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ラムデ


 青空高く、ハゲタカがゆっくりと舞っている。それを見上げていたラルンはまたつまづき、慌てて体を起こすと前をゆくシュグの背中に目をやった。

 二人はいま、この前いった湖とは高い山を挟んで反対側にある谷を歩いていた。緑深い湖のほうとはうって変わって、こちらは木どころか草一本も生えていない乾いた景色が広がっている。

「ねえシュグ」

 いつものように目的地も言わず、先を進むシュグにラルンは呼びかけた。

「よくジンさんの監視から逃げられたね」

 シュグはふんっと肩を怒らせ

「ジンの監視なんてどうってことないね。俺にしてみればザルだよザル」

 そう言い名が、二週間もラルンの所に来なかったところを見ると、そう簡単でもなかったのだろう。

「ねえシュグ」

 こりずにハゲタカが舞うのをながめ、またラルンが呼びかけた。

「シュグも鳥になりたいって思ったことある?」

 しばらくしてシュグが答えた。

「毎日思ってるさ」

 でこぼこの砂利道を踏みしめる、大きくはないその後ろ姿をラルンは何も言わず見つめる。

 本当は今度シュグに会ったらもう身代わりはできないと言うつもりだった。けれどもいざシュグを目の前にすると、やはり言い出しにくかった。

 頭上では相変わらずハゲタカが円を描いている。

(王様でも…鳥になりたいんだ)

 シュグと自分は身分も性格も全く違う。けれど、どこか似ている気がする。だからシュグの力になりたいと思った。けどこのままニーラや母さんに秘密を抱えたままでいるのも、ラルンには苦しかった。

「あそこだ」

 言うなりシュグが岩山の斜面を駆け登りだした。

「だ、だめだよシュグ」

 その先に何があるか気づき、ラルンは慌てて後を追う。

「そこは賢者の穴って言って、偉いお坊さんが何百年もそのなかで修業をしてるんだ…邪魔しちゃだめだよ!」

 聞いているのかいないのか、シュグはみるみる斜面を登ってゆき、中腹にある穴へとたどりついた。穴といってもその入り口は大きな岩で塞がれており、横のほうにだけわずかな隙間が空いている。

 そこからなかを覗くシュグに駆け寄ったラルンは声を潜めて

「だめだってばシュグ、罰があたるよ」

「おいラムデ!起きてるか!」

 逆にシュグは大声で怒鳴った。

「修行とか言ってお前実はひたすら寝てるだけなんだろ!たまには起きろこの怠け者!」

「シュグ!」

 ラルンは思わず手を合わせる。そのとき頭上にさっと影が差した。さっきまで空高く舞っていたハゲタカが、鋭い爪を立て急降下してくる。

「うわあっ」

 二人はそろって飛び退いた。ハゲタカはそこへ悠々と舞い降りると、穴を塞いでいる大岩の上へ羽を落ち着けた。とたんに穴のなかから高い笑い声が響いた。

「見たか小鬼どもめ。神聖な静寂を破った天罰が下ったぞ。よくやったルガル」

ルガルと呼ばれたハゲタカは、自慢げに細長い首を伸ばして見せる。「おい」とシュグが忌々しげに近寄り

「邪魔すんなよ!俺はラムデに話があって来たんだ!」

「キエエエッ」

 ルガルに大きなくちばしで威嚇され、シュグはびくりと足を止めた。

「クティン・ラパの再来も鳥は苦手と見える」

 穴のなかからからかうようにラムデが言う。

「二人とも…知り合いなの?」

 ラルンがシュグに訊ねた。シュグはルガルをにらみつけながら

「象に乗ってカシャに来る途中、ここを通ったんだ。そのとき歌が聞こえてきて…」

「歌?」

 すかさず穴のなかから歌声が流れてきた。

  

