静寂の森
薄暗い樹海の中、クロトは一人、目を閉じていた。
樹海は異様なまでの静けさで覆われており、ただクロトの呼吸音だけが聞こえていた。
そんな静寂に溶け込むようにクロトは、呼吸音を消した。
息を止めた、訳ではない。意識的に意識を限りなく『無』近づけ、自分という存在を背景と同化させる。
それは湖を覆う薄氷の上に立つような、一瞬で壊れてしまうそんな危うさがあり、だからこそ感じるものは『在る』という存在の気配だけ。
そして、その気配が一瞬揺らいだのをクロトは見逃さなかった。
流れるような動作でホルスターから拳銃を抜き、安全装置を外して気配が揺らいだ所へと銃口を向ける。
そのまま発砲しようと引き金に指を掛け……
「お、おいっ! 待て、待てって!! 分かった、分かったよ、俺の負けだっ、クロト!!」
だが、弾丸の代わりに出たのは溜息だった。
「……遊ぶのもいい加減にしろよ、ナギ」
銃口を向けられて草むらから這い出た明るい金髪の少年、ナギ・リンセントは冷たい目で自分を見下ろす同僚へと精一杯の笑顔を作って見せた。
「いや……だってさ。なんか、こう…クロトのこと脅かしてみたくなったんだよ」
「脅かしてみたくなったって……」
呆れと二度目の溜息が込み上げてくる。
そして、ナギに対して呆れたのは、どうやらクロト一人ではなかったらしい。
「馬鹿ね、アンタがクロトに敵うわけないじゃない」
「うぉっ!? り、リーフェ!?」
いつからいたのか、ナギのすぐ真後ろに焦げ茶色の長髪を二つに纏めた少女が立っていた。
「久しぶりだな、リーフェ。いつからそこに居たんだ?」
クロトがそう問い掛けると、リーフェはぷいっと顔を逸らし、「気付いてたくせに……」と小さく呟く。その様子にクロトは苦笑した。
「いやいや、本気で気付いてなかったって。リーフェが出てくる直前にようやく気付いたんだよ」
本当にその通りだった。クロトが読み取れた気配はその時クロトを驚かそうとして狙っていたナギのものだけで、リーフェの気配にはまるで気付いていなかった。
だが、リーフェはあまり納得がいかないらしい。あからさまという程でもないが、少し不機嫌だ。
「まあ、いいわ……。久しぶり、クロト」
「おう、何ヶ月ぶりだっけ?」
……と、そんな二人のやり取りを
忘れられる形で放置されていたナギは、「何だかなあ……」と零した。
*
「て言うかさぁ、やっぱりクロトはすげえよ」
突拍子もなくそんなことを言い出したナギに、任務の説明をしようとしていたクロトは顔を顰めた。
「なんだよ、いきなり。煽てても何も出ないぞ」
「いや……そんなんじゃなくてだな、ほら……クロトの索敵の精度を改めて思い知らされたというか……」
その言葉を聞いて、本日何度目かの溜息を吐いたのはリーフェだった。
「何今更な事言ってるのよ。クロトは感覚特化型の狩人なんだから当たり前でしょ」
「う……まあ、そうなんだけどさ。あーあ、何で狩人は二タイプに分かれるんだろうなー……」
「分かれるのはウイルスが投与した人間に適応しようとするからだろ?」
クロトが答える。
肉体特化型と感覚特化型。
この二タイプに狩人は分類されている。
肉体特化型は、その名の通り筋肉や内臓などの肉体構成や治癒能力の向上が顕著に表れる。
それに対し、感覚特化型は第六感、物や生き物の持つ気配に敏感になる。
なので狩人の戦闘スタイルはどちらのタイプなのかによって大きく変わる。
例えば、クロトの銃火機主体の戦い方は典型的な感覚特化型の戦闘スタイルだし、剣などは肉体特化型の戦闘スタイルだ。
つまり近距離戦闘か、遠距離戦闘かという部分が肉体特化型と感覚特化型の戦闘スタイルの違いというわけだ。
「肉体特化型と感覚特化型、と言えばさ……」
クロトとリーフェが顔を見合わせる。
「特異体、って知ってるか?」
「……特異体って、アレでしょ?」
リーフェがゆっくりと口を開く。
「ああ、肉体特化型と感覚特化型、両方の特徴を持つ狩人……。実際に居たらすごいんだろうな……」
「そんなの……ただの夢物語よ。人間の身体が耐えれないもの」
吐き捨てるようにリーフェが言う。
「ほら、無駄話はここまでだ。いい加減、任務の説明に入るぞ」
その話を遮るようにクロトは二人に言う。だが二人はまだお喋りを続けている。
クロトは灰色の空を見上げ、唇を噛み締め、
「……特異体、か」
誰にも聞こえない程の小さな声でそう呟いた。