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竜の湖


「ラールーンくん、遊びましょー」

 畑に水やりを終え、麦の青い芽を踏んでいたラルンはぎょっと顔を上げた。見ると両手を振りながらシュグが丘を登ってくる。

「シュグ…なんでっどうしてっ」

「なんでって」シュグはきょとんとして

「お前の家の場所ぐらいブロンたちに聞いて知ってるさ」

「そ、そっか…いやそれよりも王宮を抜け出して大丈夫なの!?一人で!?」

 くるりと背を向けたシュグは、丘の下に広がる街に目をやった。そのなかには赤い壁を日に照らされた王宮も見える。

「二百年前もこうやって…よく王宮を抜け出したなあ」

 しみじみと呟くシュグをながめ、ラルンは首をかしげる。

(クティン・ラパって、けっこうやんちゃだったのかな)

「ラルン、お友達?」

 家の窓から母さんが顔を出していた。

「うん、シュグっていうんだ」

 紹介しようとしたラルンの後ろに、シュグが隠れた。

「そう、おはようシュグ君」

「おはようございます…」

 微笑みかける母さんにシュグがぼそぼそと挨拶する。ラルンはようやく気がついた。

息子とそっくりな子供が現れたら、きっと母さんはびっくりするだろう。

「ラルン、一緒に遊んできていいのよ」

 さりげなくシュグを隠しながらラルンは

「う、うん。畑仕事がすんだら」

「ラルンっもっと右、いや左っ」

 もぞもぞやっている二人を、母さんは面白そうに

「何だか兄弟みたいね」

 笑顔を残して母さんが窓から消えると、ラルンとシュグは顔を見合わせた。



「瞑想術の教師のナムはいつも授業中は眠っちゃうんだ。だからその間は俺がいなくても問題ないってわけだ」

 若葉が繁る森のなかを進みながら、シュグが説明する。

「サガラさんは知ってるの?」

 後に従うラルンの問いにシュグは黙り込んだ。言ってないんだな、と納得するラルンに      

シュグが逆に訊ねた。

「ラルンの母さんは病気だって言ってたな」

「うん…」ラルンはうつむき

「時々咳がひどく出るんだ。姉さんは側についていてあげたがってるけど…地主のパミシュさんに税金を払うかわりにお屋敷で働いてる」

「そっか…」

 しばらく鳥の声を聴きながら歩いたあと、またシュグが訊ねてきた。

「ラルンの父さんは…」

「父さんは…病気で五年前に…」

「俺はっ」シュグが振り返る。

「俺は…母さんがいないんだ。俺を産んですぐに死んじゃったって」

「そっか…」

 また前を向いたシュグは、枯れ枝を一本折るとそれを振り回し

「だから父さんは俺を育てるのに苦労したんだって。俺はヤクの乳で大きくなったんだ。 

 それなのにヤクみたいに毛むくじゃらにならなくて良かったなっていつも言ってる」

「そっか」

 べしべし木の幹を叩きながらゆく背中を、ラルンは黙って見つめた。

 道はだんだん細くなり、右手に広がる谷はどんどん深くなる。木々の緑が濃くなるほどラルンは不安になってきた。

「ねえシュグ…本当に大丈夫?」

「大丈夫だって。ナムは一度寝ると三時間は起きないし、さらに好都合なことにその間他の人間は気を遣って部屋には近寄らないからな」

「大丈夫って…それだけの意味じゃないんだけど」

 ラルンはぼそぼそと呟く。いま二人が向かっているのは、街から山ひとつ越えた、入ると祟りがあると言われる森の奥だった。

 噂とは裏腹に、開いたばかりの葉の色は鮮やかに輝き、姿の見えない鳥たちの声はひどく穏やかだ。遠くからは水の流れる音も聞こえる。