 大きな大きな象の背に

 揺られてゆくのは

 小さな小さな王様

 かわいそうなかわいそうな王様

 街には貧しい人たちが待っている

 王宮には狡い摂政が待っている

 何とかできなきゃ王様も

 サソリの穴にまっさかさま 

 

 陽気な声とは反対の不穏な歌詞に、ラルンは恐る恐るシュグを窺う。しかしシュグは気にする様子もなく

「だからそのことでわざわざ来たんだよ!いいからその鳥をどけろ!」

「それはできん。ルガルは私の守り神であり養い親だ。神や親を邪険にしたらどうなるか、知恵の足りないお前でも分かるだろう」

 ジリジリして地団駄を踏むシュグを見つめていたラルンが、ゆっくりとルガルに近づいてゆく。今度はシュグが慌てた。

「お、おいラルン危ないぞ」

 ラルンはルガルの側まで来ると、静かに語りかけた。

「大丈夫だよ…僕たちはラムデさんに危害を加えたりしない」

 黒い瞳と黄色い瞳が見つめ合う。ラルンは片腕を差し出し

「さあ、風と遊んでおいで」

 次の瞬間、ルガルはラルンの腕に飛び移ったかと思うと、再び空高く舞い上がった。

「ほう」

 青空のなかの黒い点になって、弧を描いているルガルを見つめ、ラムデが呟いた。

「小鬼の片割れ、ちょっとこっちに来い」

 言われるままに、ラルンは穴の隙間に顔を近づけた。穴のなかは真っ暗で何も見えない。

「ラムデさんは…何百年も一人でここにいるんですか」

 ラルンの言葉に闇が笑った。

「私がここに来てからまだせいぜい三、四年だ。人知れず僧が来てはここで修業をして  ここで死に…あるいは出ていっているから、人々は何百年も同じ人間が住み着いていると思っているんだろう」

「そっか…。でも食べ物は?こんな穴のなかにいたら何も食べられないんじゃ」

「まあ、それも修行のうちなんだがな。時々ルガルが食べ物を持ってきてくれる。もっと時々にはそこの王様もな」

「そのわりに感謝が足りない!」

 ラルンの横からシュグが怒鳴る。

「別に感謝してないからな」

「お前それでも修行僧か!?」

「シュグ、ラムデさんに話があったんじゃないの?」

「もういい!こんなやつに相談に来た俺がバカだった!」

 そっぽを向くなりシュグは斜面に座り込む。その背中にラムデがまたからかうように

「偉大なるクティン・ラパは案外気が短い。国の人々を二百年も待たせたくせに」

 シュグは背中を向けたまま黙っている。

「…シュグ?」

「俺は…本当にクティン・ラパなのか疑われている」

 ラルンははっとする。ラムデも黙り込む。

 青空でくるくる舞うルガルをシュグは見上げながら

「正直…俺も時々分からなくなるんだ。自分が本当にクティン・ラパの生まれ変わりなのか…自分がクティン・ラパの記憶だと思っているものが本当にそうなのか…」

 そして大きなため息をついた。

「俺は本当は…ただのティ村のシュグなんじゃないかって」

 三人はしばらく黙り込んだ。時折谷を吹き抜ける風と、天高く舞っているルガルだけが自由で楽しげだった。

「それでもいいんじゃないかな」

 シュグが振り返った。ラルンもルガルを見上げながら

「難しいことは分からないけど…大勢の人を幸せにする力を持っているのが王様でしょ?だから、僕は皆の幸せを一番に考えてくれる人にルジェになってほしい。その人が、クティン・ラパの生まれ変わりじゃなくても」

