第七十四羽 「唄の続き」
戦争が終結して十日、すなわちロディニアが勝利してから二週間が経った。
片羽の少年をはじめ、彼ら兄弟はまだ北の地に居た。片羽の少年はロディニアから様々な協力の依頼を受け、少年の兄は機械の整備を通してロディニアの技術を学ばせてもらうために残っていた。少年の姉は付き添いだ。すぐにでも帰郷出来たのだが、二人が帰らないなら自分も残ると希望した。ただ仕事がないのに留まる訳にもいかないと感じていたようで、頼み込んで城塞の食堂で手伝いをしていた。
戦後の駐留任務はロディニア本国の軍人が担う。正式な軍所属ではない彼らは一週間後に故郷の町に帰る予定だ。
片羽の少年は今日、決戦の地となった沿岸都市に来ていた。塔の建設は停止されているが、周囲は資材を積んだ車両が行き交い、とんとんかんかんと建物を修繕している音が飛び交っていた。
講和締結の翌日に訪れた時に目にしたよりも明らかに人口、特に羽なしが増えている。この地を離れていた住民達が戻り始めているためだ。浮島の民による支配から解放され、元々の産業を興せるようになった。だが未だ戦火の爪痕が大きく、元通り以上になれるかはこれからの復興にかかっている。
片羽の少年がふと見上げると塔のある方から彼に向かって一つの影が近づいて来ていた。目を細めて観てみれば、それは彼がよく知っている羽ありだった。
「お帰り、エマ。どこに行ってたの?」
「ただいま。恩師のお見舞いに……、ね」
地に足を着けた彼女からどこか寂しそうな雰囲気を感じたがそれはわずかな間で、すぐにいつもの調子に戻っていた。
少年達よりも早く基地を出発していた黒髪の羽ありは辺りを見渡し、不思議そうな顔をした。
「あ、もう行っちゃった?」
「迎えが来たのはしばらく前の話よ。最後は何だかしおらしかったけどねー。いつもああだったらホント可愛い子なのにねー……」
同行していた少年の姉が話に割り込む。大きな荷物が減ったのに結局お守りから逃れられないと愚痴をこぼしていた彼女も、心の隅で感じている物寂しさを隠せていないようだった。
今回少年が都市を訪れた目的の一つは捕虜の黒翼の少女を送り届ける事だった。
講和が結ばれて程なく少女が送還される日程が決定した。本来それは五日前の予定だった。ところが少女が片羽の少年と彼の姉の手で送られなければ嫌だと強くごねたため延期となってしまったのだ。特に拒否する理由もない少年は穏便に事態の収拾がつくのならと言う事で快く引き受けたのだが、彼がこの都市に出向く予定がしばらくなく本日に至っていた。しかし予定が立ってからの少女は極めて素直で無事に送り届けられた。片羽の少年の受けた本来の任務はこれからである。
「あたしらは合流待ちよ。アンタはこの後に到着する車で帰るんでしょ?」
「ううん、今日は私もこのまま立ち会うわ。担当じゃないけど初の合同実験だし、今回の研究のはしりは一応私だったから意見を求められててね」
そこへ声が聞こえてきた。二人の女の物とは異なる、まだ幼さも感じる声だ。その声の元はまだ遠い。声の方を見た者達は一様に驚きを隠せなかった。すべての光を吸い込む真っ黒な羽が舞っている。
「ウィン様ー!」
「あれ? クローヴァリア? 帰ったんじゃなかったの?」
そのまま文字通り少年の胸に飛び込んでいく。そこそこの勢いがあったが片羽の少年はしっかりと小柄な体を受け止めた。
「ええ、おかげさまで両親に会う事が出来ましたわ! 二人とも大層喜んでおりました。 そのお礼に参じましたの!」
「う、ウィン様? ちょっとアンタ、雰囲気大分違くない? ってウィン! なんで平然としてるの?」
「あら。エディ姉様、ご機嫌麗しゅう」
「は? ね、ねえ様? え?」
唐突の襲来とともに、妙に高揚している少女に圧倒され、羽なしの娘は現状を把握できていないだけでなく言葉に詰まってしまっていた。そんな事はお構いなしに、片羽の少年に抱きとめられたまま少女は大きく身振り手振りを入れながら宣言する。
