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脱獄犯と春の川べり②


 わたしが生まれ育ったこの町は、先進国とされる日本国内とは思えない牧歌的な町で、少し以前までは女の子が夜道をひとり歩きしても何事もないような土地だった。それが今では、とある事情により、巡回するパトカーが絶えないという有様だ。

 だから、パトカーが停まっていること自体はまったく珍しくないのだが、わたしはこの辺りを毎日訪れている身なので、もし近辺で何かあったというのなら身の安全のためにも確認しておきたかった。

 石橋の下に彼女を残し、わたしは土手を駆け上がった。


「あの、警察官さん」


 丁度よくパトカーのひとりの警察官が寄りかかっていたので、躊躇わずに声をかけると、その警察官は愛想の良い笑みを浮かべてこちらを振り返った。


「やあ、学生さん。その制服はK高校生かな?」


 まだ三十代に達していないだろう、若々しい青年だ。丸っこい輪郭に愛嬌が滲んでいる。


「はい。K高校二年の羽渡はわたりモナです」

「苗字も名前も、ちょっと変わってるね」

「わたしに言われても困ります。苗字も名前も自分で選んだわけじゃないですから」

「ところで、今日は平日のはずだけど、学校には行かなくていいの?」


 いきなり痛いところを突かれ、わたしは眉根を歪めた。

 そうでなくとも警察は苦手だ。そもそも思春期は誰しも不透明な権力に反感を覚えるものだが、わたしには警察恐怖症の友人がいるため、彼らへの忌避感は同世代のそれより強い。

 だが、下手に口ごもってあらぬ容疑をかけられるのも嫌だったので、渋々ながら訊かれたことに対してしっかり答える。


「俗に言う、サボタージュというやつです」

「ありゃりゃ!」


 警察官は両手を広げて驚くが、こちらを非難する様子はなく、むしろ楽しげだった。


「先月くらいから、進級したばかりで気持ちが不安定なのか、こういうことが多くて。先生に注意されない程度には出席しているつもりですけどね。あと、学校だけじゃなくて、家に帰らない日なんかも多かったりしちゃったりして……」

「それはそれは大変だねえ! でもぼくにはわかるよ! 君は純粋すぎるだけなんだよ!」

「……はい?」

「いやあ、一度でいいから、不良生徒の理解者ってやつをやってみたかったんだ! こうしてぼくに認められた君は、大人も捨てたもんじゃないと号泣し、立派に更生するんだろ?」

「ドラマと現実の区別がつかない大人がいると、青少年はこぞってグレますよ」

「だろうね。だから、そんな大人がいたら即刻死刑にすべきだ」


 鼻を膨らませて意気込む警察官は、自宅にさえ帰らないという発言にすら、まったく触れようとしなかった。これを田舎町特有の平和ボケと取るべきか、職務怠慢と取るべきかは、なんとも微妙なところだった。どちらにせよ、怒られないのならわたしには都合がいい。


「で、警察官さんはこんなところで何をしているんですか?」

「仕事だよ。町内で行方不明者の情報を集めているんだ」

「行方不明者?」


 得意顔の警察官の後ろに、パトカーのサイレンが見える。あれを前に気分を良くする人は少なく、わたしも多分に漏れず、まるで今から連行されるような恐怖心を抱く。若葉の香りが溢れる春の陽気に、その鮮烈な赤色はあまりにも高圧的すぎた。


「その調査がちょっと行き詰まっちゃったもんで、ここで気分転換をしていたんだ」


 そう言って、警察官はフタの開いた缶コーヒーを掲げてみせた。


「ほら、ここいらは人も滅多に通らないし、サボっていたってバレないだろ?」

「サボリがちの公務員がいると、青少年はこぞってグレますよ」

「そんな公務員は即刻死刑にすべきだけど、残念ながらそうゆう法律は今のところない」

「そんな法律を作ってくれる政治家がいれば、きっと満場一致で大統領ですね」

「あ、そうだ。君にも行方不明者の聞き込みをさせてよ」


 軽い調子でそう言い、警察官は胸のポケットから一枚の写真を取り出した。


「この男を見かけたことはあるかい?」


 そこには三十代半ばくらいの男性が写っていた。痩せているわけではなく、むしろ脂肪を持て余しているのだが、肌がくすんでいるためか病人のような印象を受ける。ライオンのように逆立てた金髪が特徴的だった。たらこのように分厚い下唇も目を引く。

