第六十二羽 「百鬼夜行」
その光景は、誰もが見た事のない、そして誰もが見た事のある物だった。
人間のように立ち歩く蜥蜴や猪、骨組みだけの兵士、緑の肌をした背の低い醜悪な小鬼。それらよりも遥かに体の大きな毛むくじゃらな猿を思わせるような怪物、仔牛ほどもあろうかと言う大型の犬や子供くらいの背丈に山羊のような足と鉤爪の付いた太い腕を持つ妖魔。各々が装備を打ち鳴らし、地を踏み鳴らしたその音がうねりとなって辺り一面を飲み込み、数多の幻獣の咆哮がこだまする。さらにどこからともなく増援が現れ、留まることなく膨れ上がっていく。構成する化生はすでに膨大な数に及んでいるにも関わらず、この群れは未だ完成していなかった。
軍勢の背後にある建造物の影から単眼の巨大な鬼が姿を現し、さらには蛇の尾を持つ豊満な体をした美女が街路の奥から音もなく這い出てきた。
幻獣達の唸りに混ざって蹄の音が鳴り響く。その場に威風堂々と聳え立つ戦車を牽く巨大な馬の物ではなく、音の主は小型幻獣の群れの間から現れた。黒い毛並みに頭部に二本の角を持つ馬と、弓矢と槍で武装した人馬。
そしてそのすべてが黒鎧の騎士の体が向いている方角にいる者に対して敵意を見せている。今にも飛びかからんばかりであったが、群れは完全に統率されており、動きを乱す物はいなかった。
大軍を成すのはすべてお伽話の住人達。それらを率いるのは黒き古代戦車に騎乗した首のない黒鎧の騎士と、その騎士の後ろに座る銀の書を開いた黒翼の美しい少女。
「ネフュー元中佐、ご自慢のケルベロスはお使いにならないので?」
戦車に乗る少女が視線の先にある銀の機体に乗る羽ありの男に声をかけた。
「使うまでもねえ。使ったら弱い物いじめにしかならねえからな」
挑発を受けたがさらに挑発で返す。自分のペースを乱さず戦う事をこの男は心得ていた。しかし黒翼の少女も取り合わない。
「まあ。それだけ言えるのは大したものですわ。エライザ中佐からのご報告どおり、ケルベロスは出せないようですわね。さらに言うなら、ワーウルフも出せないのでしょう? グリモアに適したエリクサーはそちらで加工できませんものね。もっとも召喚できたとしましても、私のデュラハンに勝てるはずがございませんが」
羽ありの男はそれに対して言い返さず、小さく舌打ちをした。彼の持つ魔道書のエネルギーは先の風の精霊との戦いでかなり消費しており、満足に力場形成が出来なくなっている事が事実である以上、この状況を戦い抜くには後ろの羽なしの娘と共闘する他にない。
しかし眼前の光景は多勢に無勢を絵に描いた状態である。どう戦いこの苦境を切り抜けるか懸命に思考し続けていた。
「うふふふっ 無駄だと思いますけれど? そうそう、お人形はみんなお返ししますわ。そうでもなければ弱い者いじめにしかなりませんものね」
自分の優勢の誇示も兼ねて先程かけられた言葉をそのまま返した黒翼の少女の顔つきは、その造形の美しさと不釣り合いなほど嫌味に満ちていた。
―62―
異形の軍勢と銀の軍勢に挟まれた空間に、ぴりぴりとした緊張感がみなぎっていた。
羽なしの娘が機体と連結している左腕の鎧を手綱の代わりにして、威嚇の意を込め右腕一本で長大な柄のアームズを振るう。その素振りが合図であったかのように黒鎧の騎士の呪縛から解かれた小型機兵達がスレイプニルの脇を固めるように流れ込み、幻獣達の波を妨げ、道を作った。
「行くぜ、ハニー!」
「さっさと行く!」
