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  作者: れいちぇる
第五章「幻獣大戦 収束」
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第六十五羽 「古き雷光」

 


 地に尻を着けたまま呆然としている黒翼の少女の方へ、影が一つ近づいていく。


「ヴァローナ、って言ったっけ。あたし達の勝ちよ。逃げなくてもいいの? アンタに復活されると厄介だから、逃げ帰らないならこのまま捕まえるけど……」


  額にかかった栗色の髪をかき上げながら、へたりこむ少女の従者を打ち破った羽なしの娘が一歩ずつ歩み寄っていった。呆気にとられた表情を見せていた少女が首だけで振り向き、近づいてくる者を紅い瞳できっ、と睨んだ。暗器で反撃に及ぶかもしれないと警戒を緩めずに羽なしの娘は歩みを進めた。現に黒翼の少女の身を包むふわりとした豪奢な黒色のドレスは武器をどこかに隠すのにうってつけに見えた。しかし少女は抵抗する様子を見せなかった。乗っていた古代戦車が消失し着地した時に足でも痛めたかと思ったが、足を痛めていたとしてもその背の翼で飛べばよい。その事からも羽なしの娘は黒翼の少女にはもう抗う意思が無いと判断し、十分近づいて片膝をつき目線を合わせた。


「それにしても大したお嬢さんねぇ。こんなにかわいいのに。お人形さんみたい」


 羽なしの娘の頬が若干緩んでいた。後から着いてきた片羽の少年はそれを見て、姉がこの少女を連れて帰った後で良からぬ事に及ぼうと考えているのではないかと少し心配になった。浮かべていたにまにまとしたふしだらな笑みを消して立ち上がり、両手を腰に当てて羽なしの娘が話しかけた。


「このまま確保するけど、詳しい事は兵隊さん達に任せるわ。こうなっちゃったらただの女の子ね。まーったく、少しできるとすーぐ調子に乗るんだから。だから羽ありはダメなのよ」

「羽なしの…… 羽なしのくせに!」


 急に黒翼の少女が立ち上がって羽なしの娘につかみかかった。武器を取ることもなく伸ばした細い手指は頼りなく、目の前の人間を黙らせられるようには見えなかった。しかも身長も相手よりもはるかに低い。端から見ても明らかであるのに怒りのあまりその現実が彼女には見えていないようだった。それ程までに、この結果と羽なしの娘の言葉は気位の高いこの少女にとって耐え難い屈辱だった。


 しかし黒翼の少女の放った言葉は羽なしの娘にとって最も許せない一言だった。


「羽なしを馬鹿にすんな! あたしらだって頑張って生きてるのよ! 何も知らない浮き島の羽ありに何が分かるのよ!」

「うるさい! 選ばれた天の民に盾つくなんておこがましいわ!」

「その根性が気に入らないのよ! 羽ありだからって、羽なしだからって何が違うのよ! 見なさい! どっちだなんて関係ない! この子が証明してるじゃない!」


 黒翼の少女は言い返すことが出来なかった。掴んだ両手がわなわなと震えていた。彼女を破ったもう一人の背中を見れば、左側にしか羽が無い。羽ありでもなく、羽なしでもない彼を前にして、自分の言動が所詮空論に過ぎない事実が明白となり、彼女の自尊心が音を立てて崩れていくのを感じていた。


「いい? あなた達は間違えてるの。それが分からないうちは、どれだけやってもいわゆる羽なしに勝てない。勝っているって思いこもうとしているだけなのよ」

「そんなの…… そんなわけあるか!」


 ばしん、と乾いた音が一つ立ち、羽ありの少女が大地に転がった。優美に飾り立てられた衣装に土埃が付き、起こした顔の左頬は赤くなり左眼から涙が一粒零れ落ちた。片羽の少年が両腕を開いて羽なしの娘の前に立ち、それ以上の追撃を防ぐ。それを見て羽なしの娘は首を横に振り、穏やかに微笑んだ。


「悔しい? 蔑んでた羽なしに正論で言い返せもせず、良いように叩かれて。どんな気分? 頭も良いし育ちが良さそうな分、余計に感じてるんじゃない?」


 立ち上がった少女が二人に駆け寄り、手前に立っていた片羽の少年を押し除ける。そしてそのまま握りしめた拳を頭の上に振りかぶり、羽なしの娘の鳩尾みぞおちに向けて打ち下ろした。身長差が大きく、相手の顔にとても届かないと分かっていたのだろう。


「何? それで殴ってるつもり?」


 全く物ともしていない羽なしの娘が、ぽかぽかと両手で乱打している少女の右手首を左手で掴み、強めに握ると軽い悲鳴が上がった。そのまま宙に足が浮くくらいの高さに持ち上げ、ぶん、と放ると黒翼の少女は受け身も取れずに再び地面に転がった。助けになる幻獣は屠られ、倒され傷つく自分を起こしてくれるのは自分自身の力しか無い。


