第六十三羽 「白銀の翼」
仮説都市内各地で戦局は激しさを増していた。
そこかしこで爆音が轟き、大きく崩れる音が地を揺らした。
銀の巨人が一ツ目鬼の群れや多数の首を持つ巨大な蛇と立ち回り、黒く光沢のある鱗と翼を持つ竜と光の粒をこぼしながら空に立つ巨人が空中戦を繰り広げている。銀の巨人を中央に聳え建つ塔に近づけまいとする巨獣達の抵抗はかなり激しい物で、仮初とは言え自国の領土であるのに周辺の建造物の被害を気に留める様子は無かった。
巨人達の足元でも死闘が行われていた。大挙して押し寄せる小型幻獣の軍隊に向けて戦車が砲撃し、突進力を生かして蹴散らす。しかし立ちはだかった毛むくじゃらの巨大な猿のような怪物が戦車の突撃を受け止め、横転させるような怪力を見せつけた。
行動不能にされた戦車を小型幻獣が一斉に取り囲む。車体に登り、各々の武器を叩きつけて壊そうとしていた。それに対して後続の車列から銃器で武装した羽ありが飛び出し、光弾を乱射し炸裂弾を投げ込み応戦した。数に物を言わせる異形の群れを何とか押し戻すとハッチを開けて乗組員達を救出し、車両を乗り捨てて早々に飛び去っていった。一連の行動を見るに非常によく訓練された者達だった。そのような者達がまともにぶつかる事を明確に避けている。それは生身でこの場に留まった場合、命の保証が一切ない事の証明だった。
またある場所では、小型の幻獣と小型の機兵の軍勢が入り乱れて争っている中心に大きく広間が出来ており、そこで筋骨隆々とした屈強な戦士と銀の甲冑を纏う四脚の戦士が決闘していた。互いの得物を何度も打ちつけあい、必殺の一撃を狙っている。
逞しい肉体を露わにする戦士は明らかに成人男性よりも巨大で、さらに巨大な戦斧を有している。そしてその頭部は人の物では無かった。額から正面に突き出す鼻面まで平らの盤状で、白目の少ない両目は中央よりも外に離れ、上唇は鼻と一体化していた。
側頭部より二本の角を生やすそれはまさに牛頭。古代の皇帝によって迷宮に封じられたとされる怪物、あるいは地獄の亡者を責め苛む鬼の姿そのものだった。
牛頭の戦士が戦斧を振るい盾の機兵に襲いかかる。火花を散らしながら一枚の盾でその一撃を防ぎ、腕に備えた剣を怪物に突き刺したが戦斧の柄で弾かれ、そのまま流れるように胴に目がけて鉄塊とも言える刃が横薙ぎに払われた。幸い機兵は盾を八枚も持っており別の一枚がそれを受けた。しかしあまりの怪力に、受けた盾を接続しているアームが耐え切れずに関節部から二つに折れた。勢いよく飛んで行った盾は、着地点にいた小型機兵と緑の肌をした小鬼を押し潰して地面に転がった。
盾を一枚破壊したが斧は機兵に届いておらず、全力で一撃を振るった直後の隙をついて盾の機兵が牛頭の戦士の右肩めがけて左腕の剣を振り下ろす。牛頭の戦士は避ける事ができずその一撃を右肩に食らったが、あまりに隆々と発達した筋肉によって盾の機兵の剣を受けても両断されずに踏みとどまった。
苦痛をごまかすように大きく咆哮した牛頭の戦士はそのまま盾の機兵に組み付き、その頭を押し付け力任せに前進し続けた。押し込まれまいと盾の機兵も四本の脚で踏ん張るが、それよりも強い力で牛頭の戦士が足を運ぶ。段々と前進する勢いが増し、建造物の壁に勢いよく激突すると壁を突き抜け、そのまま屋内を進みさらに内壁を破っても止まることなく、反対側の壁まで到達し再び外へと躍り出た。そこは水路になっており、水面を大きく波立たせて両者とも水底に消えていった。
どちらかが一方的に蹂躙するような状況がどこにもない互角とも言える戦い。長期化する様相を呈しているが、双方の力が大きいが故に一つ大きな力が加われば途端に乱れ、その連鎖が一気に広がり転げ出す予感も漂わせていた。
激しい戦闘が繰り広げられているところのすぐそばを一台の銀の馬が走り抜けていく。その騎手の背中にあるのは左側だけの一枚の純白の翼。騎手の表情には鬼気迫る物があった。しかしそれはこの切迫した状況に対する物では無かった。周りに展開する異形達に一瞥もくれていない。ひたすらに走る銀の馬の後ろの席には誰も乗車していなかった。
