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  作者: れいちぇる
第五章「幻獣大戦 収束」
75/82

第六十七羽 「退くに能わず」

 


 雷鳴が轟き、業火が周囲を飲み込んだ。

 それらの源である巨大な獣の主達はそれぞれ銀に輝く書を手に取り、各々の翼で空に立っていた。


 二匹の獣は大地で互いに距離を取っていた。唸り声を立てていた魔犬が一気に飛び出し、正面のあぎとが鷲頭の獅子に喰らいつく。金属を強く打ち合わせたような強烈な咬合音が響き渡ったが何も掴んでいない。巨大な犬歯が届くよりも前に素早く獅子は空に上がっていた。それを追って右の咢が首を伸ばしたが獅子はさらに飛翔し届かなかった。魔犬の三つの首がすべて宙にいる相手の方を見た。剥きだされた牙の間から炎がこぼれ出ている。大きく咆哮したその喉の奥にその火の大元が覗き見えた。それが辺り一面にあふれ出す前に鷲頭の獅子が急降下し、その鋭い爪で魔犬に斬りかかった。目一杯に開いた左の前肢が正面の咢を閉じ、右の前肢が魔犬の左の首めがけて振り下ろされた。鈍く引っ搔くような音が立ち、光沢のある固い被毛が大量に舞ったが、斬りつけられた魔犬の首は無事だった。すかさず獅子に向かって咬みついたが、獅子は正面の咢を封じたまま体を開いてそれをかわし、そのまま咬みついてきた咢も掴み封じてしまった。残る一つの首が仰け反るようにして鷲の頭を捕えようとするが角度の問題から届かない。正面の咢の下をくぐって獅子の腹を狙うが距離がありすぎてこちらも届かなかった。

 嘴が執拗に魔犬の瞳を狙う。掴まれているとは言えわずかに身じろぎする事は出来るため、魔犬は何とかそのまなこを抉られずにいたが、鋭い剣を幾度も幾度も顔面に突き立てられているのには変わらない。咢はものすごい握力でぎりぎりと締め上げられており、さらに鷲の鉤爪が深く食い込んでいるため動けど動けど外れる事は無かった。もがくように右前肢を振って獅子を払おうとしたが、体毛に爪の先が掠る程度で届かなかった。


 残された魔犬の首の口が開き、同時に地面に向かって業火を放った。翼を持つ獅子は吐き出された炎が一面を焼き尽くす前に両手を離し、空に飛びあがると一声甲高く叫びをあげた。


「ほっほっほ、何じゃお前。息巻いとったくせにだらしないのぉ」


 空に立っていた年老いた羽ありが従者の背中に降り立ち、青い光の球の中で銀の書を開いたまま睨みつけている若い羽ありの男に向かって声をかけた。若い羽ありは挑発的な言葉に対して何か言い返そうと一度口を開いたが、結局何も発さず奥歯を食いしばった。

 自分の従者の特性を理解した、魔犬に勝負をさせない立ち回り。魔犬の強靭な顎による破壊力や火炎による攻撃力はおそらく獅子よりも高い。しかし圧倒的な機動力と、攻撃の起点である頭部を的確に押さえてくる精密さにより、鷲頭の獅子は魔犬を土俵に上がらせない。そして何より次の手を読んでいるかのごとく反撃を悠々とかわされる。むしろ誘導されているようにも感じる。戦い慣れているとしか言いようが無かった。


 大きく羽ばたきすいすいと空を翔けているその姿はまさに王者の風格だった。ところが老羽ありを背に乗せたまま、その巨体からは想像しがたいほどの速度で空を走るだけでなく、宙返りしたり急降下急上昇を見せたり、急旋回に続いてさらには後ろに向かって飛ぶと言う曲芸飛行まで披露している。


