第七羽 「燃える岩山」
「落ちるぞ!!」
冬の終わりの頃だった。その時はまだ昼間で、少々寒かったがたくさんの人が外に出ていた。一人の大人があげた大声に、周囲の人間すべてが驚き、あたりを見渡した。
「あ! あそこ! たいへん!」
一人の羽ありの女性が屋根くらいの高さにまで飛び上がり、農地の上空を指差す。羽ありも羽なしも、すべての人間の視線がそちらに向いた。
―7―
大きな岩の塊が徐々に高度を落としていく。必死に速度を落とし、アースに突っ込まないようなるべく水平を維持しようとしていた。できることならば、以前のように空へと戻ろうと。だが、叶わない。それを悟った者達が次々と離れていく。無数の羽を持たない小さな点があわてるように飛び去った。まもなくして地と天が揺れ、わずかな間を置いてものすごい轟音が響き渡った。
はるか昔に空へと旅立ち、それがいつまでも続くかと思われていた浮き島が、誰も知ることがないほどの時を経て、大地へと帰った。その光景を目にしていた人々は、かつて空にあった物を毛嫌いしていたことも忘れ、言葉を失い、急いで新しくできた岩山へとかけていった。
その様はあまりにひどいものだった。巨大な、岩と土でできた島には無数の亀裂が入り、崩れ落ちていた。裂け目からは煙が上がり、広くえぐれたところから覗くパイプのようなものは火を噴いていた。道路を進むと行き止まりとなった。突然現れた壁は人の背丈よりもはるかに高く、その壁からまた新しく道路が続く。家屋らしい家屋は見当たらない。不思議と地を覆う屋根のようなものは多くあった。むき出しになっている岩肌に、多くの機械が動きを止めて転がっていた。まだかろうじて動いているものもある。だがその動きは傷つき苦しむ生き物のようで、とても痛々しかった。
一つの大きな作業用と思われる機械が横倒しになり、細い通路を塞いでいた。
「駄目だな」
「ああ、どれもこれも見たことも無い。羽ありで、構造を知ってる奴でないと動かせないな」
「…仕方ない。他を先に当たろう」
ハイランドに住むものはすべて羽ありと言われ、この地が崩れ去る前に逃げ出すことができただろう。しかし逃げ遅れたもの、何かしらの理由で逃げられなかったものがいるかもしれない。大人達と一緒に少年も探し続けた。
あちらこちらから大きな声で呼ぶ声がする。だがそれに答える声はない。時間が経つにつれて呼ぶ声が減っていく。無事だった建物の入り口から出てきた大人と、外で無事な者を探していた大人が顔を合わせると、出てきた大人は首を横に振った。出てきた大人が無言のまま外で探していた大人と目を合わせると、外にいた大人も首を横に振った。上から探していた大人の一人が降りてきて、やはり同じく首を横に振った。日暮れも近い。
もう、誰も居ない。いたとしても、見つけられない。
火を噴き、崩れ落ちた岩山を歩いていた少年は自分の力の無さに言葉を失っていた。背中の羽も力なく垂れ下がり、風切羽は地面に擦っていた。自分が今この場に行ったところで、自分に何かできることなどない。はじめからわかっていた。大人たちでさえこれを何とかできるはずがない。しかし、放っておけなかった。
「ジュド兄さんだったら…」
その日の夕食のあと、食器の片付けを終えると椅子に腰掛け、つぶやいた。
「何、ジュド兄がどうかした?」
洗い場から戻ってきた姉が席に着き、テーブルに両肘を着いて組んだ手の甲に顔を預けて、弟の顔を見ながら聞き返した。少年がうまく自分の言葉にできないでいると続けた。
「ほーんと、ジュド兄のやつ、どうしてるんだろ。手紙の返事もよこさないでさ!
…何の音沙汰も無いけど、手紙が送り返されてくるってこともないし、きっと生きてるんだろうけど。もう三年よ、三年! さすがに顔のひとつでも見せに来なさいってことよ。ねえ、母さん!」
台所で紅茶をいれていた母に同意を求める。そうねぇ、と心配そうに笑顔を浮かべて、人数分のカップとジャムの入った瓶を盆にのせて戻ってきた。盆にのっていた小皿にはクッキーが並んでいた。いただきまーす、と誰よりも早く少年の姉が手を伸ばす。
「そういえばさ、どうだったの? アンタ行ってきたんでしょ、落ちたハイランドに」
少年は頷き、どう話そうか考えた。皆が待った。
「ひどかったよ、信じられないくらいに」
そして、彼が見たままを話した。残っていた人がいたとしても誰も助からなかっただろうし、誰一人助けられなかったことも。
「…迷惑な話だ。よりによって地禮祭の前だというのも…。ここらの農地をかなりダメにされた。今年の収穫がすでに心配だ」
「でさ、ハイランドってどんなだった? わたし達行ったことも、話を聞いたことも無いからさ。やっぱこの町と全然違う? ああ、ボロッボロに崩れちゃってるんだっけ。ちょっとはマシに残ってるところって無い?」
少年は首を横に振るだけだった。そして母の方をちらりと見て、目線をカップに落とした。父は祖父と祖母に、姉は特に誰に対してでもなく話を続けていた。
「ジュド兄さんだったら、どうしたんだろう。何かできたのかな」
ゆらゆらゆれる紅色の水面に映った自分を見ていた。とても小さな声で、隣で黙って皆の話を聞いていた母にしか聞こえていない。やさしい目のまま、息子の頭を撫でる。
「そうね。できたこともあるだろうし、できなかったことも多かったでしょうね」
小さく薪がはじける音とともに、壁に映る皆の影がやわらかく揺らめいた。