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もう一人の少年


 「 本当にびっくりしたわ」

その夜、母さんは寝台で楽しげに話した。

「ラルンの帰りが遅いからどうしたのかと心配してたら、突然知らない男の人たちがやってきて畑の世話やら水汲みやらをやってくれて。一番大きな人なんか、私の体を気遣ってお茶まで淹れてくれたの。それがとっても熱くて私がむせたら、その人とても慌ててね」

「何だか怪しいわ」

 寝台にもたれニーラが言う。

「いくらラルンがお腹が痛くなったからって、そこまでしてくれるかしら。本当に友達なの」

 疑いの目から顔を背けながらラルンが頷く。

「本当に良い人たちだったわ。それに」

 バター茶の入ったお椀を母さんは両手で包み

「こんなにおいしいバターまでくださるなんて」

「まあたしかに」

 ニーラもお茶をすすり

「こんなに良いバターはお屋敷でもなかなか出ないわね。王宮にお納めするくらい上等だわ」

 ラルンは危うくお茶を吹き出しかけた。むせている弟をまた疑わし気にニーラが見る。

「ラルン…あなたやっぱり何か隠してない」

「し、知らないっ僕何も知らないっ」

 ぶんぶん首を振るラルンと、それを横目で見るニーラに母さんは笑って

「さあさあ、二人とも疲れてるでしょ。もうおやすみなさい」

 いつものように母さんに促された二人は自分の寝台に入った。横になりながらラルンはふと、あの白い花がまだ枯れずに飾られているのに気づいた。

(ルジェ…シュグ…)

 今日の出来事を二人に話せないのがとてももどかしかった。けれど、誰にも絶対話さないと約束したのだ。

(シュグ…僕とそっくりなルジェ…)

 王宮でのことを一つひとつ思い出しながら、ラルンはこっそり笑みをもらした。



「俺のことはシュグと呼べ」

 それがルジェの、ラルンへの最初の命令だった。

「分かりました…シュグ様」

「様じゃないっシュグだよシュグ!シュグ様なんて呼ばれたら背中がかゆくなる」

 ラルンは困ったようにサガラを見る。サガラも困ったように笑い

「どうか願いを聞いてあげてください。じゃないとこのルジェは猿のように暴れだすんです」

「誰が猿だ」

 ラルンは頷き

「それで…シュグはどうして僕にルジェになってほしいの」

 はたとシュグの顔が真剣になった。辺りを窺うような仕草をすると、ラルンににじり寄り

「お前…サムディン摂政のことは知ってるな」

「よく知らない」

 シュグとサガラは顔を見合わせ、今度はサガラもラルンににじり寄り声を潜める。

「サムディン摂政はいままでこの王宮と、この国を支配してきた人です。新たなルジェが…つまりクティン・ラパがこの世に再び転生するまでの二百年間、摂政たちは王の代わりとして国を治めてきました。もちろん素晴らしい摂政もいましたがなかには…」

