第四十七羽 「少年の勇気 3」
「基地より入電! 侵入者による攻撃を受けています。幻獣2、その他火器携帯者12! 幻獣はフィールド反応ありますが、肉眼では確認されません! 件のステルス機能搭載の幻獣と思われます!」
「前門の虎、後門の狼か……。最後列隊、引き返し援護に回れ!」
報告を受けた師団長が即座に指示を出す。伝令を受けた部隊は本隊から離れ、閃光にかき乱され薄くなった青い煙幕とは反対の方角へ引き返し始めた。
「パニッシャーによる観測障害時間終了。……前方幻獣フィールド確認されません! 撃破です!」
司令トレーラー内に小さく歓声が上がった。しかし師団長はその報告を受けても全く表情を緩めなかった。むしろ周囲への警戒、観測を停止せぬように命じる。
先の戦いであれ程の損害を被ることになった相手だと言うのに、あまりにも容易すぎる。確かに先制で最大威力の攻撃を放った。彼らロディニアの虎の子であるゴーレムの一撃は極めて強大。現に今の砲撃で谷底を切り裂き山肌を広範にわたって抉り取った。その一撃を受けて無事であることの方が非常識なのだ。杞憂であるはず。だがしかし、その這いずるような不安やおぞましさが拭えない。
蛇の吐き出した青い霧が薄く広がり、霧の奥の景色がうっすらと分かるようになっていく。そこにもやはり異形をさらし、威圧を放っていた蛇の姿は無い。全く無い。
「全隊に警戒、ブラフだ! 右翼、東に向け威嚇射撃開始! 風上を取られるな!」
唐突の指示に従い東に向けて戦車隊が砲撃を始めた。特に狙いを付けるでもなく、広範囲にばらまき弾幕を敷いた。休む間もなく打ち続ける。弾幕の手前に土煙とは異なる色調の煙が立ち上り始めた。そして王冠を戴いた巨体が鎌首をもたげる。口を開いて威嚇音を上げその口腔に備えた長い毒牙を見せつけると同時に、頭部を低くし地を滑るように戦車隊に向かって突進していった。吐く息に含まれる毒が宙に筋を残して漂う。王が進む道には生きる物は残らなかった。
―47―
毒に頼らずとも蛇の王の力はすさまじかった。一振りした尾で戦車を弾き飛ばし、口に備えた牙は戦車の装甲を引き裂く。砲弾がいくつか命中するがその体を抉り、屠るには至らない。その身に与えられた痛みに怒りを露わにした蛇の王は鎌首をもたげ、喉にある紋を大きく開いて群がる者達を睨みつけた。その光に中てられた者達はたちどころに輝きを失い地に伏していく。先日の悪夢の再来だ。
一匹の巨蛇に蹂躙される部隊のもとに、ようやく銀の巨人が駆け付けた。赤く輝く掌で蛇の首元を掴み、部隊から引き離していく。頚部に隠された邪眼を開くことが出来ないため、蛇の王はもがくにもがいた。巨人の手も巨大だったが蛇の王の首の径もそれ相応に太く、締めこむことが出来ない。もがいているうちにすり抜けることに成功し、その尾で巨人の側頭部を叩きつけた。掴まれていた頚部からはほのかに煙が上がっている。高熱の掌をしばらく押し付けられていたため、形成するフィールドに乱れを生じたようだ。修復にはある程度の時間がかかり、その間邪眼による攻撃は不可能とみて、巨人は攻撃の手を休めない。
再び腕が赤く輝く。頭部を撃ち抜くべく伸ばしたその掌は何も掴むことなく空を切った。首はしなやかに素早く引かれ、そして鞭のようにしなりその先端についた巨大な牙が振り抜かれた。だがその鋭き剣が届く前に銀の塊が大蛇の横っ腹を叩く。蛇の王は宙に浮き、大きく飛ばされ地を嘗めた。支点にするために力を込めて硬くなり、動きの鈍くなったところを巨人の右足が薙いだのだ。
勝機とばかりに銀の巨人はその右掌から熱線を乱射し始めた。そのまま射抜き焼き払うつもりであったが、蛇の王は動きを止めることなく、すぐさま滑りだし放たれた炎の矢を掻い潜りかわしていく。
巨人が矢で追うよりも蛇の王は速く走った。一旦狙い撃ちにされるのを避けるために離れていったが、再び高速で接近した。文字通り蛇行し、巨人の矢をかわして一気に飛びかかる。だがその牙も巨人を捕らえる事はなかった。巨人は脚部に備えるスラスターを全開にして瞬時にその場から移動したのだ。腕の可動限界を補うため、静止せず常にスラスターを吹かしてその巨躯の正面を蛇に向けていた事が幸いした。
