第六十八羽 「残された光」
砂塵を後ろに残し、スレイプニルが駆け抜ける。悪路であるにも関わらずかなりの速度だ。その後方から鷲の頭をした獅子の化け物が猛烈な速度で追いかけていた。その翼を一羽ばたきするごとに加速する。銀の馬の乗り手の顔には余裕が全くない。かと言って冷静さを欠いているわけでもない。極めて冷静に進路を確認して障害物を避けて進んでいく。おそらく直線での速度であれば銀の馬の方が速いだろう。しかし先程の破壊によって生まれた大きな障害物を避けながらであるため速度が乗り切っていない。巨獣の爪から逃れているが、かろうじてと言うべきか。
捕まる事無く走り抜け、間もなく破壊の影響範囲から出られるかと言うところに差し掛かった。それを確認した片羽の少年は銀の馬の速度を上げた。それに合わせるかのように突然、前方の、破壊を逃れて無事だった建築物の一つが爆砕し、大小の破片が進行方向に転がった。鷲の口から吐き出された雷球が命中したのだ。速度を上げ始めた事もありすべてを避けて通る事は出来そうにない。しかし急な事態にも乗り手である片羽の少年は素早く反応した。前輪から車体腹部まで覆うプロテクターを装着させ、障害物を気にせず進む。進路にある小型の障害物を通過と同時に破砕し、続いて大型の物を踏み台に高く跳躍した。跳躍と同時に砲台を後方に向けた。迫りくる標的を自動でロックするのと同時に一撃を放つ。その反動により、速度が落ちるはずの空中でさらに加速した。障害物の群れを飛び越え、着地と同時にプロテクターを解除し、さらにアクセルを吹かして、砲の直撃を受けてブレーキをかけられた追跡者を引き離した。
「むぅ。小僧、やりおるわ。非常に厄介じゃのう」
獅子の背に乗る老人が眼鏡の位置を直して顎鬚を弄りながら呟いた。爆煙を抜けて現れた巨獣は全く無傷であった。一度着地し体を振るうと、片羽の少年ともう一人羽ありの男を乗せた銀の馬の後姿を確認し、再び飛翔しその後を追った。
「甘ちゃんかと思っておったがとんだ見込み違いじゃ。この芽は摘んでおかねばならんのう」
騎乗する鷲の目に負けぬ眼光が鋭く光った。
―68―
銀の馬が走っていく先に大きな光が射した。獅子の背に乗る老人はその光に目を細めたが、特に気に留める様子はない。
光の出所はロディニアの虎の子、巨大な人型兵器ミスリルゴーレムだ。陸に二機、空に一機の計三機が巨獣の進路を塞いでいた。地上の一機は巨大な斧状の刃を持った兵器を手にしていた。
少年にとって心強い援軍。銀の馬は巨大な足の間に縫い目を残して走り抜けた。
少年の走りの妨げにならない銀の巨人も、翼を持つ獅子にとっては狭路に現れた障壁だ。空の巨人はさしずめ天井か。しかし袋小路となっても獅子は引き返す素振りすら見せない。
先頭の銀の巨人が手にした斧を迫り来る巨獣に向かって振り下ろす。軌道を読み躊躇わず振り抜かれた刃先は脇の建物を切り裂き、大地に大きく切り傷を作ったが肝心の巨獣を捉えていなかった。獅子が空中で体を捻り建造物を蹴って真横に跳んだからだ。刃を躱し、壁を蹴った勢いをのせて強く羽ばたき高度を上げた。斧を振り下ろした巨人の頭上を通過すると同時に、巨大で鋭い爪の付いた後肢で巨人の頭部目がけて強く蹴り込んだ。巨獣の爪は装甲をやすやすと切り裂き、巨人の頭蓋は大きく開け、さらに胴から離れて前方のビルに激突した。
「まず一機」
巨人を一つ瞬殺した獣は次に、上空に待機する光の粒をこぼしながら羽ばたく、地上の物より一回り小型の巨人に目を付けた。
巨人の首をはねても速度を落とさないまま天を進み、瞬く間に空の巨人に組みつくと大地に引きずりおろし、上腕を押さえたまま鋭い嘴で乱雑に刺し続けた。抵抗する間もなく頭部、肩関節、地に広がった銀の翼のいずれもがめった刺しにされ跡形もない。
「何じゃあ、あっけない」
二機の巨人を倒すのに十を数えるほどもかからなかったが、獅子の追う片羽の少年の姿はさらに小さくなっていた。銀の機体の放つ光が一層強くなっているように見える。それが老人に確信を持たせた。