 全く実力を見せていない。これ程の屈辱があるだろうか。舌打ちをして老羽ありに向かって怒鳴りつけた。


「てめえのグリフォンが器用過ぎるんだよ! パワーなら負けねえ、遊んでねえでかかってこい!」

「そうじゃそうじゃ、その調子よ。どれ、もうちぃと稽古をつけてやろうかのぅ」





―67―



 鷲の頭をした翼を持つ獅子が天を翔ける度に突風が巻き起こった。三つ首の魔犬はその嵐に抗いながら獅子に向かって唸り声を上げていた。背に乗っていた主が離れ、地上を睨む獅子の目つきが一層鋭くなった直後、一気に急下降し魔犬に体当たりを仕掛けた。魔犬は即座に左に避けて大地に伏せてそれをやり過ごし、すれ違う瞬間、翼を持つ獅子が後ろに伸ばしていた後肢の一本を魔犬の右の咢が掴んだ。その丈夫な顎はかなりの速度で通過する獅子の足を離す事なく捕えきり、あらんばかりの力で獅子を引き戻して大地に叩きつけた。そしてそのまま、大きく弧を描いて背中から落ちた獅子の広がった翼を両前肢で押さえつけ、三本の首で咬みつきかかった。天を仰ぐ姿勢を取らされた獅子は嘴を大きく開き、甲高い声で威嚇を続け、鷲の爪を大きく開いて上に乗る魔犬の顔を何度も引っ搔いた。さらに尖った嘴で突き刺しにいった。

 上下逆になった攻防がしばらく続いた。牙が体に食い込む前に獅子の爪が魔犬の左と正面の顎を掴み、ぐいっと強く引き下ろした。急に力をかけられ左腕に体重が乗り、左翼を押さえていた右腕がわずかに浮いた。その隙を見逃さず獅子は翼を引き抜き、さらに体を捻って魔犬の腹を後足で強く蹴ってその巨体を押し退けた。

 体を起こした獅子は大きく体を振るい、翼を大きく開いてその場で何度か羽ばたいた。足元の木の葉や小さな瓦礫が風にあおられて飛んでいく。その砂塵の中を大きな影が勢いよく突き進んでいった。空に舞い上がらせる前に地上で勝負をつけるつもりだ。しかし獅子はその場で跳躍し、体を反転させるように捻りながら鉤爪の付いた前足を魔犬に向けて伸ばした。そして首をつかむとそのまま魔犬の背に乗り、空いていた反対の前足で魔犬の別の頭をつかみ地面に押し付けた。これ程の巨体だと言うのにその動きはまるで猫のようにしなやかで俊敏。圧倒的な機動力を見せる翼を持つ獅子は危なげなく魔犬の動きを制してしまった。

 そのまま止めを刺すかと思われたが、魔犬からひらりと飛び降り正面に立った。自由になった魔犬がすかさず飛び出しバクンと大きな音を立てて咢を閉じたが、それよりも速く獅子は宙に上がり口を開いて雷球を吐き出した。魔犬の頭に直撃し弾けたが、一発程度で撃破されるほどやわではない。魔犬の無事を確認するとさらに獅子は雷球を放ち続けた。二発、三発と命中していくが頑丈な被毛と柔軟で厚い皮膚が防ぎ大事に至る事は無い。雷の雨を凌ぎきるとお返しとばかりに空に向かって火炎を吐き始めた。三つの首からタイミングをわずかにずらしながら吐き続ける。獅子はその炎をひらひらと避け、宙にいた主を拾い上げるとだんだんと高度を増していき、炎が届かない高度にまで達すると翼を最大限に開いてゆったりと大きく旋回を始めた。

 魔犬も火炎を吐くのを止め、上空を優雅に舞う相手を見上げていた。火を噴くのを止めはしたが牙の間から炎をこぼしている。こぼれ落ちる炎の量が多くなっていく。地面に落ちた炎は少しずつ周囲に広がっていき、周囲の瓦礫をどんどん飲み込み、一面は火の海となっていった。青い光の防御壁に包まれた主が睨みつける方に向かって、魔犬の正面の首が大きく口を開いた。それとほぼ同時に巨大な火球がすさまじい速度で撃ち出された。

 距離があるため上空の獅子はそれを危なげなく回避したが、火球は地上から休むことなく撃ち込まれた。しばらく回避を続けていたが、突如魔犬の方に向き直ると火球に向けて雷球を放った。火球は雷球に相殺され目標に着弾しなかった。獅子は少しずつ高度を落としながら、的確に狙ってくる火の玉を一つ一つ確実に迎撃していく。空にいくつもの花火が上がった。

 威力は互角。それであれば連射能力に優れる方が押し切るはずであった。しかし、間もなく足が地表に着くかと言うところで獅子の放った槍が炎幕を貫き、魔犬に突き刺さった。不意に攻撃を受けた魔犬はたまらず仰け反り、主も動揺の色を隠せていない。火球と相殺した分威力が落ちているため魔犬自体にはほとんど被害が出ていないが、押し負けるとは思えなかった勝負に負けたのだ。