その大きく裂けた口に何かを捕える事は無かったが、しつこく獲物を狙う事はせず、蛇の王は速度を緩めずに走り去った。その背に向けて巨人が左腕を伸ばす。その左腕の装甲が開くと白煙を上げて数多の槍が射出された。ミスリル製誘導ミサイル「ガエボルグ」だ。槍のすべてが蛇の王を追って行く。だがそれらも命中しなかった。蛇の姿勢が問題だ。蛇行しているだけでなく身を低くして大地を滑っていくため、上空から降り注ぐ自動追尾式の槍のほぼすべてが直前の軌道修正が追いつかずに大地に突き刺さってしまう。突き刺さって炸裂した槍に巻き上げた土砂、岩石が後続の槍の誘爆を誘い、着弾前に数を減らしていく。幸い誤着、誘爆を避けた槍が大地と水平に飛び、蛇の王を執拗に追い続けた。いざ着弾と言う時、走りながら鎌首をもたげた蛇は勢いよく谷底の街道に飛び込んだ。舗装に使われていた煉瓦をまき散らし、街道の舗装の下、砂礫でやや柔らかい地盤を抉り地に潜っていく。槍も蛇の後を追ってその穴に飛び込み谷底を抉ったが、そこには蛇の姿は無かった。
観測部隊の緊張がさらに高まる。放った槍の追尾を完全に振り切り隠れおおせた蛇の王を各種観測装置を用いて追跡し、そのデータをすべて巨人のコックピット内のモニターに送った。生物、物質ではなく力場兵器である幻獣の探索は現状、フィールドエネルギーによって生じる空間の位相のずれを検出することでしかできていない。地中の場合、土砂による観測阻害が著しい。従来の方式では追跡は困難を極めた。代わりに蛇が物質的に残した地中のトンネルを探す。しかし電磁波レーダーもX線透視もその探索可能深度には反応が認められなかった。一人の観測官が、振動計が微かな振動を検知している事を発見した。そのグラフの振れが谷に流れる強風による影響と一致しない事に気付き、急いでその出処を追う。
「震源…… ゴーレム背後、戦車隊の真下です!」
観測官の声とほぼ同時に轟音と共に大量の土砂が巻き上がり、その周辺の高機動戦車が何台も宙を舞った。高く塔のように聳え立ったその物体の頂点には、王冠を思わせる突起があった。巨人が振り向くよりも速く、再びその威容を現した死の国の王が喉を膨らませる。
「戦車隊退避! ゴーレム、コックピットポッド強制射出! 本作戦を一時中止、撤退だ!」
戦車隊が退避行動を取り始めたまさにその時、王の喉元にある巨大な紋が輝いた。光に曝される直前、巨人の背が割れ大きなカプセルが上空に向けて勢いよく放り出され、離れたところでパラシュートが花開く。直撃を受けた巨人はもちろん、巨人を睨みつける邪眼の視線にある者はたちどころに光を失い、地に倒れていく。無事だった者達は基地防衛ラインにまで下がっていった。
蛇の王も相応の傷を負ったのだろう。後退していく部隊を追撃することなくその場にとぐろを巻いて、休息を取るように双眸を閉じた。息をするたびにその巨躯を包む青い霧が濃くなっていく。同時に周囲の緑が急速に失われ、大地は乾きひび割れだした。
その光景を巨大モニターで見ていた司令部の人間で、奥歯を食い縛っていない者はいない。この結果は極めて重い物だった。一匹の大蛇が守る壁は極めて堅固で厚かった。戦力を集中したが突破はならず。次の行動を取ろうにも、自軍の状況を把握せねばならない。各部署からの通達が順次入り、それらが一つ一つ報告される。
「戦車隊、損害重度。56%を失いました。現在基地においても幻獣および遊撃隊との交戦継続中。こちらへの支援申請、拒否されています。追加ゴーレムの輸送、予定通りに進行中。期日通り翌々日に到着します。現戦力のままの作戦アルファの遂行は極めて困難となりました……」
誰が言うでもなく、化け物め、と言う呟きが方々より上がった。
「……現時刻を持って作戦アルファを終了、デルタに移行する。やむを得ん、行ってくれるか?」
師団長の視線の先には一人の若い男がいた。その男の表情は決意に満ちている。その両目には迷いは無く、眼前の大損害を生み出した死の国の王に対する恐怖に打ち勝つ勇気が見て取れた。
「はい。僕が、戦います」
そう答えた男は苦渋の決断を下した師団長に対して敬礼を返す。ここで見て学んだだけであるが如才なく、そして何より美しい敬礼であった。手を下し司令部から外に出る扉に向かうその男の背中にあるのは、左だけの一枚の翼。扉の前で一度振り返り、師団長の目を見て口を開く。
「エマを…… これ以上傷つけたりしない。悲しませない。……行ってきます」
片羽の少年は、扉を開け外に出ると同時に走り出した。
「……良い男だな」
師団長の呟きに、室内にいたすべての人間が首肯した。