「ビネの娘が乗っておった巨人の性能、あやつが操縦しておったからか……。ますます野放しに出来んのう」
主が、さて、と呟くのを聞き獅子が再び空に上がった。さらに小さくなっていく片羽の少年を追うかに見えたが、急きょ宙返りをするように空を舞い、仮設都市の上を旋回飛行を始めた。獅子の後ろを無数の何かが追っていた。残った巨人の腕部と脚部の装甲が開き、わずかに煙を上げている。獅子を追うそれは巨人の装甲の下に隠された銀に輝く槍だった。最後の一機が有する誘導弾をすべて撃ち出したのだ。
「小賢しいのう」
獅子の飛行速度は決して遅くないが、この無数の槍を引き離すほどのものでは無かった。少しずつだが両者の距離が縮まっていく。獅子の巨体を隠すような場所も無く、このまま行けば確実に命中すると思われた。
しかし動じる様子もなく獅子は突然、追尾し続ける銀の槍に向き直りそのまま翼で強く煽いだ。突風が吹き、槍の軌道がわずかに乱れたがすぐに獅子を追うべく列を整えた。だがその直後、目標に着弾していないのに次々に槍が炸裂していく。目を凝らせば突風に紛れて何かが撃ち込まれているのが見えた。銀の槍はすべて、その何かに撃ち抜かれ、さらにそれぞれの爆発によって誘爆を起こして消失した。獅子の方から飛んで来た物の一部が石造りの建造物に突き刺さっている。それは獅子の翼の羽だった。獅子から離れたその羽が形をとどめているのは僅かな時間で、ふっと大気に戻っていった。
地に降り立った巨獣に向かって銀の巨人が高速で迫る。休む暇を与えない追撃。力場である巨獣が疲労する事はない。しかし術者は生身だ。最大の攻撃を続ける事で操り仕損じ、好機が訪れる可能性が高まる。
熱線を放つ時のようにその両掌が赤く輝いていた。獅子が後肢で立ち上がり、頭部めがけて伸びてくる巨人の右腕を、肘辺りを掴んで動きを制した。今度は左腕が巨獣の脇腹を抉るように振り抜かれたが、同じように肘を抑えられてしまった。決して攻撃が遅かったわけではない。巨獣の目が完全に見切っていただけである。鋭い鉤爪が装甲を貫き関節を固定しているため巨人は次の攻撃に移れない。そこへ巨獣が嘴を大きく開き、わずかに力を溜めて至近距離で雷球を放つと、頭部と胸部の装甲が大破しコックピットポッドがむき出しになった。それを無造作につかみ出すと道端にぽいっと投げ捨てた。途端に巨人は脱力して膝を折り、輝きを失い動きを止めた。
仮設都市の強堅な門番を破った巨人達を全く危なげなく倒し、再び銀の馬の追走を始めるかと思われたが、巨獣はキョロキョロと辺りを見回すばかりで飛び立つ気配がない。
「ふむ、時間稼ぎにはなっておった。隠れおったか? グリフォンの目でもすっかり見失ってしもうたわい」
最も警戒するべき相手であると認識した片羽の少年の行方が知れなくなったにも関わらず、然したる問題ではないとでも言わんばかりに老人は獅子の背中で顎鬚を弄っていた。むしろ身を呈して少年を逃がした巨人の働きを評価しているようだった。
「まあよい。道すがら掃除して行くとするか。出てこにゃならんと悟るじゃろうて」
獅子は悠々と地を離れ、少しずつ高度を上げていく。遥か上空から見下し都市全体に目を配ると、巨人の残骸を捨て置き、最も戦火の上がっている方に向かって飛び去って行った。
「……めちゃくちゃだ。多分ゴーレム三機ともダメだろう」
左右に翼を持つ男が見ていた様子を銀の馬に乗車したままの少年に伝えた。二人は巨人と獅子が交戦していた場所からかなり離れた、都市の各所にある倉庫の影に潜んでいた。偵察していた男が戻ってくると、少年は再び銀の馬を走らせ始めた。緊急回線による警戒命令と応援要請が二人の乗る機体にも入電したのはそれとほぼ同時だった。
「くそ! あのじじい、マジで化物だ。本当に覆しちまうかもしれねえ」