 集中が途切れたり、惰性に任せたわけではない。限界まで威力を高く維持したまま決して遅くない速度で撃ち続けていたのに競り負けた。こちらは三つ、片や向こうは一つの砲口で、である。しかも勝負がついたのは丁度着地した時だった。それはつまり最初から相手は上回る威力で撃てた事を隠しており、こちらの限界を見極めたうえであえて同等の威力になるよう調節をしながら対応していたと言う事だ。


 想像していたよりも遥かに上を行く相手の実力を前にして、再び小刻みな震えが全身を包み始めていた。

 恐れを振り払うために奥歯を噛み締めた後にもう一度大きく息を吐き、三つの首を合せて一つの巨大な火炎弾を撃ち出した。しかし翼を持つ獅子はたじろぐ様子もなく、僅かに体を強張らせたのちに同じく嘴を大きく開いて一際大きな雷球を放つと、先程までと比にならない程大きな炎の塊が爆裂し霧散した。炎が晴れると獅子の背中に座っていた老人が立ち上がって大きな声で話しかけてきた。


「血は争えんのう。オルトのように負けん気が強いのはええが、もうよかろう。これ以上は無駄じゃ。大人しゅう投降すれば、暴言を吐いた事もちょっとの罰で許してやろう。一瞬じゃが光る物を見せたでな」

「う、うるせえ! 何があってもぶっ倒す! おふくろだってなあ、じじいがこんな悪党になる事を望んでるわけねえだろ! 外道に踏み誤ったような国に、誇る物なんて何も残ってやしねえんだ!」

「所詮小僧は小僧か…… しかしやっぱりおとこじゃのう。退くに退けん意地を強く持ち過ぎる」


 老人は劣勢と感じておりながら屈しない孫にこれまでに見てきた者達の姿を重ね合わせていた。脳裏に浮かぶ者達は部下であったり、かつての上官であったり、果ては敵国の者達であったりした。それらの誰もが老人自身が有能であると心酔した者達だった。思わず笑いがこぼれてしまう。戦闘の最中に思い出、感傷に浸るなどすっかり老いたものだとの自嘲であったが、若者は馬鹿にするなと憤慨し、老人は片手を上げてすまん、すまん、と非礼を詫びた。


「どれ、しょうがないのう。一度だけ本気を見せてやるわい。しっかり気を持っとけよ。かわしてもええぞ。誰も責めやせんからの」


 敬意を払うべき相手に対し全霊で持ってぶつからなければ、かえって礼を失する事になる。鷲の頭した翼を持つ獅子がその四肢でしっかと大地を踏みしめ、頭を下げて魔犬を強く睨みつけるような姿勢を取った。大きく息を吐くような仕草をし、続いてゆっくりと頭を起こしていく。背筋が反っていくのとともに、四肢の先についている鋭い爪が地面に食い込んでいった。さらに巨獣の周囲に変化が出始めた。地に食い込んだ爪、そして嘴の辺りにジリジリとした響きを立てて紫電が生み出されていく。


「ええか? 本当に避けても構わんからの。儂もどれほどになるか、ちと分からんでな」


 この老人が全力を出す事は久しくなかった。さらに言うなれば魔道書が開発されて彼が手にして以来、初めての事である。開発局の話によれば、翼を持つ獅子の力はかつてゴンドワナに在った大出力兵器を上回るように設計をしてあるとの事だった。老人もその兵器を使用した経験はあるが、ここまでは不必要と感じるほど明らかに過剰な威力であった。その記憶を元に規模を予測してみたが、全力でこの幻獣の力を開放した時どのような事態になるか、彼自身が把握しきれていない。

 しかし、命を賭す覚悟で挑む相手に対して手を抜く事は非礼中の非礼。練りに練った力を一気に解き放った。


 口腔からほとばしる雷光が巨大な魔犬に直撃し弾けとんだ。その炸裂が生み出した衝撃を受けた周囲の建造物の壁は崩壊し、離れた家屋の窓と言う窓が高い音を立てて粉々になった。


 頑強な魔犬もその異常なまでの威力の一撃に耐えきれなかった。体の半分を抉られ、傷付ききった体を支えられずに煙をあげながら地に倒れ伏した。同時に若者の持つ銀の書の中央に輝いていた青い宝石が砕け散った。


「ふむ、少し抑えてしもうたか? 儂も臆病になったのう」


 若い羽ありの男は、幸い彼を守る光の防御膜を破られる事無く五体無事だった。無意識に威力が抑えられたのは孫の身を案じたためかもしれない。しかし若者はあまりの力の差を見せつけられ、膝と共に心が折れてしまった。同時に彼を守る光の膜も消え失せた。