二人がほぼ同時に声を出した。自分の方へ進攻を始めた銀の馬を認めると、黒翼の少女は彼女の従者に指示を出し黒い戦車を走らせだした。銀の馬の方へと向かわずそれを避けるように進んでいく。戦車がいた所には蛇の胴を持つ女の魔物が滑り込んで行く手を阻み、直後銀の馬の横っ腹を狙って太い鞭が打ちこまれた。周囲の小型機兵と小型幻獣を巻き込み蹴散らす猛烈な威力を見せつけたが、銀の馬は倒れない。逆に女の魔物から悲鳴が上がり、三日月を担ぎなおした銀の馬から遠く離れた所に重い何かが落ちる音がした。続けて女の魔物の近くで爆発が起こる。それは尾が短くなった蛇に直接命中せず、その目の前で盾を構える二足歩行の蜥蜴の群れを爆砕し空間を作った。爆発で起こった煙幕が女の魔物の視界を奪った次の瞬間、その土煙を突き破り輝く機体が現れ蛇の脇を通過し、つんざくような魔物の悲鳴が突然消えた。すれ違いざまに銀の馬から伸びた太い針が女の心臓辺りを貫き、引き抜かれていったのだ。
蛇が溶けていくのを尻目に銀の馬は後輪を滑らせて方向を急激に変え、走り去っていった古代戦車の後を追う。足を止めれば怪物の海に飲み込まれてしまう。入り込んだ以上、戦車を追い続けなくては状況は悪化していく一方だ。しかし戦車の進む先にある幻獣の群れが割れて出来た道も、戦車が通り過ぎた後は再び閉じて塞がっていく。厚く壁が築かれる前に追いつき勝負を着けなくてはならない。
躊躇うことなく進み続けたがその足は止められた。速度の乗ったスレイプニルならば小型幻獣数体程度であれば問題とせずに進攻できる。だが明らかに突破できそうにない、体躯の大きな毛むくじゃらの怪物が流れ込んできたのだ。戦車の通った道以外は幻獣の量が多く、突破するには難しい。ためしに羽なしの娘が右側の壁に向かって斜め上に掬い上げるように輝く三日月を走らせた。異形の四肢や首が飛んで壁に亀裂が入り、そこに銀の馬の後からついてきていた小型機兵が滑り込んで空間を無理やりこじ開けていくが、道と呼ぶには程遠かった。
静止を余儀なくされた銀の馬の近くの地面に何かが突き刺さった。遠方の人馬が射る矢だ。次々に飛来し、幻獣、小型機兵の区別なく命中していく。破壊には至っていないが小型機兵の装甲にしっかと刺さっているのを見るに、かなりの威力で放たれている。羽なしの娘が左半身の鎧を盾に変えて防いでいると彼女の左後方から嘶きが響き渡った。矢を防ぎながら肩越しにその方に目を遣ると、二本の角を生やした馬が一頭、首を下げて前足で地面を掻いているのが目に入った。直後その馬と自分達を結ぶ線上の異形の群れがそっと分かれた。
「後ろから一頭! 突っ込んで来る!」
その声に反応して騎手の男がアクセルを吹かし、その場で百八十度の急旋回をした。目の前には小型機兵が維持している道がある。目標から離れる事になってしまうが、袋小路になっているよりは良いと判断して飛び込んだ。二人がその場から離れたわずかな後に黒色の槍が群れに深々と突き刺さり、小型機兵の破片や異形の欠片が飛散した。
続けざまに黒い疾風が二人のすぐ後ろを通り抜け、同じように銀の馬が進む道の脇に集まっている異形の壁を貫いた。彼らを追う黒い風の姿をちらりと見た羽ありの男が叫ぶ。
「二角馬だ! 一角馬よりも小型だが、速ぇ!」
異形の壁の穴から道の中央に二本角を持つ黒い塊が姿を現し、一直線に走る銀の馬の真後ろに立つと頭を下げて地を掻きだした。この獣は明らかに銀の馬よりも速い。この距離でもおそらく追いつかれ、同時に貫かれるだろう。
「頼む!」
短くそう叫んだ直後、騎手が銀の馬を急旋回させ、逆走し始めた。それと時をほぼ同じくして黒い疾風が吹き抜けた。相方の突然の行動に羽ありの娘は考える暇もなく、反射的に左腕を鎧から引き抜き両手で三日月の柄を持って振り抜いた。