「それに」とラルンがシュグを見る。

「僕が友達になったのは…僕と同じ歳なのに立派なルジェの、ティ村のシュグだよ」

 ラルンの視線に照れたように前を向いたシュグは、やがて「そうだよな」と呟いた。

「人を救えなきゃルジェじゃない…皆を救ってくれってダクパ神に選ばれたのがルジェなんだ!」

 言うなりシュグは立ち上がった。

「俺むちゃくちゃバカだった!自分のことばかり考えて、自分がルジェとしてやらなきゃいけないことを見失いかけてたんだ!」

「そうなんだ!」と叫びながら一目散に斜面を駆け下りていったかと思うと、再びはいつくばってシュグが岩場を登ってきた。

「ありがとうラルン」

 息を切らしラルンの前に立つシュグの瞳には、いつもの強い光が戻っている。ラルンは首を振る。ラムデが笑って

「たしかに、わざわざ私の所へ来ることもなかったようだな」

 そして穴の隙間からするりと腕を伸ばした。

「いいか二人とも」

 その細い指は、青く広がる空を、あるいはどこまでも連なる山々を指し示している。が、何も指し示していないようにも見えた。

「目に見えるものに囚われるな。目に見えるものはこの世界の一部でしかない。それに囚われることは己の心を狭くすることだ」

 シュグとラルンは、ラムデの指さす彼方を見つめる。

「いまお前たちが生きるこの一瞬一瞬は刹那ではない。永遠であり、永遠だからこそ貴いのだ。そして永遠を永遠たらしめるのは他でもない…お前たちの魂だ」

 大地がささやくように、ラムデの声が静かに響いてゆく。ルガルが上空で高く鳴いた。

「お前たちは互いが互いの鍵なのだ。それを忘れるな」




 ダクパ神の瞳に灯がきらめいている。その前に座り低く経を読み上げているサムディン摂政に、そおっとバター茶を差し出しながら

ホンホンが呟いた。

「もうすぐでございますねえ」

 摂政は読経を続ける。

「今年のカグラの大祭は…どうなりますかねえ」

 摂政はなおも無視する。

「何せ二百年ぶりにルジェが臨席されるんですから、さぞ盛大なものになるでしょうねえ」

「…何を言いたいんだホンホン」

 ようやく読経をやめた摂政に、ホンホンがにじり寄った。

「どうなさるんですか、あのルジェが大祭で…人々の前で雨を降らせることができたら」

「まさか」摂政はお茶をすすり

「そのようなことができるわけがない」

「しかし」とホンホンもしつこく詰め寄る。

「万が一あのルジェが本物で、本当に雨を降らせられたらどうします?そのときは大人しく従うおつもりですか?」

 黙っている相手にホンホンは声を潜め

「私の実家であるパミシュ家ならば…金さえ出せば何でもする人間を国外より集めてくることも可能です」

 荒々しく摂政が茶碗を置いた。

「口を慎めホンホン。もしあの少年が本当にクティン・ラパの生まれ変わりだったならば…」

「本物ならばなおのこと我々にとって邪魔ではございませんか」

 ホンホンはいつになく強気だった。その小さな目を大きく見開き

「偽物ならば故郷の村に追い返せばいいでしょう。しかし、本物だった場合は…」

 灯が怪しく揺れるホンホンの目を、摂政は

胡散臭げに眺める。

「大勢の人間の前でルジェを襲わせる気か」

「いいえ」ホンホンがにたりと笑う。

「すべては隣国ルクンマの仕業にするのです。

 ちょうど二百年前にルクンマの軍が我が国に攻め入ってきたように…再びルクンマがクティン・ラパを襲ったと…」

「ふむ」と顎を撫でかけた摂政がギロリと壁をにらんだ。

「誰だ!そこにいるのは!」

 ホンホンが信じられない素早さで入り口の布を払った。そこには、長い髪からして僧ではない子供が立っている。

「何だお前は!」

 いまの話を聞かれたという恐怖でホンホンの声はうわずった。逆に子供のほうは落ち着いた様子で「俺は」と答えかけたところに「クスマ!」と背後からジンの声が遮った。

「何故こんな所にいるんだ!」

 ひどく慌ててクスマの腕をつかむジンをホンホンがにらみ