「私、心を入れ替えましたの。これからはウィン様のようにあまねく人々に慈愛を持って、感謝して生きますわ!」
「いや、その前に何でウィン”様”…… なの……?」
「あれ、姉さん知らなかった? クローヴァリア、僕が頼んでもこの呼び方を変えてくれないんだよ」
「当然です! 私に勝利できるような殿方なんてそうはおりませんわ。そしてウィン様の並々ならぬ人格。敬意を表さずにいられましょうか!」
妙に力の入っている黒翼の少女の様子を見て、羽なしの娘は胸のうちにもやっとした物が湧き出てくるのを感じていた。そんな事とは露知らず、黒翼の少女は熱弁を振るい続けた。
「ハイランド、アース、羽あり、羽なし。そんな事にこだわっていた私は本当にちっぽけな存在でした。皆、懸命に日々を生きる者同士、理解し合わなくてはならない事を教えてくださいましたのは他でもないウィン様! もちろん初めに気付かせてくださった貴女にも同じ想いを抱いておりますわ」
「や、それならあたしもエディ様で良いじゃない。何で姉様なのよ」
「それは……」
大地に下してもらった黒翼の少女はちらりと片羽の少年の方を見て、頬を赤らめながら思い切って声を上げた。
「それはウィン様が貴女の弟様だからですわっ 他に意はございません!」
少女は腰に手を当て、プイッと横を向く。片羽の少年は小さくゆっくりと頷いていた。むしろどうしてそんなに力を入れる事があろうかと不思議に思っているようでもあったが、羽なしの娘の抱いていた疑惑は確信となった。
「ダメ! 絶対ダメ! ウィンは騙されやすいんだから! よりによってこの前まで敵だったのに! 羽ありなんかあっち行け!」
「ウィン様のお姉様でありながらそのような事を! もっと寛大なお心をお持ちになられるべきですわ!」
とても承服できない案件にガルルル、と今にも咬みつかんばかりの勢いの羽なしの娘を片羽の少年が抑え、大人の女が刺激しないようにゆっくりと黒翼の少女を猛獣から引き離していった。
「すっごい変わりよう…… 本当はこう言う子だったのね。環境が作った仮面って怖いわあ……」
微笑ましくも修羅場と化して行きかねない状況を前に、最年長の女は引き吊ったような笑顔を浮かべるしかなかった。
―74―
建築資材とは異なるたくさんの機器を積載した車両が到着し、何人もの羽ありを乗せた車両がそれに続いた。
今日はゴンドワナの力場技術とロディニアの機械技術を併用した新型浮遊装置の試験運転が行われる予定だ。片羽の少年にはその操縦が依頼されていた。
こう言った実験機の運用には高い精神感応力が必要とされるだけではなく、様々な状況への対応力が求められる。片羽の少年はいかなる新型機においても開発者の要求に応える操縦をしており、テストパイロットとして非常に信頼されていた。実際、大戦が起きる以前からこう言う依頼をよくこなしていた。
機材の設置は終わったが、セットアップと起動確認の段階までもう少しかかると言う。少年の出番はそれからだと言う事で、それまで時間を潰してくれと頼まれた。少年は準備の様子を見ているのも好きだった。しかし黒髪の羽ありも技術スタッフに混ざって作業しており、彼の姉は完全に手持無沙汰になっている。一人にしておくのは忍びない、と姉の手を取りしばし近くを散歩して来ることにした。
ちなみに黒翼の少女はロディニアの要請でやってきたゴンドワナの研究チームが到着したのと同時に、彼らを輸送してきたビークルに乗せられて送り返されていった。非常に名残惜しそうだったが、まだ監視が厳しく自由に行動できるような状況ではないのだから仕方がない。
街のあちこちで銀色の甲冑姿の物が見かけられた。二腕四脚の小型機兵だ。軍部の人間だけではさすがに人手が足らないため、巡回警護用として配備されている。