 悔しさゆえか、いつしか黒翼の少女の目から涙がいくつもいくつもこぼれていた。


「あたし達はずっとそうやって生きてきた。自分が何もできないことを知って、いろんな事を恨み、妬んで生きてきた。だけどその都度、誰かが力を貸してくれて、乗り越えられないと思い込んでた壁を越えてきたの。浮き島の誇りか何か知らないけど、そんなもので手を振り払い続けてたら、アンタ達はいつまで経ってもどん詰まりよ!」


 俯いた黒翼の少女の瞳からあふれる涙が止まらない。地について上体を支えていた手が今度は砂を握った。肩を震わせ息を吸った時にむせて咳き込んだ。しかし嗚咽を漏らす事は限りなく抑え込んでいる。

 傍らに寄りしゃがみこんだ片羽の少年を、背中を擦ろうとした彼の手が少女に触れる前に羽なしの娘が引き離した。疑問に思った弟が姉を見ると、彼女は無言で首を横に振った。その目は決して冷たいものではなく、彼女も堪えている事が窺えた。


 片羽の少年も羽なしの娘に倣いただ無言で、震える黒い羽を見続けていた。





―65―




 男は焦っていた。

 開かれた格納庫の奥の、瑠璃の光があふれる一室で数多の青い宝石を選別を続けていた。膨大なエネルギーの凝集体であるその結晶の中でも最適な物を用いなければ効果を十分に得られない。残してきた者の事が気がかりであるため選定眼が曇りそうになるが、集中力を研ぎ澄ませて選び取った物を手元の銀の書物にはめ込んでいった。


「……よし。ライオス、作業続けてくれ!」


 しばらく続けていた作業を終えて予備も確保すると、瑠璃の光に背を向け、彼がここまで乗ってきた銀の機体に駆けて行った。部屋を出ると同時に、別の羽ありが保管室の扉を閉じた。自動で錠が下りる音が立った後、扉の錠を管理する端末に接続している機械を操作し始めた。


「ヒューゴ、そっちは?」


 端末機を操作している羽ありから出されたその声は大きくなく、最も近くにいるのは先程手に入れた宝石を銀の機体の収納庫に積み込んでいる男だったが、彼にも聞こえていなさそうだった。


「相変わらず早いな。……分かった、後二分。ああ。二分後、起動したら戻ってくれ。……あ? おいおい、何百年前のジョークだそれ。……そうそう死亡フラグ。相手いないくせ……マジか!」


 突然声の調子が上がった直後、今度はひそひそと小声で話し始めた。聞かれるとまずいわけでもなく、また元から聞こえていないと分かっているはずであるが、つい用心してしまうようだ。


「おい、いつからだ? 全然知らなか……え? う、嘘……だろ……? ニーシャちゃんが……お前に……」


 操作の手を止めることはないが明らかに肩を落とし、意気消沈している。


「……あ? なんでハースなんだよ、俺はノーマル…… いや待て、待て待て待て、待てって!」


 端末を触っていた男は、荷を積み終わった男が不思議そうに振り返るくらいの音量で声を発し、決して止めなかった作業を中止して格納庫のどこかで工作中の戦友を探すように見回し始めた。その眼光は鋭く、獲物を狙う獣と同じであった。


「なあヒューゴ、誰だ? 誰がそう言う洒落にならない事を広めてるんだ? お前か? お前だろ? ……それなら帰って犯人探しだな。お前じゃないことを祈ってるよ……」


 項垂うなだれながら端末のもとに戻り再び操作を開始した男の背に向かって、準備を整えた男が礼を述べ出発する旨を伝えた。操作の山場に差し掛かっている男は振り返る事無く左腕を上げてその言葉に答えた。どことなく哀愁の漂うその背中を見て、気を落とすな、と声をかけずにいられなかった。

 一体何があったのか、気にするなと言う方が無理だろう。しかしそれを聞くのが憚られるほどの雰囲気であり、また聞き出すような時間的余裕は持ち合わせておらず、そのまま格納庫を後にした。

 無意識にハンドルを握る両手に力が入る。今も幻獣の軍団と交戦している羽なしの娘のもとに一刻も早く戻らなくてはならない。上がっていく銀の馬の速度は騎手の男の焦りを如実に映し出していた。後輪が巻き上げる砂塵を残し、来た道を戻る。しかし進んで間もなくの事だった。一つの大きな影が空から現れ銀の馬の進路を塞ぎ、続いてその巨大な物の方から声が聞こえてきた。


「ネズミが入り込んだというから見に来てみれば。やれやれ、とんだオオネズミじゃのう」


 声の主は老人だった。相対した男は目を見開き、一気に全神経を集中させた。それは目の前の鷲と獅子を合せたような怪物に対してではない。その巨獣を従えている老人に向けてであった。