「やれやれ、気をしっかり持てと言うたのに…… これで分かったじゃろう?」


 どっと溢れ出す冷や汗を抑える事の出来ない若者の方に、獅子から降りた老人が一歩ずつ近づいていく。もう先程までのような殺気にも似た威圧を叩きつけられていないにも関わらず、若者は蛇に睨まれた蛙とでも言った感じで身動き一つ取れないでいた。


 その時、瓦礫を乗り越えて一つの影が現れた。天一面を覆っていた雲が切れ始め、微かに差し始めた日の光を受け輝いたその影は再び地に降りると、砂塵を巻き上げて停止した。


 銀色の二輪車型の機体がそこに在った。たった今破れた若い羽ありが乗っていた物と同型の物だった。

 それには一人だけが乗っていた。膝を着いている男よりもさらに若く、少年と言った印象は拭えないが精悍な顔立ちをしていた。


 だが何より特徴的だったのはその少年の背中であった。その背にあるのは一枚だけの翼。


 その容姿に巨獣を従える老人は微かに見覚えがあった。わずかな時間口元に手をあて、一つの記憶に思い当たった。


「……エミリオの孫娘と一緒におった小僧じゃな? ふん、貴様か。ロディニアの化け物は。あの時気付かなんだとは儂も見る目が落ちたかのう」


 片羽の少年は改めて目にした周囲に広がるあまりの惨状に一瞬息を呑んだが、すぐに気を持ち直してその根源である老人に向き合った。


「もう止めましょう。僕達は、ロディニアはデュラハンを倒し、ここまで来た。ロディニアの全部隊がこの街中に展開して戦闘を続けています。あなた達のワイルドハントも壊滅寸前にあるでしょう」

「ヴァローナを破ったと……」

「あの子は僕達が保護しています。まともに戦えるのは恐らくもうあなたしか居ない。あなたがどれだけ強いと言っても、もう止めるべきだと思います」


 老人の目の色が明らかに変わったが、片羽の少年はそれを黒翼の少女の身を案じての事だと思った。だがそれは違う。少年の口から虎の子を撃破したと報告を受け、確信を得た目だ。

 銀の馬を駆り現れた時の姿と纏う気配から感じてはいた。しかし、もう一つのゴンドワナの力の象徴である蛇の王を格下の一角馬で打ち破った者が本当にこの片羽の少年であるのだろうかと、この老人はわずかに疑っていた。目付きの変化は最早そのような疑念無く少年に対し始めた事の表れだ。それに気付いていない片羽の少年は提案への理解を求めた。


「僕達はあなた達を打ち負かしたい訳じゃないんです。争わず、一緒に生きましょう。空と大地が、羽ありと羽なしがケンカする必要がどこにあるんですか?」

「……小僧、お主わかっとらんな」


 老人はゆっくりと語り出した。それは彼の竹馬の友にも語ったことが無い、彼が戦う理由であった。


「儂らはな、互いが気に入らんからケンカしているのではない。儂らは儂らの歴史を守っておるだけなんじゃ。この戦いのきっかけは儂らの身勝手な欲望じゃ。そんな事はわかっておる。

 国土を失い、行き場を失い、希望も失った。儂はな、正直それでも構わんよ。儂は見ての通りの爺じゃ。未来にしがみつくつもりもない。じゃが国は違う。国に生きる者達には未来のある若者がたくさんおるわ。そやつらが新たに歴史を作り、さらに子をなし、延々と未来を紡いでいく。そう言った連中がいる以上、国は生きておる。逆に言えば彼らがいなくなれば、国は死ぬんじゃ。

 儂ら老人は今ある国の親なんじゃ。子を育て幸せを願わぬ親がどこにおる? そんなものは親とは言わん。手をこまねいて滅びる事なぞ出来はしない。儂らは生かすために戦う道を取ったのよ」

「でもそれでは周りの人々や国が死んでしまう!」


 少年は反発した。それは以前彼らが経験した事であったから。そしてそれは一番してはいけない判断だと既に答えが出た物であったから。その反応は至極当然だった。だが老人も引く事はなかった。


「分かっておる! 分かった上でやっておるのじゃ。死なせたくない思いは皆同じじゃ。ハイランド、羽ありこそがこの星の統治者と信じて生きてきた儂とて、そこまで愚かではない。地を這う者達も必死、儂らも必死。それが衝突したまでよ!

