第11話:誤算
これは新宿歌舞伎町で、好きでもないオトコたちに身体を売る、交縁少女たちのリアルな物語…
莉央と愛莉が、それぞれの相手と逢瀬を重ねていた頃より少し前――
葉月はパパ活相手の"おぢ"と、新宿某高級ホテル最上階のレストランで食事をしている。
――キャビアって高いらしいけど、あたしはイマイチだなぁ~…
――べつに、あたしが払う訳じゃないから、いいんだけどぉ…
「どう?」
「――え?」
ふいに、対面で座る"おぢ"から話し掛けられた。
「おいしいかい?」
「――う、うん…」
葉月は葉月なりに、"おぢ"へは気を遣っているつもりだ。優しくされるのだから当然だという、葉月なりの道徳だ。
正直、好きでもない相手へ気を遣うのは、しんどいこともあるが…
葉月が上目遣いで、テーブルの対面に座る"おぢ"を見る。頭が禿げ上がった、眼鏡顔の冴えなさそうな中年オヤジ…
「――今日は、27階に部屋を取ってあるから」
中年オヤジが、自分の財力を誇示するかのように話す。
「27階?」
「そう。このレストランの、すぐ下だよ」
葉月が妖艶な笑みを返すと、オヤジは満足そうにウンウン頷いた。
嬉々とするその顔には、食事を終えたら若い娘を抱けるという下心が、モロに浮き出ているように見えるが…
――別にいっか…、優しくしてくれんのなら…
葉月がパパ活をするのは、相手の"おぢ"はカネヅルでもあるが、優しさを与えてくれるからだ。カネヅルは多い方がいいし、おまけに優しくしてくれるのなら、容姿にはこだわらない。
小学生の時に、自分は変態野郎から汚された汚い身体なんだという、歪まされたコンプレックスが、身体目当ての男たちを許容させているのだろう。
メンコンの推しメンに会うための資金稼ぎを兼ねた、割り切ったパパ活なのだ。
上っ面でしか過ぎない笑顔で会食している二人のことを、少し離れたテーブルに座る中年男性が、遠目で睨めつけていた…
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それから少し時間が経過した、新宿区西新宿に在る新宿中央警察署――
不夜城である歌舞伎町を管轄する中央署は、24時間休まる暇がない。
少年課女性刑事、係長の藤村智美は、今日は当直だ。
「おらぁ!離せってんだよッ!!」
歌舞伎町の路上で乱闘をしていた少年たちが、警察官に連行されてきた。
ノートパソコンをパタンと閉じた藤村が、仏頂面でダルそうに席を立つ。
少年たちの年齢は、15.6歳というところか。
連行されて押さえつけられても、ジタバタ暴れる金髪少年の前に、藤村がスッと立った。
少年は額から出血していて、顔面血まみれだ。
「――ンだよッ、オバハンッ!」
――オバハン?!(꒪Д꒪)…
押さえつけられている少年へ、藤村が前屈みになって顔を近づけた。
睨み合う藤村と少年を、押さえつけている二人の警官がオドオドして見ているが…
すると藤村は、膝丈タイトスカートのポケットから、ハンカチを取り出して少年の額を拭ってやった。
付着する血を拭われた少年は、痛みで顔をしかめつつも、キョトンとしている。
「暴れたってさぁ、なぁんも解決しないんだよ」
「………」
「もっと違うとこで、エネルギー使いな」
藤村が少年の額を、ピンッとデコピンした。
「――?!てめえッッ!」
警官たちを振りほどこうと暴れる少年の頭を、藤村が上から右手でグッと押さえつける。
強烈な力で押さえつけられた少年は、身動きが出来ずに絶句してしまう。
やがて少年の顔が、徐々に青ざめていった…
おとなしくなった少年は、スゴスゴと保護室へと連れて行かれた。
――ダリぃなぁ~…
ウ~ンと藤村が、大きく伸びをしている。
――まぁだ、調書をまとめてないのに、まぁた調書かよぉ~…
悲しき当直の宿命に、椅子へ座り直しながら藤村が、首を左右へカクカク動かしていた…
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「智美ィ~」
警察署の受付カウンター越しに、五十嵐が右手を振っているのが見えた。
ノートパソコンを閉じた藤村が、笑顔で席を立った。
「肉まん買ってきたぜ」
笑顔の五十嵐が、レジ袋を差し出した。
「ありがとぉぉ、なんも食べてないのよぉ~」
嬉しそうに藤村が、レジ袋を受け取っている。
「だと思ったよ」
「うん、さすが!」
ニコニコ笑い合う二人は、愛おしそうに視線を絡み合わせている。
五十嵐と藤村は、恋人同士なのだ。
「シネシティ広場で乱闘おっ始めたから、俺が通報したんだ」
「無茶して、怪我しないでよぉ」
「やめろって言っても、あいつら、聞かなくてさぁ…」
「――なんか…、あった?」
「え?」
見透かされたように言われた五十嵐が、ハッとしてしまう。
「顔が疲れてる」
「――智美には、敵わねぇな…」
夜間の受付カウンターは照明が落とされて薄暗く、出入りする人の姿もまばらだ。
その中で立ち話をしている、五十嵐と藤村…
「――そんなことが…」
駆琉と久しぶりに対峙した時のことを、五十嵐が洗いざらい話した。
「嘘でも妹だって言われちゃあ、どう仕様もねぇしさぁ」
「――どうしてその娘は、芹澤にくっ付いてるんだろ?」
「分かんねぇけど、多分OD中毒にさせられて…」
話の途中で、五十嵐がふと首をかしげた。
「――そんなに俺…、疲れた顔してた?」
「うん」
「やっぱ、齢なのかなぁ?」
「え?」
「あれから五日経ってるのに、ショックが残ってたなんてさぁ」
「なに言っちゃってんの。まだ31じゃんよ」
冷やかした藤村が、宙へ視線を向けた。
「そんな酷いこと目の当りにしたら、あたしだって引きずって――」
ビイイィィッ!ビイイィィッ!