「いまのサムディンみたいに強欲で疑り深くて僧の風上にも置けないやつもいるんだ」

 しっとサガラが指を立て

「どこで誰が聞いていないとも限りません」

「それで…」ラルンは二人を交互に眺め

「どうして僕にルジェになってほしいの」

「正しくはルジェになってほしいというより…」

 シュグはじっとラルンを見つめ

「時々でいい。俺の身代わりになってほしいんだ」

「身代わり?」

「ああ。俺はこの一日一時間の祈りの時間以外はずっとサムディンの配下の人間に監視されている」

「どうして?」

 説明しようとするシュグをサガラが遮った。

「ここからは…申し訳ありませんが、ラルン君に協力してくれるとはっきり言っていただかない限り、お話しできません」

 サガラの厳しい目にラルンはたじろぐ。

「おいサガラ、ラルンは絶対協力してくれるさ。なあ?」

 そう言って振り向いたシュグは、うつむいているラルンに口をつぐんだ。

「僕…水汲みも畑仕事もあるし…母さんも心配だし…」

 ラルンがボソボソと呟く。

「もし仕事や母さんのことを放り出したら、たぶん姉さんにもすごく怒られるし…」

 シュグの顔に失望が浮かぶ。「でも」とラルンが顔を上げた。

「仕事がすんで…母さんの具合が良ければ、シュグの代わりをしてもいい」

「ほ…本当か!?」

「うん、でも…うわあっ」

 ラルンの手を取りシュグが躍り出す。

「やった!やったぞラルン!ありがとおっ!」

 満面の笑みでぐるぐる回っているルジェに、ラルンはそれ以上何も言えなかった。



「ルジェって…大変なんですね」

 真っ暗な通路を進みながら、ラルンが呟いた。明かりを持って前を行くサガラはちょっと笑い

「シュグの場合、監視の目を逃れたいというのもありますが…」

 サガラは二つに分かれた通路を右に進んだ。

「だいたいは勉強から逃げ出したいというのが本音です」

「勉強?」

「ええ。ルジェであると言ってもシュグはまだ子供ですし…いろいろと勉強しなければならないんです。政治や歴史や弁論術や心理学や瞑想術や」

「…やっぱりルジェって大変なんですね」

 サガラは笑いながら、分かれ道を今度は左に曲がる。右にのびる通路の先を何となくのぞいたラルンにサガラが言った。

「気をつけて…間違った道を選んだら、その先はサソリの穴へと続いているそうです」

 ラルンはぎくりと闇に沈む道から身を引いた。

「この王の部屋と外をつなぐ秘密の通路は、ルジェと数人の人間しか知らないそうです。私もルジェに教えられて最近ようやく覚えたんです」

「シュグが?」ラルンは懸命に前の背中を追う。

「二百年経っても覚えてるんですね…自分でも驚いていましたよ」

 冷たい赤い壁に触れるラルンの体に不思議な感覚が広がった。いま自分が触れているこの壁に、二百年前にクティン・ラパが触れ、そして様々な人々が触れたのかもしれない。

 そう考えると、この狭い通路を抜け二百年前に自分が迷いこんでゆくような、そんな錯覚にとらわれてゆく。

「シュグは…」

 サガラの呟きにラルンははっとする。

「サムディン摂政やそれに従う僧たちに疑われているんです。だから四六時中監視を…」

「何を…疑われているんですか」

 サガラが振り返った。その目に灯心の炎が揺らめく。

「本物のクティン・ラパではないということをです」

「そんなっ」自分のことのように傷ついた顔のラルンに笑いかけ、サガラはまた前を向いた。

「だからラルン君…シュグの代わりを務めるというのは、たぶんラルン君が思うより危険なことです。もう一度よく考えてみてください」

 ラルンは黙って暗い足元に目をやる。いま王の部屋に一人きりでいるシュグを思うと、胸がズキリと痛んだ。

「僕…」

 また振り向いたサガラを、ラルンの強い目が見つめ返す。

「僕は何もできないかもしれないけど…シュグの力になりたいです」

 まっすぐにこちらを見る相手に、サガラは困ったような、照れたような笑みを浮かべ

「シュグの一番の本音もそうですよ…ラルン君と友達になりたいって」



「うわあ」

 通路の行き止まりにある上扉から顔を出すと、そこは麦わらの山だった。

「ここは王宮の馬屋です。サムディン摂政が馬が嫌いなので、いまはただのわら置き場ですが…私たちにはかえって好都合です」 

 ラルンを引き上げながらサガラが説明する。

「じゃあラルン君、さっきも言いましたが、もう一度よく考えてみてください」

 ラルンは黙って頷く。サガラはその手にたくさんのバターが入った包みを握らせ口早に言った。

「ここを出た先に小さな扉があります。そこから階段を下りればすぐ街に出られますから」

 言われたとおりラルンはそっと馬屋から出ると、赤い壁に開けられた小さな扉から王宮の外へと出た。すると足元に、夕日に染まる街の景色が広がった。

 家々の屋根や白い壁、そしてあちらこちらに吊るされた経文の旗、夕飯の支度をするいくつもの煙が全て金色に染まって輝いている。ラルンはまぶしさに目を細めながら、しばらくの間その光景に見とれていた。

「シュグ」

 突然足元から声がして、ラルンの体が強張る。見ると階段の下のほうに人がいた。さっきからそこに寝そべっていたらしいその人物は、頭をのけぞらせてこちらを見上げている。

「シュグ…じゃねえな」

 自分やシュグと同じくらいの少年は、顔を前に戻すと波打つ髪をかきあげた。長い髪を束ねた、その後ろ姿を眺めていたラルンはようやく思い至った。

「きみも…シュグに付いて村から来たの?」

 少年はくちゃくちゃとわらを噛みながら

「そうだな…付いて来たようなもんかな」

 それからもう一度ラルンに目を向けた。凛とした面差しが夕日に照らされている。

「お前…名前は」

「ラルン」

「ラルン…」少年はシュグと同じように口のなかで呟き、それから何か考え込む様子だったが、やがて高い声で笑い出した。

 さもおかしそうに腹を抱えながらラルンの側に来ると、ラルンの肩をつかみ低い声でささやいた。

「せいぜい頑張れよ。もう一人のルジェさん」

 ざわりと騒いだ胸を落ち着かせラルンが振り返ったとき、すでに少年の姿はなかった。

 ぼうっとその場に立ち尽くしていたラルンは、やがて包みを抱え直し夕日に染まる階段を駆け下りた。

 



