第八羽 「朝焼けの岩山にて」
「ふざけるな!」
「別にふざけてなどおりませんし、あれは事故です。それに我々もあの地で生活していました。ことが落ち着くまでこの周辺に臨時居住区を作らせていただきたい、そう申しているだけですのに」
「ただでさえお前達のせいで今年の収穫が危ぶまれているんだぞ! その上土地を分けろだと? 手前勝手にも程があるだろう!」
やれやれ、と羽を有した三人の老人がため息をついて肩を落とした。その様子を見て、テーブルを挟んで座っていた羽のない老人が周囲の者を諌める。非礼を詫びた上でこの地の長として姿勢を正し、口を開いた。
……
……
「今日のところはこれで失礼させていただきます。が、我々空の民もあなた方と同じく生きていることをお忘れないよう。三万の民を生かさなくてはなりませんからな。平和のうちにお互いの道を歩みたいものです」
五人の男の羽ありを護衛につけた老人の一人が顔色一つ変えずにそう述べた後、町役場の外に停められた球体に乗り込んだ。羽あり達を乗せた球体は小さな高い音をわずかに立て、宙に浮かび上がると闇夜へと消えていった。
「脅しのつもりか」
「…困ったことになった」
地に残された大人たちはめいめいに呟き、散っていった。
―8―
次の日の明け方、まだ太陽の出ていない時間に目を覚ました。実際はほとんど眠れていなかった。昨日目にした、自分が何をすることもできない現実が横になって目を閉じるたびにまぶたの裏に浮かび上がり、眠りに落ちるのを妨げたから。そしてそのつど母の言葉が繰り返し響く。何かが変わるわけでもない。それはわかっていた。ただ、足がその方に向いた。それだけだった。
まだ春は遠く、吐く息も白い。外に出ている人は他にいない。日が昇る前の身を切るような寒さは和らいできているがまだ十分すぎる。わら束の上にも、道の脇に生えている草の上にも霜が降りていた。舗装の行き届いていない農道を行き、東の空が紅く焼ける頃、新しくできた岩山に着いた。その岩山の光景は昨日目にしたときとほぼ変わりない。幾分か噴き出す炎の勢いは弱まったかのように見えた。
「そうだよ、わかってた…」
日が姿を見せ、明るく照らし出されたが何も変わらない。むしろよくわかる。少しの間その光景を見つめた後、もと来た荒地を引き返すことにした。
「あら、あなた羽ありなのにこんなところを歩いて?」
突然上の方から声が聞こえた。下ろしていた目線をあげ、声のしたほうを見るとそこには女性が一人、翼を大きく広げて羽ばたいていた。宙を舞っていたその羽ありは少年の目の前に降り立ち、その羽を閉じた。
「あ… 君、片羽なんだ」
「…」
少年は答えなかった。その一言を聞くのは本当に久しぶりだった。少しだけ口を強く閉じた。
「ひどいものよね…。戻ってみたけど、どうすることもできないわ」
「おばさんは、浮き島の人なんですか? ごめんなさい、何もできなくて」
「え? ああ、気にしなくていいわ。どうしようもなかったもの…。こちらこそごめんなさい。農地だったんでしょ? このあたり一帯の土地をひどく荒らしてしまった。わたしが謝ったところでどうにもならないけど…」
二人は昨日まできれいに均され、枯れ草に覆われていた土地の方に振り返った。
「…でも、ひとつだけ気にしてほしいな」
少しあった無言の後、一対の羽を持つ者が言った。
「おばさん、って年じゃないのよ。まだまだね」
少年は思わず吹きだし、そして申し訳なく苦笑いをした。
「…素敵ね」
少年は聞き返していた。今まで聞いたことがない。
「わたしたち、こんな荒れたところを歩くことなんてできないわ。すぐに痛めてしまうし、何より飛んだ方が楽で早いもの。…だから、考えたことなんてほとんどない。自分が生きている大地がこんなにもわたしたちを試して、自分の力で乗り越えることの大切さを教えてくれているってことを。ついつい楽な方を選んでしまうものね、人間って。あなたは辛い道を飛び越さず歩いて渡る。背中に羽はあるけど、誇らしい羽なしだわ」
「そんなこと、ないです」
一度だけ浮き島の民の方を見て、また瓦礫の塔を見上げた。
「僕はただ片方しかないから…。両方あったら、きっとみんなと同じです。僕に出来ることなら、きっとみんなも出来るはず」
そう言い切る少年を見て、女は息を呑んだ。子供が口にするような青臭い正論ではあったが、片羽という現実はきっとこの少年に多くの苦難を与えたにちがいないと想像させるに難くない。だが少年の横顔は慢心にも卑屈にも染まっておらず、澄んでいた。女も岩山の方に向き直り、今度は落胆したようにため息をついた。
「……ダメね、わたしたちは。思い知らされちゃったわ。ハイランドって一体なんだったのかしら。あそこが無くなってしまったら、わたしたちみたいな脆弱な体で生きていけるのか…。不安で仕方ないの。あなたたちの土地を荒らしてしまった罪悪感よりも、自分の身にこれから突きつけられる現実への不安の方がずっとずっと大きい。そんな羽あり達ばかり。…わたしを含めてね。嫌になっちゃうわ」
少年が身体の向きを変えた気配を感じた羽ありの女は首だけで少年の方を向き、そして少年の目を見て話しかけた。
「…ねぇ、わたし、あなたのことをもう少し知りたいな。わたしはここにまだ残ってるはずの物を探しにきたの。ちょっと付き合ってもらえる?」
唐突な申し出に戸惑った少年を余所に、羽ありは小柄な羽なしを抱えて瓦礫の山へと飛び立っていった。朝の太陽はいつものようにまぶしく、少しずつ温まってきた空気とともに新しい一日を祝福しはじめていた。