 街では水不足なのに、山の向こう側ではこんなに水があるんだとラルンは思った。それを読んだようにシュグが説明する。

「山に雨雲が遮られるせいで、山のこっち側では雨がよく降るけど、街はカラカラってわけだ」

 街が長いこと水不足なのを、シュグも聞いて知っているのだろう。ラルンはふとニーラが言っていたことを思い出した。

「クティン・ラパは雨を降らせることができたって本当?」

「…そうだっけ?」

 シュグはさらにべしべしと幹を叩きながら先へ進む。やがて、まっすぐに切り立った狭い岩の間を抜けると、とたんに辺りが明るくなった。

「うわあ」

 深い深い青い水をたたえた、大きな湖が広がっていた。湖を取り囲む木々の葉は、そこだけ種類が違うように桃色、黄色、紫とその鮮やかな色を湖の水面に映している。

 辺りに漂う甘やかな水の香りを思いきり吸い込み、ラルンは息をついた。

「どうして…こんなきれいな所に祟りがあるなんて言われたんだろう」

「ああ、そりゃ俺が流したんだ」

「えっ」

「べ、別に独り占めするためとかじゃないぞ!ただ…ここは誰にも触れられたくなかったんだ」

 珍しく真剣な様子で湖を見つめる横顔に、ラルンはおずおずと訊ねた。

「僕は…来ちゃって良かったの?」

 とたんにシュグはにかっと笑い

「あったりまえだろ!ラルンは特別だ」

 それから湖を指さした。

「ラルン…見えるだろ、あれ…」

 湖の中央に白くて太い、鋭く尖った枯れ木が長く突き出ている。物問いたげなラルンに、シュグはどこか寂し気に答えた。

「竜の骨だ」

 ラルンは枯れ木に驚きの目を向ける。そう言われれば、竜の長い背骨に見えなくもない。けれど、やはりただの枯れ木にも見える。

 ふと、シュグが懐から何かを取り出した。湖の色によく似た小さな玉がいくつも連なった数珠だった。  その瞬間辺りがざわりと騒ぎだし、ラルンは首をめぐらす。穏やかだった木々がざわざわとうごめき、静かだった湖の水面が激しく波立っている。

「風が…」

 突然吹き出した風が湖の周囲に渦巻いている。そしてその風は、あの枯れ木のような竜の骨から生まれてくるようだった。

 まるで、竜が大きく息をしているような錯覚にとらわれ、ラルンはとっさにシュグを見やった。

 青い数珠をつまぐりながら、シュグは一心に経を唱えている。口の端からもれる低い声は風をつかみ、木々をさらにざわつかせ湖を波立たせる。海のように逆巻く水の間からいまにも竜の鱗が現れる気がして、ラルンは思わず叫んだ。

「だめだシュグ!」

 とたんに経が止み、それと同時に風もかき消えるようにおさまった。静まり返った湖を眺めていたシュグはようやく息をつくと

「やっぱり俺じゃうまくやれないな」

 と呟いた。

「いまの風…シュグが起こしたの?」

 ラルンの問いにシュグは答えず、ただひどく険しい顔で水面に伸びる竜の骨を見つめていた。



「いったいルジェは王としての役目を何と心得ていらっしゃるのですか」

 ルジェではないラルンには答えようがなかった。

 湖から再び山を越えて王宮に戻るころにはとっくに午後になり、とっくにルジェがいないことがバレて王宮のなかは大騒ぎになっていた。

 途中、行きたい所があるというシュグと別れ、代わりに王宮へ来たラルンは、ルジェの格好をしてサムディン摂政の前に座り説教を受けている。

「ルジェ。何かおっしゃることはございませんか」

 蛇のような目に、ラルンはただひたすら小さくなって正体がバレないことを祈るしかなかった。

(早く戻ってきてくれないかな…シュグ)