四六時中センサーが機能し疲労もなく、その上それぞれの個体間の連携も取れるのだから警備兵としてもとても有能だった。兵装の出力は殺傷力が低い様に設定し直されている。おかげで終戦直後だと言うのに治安は良く、混乱も認められなかった。
武装の必要もなく二人で外を歩けるのは久しぶりだった。停戦してからもずっと軍施設の中で、また黒翼の少女の面倒をはじめとした仕事があったため、真に緊張感から解放されたとは言えない状態だった。この後も少年には一つ仕事があるが、実にのびのびとした時間である。
まだ気温は低いが陽の暖かさは日に日に強くなっている。じきに草木が芽吹き、虫達が目覚め、あらゆる命の営みが始まるだろう。少年も姉もにこやかだ。ようやく平穏を享受できる事を実感しているのがはっきりと分かる。
仲睦まじくふらりと路地を歩いていると声が聞こえてきた。遊んでいる子供達の声だ。
「あー。懐かしいねー。そう言えばずっと子供の声聞いてないよね。町じゃ当たり前の光景だったのに、いつの間にかドンパチの方が身近になっちゃってさー」
半年を超える戦役に携わる中で、命を落としかけた事は一度や二度ではなかった。その都度傍らにいる少年がさらなる危険に身を晒してでも救ってくれた。うれしくもあったが、そんな事で渦中に身を投じさせる事の方が余程恐ろしかった。
幸い全てを終わらせる事ができたが、もしも自分に力が足りなければ、かけがえのない光がその手からこぼれ落ちていたかもしれない。そう思うと少年は今も身が竦んでしまう。
このような戦いは誰も望まない。せっかく戻ってきている物を失わせてはいけない。知らず知らずのうちにお互い握っている手に入る力が強くなっていた。
「これが何より大切なのよね。この戦争に、幸せってこの当たり前の積み重ねで出来てるんだって教えてもらった。だから、あたし達もまた当たり前を守って、当たり前の生活に戻ろ?」
胸の奥が温かくなるような気持ちになりながら当たり前の残響を聞いていると、いつしか子供達が揃って歌い始めていた。
少年には一つだけ不安があった。
今年で少年は十九になる。その事は姉も気付いているはずだ。当たり前であるがゆえ、それは必ず訪れるのだ。その事に思いを巡らせていたが、ふと意識を引き戻された。ついついと袖を引かれていて、隣の姉が歌を聴くように奨めてくる。
それは驚いた事に二人にとってとても馴染みのある旋律で、少年もはじめは耳を疑った。しかしそれは空耳ではなく、確かに子供達の喉から奏でられる物だった。
かつて人の背には羽はなく、かつての空に日を遮る陸はなし。
今は昔の事なれど、あまねく人は大地にあり。
空に上がりし陸の上、銀の授けし父の力は人に光も授けけり。
銀が分け与えし天の慈悲、空に浮かびし小さな大地に母の許しを与え給へり。
さらに銀は人と心を交し合い、銀は人に、人は銀に力を与えり。
銀をつくりし人の業、空行く翼を人に与えり。
羽持つ人は銀と語り、銀は羽を好みて互いに添う。
銀は羽無き人を厭わざれども、羽持つ人は銀と語れぬ羽無き人を厭いけり。
羽無き人は己が両手に銀を持ち、田畑を耕し牛馬と共に日々を営み、
羽持つ人は作りし銀の機巧を、手足と成して謳い踊りて昼夜を過ごす。
羽持つ人は羽無き人を詮無き徒労とせせら笑い、
羽無き人は羽持つ人を儚き鴻毛と罵れり。
父と交わした契りを忘れ、羽あり羽なしと互いを啀みて袂を分かつ。
しかして羽無き人は父より離れ、人を許しし母の元に戻りけり。
別れし人の同胞よ、決して忘るる事なかれ。
怒り許さず争えば、やがて天は泣き出し、地は叫び、生まれし物の怪が世に満ちる。
父の人と母の人、別れ久しく時経てど、啀み争うことなかれ。
聞き終えた二人は顔を見合わせ、無言のまま頷き合って、今の不思議な体験を反芻していた。子供達の何人かが、きゃっきゃと純真な声を上げて二人の横を駆け抜けていった。羽なしも羽ありも混ざって楽しそうだった。
少年は近くにいた羽なしの男性に駆け寄り尋ねた。