戦闘の輪を形成していた幻獣の一部が彼らの戦いを全く無視して走り去ろうとする銀の馬に気が付き、その進行を妨げようと徒党を成して飛びかかった。しかし騎手にはそれにも動ずる様子が無い。身をかがめ、さらに馬の速度を上げた。衝撃の負担を軽減するためにやや前のめりに、首と背中を一直線にするような姿勢を取る。そしてそのまま輝く槍となって異形の群れに突っ込んだ。
それはまさに銀の弾丸だった。襲いかかり、壁となる悪鬼のすべてを貫き、それの通った跡は浄化されきった一筋の道となっていた。
-63ー
一体何匹斬っただろう。跳梁跋扈する魑魅魍魎の相手をし続けていた勇猛果敢な羽なしの娘。しかしそんな彼女も息を切らし、少しずつ動きに鈍りが見え始めていた。
制御を取り戻した小型機兵が散開し、彼女の方へ迫りくる小型幻獣を撃退し中型幻獣の足止めしていたが、それでもその防御網を潜り抜けて数々の異形が羽なしの娘に襲いかかった。飛びかかってきた子供くらいの大きさをした太い腕の妖魔と武装した猪兵を一刀のもとに斬り伏せ、骨組みだけの兵士を容易に砕き散らしたが、明らかに疲労の色が顔に浮かんでいる。しかし張り巡らせた意識を緩める事は許されない。
何かの接近に気付いて後ろに大きく飛び退いた直後、大きな黒い物が轟音とともに彼女の目の前を横切っていく。それが通り過ぎた後には一本の道が出来ており、そこには小型機兵と幻獣の残骸が敷き詰められていた。
「あはははははっ 最初の威勢はどこに行ったのかしら? そもそも生身の人間が上級幻獣に立ち向かう事自体が間違っていましてよ! ましてやミスリルの扱えない羽なし…… すでに古い種族が我ら天の民に牙をむく事の愚かさを、身に染みて理解なさいましたかしら?」
自軍と敵軍の区別なく目の前にある物を破壊しながら進む古代戦車の上から、大きな書物の立体映像に囲まれた黒翼の少女が実に楽しそうな笑い声を上げていた。少しでも呼吸を整えようとしていた羽なしの娘は、その声を聞いて忌々しそうに眉をひそめた。実に楽しそうにしている黒翼の少女は豪奢な黒いドレスの袖からのぞく白い手指を口元に当て、少し何かを考えるような素振りを見せると羽なしの娘の方を見下ろしながら声をかけた。
「ネフュー中佐は逃げた…… いえ、それは有りえませんわね。となると貴女がしているのは時間稼ぎ。何を待っているのかは大方見当がつきますが、それが間に合うとでも思っていますの? そんな夢物語こそ有りえないと何故思い至らないのでしょう」
黒翼の少女の傲岸不遜な態度は変わらない。それが何より気に食わない羽なしの娘だったが、それをどうこうする事が全くできないでいた。この大軍を率いる首領の喉元に牙を突き立てようとしてきたが、それの乗る戦車の勢いはすさまじく、攻撃することはおろか防御も困難だった。盾にもなる鎧型の新兵装も一度だけ戦車の攻撃を防ぐ事は出来たがすでに使い物にならず、武装を解除し捨て置かれていた。手も足も出ず、その中で度々襲いくる雑魚を相手にし続ける事で体力も精神も削られていく一方だ。
「うふふふふっ 言葉も出せないようですわね。さて、降参してはいかが?」
「……誰が」
鼻で笑って羽なしの娘が答えた。しかしどう見てもそれは精一杯の強がりだった。限界が近いのが見てとれる。
「せっかく私が譲歩してさしあげてますのに…… もう結構ですわ。気が変わって懇願されましても保証はいたしませんので悪しからず」
呆れたようにため息を漏らした黒翼の少女が足を組み直すと、鬼火を漂わせた黒塗りの古代戦車がゆっくりと動き始めた。またすぐに勢いを増し、すべてを灰燼に帰すかのように轢き潰し始めるだろう。それを止めようとしてきたがとても不可能であると体でも理解してしまった羽なしの娘は下唇を噛み、うつむいてしまった。だがそれでも白旗を上げる言葉を出さない。噛んだ唇に血が滲みそうになるほど力を込めるその姿は、迫る恐怖に最期まで抗う、小さな人間に残された最後の意地そのものだった。
羽なしの娘に緩やかに、しかし確実に近づく死の兆し。その時、それは突然訪れた。
「姉さん!」
後ろから聞こえた声にうつむき地面を見ていた羽なしの娘は目を見開き、がばっと勢いよく起き上がって声がしたと思った方を見た。まばゆい光が彼女の目を差し、見開いた瞳をわずかに細めさせた。