 摂政は摂政で、いつもは反抗的なこの少年王がやけに大人しいので、不可解そうな表情を浮かべている。

「サガラ。お前の監督不行き届きだぞ」

「申し訳ございません」

 脇に控えるサガラが頭を下げるのにラルンははっとして

「違うっこれはぼ…俺がかってにしたことでサガラさ…サガラは関係ない」

 サガラがちらりとラルンに目配せを送る。いいから何もいうな、と言っているようだ。

「それでもやはりこれは侍従であるサガラの責任です」

 摂政はそんな二人の会話を遮るように

「案の定、身内が側にいるとどうしても甘えが生じてしまうようですな」

 サガラの顔が強張った。何か言おうとしたラルンを摂政は身振りで制し

「ご不満でしょうが、これはルジェの態度に改善が見られるまでのことです。私とて兄弟を引き離すのは心が痛みます…それに」

 出入り口に垂らされた布がかすかに動き、誰かが部屋に入ってきた。

「ルジェにとっても全く知らない人間というわけではございません」 

 摂政の背後に控えたジンを、ラルンはもちろん知らない。ちらりとサガラを見ると、ジンを凝視していたサガラはおもむろに

「これは…たしかにこのジンならばルジェとも同じ村の出身ですから気心も知れて適任でしょう」

 摂政はサガラをじろりとにらみ

「さしでがましいぞサガラ」

 サガラが黙って頭を下げる。ラルンは幾分ほっとした。ティ村の出身ならばきっとブロンたちのようにシュグと親しい人間だろう。

 しかし、ジンは摂政の後ろからほとんどにらむような目を向けてくる。

(この人は…シュグの味方じゃないのかな)

 再び不安になるラルンに、「ところで」とサムディン摂政が言った。

「カグラ河が涸れ、人々が水を得るのに苦労していることはルジェもご存知かと思います」

 ルジェ姿のラルンはあいまいに頷く。

「カグラ河と言えば二百年前、かのクティン・ラパが邪悪な竜と戦い、見事勝利されてその竜の首から流れた血によってできたと言われる河。ですから…」

 サガラの目に警戒の色がはしる。

「願わくば民を救うためにもクティン・ラパの生まれ変わりであるルジェのお力で、いま一度河の水をよみがえらせてはいただけないでしょうか」

「お待ちください、ルジェはまだクティン・ラパとして目覚めてから間もないのです。そのような力は…」

「さしでがましいと言ったはずだ!」

 にじり寄るサガラに一喝した摂政は、獲物でも見るようにラルンをながめ

「いかがでしょう?私としてもこれ以上民が苦しむのを放っておくのは耐えられません」

 ラルンは法衣のなかで拳を握りしめた。いま自分が何を言っても、あるいは言わなくても、シュグを苦しい立場にしてしまいかねない。

(河に水を流すなんて…)

 できるのだろうか?クティン・ラパの生まれ変わりであるシュグならば…

「ルジェ、どうかこの貧しいあなたの僕の願いを聞いてください。民のために」

 答えあぐねるラルンに勝ち誇ったように摂政が言いつのる。

 そのとき、ふっと風が吹いて、部屋の灯火が一斉に消えた。

「な、何だ」

 うろたえるサムディン摂政の声を聞いているラルンの腕を、誰かが思いきり引っ張った。

「おいジン、灯だ、灯をつけろ」

「は、はい」

 姿は見えるが顔は見えない暗がりをそれぞれが右往左往したあげく、ようやく明かりの灯った部屋にサガラの姿はなかった。

 怪訝そうな摂政とジンにルジェが

「ああ、サガラなら侍従を外されたからってふてくされて出ていったぜ」

 二人は思わずぎょっとする。目の前で寝そべって耳をほじっている少年は確かにいつものルジェだが、さっきまでのルジェとは別人だった。

 ニヤニヤしている相手にむっと摂政は威厳を取り戻し

「それで、さっきのお願いですが」

「ああ、河に水を流す話な」

 少年王はこともなげに「いいぞ」と言った。

「ただし、いますぐってわけにはいかないぜ。こっちにもいろいろと準備があるんだ」

 摂政の目がきろりと光った。

「では…ひと月後のカグラの大祭の日はいかがですか」

 ゆっくりと起き上がり、シュグは摂政と正面から向き合った。

「カグラの大祭の日か。分かった」


 暗い通路を進んでいても、ラルンには何が起こったのかしばらくのみこめなかった。

 部屋が暗くなったとき、背後のダクパ神が描かれた布の裏へ引っ張られ、さらにそこにある秘密の通路の出入り口へと押し込められた。そして気がつくと、この前のようにサガラの後に従っている。

(シュグが来てくれたんだ…)