「すでに明らかでございます」

 ひとつの明かりしかない、暗い部屋でホンホンがささやいた。

「ルジェは侍従長、親衛隊長に同じ村から連れてきた人間を置かれました。摂政様がお決めになった人間を退けてです。これは明らかに摂政に従う気がないという意思の表れです」

 ホンホンに口を尖らせて忠告されるまでもなく、正面に座る摂政にもそれくらいのことは分かっていた。

「ホンホン」

 サムディン摂政は努めて穏やかに言った。

「あの少年はルジェであり、ダクパ神の化身である偉大なクティン・ラパの生まれ変わりなのだ。その方のなさることに、我らごときがあれこれと考えを述べるのはおこがましいとは思わないか」

 鼻白んだようにホンホンは口をつぐむ。

「いまやあの少年は国中の人間の希望なのだ。

 我々とて大っぴらに盾つくことはできん」

「しかし」ホンホンは不満そうに

「私の見たところあれはただの少年です。かのクティン・ラパは様々な力を持っていたというじゃありませんか」

 摂政の目がきろりと光る。ホンホンは気づかず

「天候を操ったり竜を操ったり…あの少年にそんな力があるとは私にはとても思えません」

「ホンホン」

「私に言わせればただの生意気な小僧ですよ。あんな田舎育ちで品のない猿のような」

「ホンホン!」

 ビクリと丸い頬が震える。蛇のような目がこちらを見据えている。

「そのための監視だろう。めぼしい報告もないのにここに無駄口を叩きに来たわけじゃないだろうな」

「いえいえいえ」ホンホンはカエルのように怯え背後を振り返った。

「おい、何かルジェについて分かったことはないのか」

 それまで部屋の隅で、影に沈んでいた人物が低く答えた。

「ティ村の出身…四人兄弟の末っ子…わがまま、勉強嫌い、好きな乗り物は象…」

「そんなことは最初に聞いた!」

 喚くホンホンに影がため息をついた。

「私に言えるのはシュグが…あのルジェは、村にいるときも王宮に来てからもクティン・ラパの転生者らしき片鱗を見せたことはないということです」

「全く、使えないな!何のための監視だ!」

 ホンホンを制しサムディン摂政が訊ねた。

「お前はルジェと同じ村の出身なのか」

「…はい」

 影から抜け出た人物は、摂政の前に進み出るとひれ伏した。

「ジンと申します」

 摂政はひれ伏す青年僧を見下ろし

「同郷でありながら…何故ルジェの監視などという役目を引き受けた」

「同郷の私ならば相手も警戒しないかと…」

「それだけじゃないだろう」

 ホンホンが鼻を鳴らしサムディン摂政に言った。

「摂政様、こいつは自分の身内がルジェになれなかったのを根に持ってるんです」

「何…」摂政が眉をひそめる。

「こいつの兄弟にも神託にぴったり合う子供がいたらしいんですが、数珠選びの試験でクティン・ラパの数珠を選べず、転生者として認められなかったんです」

「クスマは!」ジンが顔を上げた。きりりとした眉が、意志の強さを示している。

「あれは…クティン・ラパの数珠ではなかったと申しております。ですから…」

「ジンよ」

 きりりとした眉が強張った。

「あの数珠はクティン・ラパの唯一の持ち物として、二百年の間この王宮で何よりも大切に守られてきたものだ。間違っても偽物などということはない」

「…申し訳ございません」

「だが」と摂政は言い足した。

「偶然ということも有り得る」

 ジンとホンホンが不可解そうな顔をする。

「いくつも並べられた数珠のなかから、偶然クティン・ラパの数珠を選びとったということも…有り得ない話ではない」

 摂政の蛇のような目が細くなる。

「焦らずともいずれ…あの少年を試す機会はくるだろう。お前たちが考えているよりも早くな…」




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