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星と海  作者: 雨足怜
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星そそぎ(新)

 赤木光輝という人間は、臆病なやつだ。オレは嫌というほど実感せざるを得なかった。

 陸が転校してからも、オレの学校生活が大きく変わることはなかった。

 相変わらず友人はできなかった。あるいは、作ろうとはしなかった。

 日々、一人で学校に通い、休みの時間も一人で過ごし、誰かと話すことなんてグループワークで必要性に駆られたときくらい。

 それでよかった。それで十分だった。あるいは、そうしなければならないなんて、そんな言い訳をしていた。

 ポケットの中、捨てることも置いておくこともできない罪の証、触れるほどに痛みを与えてくるそのスパンコールが、オレに言う。

 罪を自覚しろ、自分がダメな人間であることを認めろ、お前なんて社会不適合な存在なんだ――

 そんな言い訳を胸に、同級生と関わることを避けた。

 もし、この星を陸に返す日が来たのなら、オレは改めて友人を作るために覚悟を決めて一歩を踏み出そうと、そう思った。

 けれどいつまでたっても陸から手紙が来ることはなかった。そもそも、あいつはオレの連絡先を知っているのだろうか?

 オレはただ宙に浮いたまま日々を生きていた。


 小学六年生になって、それでもまだ牛乳栓のコマのブームは廃れてはいなかった。

 一時消しゴムブームにのまれたけれど、牛乳栓コマの力は強かった。

 陸が改良したスパンコール付きのコマは、けれど最近ではいくつかの栓を重ねることで分厚くなり、重量感のあるコマへと変化していた。

 それくらい。あとは、そのコマを触る人達が変わったくらい。

 クラス替えで人が変わり、男子たちの中にはコマに飽きたやつらがいて。

 それでもまだ、コマで遊ぶ男子の姿があった。

 その中に陸の姿はない。そのことに、少しいら立ちを覚えた。

 その中にオレの姿はない。そのことに、何かを思うことはない。

 教室後方、中央の自分の席に突っ伏して、コマ勝負に歓声を上げるクラスメイトの声をシャットアウトするように目を固く閉じる。

 瞼の裏、陸の姿はもうずいぶんとおぼろげだった。オレに罰を科して姿を消した彼のことを、オレはいつか忘れていく。このスパンコールだって、いつか気づけばどこかへ消える。