「まさか…これが例のお前の身内か」

「え、ええ」ジンがぎこちなく頷く。

「どうやら…かってに村から出て来たようで」

 奥で摂政の笑い声がした。

「ルジェになりに自ら都までやって来たか。大した子供だな」

「摂政様」

 クスマはホンホンを押しのけると摂政の前に進み出た。

「先ほどのお話、どうか私にもお手伝いさせていただけませんか」

「…先ほどの話とは」

 摂政の鋭い目に見据えられても、クスマは怯まず、むしろ笑いをふくんで

「ルジェを亡き者にするという話です」

 摂政とホンホンは思わず辺りを窺い、ジンは息をのんだ。

「おい黙れ小僧!私たちはそんなことを…」

「私はお手伝いさせてほしいと言っているんです」

 目の前の少年を眺めていた摂政が、「何故だ」と訊ねた。クスマはちらりとジンを見て

「兄と一緒です」と答えた。

「シュグがルジェに相応しくないと思うからです。俺のほうがルジェに相応しい」

「…たしかお前も神託に一致する子供だったな」

「ええ」クスマが得意げに言う。

「ならば…テジン・ルチェという名を知っているか」

 クスマの口がぽかんと開いた。

「いや、知らんのならいい」

 誤魔化すように摂政は法衣の袂を直し

「いいだろう。それほど望むのならばお前たちにも手伝ってもらう」

「ありがたき幸せでございます」

 おどけて頭を下げるクスマを、ジンは離れたところからただじっと見つめていた。



 寝台に上でラルンはなかなか寝つけずにいた。外では強い風が、口笛のような音をたててひっきりなしに通り抜けてゆく。

 家のなかでは、ニーラの小さな寝息と、時々苦し気に響く母さんの咳だけが聞こえる。母さんの咳を聞くとラルンの心臓はぎゅっと痛んだ。

 けれどもラルンが寝つかれないのはそのためだけではなかった。

 

「カグラの大祭の日だ」

 ラムデの洞穴からの帰り道、シュグは言った。

「その日俺は、本当にクティン・ラパの生まれ変わりか…本当にルジェの資格があるのか試される」

 ラルンは黙って夕日に照らされるその背中についてゆく。

「ラルン」前を向いたままシュグが呼ぶ。

「大祭の日…俺の代わりにルジェとして祭りに出てくれないか」

 口を開きかけたラルンを、「待ってくれ」とシュグが遮った。振り返った苦しげな顔が夕日に染まっている。

「これはたぶん…すごく危険なことなんだ。本当は…ラルンに頼んじゃいけないことだ」

 うつむくシュグをながめながら、ラルンはふと思った。時折夢のなかで聞こえる泣き声は、もしかしたらシュグの声なのだろうか。

「大丈夫だよ」

 シュグが顔を上げる。

「僕は大丈夫だから。シュグはやりたいようにやって」

「だめだ!」

 シュグが怒鳴った。

「こんなこと絶対にだめだ…ラルンは許しちゃいけないんだ!」

 赤く染まった顔は、ラルンにというより自分自身に怒っているようだった。やはり前にもこんなことがあった気がして、その記憶をたぐるようにラルンはぼんやりと答えていた。

「僕は…大丈夫だよ」


 そうは言ったものの、母さんやニーラのことを考えていなかったことにラルンは後になって気づいた。

 真剣なシュグの様子からして、今度のことは相当危険なのだろう。そんな危険なことを自分がすると知ったら、きっとニーラはすごく怒るだろうし母さんはすごく悲しむに違いない。それにもし自分に万が一のことがあったら、誰が畑を耕したり水を汲んだりするのだろう。

(僕はわがままなのかな…)

 どんなに考えても、家族も、そしてシュグも大切だった。

―大丈夫だよ

風の向こうから、懐かしい声が聞こえた気がした。ラルンの胸がふっと安らぐ。

(そうだ…きっと大丈夫だ)

 そう強く思いながら、ラルンはようやく深い眠りについた。風はいつしかおさまり、空には銀の砂をまいたように数多の星が広がっていた。





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