突然スピーカーから、けたたましくブザーが鳴り響き、二人はギョッとしてしまう。
『警視庁指令、警視庁指令』
「ごめん!出動だ!」
藤村が五十嵐に、右手をかざして走り出す。
――…出動ぉ?
踵を返した五十嵐も、慌ただしく署の玄関を出て行った…
『西新宿2丁目、エグゼクティブホテル27階で立てこもり』
藤村が覆面パトカーの助手席へ乗り込み、バムッ!とドアを閉める。
『立てこもり犯は、刃物所持、人質がいる模様』
ウウウゥゥゥーー…
サイレンと共に、覆面パトカーが走り出す。
『繰り返す、西新宿2丁目、エグゼクティブホテル27階で立てこもり――』
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場面は変わり、西新宿2丁目、エグゼクティブホテル27階のと或る一室では――
男がハァハァとベットの端に座って、膨れ上がった腹の息づかいを落ち着かせている。
その傍らでは、一糸纏わぬ姿でベットに横たわる葉月が、呆然と部屋の天井を見つめている…
「――ナカに…、出してやったからなぁ…」
葉月の眼元から、涙が一筋ツーっと流れ落ちた。
「これでお前は、オレの子を――」
ううぅッと葉月が、嗚咽を始めてしまった…
「――お前よぉ…」
嗚咽している葉月には構わず、男が話を続ける。
「ナナミっての、偽名なんだろ?」
葉月の嗚咽が、ピタッと止まった。
「オレから、散々カネを巻き上げといてよぉ――」
男が右手で、葉月のボルドーカラーの髪を、グッと鷲摑みにした。
無理やり頭を持ち上げられた葉月の、痛さでしかめる顔が青ざめている…
「調べたんだ、お前がほかに男がいることとか…」
男が顔を近づけて睨むので、葉月が懸命に眼を逸らせている。
「お前が、北澤高校の2年生って事とかぁ…」
葉月の表情へ、次第に絶望感が漂い始めた…
――ドンドンッ!
突然、部屋の扉がノックされたので、中年男が扉を睨みつけた。
「何だッ?!」
「警察だっ!開けなさいッ!」
「お前は包囲されている!人質を解放して、投降しなさいッ!」
扉越しに怒鳴る警察官たちの声を聞いて、男が表情を歪めた。
――助かったあぁ…
安堵した葉月を放り出して、男が部屋の窓へと歩いて行く。
22階の窓越しに外を見下ろしている、バスタオルを腰へ巻いただけの中年男…
ホテルの周囲は、赤い回転灯を燈す無数の警察車両に取り囲まれている。
その光景を見た男が、呆然としている…
「――…ク、ク…、クククゥゥ…」
男の背中が、小刻みに揺れ始めた。
「――終わ…、終わりだぁ…」
振り返った男が、歪んだ何とも不気味な笑顔をしている。
それを見た葉月は、背筋が凍るのを覚えて、ゾクッと身震いをしてしまう…
「――終わり…、終わりだぁぁ…」
ユラユラと揺れ歩いて、中年男が葉月へ近づいて来る。
「――フハハハァ…、終わりだ、終わりだぁぁ…」
表情を凍らせている葉月は、起き上がって布団で身体を隠したものの、恐怖で身体が動かない…
――ドンドンドンッッ!!
「開けなさいッ!開けなさいッッ!!…――
★
「どう犯人から、脅迫されたのですか?」
ホテルの周囲へ張られた規制線の中で、藤村が110番通報をした中年男性から話を訊いている。
「いやぁ…、私が彼女と部屋へ入ろうとしたら――」
葉月とレストランで食事をしていた、頭が禿げ上がった眼鏡の中年男性が、身振りを交えて説明している。
「いきなり包丁を突き付けやがって、お前は下がれって脅して、彼女と部屋に――」
――カノジョねぇ…
ホテル廊下の監視カメラで、人質は若い女性と判明している。
こんな冴えない中年オトコと、釣り合う訳がない…
どうせパパ活なんだろと、疑心暗鬼でいる藤村が、手帳へメモを取っていると――
ガッ!シャアァァンッ!!
「ガラスが落ちてくる!離れろ!」
叫び声を聞いた藤村が、ホテルを見上げながら走り出すが――
同じ頃、現場規制線の外では、詰めかけている大勢のヤジ馬に混ざって、五十嵐が現場の高層ホテルを遠目で見ている。
――あれ?…
ホテル27階の窓のひとつから、キラキラ光るものが落下しているのが見えた。
――なんだ?
続いてその窓で、小太りの人物らしい黒のシルエットが浮かびあがり――
「――うわぁッ?!」
五十嵐が叫ぶと同時にシルエットが、宙へダイブした。
男が落下する様を、見ている場所は違えど、唖然として見上げている五十嵐と藤村――
二人の眼には男が落下する様子が、スローモーションのように映っていた…