二本の角を付けた馬の頭が首を離れて宙を舞い、黒い体がつんのめって地面を転がりながら群れの中に突っ込みそのまま横たわった。突然託された刹那の瞬間の命のやり取りに、後から襲ってきた動悸が治まらない。
「ナイス、ハニー!」
「あ、アンタ急に何させるのよ! 冷や汗止まんないし手ぇめっちゃ震えてる! 膝も!」
「出来るって信じてたから!」
「そう言う問題じゃない!」
抗議の声を上げる羽なしの娘は右手で胸元を押さえ、顔を伏せて座席に座りこんでしまった。一方騎手の男は視線を下げず彼方に見える闇を捕捉し続けていた。それは取り巻きの幻獣よりも遥かに巨大で見失う事などない。今先ほど首をはねられた疾風の通ったところに小型機兵が入り込み、銀の馬が進めるくらいの道が出来ていた。その道は鳴動とともにゆっくりと移動している軍勢を率いる戦車に続いていた。
幸いとばかりに新しく出来た道に突入する。しかしその道は闇のふもとまで開通しているわけではない。さらに小型機兵がたどり着いていない先端部は小型幻獣達が流れ込み始め、その道を封鎖し防衛するための陣形を取り始めていた。だがその陣も三発立て続いた爆撃に崩され、道は少し奥に伸びた。銀の馬からの砲撃だ。砲撃は何度も繰り返され、どんどん奥に向かって穴が掘られていく。
いつかこの厚い壁も抜かれ、奥にいる黒い古代戦車に至る道が出来ると思われた。しかし予想に反し、これほどの攻撃を受けているにもかかわらず抉れた壁はだんだんと厚みを取り戻し始めていた。砲撃にも怯まず、周囲から異形が集まってきているのだ。仕舞いには先程銀の馬の進路を阻んだ、巨大な猿のような怪物が立ちはだかった。その怪物は砲撃を受けても崩れる事無く、壁は揺るがぬ物となってしまった。
銀の馬を再び制止せざるを得なくなったところで、立ち上がった羽なしの娘が何かに気付いた。青白く揺らめく光を伴った何かが勢いよく飛んでくる。それは黒い戦車の周りを漂う鬼火と同じもの。すぐさま左腕の鎧を盾状に変形させて、撃ち込まれた火球を防御した。火球は命中と同時に閃光とともに強く弾け、羽なしの娘の防御姿勢を崩しかける程の威力があった。
「あら、良い反応ですわ。湖畔の狐火を防ぐなんて」
戦車に乗る少女が素直な驚嘆の声を漏らしたが、狼狽する様子は見られなかった。攻撃の一つが上手くいかなかったからと言って、戦況が彼女にとって不利に傾く事などないからだ。にこにこしながら言葉をつなぐ。
「言ったでしょう? 個人の意思による命令遂行阻害がない、と。ワイルドハントにおいて私の意思こそが絶対ですの。例え何がどれほど犠牲になろうとも、阻めと命ずればそれを全ういたします。そして山の蛮人は非常に頑強ですわ。どうぞゆっくりお相手なさってくださいませ」
群れの奥に佇む大きな怪物はスレイプニルの砲撃にもたじろがず平然と、立った状態でも拳が地に届くような長い腕で近くにいた小型幻獣を片手で二、三体鷲掴みにするとそのまま二人の方に向けて放り投げてきた。
それはまさに無限の生きた砲弾だった。次から次へと投げつけられるそれらのほとんどは鈍い音を立てて地面や他の幻獣に激突し、幸いにして空中で姿勢を持ち直せたものはそのままスレイプニルに向かって襲いかかってくる。空中にいるうちに砲撃で落とせる物、落としそびれても殴り落とせる、斬り払える物は良かったが、迎撃を免れた物は上手く着地するのと同時に二人に向かって跳びついてくる。一体一体の力は知れているがその動きは変則的で、対応に集中するために疲労が蓄積していった。さらに時を置いて闇のある方から火球が放たれ、防御の度にリズムが乱される。