 そのことが、怖かった。

 まだオレは許されていない。そして、オレは許していなかった。なのに、時間が罪を風化させる。罪の意識だって、もうほとんどない。


 学校から帰れば、父さんはすでに家に帰っていた。

 働き方改革とやらで朝の出勤を早める代わりに夕方早く帰ってくるようになった父さんは、疲れているだろうに料理を作り、家事を進めていた。

 オレも乾いている洗濯ものをたたみ、風呂を洗う。

 食事の時間になって、手を合わせる。その時、インターホンの音がした。

 ちょうどスープを飲んでいるところだった父さんを手で制して、インターホンに出る。

 郵便。どこからかと考えながら受け取った速達の封筒には、『長谷部陸』の名前があった。

 やや幼くも映る文字に首をひねりながら、廊下を歩きつつ封筒の封を切る。

 ようやく解放される。贖罪が終わる。一歩を踏み出す日がやってきた。

 わずかな期待と、それを上回る不安を覚えながら、オレは封筒の中身、二枚の紙を取り出す。

 二枚、どちらから読むべきか悩みながら、けれどまずは立派な紙のほうを開いて。

 そこに見えた文字に思考のすべてが止まった。

「どうしたー?」

 ダイニングのほうから聞こえてくる父さんの声に意識を取り戻す。手紙を握る手は震えていて、力を籠めすぎたせいでその手紙には軽くしわが寄っていた。

 ぽたり――なぜか、頬を涙が伝った。

 もう顔だっておぼろげにしか覚えていない陸が、死んだ。

 そのことが、オレはなぜだかひどく悲しかった。


 行くべきだ――一も二もなく告げる父さんに連れられて、オレは陸の告別式へと向かった。

 車で二時間。たどり着いたのは海岸沿いの町。なだらかな丘陵にあるその町が、陸の引っ越し先だった。そんなことさえ、オレは知らなかった。

 海の近く、二本ほど内側の道に会場はあった。

 礼服でも何でもない黒の上下であるせいか少しばかり気後れしつつ、オレは陸の死を悼んだ。

 陸が死んだ。そのことに、実感はなかった。

 長く会っていなかった陸の死は、オレにとって遠い出来事だった。けれど決して他人事ではなかった。

 会場の外、夕暮れ色に染まる世界の一角で腰を下ろす。火葬場の外にある大きな石の上に座り、空を仰ぐ。

 あともう少しで、陸だった体が灰になる。陸の生前の頼みで、火葬は夜に行われるという。

 少しずつ夜闇の色に染まっていく空を見ながら、オレはポケットに入れたまま開けずにいた手紙へと手を伸ばす。

 それは、手紙と呼べるほどたいそうな内容ではなかった。たぶん、ただの草書。書きたいことを箇条書きしたようなそこには、短い言葉がつづられるばかりだった。

『いつか返しに来てなんて約束をしたけれど、もういいよ。

 もう、星はちゃんとこの手にあるから』

 たった、それだけ。何を意味しているのかも分からない文章を前に、オレはどう反応したらいいかわからなかった。

 怒りがふつふつと沸き起こっていた。オレが大切に抱えてきた罰は、陸にとってはどうでもいいものだったのか?確かにどうでもいいかもしれない。正直他人事だろう。けれど、陸は違うと思っていた。他人の価値観を理解して、思いやることができる、そういう優れた人間だと思っていた。陸だけが、家族以外でオレという人間とまっすぐ向き合ってくれたと、そう思っていた。

 けれど陸にとって、オレは昔の知人に過ぎなかった。

 失望した。苦しかった。陸にとってそれまでの人間だったという事実に狂いそうだった。

 オレにとって長谷部陸とはどんな存在か。罪の象徴。無慈悲で、けれど慈悲深い裁判官。友人になれたかもしれないと思っていた相手。友人になりたい相手として、真っ先に思い浮かべる相手。

 でも、関係は何も始まることなく終わりを告げた。あるいは、マイナスのまま幕が下りた。

くしゃくしゃに丸めた紙を握りこみ、ポケットの中に入れる。

 その時、チクリと指先に触れる感触があった。

 緩慢な動きで、手紙の代わりにそれを取り出す。

 オレの罪と贖罪の象徴。金の星。暗がりの中、火葬場から届く明かりに照らされるそれは、けれど塗装が剥げ、角のあたりが透明になっていた。

 強く、強く、それをこぶしの中に握る。角が刺さって痛くて、けれどそんなことは気にならなかった。

 心が痛かった。苦しかった。熱くなった目元に力を入れる。それでも零れ落ちる雫が頬を伝った。

 立ち上がる。耳元をくすぐる海風が、あいつの声をオレに届ける。

『もう、星はちゃんとこの手にあるから』

 何をカッコつけてるんだよ。なんで死んでるんだよ。未来がどうのだとか、僕には意味があるとか、意味深なことばっか言っていただろ。なぁ、何とか言えよ。言ってくれよ。なんで死んだんだよ。なんで、オレにこれを残したんだよ。星が手にあるって、何が言いたいんだよ。

 それらの言葉は、口を出ることはなかった。ただ、引き結んだ唇から、小さな嗚咽が漏れた。

 涙があふれる。目が熱い。

「ああ、ああああああああああッ」

 怒りなのか、悲しみなのか、苦しみなのか、嘆きなのか、困惑なのか。

 強く、強く踏み込んで。

 自分が何を考え感じているのかもわからぬまま、オレは空に向かって星を投げた。

 金色の星は、闇の中に紛れてすぐに見えなくなった。

 石に座り込み、力なく体を横たえる。

 ふと思う。陸は、どうしてこんな時間に告別式と火葬をしようとしたんだ?

 オレが理由か?オレを苦しめるために、こんなことをしたのか?

 多分、違う。確証はないけれど、手紙に書かれていた陸の言葉がそれを否定する。

 星がこの手にある――陸の手のひらの中に星はある。その一文には、けれどあの日陸が告げた「未来」への希望が満ちている気がした。

 陸の泣き顔がなぜか鮮明に思い浮かぶ。けれどどうしてか、陸は笑って死んだのだと、理由もなくそう確認していた。

 希望。未来。それを手にしたから、陸はオレの星を必要としなくなった。

 倒れながら、空をにらむ。無慈悲に輝き続ける星に唾を吐く気持ちで。

 見上げる空、西に輝く一番星は、あの日見た黄金の輝きを閉じ込めたようだった。

 罪の意識が腹の底からこみ上げる。

 まだ、体の中に巣食う罪悪感は消えていなかった。

 ――たぶん、陸はこの星空を誰かに見せたかったのだ。泣かないでと、そう言いたかったのだ。(きぼう)は確かにそこにあると、そう言いたかったんじゃないか。

 受け取る側の人間ではないオレには届いて、けれど火葬場に籠る誰もが、陸の思いを受け取れずにいる。

 陸の願いは、届いただろうか。誰か、オレの知らない陸の大切な誰かに、届いただろうか。




 今日も、明日も、明後日も。

 オレはきっと、星を見るたびにあいつのことを思い出す。それが、オレに与えられた罰。

 無慈悲に輝く星から目をそらし、今日もオレは一人生きていく。


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