佳南(かな)が言ってきたので答える。彼女は仕事面でも、結構手抜きしているところがあるのだ。小心なあたしもそれを見習いたいぐらいだった。簡単に言えば、佳南は給料泥棒のような側面があるのだ。フロアにいる皆が、彼女の要領のよさを知っていた。上手く切り抜ける方法とでも言うのだろうか……?

「佐央理」

「何?」

「寺澤係長とか上の人間はうるさいけど、気にしなくていいわよ。あたしも別に全然気に掛けてないし」

「まあ、確かに一々細かいこと気にしてたら、仕事はかどらないからね」

 頷き、ちょうど午後一時の始業時刻になったので、スタンバイ状態になっていたパソコンを通常の画面へと戻す。そしてキーを叩き始めた。いろんな文書などを作るのが、あたしたちの仕事だ。

 午後からも午前中に引き続き、仕事が続く。三十代で女性が一番倦怠を覚える時期だ。でも大掴みに言えば、何かをしてないと怖くなるぐらい余力があった。もちろん二十代の時のように無理は利かないのだけれど……。

     *

 その日も午後五時の終業時刻に仕事が終わり、残業なしで帰れた。政府の景気対策も、うちのような小さな会社には何ら恩恵がなく、ずっと不況が続いている。かと言って、転職などは出来ない。そんなスキルは持ち合わせてないからである。ある程度語学が出来たり、MOS、秘書検定などの資格を持っていたりすれば、また話は違うのかもしれない。だけど、今のあたしに新しいことを覚えるのは到底無理だ。

 佳南や他の同僚たちに対し「お疲れ様」と言ってフロアを出、歩き出す。街に出ると、秋風に吹かれて一際涼しい。ゆっくりと歩いていく。いつも通勤に使っている電車の駅まで。心身ともに疲れるのだ。特に心がやられやすい。この時季は。

 自宅に帰り着き、エアコンの代わりに扇風機を付ける。もう扇風機で風を送るだけで十分過ごせるのだ。帰宅後、すぐに冷蔵庫を覗き込み、冷えたアルコールフリーのビールを取り出して、きっちり一缶飲む。そしてリビングのテレビを付け、午後十時ぐらいからオンエアーされる報道番組を見ていた。

 いつも眠前は静かなクラシック音楽を掛けるのだけれど、眠る前までニュース番組などを欠かさず見ている。頭の中の情報を整理しておかないと、翌日からの仕事に差し支えるからだ。週末やまとまった休みの時以外は、ずっと仕事が続く。恋人がいないと寂しいのだけれど、今のところ彼氏は必要ない。そう思い、割り切っているのだった。

 そしてまた朝が訪れる。起き出してキッチンへと入っていき、眠気を振り払うため、コーヒーを一杯淹れてブラックで飲む。安定しているのだった。あたしの最近の健康状態が、である。

 朝のコーヒーで目を覚ましてしまってから、カバンにタブレット端末や、データの詰まったパソコン用のフラッシュメモリを入れて、持ってから部屋を出る。いつもと変わらない日常だった。変化がなくて淡々としている。だけどそれでもよかった。会社に行けば、また業務に追われるのが分かっていて……。

 秋の朝の気付けの一杯のコーヒーは、あたしにとって実に貴重だ。何にも増して。

                             (了)


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