 じゃがな、よーく考えてみぃ。時代遅れのアースが儂らに統治される事で負に傾く事があろうか? 技術が伝道され、産業も従来よりも効率の良い物となり、医療は発達し民への福祉も進む。受け入れるべきはアースの方じゃて。争い死ぬこと無く、素直に優れた物に統治されることに勝る益はないはずじゃ。なのにどうして……。愚か、愚かよ」


「……あなたの言う事、僕には間違っているとは言えません。だけどやっぱり分からない。

 僕達は、分かり合う事ができます。ロディニアと僕達の町は、初めは互いを理解できなくて諍いを起こしました。でも今では分かり合うことが出来て、あなたが今言ったようにみんなが幸せに生きている。

 あなた達は周りの人達とここまで争わなくてはいけなくなったのに、僕達の所では不思議な事にあなたが目指している事が起きている。じゃあ、何が違うんです?」


 片羽の少年は老人の言葉を聞いて戸惑っていた。単純に善悪で判断できない物である事などずっと前から理解していたつもりだった。しかし前例を経験している身としてはどうしてここまでこじれてしまっているのかが分からない。

 ここに来るまでの間の数か月、彼の中で一番大きかったのは一人の大切な人を救い出す事で、解消すべき問題は何かと言う事を考える事はほとんど無かったに等しく、また大義はロディニアの上官を含む軍人達から教えられるばかりで自分で判断していなかった事に改めて気が付いたのだ。


 敵国の老人は無言のまま片羽の少年の言葉が紡がれるのを待った。彼の傍らには鷲頭の獅子が翼を休めて控えている。一触即発。その危険があるにも関わらず少年は老人から視線を外し、様々な事を思い出しながらじっと考え込んでいた。だが老人も先手を打って攻撃を仕掛ける事はなかった。いつもの戦場であれば敵の見せた隙を逃さず突く。それを身に刻み続けてきた老人も、最大の脅威と目したこの片羽の少年に対し、この機に乗じて攻める事を躊躇していた。


「……そうか。あなた達のしている事はお互いが分かり合うのではなく、自分達の境遇を分からせる事だけだ……。兄さんが言っていたのは、こういう事だったんだ。自分はこんな不安な思いをした。だからお前達もそれを理解しろ。それではあなた達の事を何も知らない人達は必要以上に怖がるだけだ。

 怖い物から逃げたい。逃げ場がないのに迫ってくるのなら立ち向かうしかない。あなた達は争わなくても良いはずだった所に、あえて争いの種を蒔いただけだ! お願いですから、もうやめましょう。この戦いに意味なんて何もない。僕達だって、あなた達の国を殺す事を望んでいるわけじゃない」


 再び自分にはこれ以上戦う意思が無く、互いに剣を置き、過ちを正す事を説いた。出来るだけ早く停戦したい。それは少年の、戦いを避けたいと言う優しい意思だけでなくロディニア、ゴンドワナの二国にとっても合理的判断としても望ましい物だ。実際戦局はロディニアに大きく傾いており、これをゴンドワナが覆す事はほぼ不可能の状況になっていた。このまま長引くようであれば双方に被害が拡大するばかりだ。大局を見据える司令官であれば引き時を見極めなくてはならない。しかし。


「……甘いのぅ、実に甘い」


 少年が出した答えを聞き老人は目を伏せ、首を大きく横に振った。しかしその顔は拒絶を表していると言うよりも、憐れみを強く滲ませていた。


「小僧、この国の軍はもう戦えんと言ったな? 儂は軍なんぞあてにはしておらん。儂が前に出なくても良いように、代わりとして使っておるだけじゃて。いい加減くたびれるからのう。

 ええか小僧、周りを観てみぃ。ゴンドワナの真の暴力と言うのはな、お主の目の前におるこの老いぼれの事よ。儂が一人おれば事足りる。儂がおる限りこの国の負けは無い!

 小僧、もはや退けんのよ。動いておる歴史の流れを止める事は神にしかできぬ。この国は放っておけば死ぬ。最初に言うたとおり、死なせるつもりはない! 分かり合うと言う選択はもはやこの時点にはない。もう遅過ぎよ!」


 老人の回答は残酷な物だった。一つの国の生か死か。少年の前に居る老人が背負うものは想像を絶するほど重い。他を圧倒するその気迫を目の当たりにした少年の背筋に冷たい物が走り、左の翼が毛羽立った。



「儂は一人でもロディニアを崩す。そしてこの国を生かす! さあ小僧、お主の剣を取れ。儂は、手強てごわいぞ?」


 老人の従者が翼を大きく開く。

 最後の戦いの幕開けを告げる声が広く、そして高く、仮設都市を駆け巡った。




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