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神々の庭のクロニクル

クリームブリュレ・ウォー


「――わ、プリンだ」

 リビングの中央、テーブルの上に載っているロゴ入りの紙袋。 その中を覗いた赤毛の小柄な少女が、喜色ばんだ声を上げた。

「ラ・ブロワという有名な店のものでな。 帰りに並んで買ってきたんだ」

「凄いんだよ、四十分待ちなんだよー。 わたしたちの分で最後だったんだ」

 外套を脱ぎながら”戦利品”について説明するのは、夜色のポニーテールと、紫陽花色のセミロングの少女二人だ。 ポニーテールの方の前頭部には犬耳が、セミロングの方には小さな角がついている。 二人の背丈には頭一つ分ほどの差があり、角つきの少女の方が犬耳の少女の首元程度だ。

 季節は冬、部屋の中では備え付けのエアコンが暖気を懸命に吐き出している。 今しがた外から買ってきた二人の頬は、若干の朱が差していた。

「じゃあ、これを置いてくるから」

「うん、じゃあ紅茶淹れてくるよー」

 二人分の外套を抱えたポニーテールが上階に、セミロングは隣のキッチンへとそれぞれ消えていく。

「アレシちゃんはそれ出しといてー」

 隣室から聞こえてきた指示に、アレシと呼ばれた赤毛の少女――アレシエルはいそいそと従い、そして、ある重大事に気がついた。


*


輝夜(かぐや)ちゃん、これ四個しかないの?」

「ああ、四個入りが一箱だ」

 リビングに戻ってきた犬耳ポニーテール――輝夜に、ソファに座っていたアレシエルは身を乗り出すようにして問うた。

 テーブルの上には紙袋の代わりに、ガラスの容器に入ったプリンが四つ存在している。

「だから、どうしようかっていうところなんだよねー」

 湯気と芳しい香りを立てるカップをトレイに三つ載せて戻ってきたセミロングが割って入る。 彼女は上品な動作でカップをサーブすると、

「ん、有難う、由良(ゆうら)

 輝夜の何気ない礼の言葉に、はにかんだような表情を見せた。 常に糸のように目を細めた微笑みを浮かべている彼女――由良だが、付き合いの長い者ならば眉や目尻、口角から表情を読み取れるのだ。 カップの中の紅茶を口に含んだ輝夜が、表情をほうと緩めると、その微笑みの度合いはなお深まった。

 ……おお、あついあつい。

 両手で持っている紅茶のカップと、部屋を満たす暖気、それ以外の熱源をアレシエルは前方に感じる。 輝夜の隣に腰を下ろした由良は、ぴったりと犬耳の少女に寄り添っていた。

「とりあえず、私達で一つずついただくとしよう」

 アレシエルの正面、由良の左手を握り返しながら、輝夜はプリンに手を伸ばした。

「残るひとつをどうするか……終わってから考えればいいさ」

 言いながら、彼女は器を取り上げ、かかっていたビニールの封を剥がす。 広がる甘い香り。 卵とバニラ、カラメルの入り混じったそれを味わうかのように、輝夜は鼻をひくひくとさせている。

 由良とアレシエルもそれに習い、自分の分を取り上げ、封を切った。 利き手にはスプーン、もう片方にはプリン。

「では、いただきます」

 折り目正しい輝夜の言葉で、三人は一斉にプリンを攻略しにかかった。


*


 アレシエル、冴月輝夜(さえつきかぐや)賀茂由良(かもゆうら)――この家の住人は、実のところ、この三人だけではない。 さらに二人居るのだ。

 白銀の髪が美しいアルビノの魔導師・御神楽紫苑(みかぐらしおん)と、彼女のボディーガードを務める傭兵にしてアレシエルの義兄、アレス。 そもそもこの家は、故国から遠く離れたこの国に紫苑ら三人が留学するに当たり、複数人分の家賃や光熱費を節約するため紫苑が借り上げたもので、輝夜と由良はその世話になっているという立場だった。

