第3話:痴漢
これは新宿歌舞伎町で、好きでもないオトコたちに身体を売る、交縁少女たちのリアルな物語…
何かが上に載った重みで、莉央が目を覚ました。
ブラウスがはだけてブラジャーが外され、スカートを履いてはいるが下着が脱がされている…
どうにかしようとするも、身体が思うように動かない。
焦点が定まると、何者かに馬乗りされているのが分かった。
…やめて――
口は動くが、声が出ない。
股間が手で弄られている気持ち悪さに、ただ怯えるしかない…
…いやだぁぁ――
次の瞬間、下半身に耐え難い激痛を感じてしまう。
「――ヒイイィィ~ッ?!」
般若の表情で大声を発した莉央は、抵抗すべく四肢へ渾身の力を込めて、もがこうとするが…
抵抗空しく力づくで、押さえつけられてしまう――
ヤメてぇー!!…、ヤメてえぇェェ…――
けたたましい音で、ハッと目が覚めた。
手探りで目覚まし時計を探り当て、極めて耳障りな音を消す。
また、あの夢だ…――
パジャマを着た上半身を起き上がらせ、ぐったりと俯いている莉央。
トラウマとなっている情景が、フラッシュバックして何度も夢に出てきてしまうのだ。
スリッパを履いた莉央は、眠い眼を擦りながら身支度をするべく、ダルそうに洗面所へと歩いて行った…
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登戸駅で各駅停車を降りた高校の制服姿の莉央は、対面ホームへ到着した快速急行へ乗り換える。
平日朝ラッシュの小田急線上りは、相当混雑するので気が重い…
高校最寄りの下北沢までは快速急行で10分弱だが、押し合いへし合いの混雑覚悟になる。
空いている各駅停車や、最後尾の女性専用車へ乗れば痴漢に遭う心配はないが…
そんな変態男のために、不自由な思いはしたくない。
案の定、快速急行は身体が触れ合う大混雑で、莉央は肩掛けリュックを前に抱えて、座席仕切りのポール前でポジションをとる。
ドアが閉まり、電車が走り出した…
窓を快調に流れる景色を、ボーッと見ていると…
成城学園近くのトンネルに入った辺りで、スカートの上から尻を触られているのに気付いた。
――きたか…
トンネルを抜けて高架へ上がっても、触りは止まらない。
徐々にスカートが捲り上げられ、パンティーの縁に何かが触れた。
たぶん、痴漢の指先だろう。
――この…
莉央が、チャンスを窺っている…
経堂を通過する頃、パンティーの上から尻が触られている感覚が始まった。
梅が丘を通過、尻が揉まれ――
――いまだ!
「痴漢です」
莉央が右手で痴漢の腕を摑んで、引っ張り上げる。
痴漢は懸命に引き抜こうとするが、莉央は腕を離さない…
「――こいつか?」
隣で立つ青年が、もがく痴漢の両肩を押さえつけた。
列車はトンネルへ入り、ゴォーと騒音が車内に響き渡る。他の乗客たちも、痴漢を取り押さえにかかってくれている。
間もなく下北沢だ…
「な、なにもしてねえって!」
青年と男性乗客に両脇を抱えられたスーツ姿の男が、駅のホームでわめき立てている。
周囲は騒然となり、莉央は人だかりの外から様子を見ている。
「大丈夫ですか?」
男性駅員の問い掛けに、莉央が無表情で頷いた。
「何もしてねぇんだって!」
押さえつけられながらも暴れる男と、莉央の視線が合った。
「――こ、こいつ…」
両眼を見開いて、凝視してくる男。
「こいつ、立ちんぼだぞ!援交オンナだっ!」
すごい力で暴れるので、男を取り押さえている青年が顔をしかめている。
――こんなヤツ、いたっけ?…
不特定多数の男と寝た莉央だが、顔をイチイチ覚えているワケがない。
「こ、こいつは、大久保公園でオトコを――イテテッ?!」
「だから、何だ?」
男の背後からアームロックを極めて、青年が言い放った。
「彼女がどうだろうと、おまえが痴漢をしたことに関係ねぇだろうが!」
制服警官二人が駆けつけ、男の両脇を抱えたので、青年は解放された。
「お話、聞かせてもらえるかな?」
呼びかけてきた制服婦人警官のあとを、莉央がついて歩いて行った…
「ごめんね、終わりだから」
莉央の制服スカートを捲り上げて、パンティーからセロハンをはがした婦人警官が告げた。
セロハンを付着させたのは、痴漢の男由来の微物を採取するためだ。
爪垢だろうが皮膚片だろうが、ほんの僅かでも検出されれば、動かぬ証拠になる。
既にスカートの表と裏は採取していて、パンティーで終わりというワケだ。
下北沢駅の女子更衣室で婦人警官と正対して立つ莉央が、イラつきながら両手でスカートを整えている。
――ダリいなぁ…
痴漢被害に遭うのは慣れているとはいえ、これから所轄の警察署で調書をとられるから、長時間拘束されてしまう。
痴漢は女性に心理的被害ばかりか、時間的損失まで与えてしまうのだ。