 写真と記憶を照らし合わせてみるが、心当たりはまったくなかった。


「見たことありませんね、こんな人」


 似たようなフッションの観光客は大勢いるが、この下唇はお目にかかったことがない。

 警察官は、さして残念がる様子もなく「そうか」とうなずく。


「この男性はとある有権者の次男坊でね。根っからの放蕩者らしく、半年前から国内のホテルや旅館を転々と渡り歩いていたそうだが、一ヶ月くらい前から音信不通になったらしい」


 一ヶ月前と言うと、わたしが学校をサボり始めた時期と一致するが、これは偶然だろう。


「音信不通ってことは、誰かと定期的に連絡を取り合っていたんですね」

「ああ、お兄さんとメールで遣り取りしていたらしい。まあ、遣り取りと言っても『早く帰ってこい。家の恥だ』『うるせえ。ほっといてくれ』の繰り返しだったらしいけど。お兄さんのほうは厳格な人格者なんだ。ま、大きな家の長男って、そうゆうものなのかもね」

「この人は、この町に来ていたんですか?」

「彼が最後に宿泊していたホテルのオーナーによると、次はこの町を訪れてみたいと、地図で道順を確認していたらしい。だから、とりあえず町の周辺で目撃情報を集めているんだ」

「名前は?」

道知どうともタダオ。聞いたことはないかな?」

「いいえ、まったく」


 これ以上質問されたくなかったので、きっぱりと断言する。タダオ氏の経歴や素行について多少の興味はあったが、いくらタダオ氏について詳しくなったところで、町中を歩く彼を発見できるわけじゃない。無意味な問答がいささか面倒臭くなってきた。


「それは残念。あと、もうひとり探しているんだ」

 警察官はタダオ氏の写真を胸ポケットに戻し、そこからまた別の写真を取り出した。

「こっちはね、明け方に町の入口付近にいたそうなんだが」

「はあ……。まあ、お役に立てないとは思いますけど」


 どうせまた知らない顔が映っているのだろうと、投げやりな気持ちで写真を覗き込む。

 だが、そこに映っている人物を見た瞬間、わたしの喉に悲鳴がつかえた。

 クセの強い黒髪。端正な作りの顔立ち。羨ましいほどに豊満なバスト。

 間違いない。トレンチコートの彼女だった。

 その写真では、彼女の前髪は短く切られており、やや太めの眉と吊り上がり気味の眼差しが顕になっている。内面の気丈さが押し出されたような容貌だった。瞳から醸し出される野性味が強烈で、モデルや女優と言うより、チーターなどの肉食動物と同類の美しさを備えている。

 今、橋の下にいる彼女は行方不明者だったのか。

 それを知ったわたしは、さらなるプロフィールを聞き出したい衝動に駆られるが、同時にこれ以上は他人の力を借りたくないという意地が込み上げた。国家権力の情報なんかに頼らなくたって、わたしの手腕のみで彼女の正体を明かしてみせる。驕りともつかない使命感が眼窩を熱くさせた。何より、石橋の下を警察なんかに踏み荒らされたくない。


「……この人も見たことありませんね」


 ぺろっと舌を出すかわりに、真っ赤な嘘を淀みなく吐き出す。


「そうかあ。まあ、そんな簡単にはいかないよな」


 女子高生の嘘を見抜けなかった警察官は、いかにも落胆したようにため息をつくが、その丸顔には能天気な笑みが浮かんでいる。最初から期待していなかったらしい。期待していないくせに他人に物を訊くのは如何なものだろう、との悪態が口内で暴れる。


「お力になれず、すみません」

「大丈夫。有益な情報を提供できない学生を即刻処刑にする法律は、今のところないから」

「早く見つかるといいですね」


 わたしはにこやかに笑った。我ながら出来のいい作り笑いだった。


「そうだね。こういうところで成果を出さなきゃ、市民から税金泥棒だって責められるし」

「サボタージュしなければすぐに見つかりますよ、行方不明者の二人くらい」

「行方不明者の二人?」


 警察官がきょとんと目を丸める。


「違うよ。女のほうは行方不明じゃないって」

「え?」


 話の流れから、てっきり彼女もタダオ氏と同じ行方不明者だと思い込んでいたので、わたしは思いっきり面食らってしまった。よくよく思い返してみれば、確かに彼女が行方不明者だなんて説明は一言もされていない。

 警察官は缶コーヒーをグッと煽り、満足そうに頬を緩ませながら言い放つ。


「そっちは脱獄した殺人犯。あ、じきに全国指名手配されるからね」


 幸か不幸か、警察官の位置からでは、石橋の下は完全な死角となっていた。



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