下忍が異世界で灯した火
下忍が久し振りに帰って来た自宅は、彼が今まで経験した事がない賑やかさと華やかさに包まれていた。
何しろ権蔵以外の四人は女性で、その全員が平均よりも整った顔立ちをしている。
そんな他人が聞けば羨む様な環境にも関わらず、家主の権蔵は黙々と忍び道具の手入れをしていた。
華やかなになった家の空気に馴染めない権蔵は誰からも話し掛けられない様に、無言で忍び道具の手入れを続けていく。
しかし、彼の精一杯の照れ隠しを、いとも簡単に破って見せた者がいた。
義姉のプリムラである。
プリムラはしかめっ面をしている義弟の鼻先に一枚の皿を突きつけた。
「ゴンちゃん、見て!ミータちゃん料理が凄く上手なんだよ。このラム肉のレモン煮美味しそうでしょ」
プリムラはミータが義弟お嫁さん条件の一つをクリアしたのが、余程嬉しいらしく満面の笑みで料理を誉めまくっている。
「そんなお世辞は止めて下さい。猫人は肉料理を良く食べるから慣れているだけです」
一方のミータは余りに騒がれた為か、恥ずかしそうに顔を伏せた。
雪の様に白い頬は朱に染まり、どこか冬の日の万両の実を思わせた。
ミータは顔を伏せながらも権蔵の反応が気になるのか、上目遣いでチラリチラリと権蔵を見ている。
「肉料理ですか…てっきり猫人は魚が好きなもんだと思っていたんですけどね」
これは権蔵の思い違いであり、猫だけでなくは猫科の生き物は魚より肉を好む。
日本では仏教の広がりと共に肉食が禁じられた。
牛や馬の四本足の生き物は農耕に使われていた事もあり、日本では猫に肉が与えられる事がなくなったのである。
「へっ?猫人も猫もお魚よりお肉の方が好きなんだよ」
「俺の国にいる猫は魚を好むんですよ。所変わればってやつですかね。まあ、四本足は食べてはいけないって決まりがありましたし。それよりテクトーンの事を教えてもらえますか?」
お館様が熱心な仏教徒であった為、権蔵も肉を食べる機会は少なかった。
「テクトーンはタキトゥスの森の南にある鉱山町。テクトーンは旧い言葉で大工って意味なの。その名前の通り、大工さんや石工さんが大勢住んでるんだよ」
「それとテクトーンの山にはシデリティスが生えてるんですよ。薬師として見逃す訳にはいきません」
シデリティスは山地に生えるシソ科の植物で、乾燥させた物をお茶にして飲む。
体調を整えたり風邪を予防する薬効がある為、薬師の必需品と言われている。
「あの…俺が一人で行くのは駄目ですかね?」
「駄目。ゴンちゃんは薬師のミータちゃんの護衛としてテクトーンに行くんだよ。ゴンちゃんはタキトゥスの森を馬車で抜ける腕はないでしょ。馬車を使わずに石材や鉱石を買い付ける商人なんて怪しまれるだけだよ」
クオレならの腕ならタキトゥスの森を馬車で抜けるのも可能であるかもしれないが、妹エルバから引き離すのはまだ時期尚早であった。
「しかし、タキトゥスの森は地面を歩くより木を伝って行った方が早いんですよ」
「それならミータちゃんをおんぶして行けば良いでしょ…あっ!!ゴンちゃん、さてはミータちゃんと二人で旅をするのが照れ臭いんだな」
忍びとしての接するなら女性を何とも思わない権蔵であるが、素の権蔵は女性に対して奥手なのだ。
何しろ下忍の権蔵はではなく、素の猿人権蔵になれたのはガイアに来てからである。
そして権蔵を義弟でも忍びでもなく、一人の異性として意識したのはミータが初めてなのだ。
それに感づいた義姉の計画に権蔵は見事にはめられたのである。
「照れ臭い?俺は尻の青い餓鬼じゃないんですよ」
尻の青いと言いながら顔を赤くする権蔵。
赤銅色に日焼けした権蔵が顔を赤くすると、秋に真っ赤な果実を実らせたリンゴの木の様であった。
――――――――――――――――
権蔵とミータが家から出ようとしたのは、まだ空が白み始め五つ時の鐘が鳴る頃であった。
空には雲一つなく、日中は気温が高くなる事が容易に想像出来た。
権蔵は厚手の布の服を着て、大きめの頭陀袋を肩に担いでいる。
一方のミータは麻布で作られた薄茶色のローブを着ていた。
尻尾をローブの中に隠して、フードを目深に被っているから、彼女を猫人と判断するのは難しいだろう。
「そう言えばまだ名前を言ってませんでしたね。俺の名前は権蔵です、姓はありません」
「私の名前はミータ・アルティーリョです。ゴンゾウさん、道中よろしくお願いします」
「ええ、家を出たら俺は貴方の護衛ですので」
ミータは旅に出て驚いた事がある。
それは権蔵が家を一歩出た途端、見事なまでに護衛に化けた事である。
いや、化けたと言うのは正確ではないかもしれない。
何故なら権蔵自身が護衛を請け負った冒険者に成りきっているのだから。
権蔵はミータの歩調に合わせながら歩みを進める等、事細かに気を使っていた。
「アルティーリョ様、疲れていませんか?もう少し行ったら木陰あるので、そこで一休みしましょう」
顔に柔和な笑みを張り付けた権蔵がミータ話し掛ける。
その姿は、どこから見ても護衛の依頼に慣れた冒険者にしか見えない。
「私はまだ大丈夫ですが」
「今日のように暑い日は体力の消耗が激しいんですよ。まだ大丈夫だって時に休んで下さい。タキトゥスの森はまだまだなんですから」
そう言って微笑む権蔵の表情は優しかったが、ミータはどこか寂しさを覚えていた。
―――――――――――――――
タキトゥスの森に着いたのは家を出て五日後の事であった。
権蔵は頭陀袋から厚手の紐を取り出しながらミータに話し掛ける。
「お嫌かも知れませんが俺の背中に乗ってもらいます。紐は木に登った時に落ちない為ですので」
「私は猫人ですから、着いていけると思いますよ」
普通、権蔵逹猿人よりミータ逹猫人の方が身体能力に優れている。
そう、普通ならば…
ミータは目を見張る思いであった。
権蔵の首に手を搦めた瞬間、今まで味わった事がない浮遊感に包まれ、気づいた時には真っ青な空が広がっていたのだ。
「何かあったら教えて下さいね…動きますっ」
権蔵はそう言うと、次々に木々に飛び移っていく。
五分位経った頃だろか、ミータが権蔵の胸を手で叩いた。
「どうしました?具合でも悪くなりましたか?」
「ゴンゾウさん、あの白い花が咲いている木に行ってもらえますか?あれはアーモンドの花なんです!!実が薬になります。それとあの赤い実と隣の木の葉っぱも取りたいです」
口早に捲し立てるミータの顔は活き活きと輝いている。
「良いですよ。その代わり、俺にも薬効を教えて下さいね…アルティーリョさんは高い所は怖くないんですか?」
「こんな素敵で楽しいお散歩ならいつでも大歓迎です!!ゴンゾウさんは次はあの木にお願いします」
その日、下忍の心に本人も気付かない小さな小さな恋の火が灯った。




