03.王都への道中と、剣姫ビクトリア
衝撃の『成人の儀』から3日後の、どんよりと曇った朝。
疲れた顔のシリルが、黒塗りの馬車で王都に向かっていた。
その首には少し不自然なスカーフが巻かれており、その下には冷たく光る隷属の首輪が隠されている。
窓の外に目をやると、大きな森と高い山が見える。
(ここはどこだろう?)
馬車の中に飾ってある地図をながめると、ここが王都の近くであることが分かった。
(いつの間にか、ずいぶん遠くまで来たんだな)
旅に出てすぐの頃、シリルは激しく落ち込んでいた。
「俺のこれまでの人生って、何だったんだろうな……」
思えば、これまでのシリルの人生のほとんどは、両親の期待に応えるために費やされてきた。
昇爵に夢中な父親の仕事を肩代わりし、母親の仕事も進んでこなした。
可愛い弟だと思い、レイジーからの頼まれごとは全てやってきたし、アンジェラのことも信じて大切にしてきた。
にも拘わらず、あんなにあっさり両親に売られた挙句、弟と婚約者はデキていたなど、一体自分は何だったのか。
ショックのあまり、初日は食事も睡眠もとれない状態だったが、故郷から離れるにつれ、シリルは少し落ち着きを取り戻した。
物理的に距離が離れ、「もう考えても仕方がない」という諦めの境地に至ったからだ。
そして、次に気になりだしたのは、これからについてだ。
(……俺は一体どうなるんだろう)
これから行く先は、国の王都だ。
規模も人口もダミアーニ子爵領の領都とはけた違いと聞いている。
そんな大都会で、隷属の首輪なんて付けられて、心を読むギフトを使った仕事をさせられる。
ちょっと考えただけでもヤバい予感しかしない。
(なんか、人生詰んでるよな、俺……)
シリルは、虚ろな目で窓の外を見た。
灰色に垂れこめた空から今にも雨粒が落ちてきそうだ。
そして、そのまま灰色の空をながめながらぼんやりすること、しばし。
ヒヒーン
馬の嘶きと共に、馬車が急に止まった。
前方から複数人が話している声が聞こえてくる。
(なんだろう?)
シリルは耳を澄ませた。
旅が始まってからこんなことは初めてだ。
そして、窓を開けて、声のする方向に視線を向けて、
「……っ!」
シリルは思わず声を上げそうになった。
そこにいたのは、見たこともないほど凛と美しい女性だった。
艶のある紺色の長い髪に、真っすぐそうな美しく澄んだ青い瞳、
顔立ちが恐ろしいほど整っている。
すらりとした体に銀色の鎧を纏っており、その背には大剣を背負っている。
シリルが思わず見入る中、彼女は優雅に馬を降りた。
別の馬車から降りて来た王宮神官に向かって軽くお辞儀をする。
その表情は澄んでおり、目が離せないほどの美しさだ。
(格好からして騎士だが、ただ者じゃなさそうだな)
シリルの前で、女性は王宮神官と話し始めた。
その立ち姿は驚くほど洗練されている。
そして、5分ほど話をした後、女性は神官に向かってお辞儀をすると、再び馬に乗った。
騎士に何かを言うと、走り去っていく。
(何かあったのか……?)
馬に乗って走り去る彼女の後姿をながめていると、神官がシリルの馬車にやってきた。
「馬車を1台にすることになりましたので、私もこちらに乗ります」
「どうしたのですか?」
「進行方向の近くにある平原に魔獣の群れが出たそうです。我々はこれから山側に迂回します」
神官が乗り込むと、すぐに馬車が出発した。
先ほどよりもかなり早いスピードで、周囲を囲む騎士たちも心なしかピリピリしている。
「さっきの女性の方は騎士ですか?」
シリルが尋ねると、神官がうなずいた。
「『剣姫ビクトリア』という名前を聞いたことがありませんか?」
剣姫ビクトリアとは、国内最強と名高い魔法剣士の呼び名だ。
元は田舎の騎士爵家出身だが、ギフト「超魔力」を授かって王宮魔法騎士団に入団。
美しい容姿と強力な魔法を宿した剣を操ることから、そう呼ばれている。
半年前に、最年少で第2魔法騎士団の団長に任命され、
ここには魔獣討伐のために来たらしい。
シリルは驚いた。
名前や活躍を耳にしたことはあったが、あんなに華奢な女性だとは思わなかった。
「もっと筋骨隆々な方を想像していました」
「ええ、実は私もです」
神官がクスクス笑う。
彼によると、ギフト『超魔力』を授けられると、体内の魔力が爆発的に増えるらしい。
「魔力を体の隅々まで行きわたらせることで、超人的な動きができるそうです」
「そうなのですね」
そんな会話をしているうちに、馬車は街道を外れ、山寄りの道を走り始めた。
山肌の道をゆっくりと登っていく。
そして、急に窓の景色が開けたと思った、その瞬間。
ドドドドド
突然、地鳴りのような音が鳴り響いてきた。
驚いて窓の外を見ると、そこには平原が広がっており、奥の方から黒い豆粒のような影たちが猛スピードで走ってくるのが見えた。
(……あれは何だ?)
目を凝らしてみて、それが何かが分かり、シリルは思わず眼鏡を押し上げた。
(魔獣の群れだ!)
それは見ているだけで恐ろしくなるほどの数の魔獣だった。
狼や熊のようなものが多く、遠くから見ても獰猛であることが分かる。
シリルは凍り付いた。
確かに馬車は山の上を進んでいるが、あの勢いでは一気に山に駆け上がってくるのではないだろうか。
――と、そのとき。
シリルたちのいる山の麓のあたりから、1人の騎士が現われた。
長い紺色の髪に銀色の鎧を付け、背中に大剣を背負っている。
(あれは……、さっきの)
シリルが見守る中、女性は落ち着いた様子で迫りくる魔物たちの前に立った。
背中から大剣を抜くと、両手で構える。
剣が徐々に光り始め、太陽のように輝き始める。
そして、彼女は片手でその剣を大きく振り上げると、横なぎ払った。
一閃。
一瞬周囲が明るくなり、群れの前方にいた魔獣たちが激しく燃え上がった。群れの勢いが完全に殺される。
(す、すごい……)
シリルは呆気にとられた。
彼の知っている魔法とは威力も範囲も桁違いだ。
神官が感嘆したような顔をした。
「さすがは最強無敗の剣姫ですね。これほどとは思いませんでした」
「私もです」
そう言うと、シリルは久々に声を出して笑った。
圧倒的武力を前にすると、人は笑うしかないらしい。
その後、恐らく彼女の後ろで控えていたのであろう騎士や魔法士たちが戦場に飛び出した。
残った魔獣たちを次々と打ち取っていく。
その様子を見ながら、シリルは軽い同情を覚えた。
(きっと、彼女もギフトを授かって人生がガラリと変わったのだろうな)
魔獣の群れに1人で対峙していた後姿を思い出し、ため息をつく。
その後、シリルたちをのせた馬車は、戦場の見えない山の裏側に進んだ。
そのまま山を下りて、街道に合流する。
そして、この日の夕方。
夕焼けで血のように真っ赤に染まる空の下、一行は王都に辿り着いた。