幻獣をこちらに投げて寄越す怪物に反撃しようにも砲撃では有効打にならず、斬撃を仕掛けようにも厚い壁に阻まれ届かず、一方的に弄られる現状がさらに二人を追い詰めた。本命をその奥に控えた状態での強敵を前に苛立ちの募る銀の馬の二人とは対照的に、黒翼の少女はとても楽しそうだった。だがそれも絶対有利の状況にある強者が見せる余裕のようなものだ。まるで子供の戯れに付き合う、予想外の行動を微笑ましく見つめる親のような顔つきだ。
「ふふふっ すごいですわね、貴方達。ネフュー元中佐はともかく、羽なしの貴女。貴女が特に。先程の一騎打ちもそうでしたが、どうしてそこまで戦えますの?」
しばらく撃退し続けているとぴたりと投てきが止み、代わりに黒翼の少女の澄んだ声がはっきりと届いた。銀の馬の二人は息を切らしながら声の来た方を見た。
前方にひしめく小型幻獣がいそいそと道を譲り、二頭の重種馬に牽かれた戦車がゆるゆると近づいてくる。厚い壁に阻まれ攻めあぐねていた敵の将が、もうわずかで手が届く所にいる。この機会を逃すわけにはいかない。二人はなけなしの体力を集め、足りぬ分は攻めの気力で補う。その時大きな警報音が鳴り響いた。
緊急回線を使ったロディニア軍の連絡だ。別働隊であるライオスとヒューゴのチームからだった。内容は銀の馬に乗る二人にしか聞こえていない。たった今任務を果たしたので合流するようにとの指示だ。本来ならば即座に離脱し連絡をくれたチームの方へと向かわなくてはいけない。だが目の前の敵がそれを許すなどとは考えられなかった。
指令を聞いてわずかに逡巡すると、機械仕掛けの銀の鎧とスレイプニルの連結を切り、左腕に装着したまま羽なしの娘が後部座席から飛び降りた。着地と同時に両手で三日月状の刃を持つアームズの柄を取って身構えた。内部のグリップを放しても兵装解除されず、彼女の左半身を保護したままになっている。代わりに盾は展開されていない。
銀の馬とその騎手を置いたまま単身、異形の群れに斬り込んでいく。飛びかかってきた黒犬を空中で両断するとそのまま目の前に立ち並ぶ小鬼や妖魔をまとめて斬り捨てていった。無謀とも言える彼女の行動に焦りを隠せず騎手の男が慌てて制止させるために呼びかけたのだが、彼女は銀の馬に背中を向けたまま叫んだ。
「いいから行きなさい! アンタの役目を果たしなさい!」
「けどよ!」
「心配される覚えはないわ! 行かなきゃ二度と口聞いてやらないわよ! アンタまでガラクタになりたいの?!」
彼女の奮闘に応えるように周りから銀の小型機兵が加勢に駆け付け、彼女に向かって襲いかかってくる幻獣を食い止める。雑魚の相手を小型機兵に任せ、ひたすらに行く手を阻む幻獣を斬り飛ばして進み続け、とうとう威風堂々と聳え立つ古代戦車の足元にたどり着いた。
「行け! お願いだから! あたし一人で、十分よ!!」
勝ち目があるから飛び込んだわけではない。だが、勝ち目がある者を巻き添えにする事などできはしない。彼女の意志を無理やり受け入れた騎手の男は一度強く目を瞑り、踵を返して羽なしの娘とは反対の方へと走りだした。これまでにない速度を出し、前方に広がる幻獣の群れを一気に粉砕しながら離脱していった。
「あら、おひとりですの? 随分と舐められたものですわね。これだけの力を見て、どうしたらそんな言葉が吐けるのかしら? やはり羽なしの考えは理解に苦しみますわ」
相手は絶対強者である黒翼の少女。羽なしの娘は天を仰いで一度大きくため息を吐き、たくさんの書に囲まれながら戦車の上で足を組み彼女を見下す少女に向かって微笑んだ。ぶんと音を立てて大きな三日月を振り回して右肩に担ぐ。
三日月を構えるその姿は、力強さとは真逆に儚げで、灯火のように美しかった。