01.前途多難な挨拶回り(1)
ビクトリアの専属文官に任命された翌週。
シリルは、約1カ月お世話になった大神殿を後にし、王宮へ向かう馬車に揺られていた。
今日は任務初日ということで、まず新しい職場に挨拶に行き、
その後、これから住む予定のビクトリア邸に行くことになっている。
(今日は忙しそうだな)
そんなことを考えながら、シリルが窓から王都のにぎやかな街をながめていると、
「シリル君、ずいぶん真面目な顔をしているね」
斜め向かいに座っていたリリアーナが、楽しそうに声をかけてきた。
「楽しみだよね!」
「何がです?」
「何がって、あの剣姫ビクトリアの専属文官になるんだよ? しかも美人だ!」
この人絶対に面白がっているよな、と内心苦笑しつつ、シリルは真面目な顔で眼鏡を押し上げた。
「いえ、特に。これは仕事ですから」
実のところ、突然ビクトリアの専属文官になって一緒に暮らせと言われて、シリルはかなり動揺した。
話が急だったし、女性と一緒に働くのも、住み込みで仕えるのも初めてだったからだ。
しかし、彼はすぐに冷静さを取り戻した。
(そうだ、よく考えたらこれは仕事だ)
仕事なのだから、粛々とやるべきことをやるだけだ。
相手が誰であろうと動揺することはない。
これは仕事です、と言い切るシリルの冷静な顔を見て、リリアーナがつまらなさそうな顔をした。
「君って真面目だねえ」
「はい、それが取り柄ですので」
そう生真面目に返すシリルに、リリアーナは苦笑する。
そして、ふと表情を引き締めると、声を潜めた。
「とりあえず、ビクトリアと行動を共にしながら、周囲の人間の心をどんどん読んでいって欲しい。怪しいことを考える人間がいたら、すぐに私に報告して。私以外に『報告しろ』と言ってくる人間がいたら、それも含めて教えてほしい」
「了解しました」
シリルは真剣な面持ちでうなずいた。
どうなるか分からないが、まずはやってみようと心に決める。
(問題は、ビクトリア様だな……)
シリルは内心ため息をついた。
(よく分からないけど、なぜか俺、嫌われている気がするんだよな……)
大神殿でも睨まれたし、この前会ったときも睨まれた。
(初対面のはずなのに、なんで嫌われているんだろう?)
「文官が嫌い」という心の声から、文官服を着ていたせいか? とも思うが、関係ない気もする。
一緒に働くからには、仲良くしたいとまでは言わないが、良好な関係を築きたい。
そんなことを考えるシリルを乗せた馬車が、王都の街を走り抜けていく。
――そして、30分後。
馬車は、数日前に来た巨大な建物――王宮の敷地内にある魔法研究所の前に到着した。
リリアーナが「着いたね」とつぶやきながら馬車を降りた。
同じく降りたシリルの前に立つと、彼の首に手を伸ばす。
パチン
首輪が外れる。
彼女はそれを無造作にローブのポケットに突っ込むと、シリルを見上げた。
「少ししたら私の部下が来るから、ここで待ってて」
そして、「じゃあね」と手をヒラヒラと振ると、さっさと建物の中に消えて行く。
シリルは軽くなった首元を触りながら思わず苦笑した。
(ちょっと適当過ぎやしないか?)