「ああ、この街に昔から伝えられている唱歌ですよ。羽ありと羽なしは喧嘩をするな、と子供に諭すのに教えられています。不思議ですけど、まるで今回の戦争を見てきたかのような内容ですよね」
教えてくれた羽なしの男性に礼を言い、姉弟は再び歩き始めた。
彼らの故郷とこの地は著しく離れている。にもかかわらず同じ歌詞、旋律を持つ唄が伝えられていた事は不思議な偶然だった。
沈黙が流れていたが、弟がそれを破った。
「次の謝天祭が来たら、……今度は僕の番だよね」
羽なしの娘の目がわずかに見開かれた。
彼女はそれに気付かない振りをしていた。その日は永遠に来ないと思い込もうとしていた。
それは彼らの故郷で男子であれば誰もが通る道だ。彼らの兄もそれを経験し、大きく成長して帰ってきた。しかしそれは、この娘にとって何よりも耐え難い。これからの当たり前が有限だと思い知らされた事は半身を割かれるのと同じくらいの苦痛だ。
だが時の流れを止める事はできない。唇を噛み締め、彼の決意をただ受け入れるしかなかった。
片羽の少年は歩みを止めてしまった羽なしの娘の前に出て、目を見て話を続けた。
彼もずっと迷い、考えていた。答えは今まで出ていなかった。
しかし、それを一番初めに打ち明ける相手を誰にするかだけは、ずっと前から決めていた。
「僕は、この地方に行くよ。前にエマと約束した忌み唄の秘密が何かわかるかもしれない。それに、ロディニアの時みたいにこの国の復興のお手伝いにこの力を役立てたいんだ。……きっとそれが父なる天が僕にお与えになった、僕の仕事なんだよ」
これはきっと偶然ではなく運命。すべてが彼を導く大きな流れであったに違いない。
自分の歩むべき道をはっきりと感じた少年の瞳は力強く、迷いなく、優しさに満ちていた。
そして不意に唇を重ねた。体を強張らせて動きを止めている彼女から奪うのは簡単だった。
「だからそれまで、僕は姉さんと当たり前を過ごしていきたいんだ。僕は、姉さんが好きだよ」
少しだけ時間を空けて、目の前の羽なしの娘の両目からぽろぽろと涙がこぼれ出した。ついには地面に両膝をつき、両手で顔を覆って嗚咽を漏らしはじめてしまった。
寄り添うようにしゃがみ込んだ片羽の少年は、声を押し殺して泣いている娘を抱きかかえ、二人を包み込むように、左だけの純白の翼を大きく開いた。
強く、逞しくなった少年は大人へとなっていく。
別れの日が来るその時まで、愛しい人との時間を守り抜こうと、かたく誓った。
三年半の長きにわたりお楽しみいただきました「幻獣大戦編」、これにて完結です。ご愛読ありがとうございました。
ですが「羽」はまだまだ続きます。(←
よろしければ最終章、「星の御子(仮)」編もお付き合いください。
※更新予定は現在未定です。レイモンド名義で連載中の「新世界の神に俺はなる!」完結後、再開いたします。
~忘れ去られているだろうなつかしの単語の再確認~
「父なる天」:アースで広く信仰されている自然宗教の二大神の一柱。太陽の化身として描かれる。人は「父なる天」と「母なる大地」から恵みを受けており、その二神に感謝を捧げる事を最大の教義としている。
「謝天祭」:驕りから滅亡しかけたかつての人類を許し、恵みを与えると言われる父なる天を讃える行事。地禮祭の約半年後に行われるが、地域によってその時期や規模はまちまち。ウィン君の町では収穫の時期で、地禮祭が派手な分、非常に地味に執り行われる。
また男子の成人式のようなものに当たり、その年十九になる男子は謝天祭を機に独り立ちをしていく伝統がある。
基本的に生まれた町から離れ、伝手を頼りに他の町へと渡り自活していく。およそ三~五年で町に戻ってくる者がほとんど。その期間を越えた者は別の地で定住する傾向にあります。
なお、ウィン君の父親ハミルは他の町の出身。謝天祭に合わせて買付けに来る商隊の一員としてやってきて、スティナ(お母さん)に出会いました。三年間通って、定住を決意。婿養子なり。