そこには幻獣の包囲網を突き破り現れた、輝く姿を見せるスレイプニルが一台止まっていた。見間違えるはずかない。銀の馬から身を乗り出し彼女を呼ぶのは、真っ白な翼の片羽の少年。その姿を見て羽なしの娘は大きく歓喜の叫びを上げたかったが、思いに反して一切の声が出なかった。代わりに双眸から大きな涙がこぼれ落ちた。
「あら? 同じ機体ですがネフュー中佐ではありませんね、どちら様でしょう。ですが関係ありませんわ。一人が二人になったところで何が違うのかしら? 一対千が二対千になっても無意味ですわよ!」
侵入者を確認して従者を止めた黒翼の少女が居丈高に宣告したが、片羽の少年はそれを全く意に介していなかった。一度彼の姉の相手の方を鋭い目つきで見遣ったがすぐに羽なしの娘に視線を戻した。かなり苦戦をしていたようだが五体満足でいる事に安堵の表情を見せ、緩やかに銀の馬を走らせ彼女のもとにたどり着くと左手を差し伸べ、羽なしの娘がその手を取るとそのまま後部の空席に引き上げた。姉が席に着くのを確認すると再びアクセルを吹かして距離を取り、この戦場を支配する闇を睨んだ。
生気を取り戻した姉が後ろから少し覗き込むようにして問う。
「ねえ、ウィン。どうしてここがわかったの?」
「緊急回線で中佐が教えてくれたんだ。大丈夫、エマも助けてきたから。今、兄さんと一緒に居る」
そう答えた少年の顔はとても爽やかで迷いなく、自信に満ちていた。これ程までになく頼もしい力が目の前にある。感激のあまり抱きつきたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて後部座席に腰を預けた。
「へ、へぇ。あいつ気が利いてるじゃない。帰ってきたらお礼言わなきゃ、ね」
「連絡によればもうすぐ他の部隊も合流するはずだよ。姉さん、ご苦労様。それまで僕に任せて」
「何言ってんの、まだまだ戦えるわよ! お姉ちゃんに任せなさい!」
まだ息は荒く速い鼓動が治まっていない状態ではあるが、これまでになく彼女の全身には気力がみなぎっていた。諦めまい、屈しまいと孤独に戦っていたが、もう違う。後部座席に備えられている銀の鎧を起動し、左腕を通そうとした時おかしな事に気が付いた。
「ちょっとこれ、ボコボコになってるじゃない」
「あ、それ、エマと戦った時に瓦礫に当たって……」
「戦った?! あのバカ女、助けに来た恩人に何してんのよ!」
「良いんだよ、姉さん! 僕も兄さんも無事なんだし! 落ち着いて!」
片羽の少年はハンドルを離し、ぷんすかと怒り暴れはじめかねない姉の方に振り返って一生懸命なだめていた。こんな戦場の真っ只中、それも敵地でこのようにするのは普通では考えられない。
「まったく、何ですの貴方達は! 危機感が無いにも程がありますわ! この戦力差を見ての現実逃避のつもりでして?」
黒翼の少女の勝ち誇っていた顔が陰り、苛立ちを露わにした。先程まで敗色濃厚だった相手が、絶対優勢である自分を完全に無視してはしゃいでいるようにしか見えない。まるですでに勝負がついた、それも羽なしの娘達が勝利したかのような、現実を無視したその振る舞いが許せないようだ。しかし羽なしの娘は高揚しきってこみ上げてくる笑顔が抑えられていない。前の座席に着く片羽の少年の両肩に手を置き、自分の顔を彼の左頬あたりに寄せて、黒翼の少女に教えるかのように自信たっぷりに語りかけた。
「アンタ、何も知らないのね。この子がいたら一足す一が二なんて答えにならないわ。これで大逆転で、大勝利よ!」
それが黒翼の少女の逆鱗に触れた。苛立ちを超えた怒りによって、常に余裕を持ち気品を感じさせていた美しい顔立ちが歪む。さらに彼女自身は意識していなさそうだが自然と背筋が伸びてやや仰け反り気味になり、顎を少し上げて銀の馬に乗る姉弟をこれまで以上に見下す姿勢を取っていた。
「一体何を根拠にそんな事を口にされるのかしら……。私のワイルドハントの前に敵なんてありません。淑女…… かどうかは別として、女性ににわか期待を持たせるなんて罪な殿方ですわね。二人仲良く私の軍団の前に平伏しなさい!」
異形の大群から大きく咆哮が上がる。怒りの最高潮に達した黒翼の少女の意志に応えるのが彼らの使命。これまで以上の敵意が辺りを包み込んだ。
しかしそれを向けられる者達は全く怯む様子を見せない。力に満ちたその眼差しは、眼前に広がる闇を払う光を秘め、たとえどんな脅威だろうと打ち勝つことが出来る事を疑っていなかった。