婦人警官に続いて女子更衣室を出た莉央は、駅舎の廊下で先ほどの青年とすれ違った。
事務室で警察官から、事情聴取されていたようだ。
すれ違いざま、青年が会釈してきたので、莉央も軽く会釈を返した。
立ち止まった青年は振り返ると、これから警察署に向かう莉央の後姿をジッと見つめていた…
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「おぉ~い、莉央ぉ~」
教室の後ろの席で、向き合って座る二人の女生徒の片方が、中へ入ってきた莉央を見つけて、手を大きく振っている。
「また、ケーサツ?」
もう片方の女生徒が、訊いてきた。
「サイアクだったやん」
「もう、慣れた」
冷めた返事をした莉央が、自分へ手を振ってくれたオリーブベージュカラーでフェミニンセミロングヘアの、田澤愛莉の隣へ座る。
「莉央はビショヘン高ぇから、痴漢にモテんのよねぇ~」
「ウザっ、そぉゆーの…」
冷やかす愛莉に、冷たい視線を突き刺す莉央。
「メシ、食った?」
間もなく昼休み終わりの時刻になる教室の壁掛け時計を見て、もう片方の女生徒、ボルドーカラーでレイヤーボフヘアの柴田葉月が、訊いている。
葉月の制服袖口の左手首には、リストカットの跡を隠すための、黒の編みバンドブレスレットが…
「ウン、松屋…」
「うっわ、おぢが染み付いてんじゃんかぁ」
顔をしかめて言い放つ愛莉へ、
「――せぇなぁ…。愛莉だってヨシギュウばっかなクセに」
睨みつけて言い返す莉央。
「しゃあないじゃん!あたしら、おぢ、ケッコウ乗っけてんから!」
キャハハハと三人で一斉に笑うと同時に、昼休みの終了を告げるチャイムが、教室で鳴り響いた…
ここ私立北澤高校は、不登校であったり素行不良であったりと何らかの問題を抱え、何処の高校でも受け容れられなかった女生徒たちが集う学び舎だ。
男子生徒の眼を気にすることがない環境なので、開けっぴろげなJKライフが展開されている。
とはいえ、午後の授業が行われている教室の机は、全て埋まっているわけではない。
相当な数の欠席があり、授業を受けている少数の生徒も机へ突っ伏して寝ていたり、スマホをいじったり等々の燦々たる状況だ。
高校は下北沢駅南西口そばの高層ビルに入っていて、教室の窓からの眺望は仲々のものだ。
机に頬杖をついている莉央は、窓から外の景色を眺めつつ教師の授業を、右から左へと受け流していた…
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そして週末金曜日の夜、莉央は愛莉と新宿歌舞伎町へ来ていた。
莉央は、黒キャミソールの上に白のシーアシャツを羽織り、黒ハーフパンツとレザーブーツでキメて、
愛莉は、ストライプシャツの上にグレーのスウェットをレイヤードして、黒のショートパンツに厚底ダットスニーカーでキメている。
二人は、新宿東宝ビル西側のシネシティ広場で知り合った。
いわゆる、トー横キッズだった。
莉央と愛莉は東宝ビルの西側を歩いているが、そこでたむろす少年少女たちの中に知った顔はいない。
ODをしているのかフラフラしている少年たちを、横目に歩く二人…
※ODとは、医薬品の過量摂取をして酩酊を目的とする危険行為である
トー横キッズは、入れ替わりが激しい。
犯罪に巻き込まれたり、警察の補導が頻繁にあったりと、彼ら彼女らが安らぎの場として辿り着いた場所なのだが、ここは諸行無常である…
二人は歌舞伎町交番を左に見て、区役所通りへと入った。
――あれ?…
反対側から歩いて来る人混みの中の、年が不釣り合いのカップルに、莉央は眼を留めた。
――葉月だ…
葉月が腕を組むスーツ姿の、父親といってもおかしくない年頃の男が、パパということか。
まさか出くわすとは…
葉月は中年男性との話に興じていて、こちらに気付いていないよう――
いや、気付いてんな…
莉央と愛莉は前を向き、そ知らぬ顔をして葉月たちとすれ違って歩いて行った…
そして二人は、きらびやかなネオンが周囲を照らす雑居ビルの前で、足を止めた。
道路に面した階段を上がり、高級感を醸し出す重い扉を押し開ける。
「いらっしゃいませぇ~!」
若い男性たちの威勢のいい声が、二人を出迎えた。
店内中央に垂れ下がる巨大な紫のシャンデリアの傍らから、いかにもという風情のスラリとした二人のホストが、莉央と愛莉の前へ進み出た。
「ようこそ、お姫さま」
二人のホストは片膝をカーペット敷きへついて、ナイトが姫を出迎えるような仕草をしている。
莉央は、ネイビー地にライトブルーの模様が入るロングシャツを着て、ダメージジーンズを履くホストと視線を合わせた。
ホストの源氏名は、翔琉。
莉央と翔琉は視線を絡み合わせながら、微笑み合っていた…