老人と実際に刃を交え、一瞬見せた本気の一撃を受けた羽ありの男は、老人の一言が戯言ではなく事実であると感じていた。先程のような破壊の跡を目にした片羽の少年もそれを疑う余地を持ってはいなかった。救い出す前に黒髪の羽ありが叫んでいた言葉が繰り返し頭の中に響いている。無理かもしれない、そんな弱気が胸中に湧くがそれを振り払うべく銀の馬の操縦に意識を集中し、ある所を目指した。
「じじいの野郎、余裕見せつけやがって……」
彼の銀の書に青い宝石を嵌め込む手を休めず、羽ありの男が呟いた。その宝石は獅子を従える老人から渡された物だった。
魔犬との戦闘に巻き込まれて吹き飛ばされていた二輪車を獅子が瓦礫の中から見つけて掘り起し、前肢の鋭い鉤爪で収納庫を切り裂き詰め込んでいた物を取り出した。その中の大きな結晶を一つ取り、残りはすべて片羽の少年達の方へ寄越したのだ。
現在二人の持つ兵器の中で最も強力な物はまず間違いなくこの魔犬の書である。力の源を失った魔道書を回復することを許したのは、敵対する者にも遺恨を残させないと言う騎士道からだけではなく、最強の武器で全力で挑む少年を完膚なきまでに打ちのめす事で、後々に至るまで反乱分子が決起する意志を折っておく事に繋げる意図があったからだろう。
しかし片羽の少年の取った行動はそれを良い意味で裏切った。そしてそれが老人の中で片羽の少年の評価が著しく上がった瞬間であった。
あの惨状を見るに、銀の巨人かそれに匹敵する相当に格の高い幻獣でなくては太刀打ちできない。片羽の少年が有していた武器は、彼が搭乗している銀の馬に装備している小型砲台のみだった。蛇の王を打ち破った一角馬の魔道書は持ってきていない。そもそも少年の請けた作戦で敵の大将を討ち取ることは考えられていないのだ。魔犬と言う強力な武器が手札に入ったが、それでも不安が大きい。
老人の従えている鷲頭の獅子に対抗できる力はないと即座に判断し、先程敗北した若い羽ありの男を乗せると、迷うことなくそのまま撤退したのだ。
老人はにやりと口元を歪め、緩やかに地を離れると己の従者の背に乗り、片羽の少年達の背中を追った。その眼はまさしく獲物を見定めた猛禽の物だった。
狩人から無事に逃げ延びて、今。
走行中も揺れが少なく、手間取ることなく書の表紙に嵌め込む宝石を一新できた羽ありの男は、最も気になっていた事を聞いた。それはある意味彼にとって戦局よりも重要な事だった。
もちろんこの片羽の少年がこの場に来ている以上それは保証されているのだが、直接聞くまで安心できないのも事実。
「ハニー…… エディさんは?」
「……無事ですよ。一人で危ない戦いをして大分疲れたみたいだけど、僕が助けてきましたから」
「そうか…… ありがとう」
「……いえ、こちらこそ。……中佐が連絡してくれたから間に合ったんです」
少しだけ棘や歯切れの悪さが認められたが、後ろに乗る男は気にしなかった。強制ロックを解除し魔道書の再起動を終えた男が次に聞いたのは、腑に落ちない少年の行動についてだった。彼は明らかに帰投ポイントとは異なる方を目指している。救援要請のあった地点でもない。一体どこに向かっていると言うのか。
「エマのいる所です。この戦争を終わらせられる物を託されたって言ってたから。きっとそれならあの幻獣を倒せるはずです」
「何だ、そりゃあ……」
片羽の少年はただ逃げたのではなかった。魔犬の書を見た瞬間に黒髪の羽ありが言っていた事を思い出していた。今の装備では勝てないと感じ、踵を返した時からそれが狙いだったのだ。
「僕も見せてもらってないから分かりません。Fユニット、と言ってました。魔道書の一部で、特殊な魔道書に組み込んで使う物とも」
後ろの羽ありの男も得心が行ったようだ。
しかし口にはしなかったが、二人ともそれは分の悪い賭けであると認識しているようで晴れやかな顔はしていない。
巨獣が飛び去っていった方角から聞こえる破壊音の響きが治まらない。
それは残された猶予がほとんど無い事の知らせであった。
まだ見ぬ可能性を目指し、少年を乗せて馬は走り続けた。