05.仕事始めと洗礼(1)
とんでもなく疲れた夕食会の翌朝。
文官服に着替えたシリルが1階の食堂に降りて行くと、そこにはすでにビクトリアが座って朝食を食べていた。
「おはようございます」
「……」
ビクトリアが、ちらりとシリルを見る。
昨夜一緒に食事をした効果は多少あったのか、目線はやや冷たいものの、氷のような冷たさは薄れていた。
彼女は斜め前に座るシリルを見て、おもむろにそばにあった赤い帽子を被る。
【絶対に心を読まれないのはいいが、いちいち被るのは面倒だな】
そんな心の声がシリルに届く。
彼は目をそらした。
(……あの帽子がインチキだって分かったら、この人めちゃくちゃ怒るんじゃないか?)
絶対にバレてはいけない、と心に誓う。
そして、薄味であまり美味しいとは言えない朝食を食べていると、
食べ終わったビクトリアが、席を立った。
シリルを見て、クールな表情の中に困ったような色が混じる。
【四六時中一緒にいる専属文官なんて初めてだから、どう接すればいいか分からないな……】
その心の声にシリルは共感した。
自分もどうすればいいか全く分からない。
とりあえず、無難に予定でも確認してみようと声を掛けた。
「ビクトリア様、本日のご予定は?」
シリルが声をかけると、ビクトリアは少しホッとしたように帽子を外した。
そっとシリルの肩に触る。
【今日は朝に魔法研究所に行く。昼前には戻る予定だ】
触られるのに慣れないとな、と思いつつ、シリルは平静を装ってうなずいた。
「では、第2魔法騎士団本部に行き、仕事に取り掛かります」
彼の言葉に、ビクトリアが【大丈夫そうだな】と心の声でつぶやくと、食堂を後にする。
彼女の後ろ姿を見送りながら、シリルは思った。
(あの人、面倒見がいいんだな)
昨晩食事をした時も思ったのだが、彼女は意外と優しいところがある。
シリルのことは警戒しているが、困らないように配慮はしてくれるつもりらしい。
(とりあえず、仕事の時は、遠慮せず話しかけた方が良さそうだな)
いちいち触ってもらう必要があるのが申し訳ないが、そこは勘弁してもらおう。
――そして、30分後。
シリルは馬車に乗り、第2魔法騎士団本部へ向かっていた。
朝日に照らされた貴族街を抜け、目的地に到着する。
馬車から降りると、玄関にいた騎士や魔法士たちが一斉にシリルを見た。
「おはようございます」
挨拶をすると、軽く返事が返ってくるものの、どこか胡散臭そうな目で見られる。
建物内を歩きながら、シリルはげんなりした。
(これって多分、カスパーさんの影響だよな……)
ただ、カスパーの話では、第2魔法騎士団はかなり適当だという話だったし、王宮内の評価も似たようなものだった。
カスパーが嫌われたのは仕事上致し方ないことだったのかもしれない、とも思う。
執務室に到着すると、昨日は書類で埋まっていた部屋がすっかり片付いていた。
部屋は広々としており、大きな窓からは訓練場が見える。
扉には紙が貼られており、ビクトリアのスケジュールが書かれていた。
どうやら、今日は昼前と夕方に大きな会議があるらしい。
(なるほど、予定が入ったらここに書き込めばいいわけか)
窓際にはビクトリアのものと思われる大きな執務机が置かれ、少し離れた場所に、シリルのものと思われる机があった。
机に近づくと、分厚い書類の束が置かれていることに気づく。
一番上には「引継ぎ書」と書かれていた。
(カスパーさんが作ってくれたんだな)
シリルは書類をパラパラとめくった。
事務手続きの方法が、かなり細かく記されており、驚くほどの量だ。
(こんなに決まりごとがあるのか)
――と、その時、
コンコンコン
ノックの音が響いた。
「失礼します」
扉が開き、分厚い書類を抱えた小柄な少女が入ってきた。
魔法士の服装をしており、茶色の髪と目で、小動物のような印象を受ける。
彼女はシリルを見て、驚きで肩を震わせた。
(もしかして、俺が誰だか分からないのか)
シリルはにこやかに微笑んだ。
「初めまして。本日よりここで文官として働くことになったシリルです」
「えっと、第2魔法騎士団、見習いのミルフィです」
「見習い?」
ミルフィによると、魔法騎士団には見習い制度があり、彼女は昨年魔法師見習いとして入団したのだという。
自己紹介が終わると、ミルフィは手に持っていた分厚い書類をシリルの机に置いた。
「これお願いします、今日の分です」
一番上の書類を見ると、どうやらそれは申請書のようだ。
「これ全部、申請書ですか?」
「はい」
(ずいぶん多いんだな)
遠征に行っていたと言っていたから、その分も含まれているのだろうと思うが、それにしても、かなりの量だ。
ミルフィはそわそわしながら言った。
「あの、これで全部ではありません。ちゃんと持ってきますので」
「え? これで全部じゃないのですか?」
「はい。この倍くらいはあります」
シリルは思わず呆気に取られた。
(ちょっと多すぎやしないか?)
そして、ミルフィが去った後、
シリルは机に座り、置いてあった引き継ぎ書を確認し始めた。
内容によれば、第2魔法騎士団の文官の役割は、主にビクトリアのサポートと会計予算の管理らしい。
(文官って、意外と権限が大きいんだな)
そんなことを考えていた、その時。
バタンッ!
ドアが勢いよく開いて、白い軍服姿のビクトリアが入ってきた。
彼女は部屋の中にシリルがいるのを認めると、ポケットから赤い帽子を取り出してサッとかぶる。
シリルは気まずく目を逸らした。
帽子がインチキだと知っているせいか、どうもこの流れを気まずく感じる。
時計を見ると、あと30分ほどで会議の時間だ。
「そろそろ会議のお時間ですので、行きましょう」
ビクトリアが合意するように視線を下に向ける。
シリルは筆記用具とノートを手に取ると、先に歩き出したビクトリアの後を3メートルほどの距離を空けて歩き始めた。
(ビクトリア様の会議っていうと、どうもアレを思い出すんだよな)
脳裏に浮かぶのは、大神殿で行われた会議で、ビクトリアが切れて出て行ったことだ。
嫌な予感がするものの、シリルはブンブンと頭を振った。
あの時はビクトリアが挑発的なことを言って、会議が紛糾していた。
でも、今回ビクトリアはしゃべれない。
恐らく静かに黙って聞いて、何かあれば自分が代弁するくらいで終わるだろう。
(余計な心配はやめて、仕事に集中しよう)
――しかし、世の中そうは上手くいかないもの。
この1時間後。シリルは怒号の飛び交う会議室で、困り果てることになる。
本日はここまでです。
お付き合いいだだきましてありがとうございます ̗̀ ( ˶'ᵕ'˶) ̖́-
それでは、また明日!