 紫苑とアレスは今、連れ立って出かけている。

 プリンが五個入りならば、それで何も問題はなかった。 三個入りならば、それでもよかった。 今ここには三人しかいないのだから。

 四個という、そんな個数だから。

 だからこそ。


*


「……ご馳走様」

 輝夜が神妙にスプーンを置いた。 口の端にカラメルがついているが、気にする様子もない。

「うん、美味しかったあ」

 続いてアレシエル。

「並んでよかったよー」

 そして、由良が食べ終わる。

「今度、できたらまた買ってこようか……さて、と」

「おっと」

 す、と輝夜が伸ばした左手を、由良が軽く抑えた。 

「……てるよちゃん、抜け駆けは由良ちゃん感心しないかなー」

「由良、由良? 何を言ってる。 古今東西、もっとも単純至極な解決法だろう、早い者勝ちというのは」

 だから――と、輝夜の右手が、正面、アレシエルを捉えた。

「念動で引き寄せよう、などと思うなよ」

 デコピンの形を作っている先には、赤毛の少女の眉間がある。

 輝夜は勝利を確信した。 機先を制することができれば、自分の速度に追従できる者はこの場には居ない。

 利き手を抑える由良の手を跳ね除ければ、それで終わる。 後はそれを行うための「機」さえ訪れれば――


*


 ――そして、由良も勝利を確信していた。

 輝夜が動き出すタイミングは手に取るようにわかる。 伊達に長らく付き合っているわけではなく、行動に移る際の予備動作や癖の大体は把握しているという自負があった。 彼女が機先を制して動き出そうとするならば、由良はその先の先を取りにゆける。

 そしてアレシエル。 身体能力はさほどではないが、それを補って余りあるのは高い術士としての能力だ。 しかしそれも、指揮・管制、そして妨害を主とする自分の能力の掌の上。

 既に、術式による行動に対してのカウンターの準備を終えている。 何か仕掛けてくるならば、それはこちらにとっての好機といえた。

 基本はどちらも同じ。 相手の行動をこちらにとっての好機とし、カウンターで決める。

 糸のように細められた目で、由良は冷静に二人を観察していた。


*


 ――アレシエルは、自身の勝利を確信しきれていなかった。

 身体能力、こと単純な速さでは輝夜に劣る。 ステイシスやキネシスを始めとした術式は、恐らく由良に封じられる。

 由良と輝夜をぶつけさせ、漁夫の利を得るという手が考えられたが、現時点では不確定の要素が多い。

 正攻法で勝利がないとすれば、取るべきは搦め手から攻める策だ。 速度と術式、二つの手が封じられている今、唯一使えるそれ。

 すなわち、言葉。

「……ねえ」


*


 輝夜は、アレシエルを見返した

「一度さ、最初に戻そうよ。 それで、公平に決めよ?」

 公平、という言葉に眉がぴくりと動く。

「……どうするつもりだ?」

 姿勢はそのまま、警戒は緩めずに、問い返す。

「そうだねぇ」

 アレシエルは口と両目で三つの弓を作り、

「……じゃんけん、っていうのがいいと思うな、あたしは」

 ふむ、と輝夜は考えた。 由良の表情を横目で見れば、相変わらずの読めない笑顔だ。

 自分にとって、これは悪い提案ではないように思える。 じゃんけん、となれば、動作速度と動態視力に優れる自らの有利は明らかだからだ。

 しかし、アレシエルの意図が読めない。 向こうとて、それがわかっていないわけはないのだ。

 ――とはいえ、この提案が通れば自身の勝利は磐石。 賛成しない手はない。


*


 由良は異議を差し挟もうか考えていた。 一見公平なように思えるじゃんけん勝負だが、その実そうではない。

 『視える』者が、この中にはいるからだ。 対戦相手の手を認識してから、対応する手を出しうる者が、隣に。

 そのことはアレシエルも理解しているはず。 だのに、この提案をする理由は何処に。

 赤毛の少女に勝機があるとするならば――由良は思考する。

 提案が通れば、状況は初期化される。 現在の膠着は立ち消えとなり、新たな場が作り出されるのだ。

 そこでの三者は、ひとまず対等な状況に置かれる。 輝夜はその速度を活かし、後出しと判定されないギリギリのタイミングでの後出しを狙ってくるだろうが――

 由良ははたと思いついた。 輝夜の有利を覆し、状況をこちら側に引き寄せる方法に。


*


 果たして提案は通った。 こちらの額に向けられていた輝夜の手は、今はまた、ソファに座る彼女の膝の上に戻っている。

 由良の表情を見るに、彼女もこちらの意図を理解したらしい。 であるからこそ、一見輝夜有利にしかならない「じゃんけん一発勝負」を呑んだのだ。

 心なしか、その表情には余裕が感じられる。 一方で、輝夜は表情を強張らせていた。 自分と由良の、一挙手一投足をも見逃すまいという気迫を感じる。

 正面から、真っ正直に当たっては、勝負にならない。

「じゃーん、けーん……」

 その時を告げるための言葉を由良が紡ぐのを耳に感じつつ、アレシエルは動いた。

「……あ、あたしパー出すよ」

「ぽんっ」

 

*


 輝夜の動揺は明らかだった。 アレシエルの告げた言葉の意図を測りかねたが故だ。 既に由良とアレシエルは動いている。 自分のすべき事は二人の動作や指の動きからその手を読み取り、勝てる手、少なくとも負けない手を出すことだ。 故にその意識のすべては相手の手元に注がれていた。 そこに投げかけられた言葉。 パー出すよ。 果たして本当にパーなのか。 パーと見せかけて、裏をかいてグーということはないか。 否、裏の裏でやはりパーなのでは。 しかし裏の裏の裏で結局のところグー。 それどころか意表をついてチョキということも。 いや、駄目だ、惑わされるな、とアレシエルの言葉を脳裏から締め出し、輝夜は視覚に全霊を傾注した。 しかし、その眼に映ったのは、既に出揃いつつある手。 しまった、と思った時にはもう遅い――