本当にいいのか? とよく分からない心配をしながら待つこと、しばし。
建物の中から、茶色のまとめ髪の女性が出てきた。
魔法師のローブを着ており、頭の上には赤い帽子が乗っている。
彼女はシリルに近づいてくると、礼儀正しく手を差し出した。
「シリル様ですね。魔法研究所副所長のライラです。リリアーナ様の代わりに本日ご案内させていただきます」
「はじめまして、シリルです。よろしくお願いします」
予想外に堅実そうな人が来たなと思いながら、シリルが差し出された手を軽く握る。
ライラは真面目そうに微笑んだ。
「これから第2魔法騎士団にご案内します」
「よろしくお願いします」
2人は少し距離をあけて並んで歩き始めた。
第2騎士団本部は、王宮に隣接する場所にあるらしい。
王宮の敷地を通り抜けながら、ライラがこれからについて説明してくれた。
「シリル様には、担当文官として第2魔法騎士団に所属して頂く形となります」
彼女によると、現在いる第2魔法騎士団の書類仕事を担っている文官が異動になり、替わりにシリルが入ることになるらしい。
「他にも、重要な会議には一緒に出ていただくことになります」
ふむふむ、と話を聞きながら、シリルは意外に思った。
(……この人、ひょっとしてすごくまともじゃないか?)
リリアーナを見て、魔法師は魔法にしか興味のない適当な人種なのかと思ったが、ライラはものすごくちゃんとしている。
(多分、実務的なことはこの人が全部やっているんだろうな)
と密かに思う。
そして、最後に質問がないかと尋ねられ、シリルはずっと気になっていたことを尋ねた。
「あの、その赤い帽子なんですけど……」
シリルの視線の先にあるのは、彼女の頭の上に乗っている、やけに目立つ赤いベレー帽だ。
(あれって、例のインチキ帽子だよな)
そう思うシリルの目の前で、ライラが得意げに頭の上の赤い帽子に触れた。
「これは、あなたのギフトの力を遮る特別な帽子です。さっき握手したとき、私の心が読めなくて驚いたんじゃないですか?」
「え、あ、はい、まあ」
いや、全部聞こえるんだけどね、と心の中で思いながら、曖昧に返事をする。
ライラが感心したような顔をした。
「ギフトの力を防げるだなんて、本当にすごい発明ですよ!」
その言葉と同時に、
【あの人、普段はちょっとアレだけど、こういう所が尊敬できるわ】
という心の声が聞こえてくる。
シリルは目を逸らした。
それは偽物です、なんてとても言えない。
(……もう騙し切るしかないってことか)
完全に巻き込まれてしまった状況に、諦めの気持ちでため息をつく。
――そして、歩くこと20分ほど。
2人は、第2魔法騎士団本部の前に到着した。
背の高い塀で囲まれており、壁の向こうからは人の声や、カキンカキン、という金属音が聞こえてくる。
門を通り抜けると、そこには無骨な感じの四角い建物が建っていた。
建物の横には広い訓練場があり、たくさんの人が剣や魔法の訓練をしているのが見える。
(ずいぶん広いんだな。子爵邸が2つくらい入りそうだ)
ライラが「こちらです」と慣れた様子で建物に入っていく。
歩きながら、シリルはキョロキョロと周囲を見回した。
建物は相当古いらしく、ところどころひび割れているところもある。
(なんというか、ずいぶんと荒れているな)
そんなことを考えながら、色あせた絨毯が敷かれた廊下を歩いていると、
正面から大柄な男性が歩いてくるのが見えた。
筋肉隆々で強面の、いかにも騎士といった風情だ。
彼は、ライラを見つけると、パッと顔を明るくした。
「ライラさん、こんにちは。久しぶりですね」
「お久しぶりです、ガイウスさん。遠征お疲れ様でした」
「いえいえ、そんな」
照れたように笑うガイウス。
そして、その後ろにいるシリルに目を移し――
突然ガラリと表情が変わった。
探るような目でシリルをジロジロ見る。
(……え?)
シリルは戸惑った。
なんか物凄い警戒されている気がする。
ライラが、シリルの方を振り向いた。
「こちらが、ビクトリア様の新しい専属文官、シリル様です」
「初めまして、シリルです。よろしくお願いします」
とりあえず、そう下手に挨拶をしてみるものの、
「ああ、こちらこそ」
とぶっきらぼうに返され、続けて
【デブの次はヒョロヒョロかよ】
という心の声が聞こえてくる。
(え? 俺いきなり嫌われてないか?)
新しい職場訪問は、何とも不吉な感じで始まった。