 ふうっと肩の力が抜けたラルンにサガラが言った。

「ジンは摂政側の人間です…油断できません」

 またラルンの背筋が緊張する。

「でも、シュグやサガラさんと知り合いなんですよね」

「ええ」サガラの背中がため息をついた。

「少し事情がありまして…ティ村にクティン・ラパの転生者を探す探索隊が来たとき、神託と一致する子供がシュグの他にもう一人いたんです。ジンは…その子の兄なんです」

 ラルンはジンのにらむような視線を思い出した。

「その子がルジェに選ばれなかったから…あの人はシュグを恨んでるんですか」

「数珠が…転生者を選ぶときに使われたクティン・ラパの数珠が、偽物だと言っているそうです」

「そんな」前をゆく背中にラルンが言った。

「僕、シュグが持っている数珠を見ました。とてもきれいで…冷たい感じがして…絶対に偽物なんかじゃないと思います」

 サガラはちょっと振り返り「ありがとう」と微笑んだ。

「ラルン君にそう言ってもらえるのが何より心強いです。正直…私自身も突然弟がクティン・ラパの転生者だと言われて、戸惑いのほうがずっと大きかったものですから」

 ラルンには意外だった。とても落ち着いた印象のあるサガラでも、そんな気持ちを抱えていたことが。「けど」とサガラは声を明るくして

「あのシュグが偉大なクティン・ラパの生まれ変わりでルジェだなんて聞いたら、誰でもひっくり返りますよね。シュグの父親がそうでしたから」

 思わずラルンが吹き出す。二人は笑いながら通路を進んだ。そして出口が近くなったとき、突然サガラの足が止まった。不思議に思いラルンが前を窺うと、赤い壁にもたれて誰かが倒れている。がくりと長い髪が揺れた。どうやら眠っているらしい。

「どうしてここに…」

 サガラの呟きにその人物が目を覚ます。はっとこちらを向いた顔にラルンも見覚えがあった。

「君は…」

 以前、王宮の外の階段で会った少年だ。

 しかし少年は、以前とは違う敵意をふくんだ目でラルンをにらみ、そして同じ言葉を口にした。

「お前…シュグじゃないな」

 とまどうラルンを庇うようにサガラが立ち

「何故あなたがここにいるんです…クスマ」

 クスマはサガラをにらみ上げ「ルジェは私だ」と怒鳴った。

「あの数珠はクティン・ラパの物じゃない、私のなかのもう一人がそう言ったんだ!」

 クスマはサガラを押しのけ、通路の奥の闇へと駆けていった。

「どうして…どうして秘密の通路のことを」

 ラルンはサガラを見た。サガラの顔が暗がりでも分かるくらい強張っている。

「あれが…クスマが…神託に一致したもう一人の子供です」



「一体どういうことなの!?」

 もう我慢ならないというようにニーラが言った。

「また畑仕事は放り出すし母さんの側は離れるし、おまけにまた得体の知れない人たちに家の仕事をさせるし」

 疲れきったラルンは、バター茶の入ったお椀を持ったまま黙っている。

「何とか言ったらどうなの!」

 語気を強めるニーラの肩に母さんが手を置き、寝台の足元でうずくまっているラルンを見つめ

「ラルン…私たちに内緒で何かしているの?」

 ラルンは黙っている。

「どうしても言えないことなの?」

 こくりと頭が動いた。「そう」と母さんは考え込む様子だったが、やがてニーラに

「ニーラ、これからラルンが時々家を空けても大目に見てあげられないかしら」

「母さん!」

「ブロンさんたちはとても良い人よ。だから、ラルンが悪いことに関わってるとは思えない。それにこれは私のわがままでもあるのよ。ラルンを信じたいっていう」

 顔を上げるラルンに母さんが微笑む。

「ラルンは間違ったことなんか絶対にしないって信じたいの」

 喉の奥に気持ちがこみ上げ、ラルンは何もかも話してしまおうかと思った。しかし「そんなのひどい!」というニーラの声に遮られた。

「そんなのひどいわ…私だって…私だって母さんのこと心配して…」

 ニーラの目には涙がにじんでいる。

「ごめんなさいねニーラ…」

「もういい!」

 顔をそむけ、自分の寝台にもぐりこんだニーラは頭から毛布を被った。困ったようにそちらを見る母さんを、やはり困ったようにラルンは見つめる。ため息にお茶がふっと揺れた。

(うまくいかないな…)




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