 深く刻まれた皺、すっかりと色を落とした髪、肉の削げた細枝のような体。そのいずれもが先を急いでいる男の、若く気力の満ちる体に見劣りした。しかしそんな物の一切が判断の基準にならない事を、銀の馬の騎手が一番良く知っていた。


「じじい……」

「小僧、おいたが少々過ぎたようじゃな。またオルトに尻を叩いてもらわにゃならんかのう」


 飄々(ひょうひょう)とした口調で目の前の男をたしなめる老人は、今も軍に属している者達から畏敬の念を集め続ける存在であった。かつての戦役において成した武勲によって、ゴンドワナの軍神とまで呼ばれる将軍である。第一線から退いたものの、この老人の代わりを務められる者が輩出されず、国家上層部から繰り返し復帰を懇願されていたほどの人物だ。老兵は後進の補佐こそがふさわしいとし表舞台に立ちたがらなかったが、ゴンドワナ墜落後の国勢を見かねて受諾し指揮を執っていた。


 かつて魔道書の実践訓練で何度か手合わせをした経験のあるこの若い羽ありの男は、この老人の尋常ならざる力を知っている。また他の者では到底起こせない成果を平然となしていく、奇跡にも近い所業を幼い頃から見せられていた。そんな祖父を誇らしそうにしている母を見て、いつしか憧れにも似た感情を抱くようになり、いつまでも子供扱いをし続ける祖父に対し口は悪くとも到達するべき目標として畏れとともに敬意を払っていた。


 だが追随を許さぬ圧倒的な力を持ち、厳しいが誰よりも信頼される背中も、この若い羽ありにとっては過去の話。軍の決定をすべて行うこの老人は、彼にとって最も許されざる存在となった。

 常にあてられ続ける威圧を押し返すために男は正面に立つ老羽ありを睨み付け、負けじと声を張る。


「じじい…… 何でロングウィットンに毒を付与しやがった? いつからゴンドワナは臆病者に成り下がった? 答えろ!」

「何じゃ? 効率のええ戦略的兵器の開発は世の常じゃろうて。なに、ビネの娘が魔道書を最適化したゆえ空き容量が増えてのう。バジリスクの代わりにならんかと実験したまでよ」

「ふざけんな! あんな非道なもん導入するなんて狂ってんのか?!」


 その時まるで騎手の男の怒りに呼応したかのように大きな爆発音が響き渡った。その音が立った方角には大きく爆炎が上がっていた。そこに何が在り、何を狙ったのか老羽ありもすぐに理解した。


「エリクサープラントか。やれやれ、痛いところをしっかり突くのう。ロディニアも腕利きの工作員を育てておるな、油断ならんわい。さて、その小ネズミの追撃をどうするかじゃな……」


 たくわえた顎髭をいじりながら煙の上がっている方を見ている。祖父に対して問いただしたい事はまだあったが、今はそれよりも絶対的不利な状況に残している娘の事が気がかりだった。この隙をついて逃走する事を考えたが、片時もこの老羽ありの意識が銀の馬に跨がる男から外される事はなく、狙い通りに行動できない。まさに最悪の切り札を出され、動きを封じられた状態だ。苛立ちを抑えられず意識せずとも声量が上がる。


「無視してるんじゃねえ! いつもいつも余裕かましやがって…… 殺人鬼に成り下がってんじゃねえって言ってんだよ!」

「何じゃ、男のくせに喚き散らしおって。みっともないのう。殺人鬼? はて、何の話じゃったか? 待て、言うでない。おお、思い出した。即死性がないだけ優しかろうて。治療が間に合わんかったら運が無かっただけじゃろう? ……何じゃお主、変わったか?」


 睨みつける男の目付きが過去に見せた敗北からくる屈辱とは全く異なる物である事を察した老羽ありが、実に不思議そうに聞き返した。


「ああ、もうアンタの考えにゃ従えねぇ。俺達が間違ってんだよ。こんな国、一辺滅んだ方が世のためだ」


 青い宝石の輝く銀の書を取り出すと、銀の馬から飛び降りた。

 すでに戦闘を回避する術は無い。羽なしの娘を救い出すためにも取るべき道はたった一つ。しかしそれは、これまでに誰も踏破しえなかった困難な道だ。老人とその鷲のような獅子を見据えて書を開き身構えるが、これまでの戦いで彼が見せていたある種の余裕は一切無い。一方、孫の言葉を受けた老人の顔には落胆と怒りが混じり合った色が浮かんでいた。


「貴様…… 言うに事欠いて何と言う事を……

 良かろう。子を叱るのは親に任せようかと思うたが、お主に関しては儂が直々に仕置きをしてくれる。少々きつくなろうが覚悟せいよ」


 同時に若い羽ありは強烈に押し込まれるような錯覚を受けた。冷や汗が首筋を伝う。

 未だかつて見た事のない軍神の本気の解放が、暴風のように彼に襲いかかってきた。




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