「はーい、てるよちゃん。 後出しだね♪」

 おどけた由良の声が、彼女には何度も反響するように聞こえていた。


*


「くッ……」

 両拳を握り締めて、慙愧(ざんき)の念に堪えないとばかりにうつむく輝夜を見ると、さすがに由良は多少の罪悪感を覚えた。 後で何か埋め合わせをしないと、とも思う。

 しかし、この場ではこれでよかったのだ。 こうして輝夜の勝ち筋を封じなければ、自分たちの勝機は万に一つも無い。

 残るのは純然たる、運と、読み合い――

 ……とでも思った? アレシエルちゃん。

「それじゃ、次いくよ。 じゃーん……」 

 コールをかけながら、由良は事前に打っておいた布石を動かした。 支援や指揮管制を主とする彼女の術式レパートリーの中には、当然、遠隔地を垣間見るためのものもある。

「けーん……」

 この言葉を起動の言霊として、術式が起動する。 左目の視界に映し出されるのはアレシエルの手元。 その指の動きから手を読み――

「ぽん!」


*


 ……甘いよ由良ちゃん! 

 策士たる由良がただの運否天賦で終わらせるはずがない。 そう予感していたアレシエルは、さらに手を打っている。

 彼女の術式は起動に言霊を必要としない。 発動するのは固有時操作を行う術式ステイシスだ。

 これで由良より”遅く”動き、由良が出してくる”こちらに対応した手”にさらに対応する手を繰り出せばよい。

 最初はチョキを出す素振りを見せた。 ならば由良はグーを出すはずだ。 だから、

 ……あたしは、パー!


*


「嘘……!?」

 由良の手は、チョキだった。 アレシエルの表情は驚きに支配され、差し出したパーの手がわなわなと震えている。

「由良の読み勝ちか。 しかし、二人ともなあ……」

 二人の駆け引きを間近で見ていた輝夜は呆れ顔だ。 彼女自身、スピードにものを言わせた後出し戦術に奔ろうとしていたのだが。

「よーうし、それじゃコレはわたしのもの、だねー」

 喜色満面に、テーブルの上のプリンを手にとる由良。

 ――その瞬間、玄関の鍵が回り、ドアが開く音がした。

 家の借り主たる御神楽紫苑の、帰宅を告げる号鐘だ。


*


「ただいまーっと」

 帰宅を告げた紫苑が玄関で靴を脱いでいると、すまし顔ながらも尻尾をぶんぶんと振る輝夜が現れた。 

「お帰りなさいませ。 アレス殿はどうされたのですか」

「ちょっと荷物を受け取ってもらいにね」

 などと会話しながら脱いだ外套を渡し、内外の気温差で眼鏡が曇るのを煩わしく思いながら、いつものように堂々とリビングへと踏み込む紫苑。

「外はもー寒い寒い……あ、紅茶淹れたのね。 私の分ある?」

「は、その……」

 問われた輝夜が二の句を告げる前に、紫苑の紅い視線が一点を見据える。

「あ、それ、ラ・ブロワのクリームブリュレじゃない。 食べてみたかったのよね」

「え、あ」

 対する由良はしどろもどろだ。 その様相に脳裏で疑問符を浮かべながら、紫苑は言葉を続ける。

「ってか良く買えたわね、すぐ売り切れちゃうのに。 確か一箱で四個入りだったっけ?」

「ええ、はい」

「じゃあそれは私のよね、ありがと」

 感謝を笑顔で告げると、由良は一瞬ためらうような所作を見せたあと、す、とそれを差し出してきた。

 違和感を覚えて横を見れば、輝夜が苦笑いをしている。 ソファに座っているアレシエルは、噴出すのを懸命にこらえているようだ。 そして由良の諦念に満ちた表情と所作。

 ……ははあ。

 全てを察し、にやり、と紫苑は笑うと、由良の手から受け取ったプリンを見せびらかすように顔前に掲げ、

「後でアレスと半分ずつ食べようかな。 あーん、ってやったらあいつ嫌がるかしら、ステキねえ」

 言いながら、これ見よがしに頬ずりしてみせた。

 

*


「……そんな事があったんだ」

「リビングでプリン片手に迫られたのはそーいうワケか……それにしてもだ、お前ら」

「ん?」

「三人共犯になって全部食っちまえばよかったんじゃねえか」

「……!!」


お久しぶりです、てるよふです。

とりあえず、しばらくはこんなノリの短編・掌編を不定期で投稿していこうと思っています。

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