第四十六羽 「姿なき巨躯」
バシン、と火花の散る音が響くと同時に扉が開かれ、明かりのない室内に光が呼びこまれた。携帯火器を有した者が一人、その構えを解かぬまま入り込んだ。出入り口である扉の外にあと二人、同じように携帯火器を構えて控えている。室内に背を向け、部屋の外への警戒を怠らない。全員羽あり、そして全員が フルフェイス型のヘルメットを着けており人相は分からない。だが体格から見るに男と思われた。
部屋の中央よりもやや奥に、椅子に座らされた状態の羽ありが居た。同時に両腕を前で交差した状態の拘束着を着せられただけでなく、身動きできないよう両足とも揃えてベルトをかけられている。この基地の捕虜だろう。あるいは素行が極めて悪質な兵士を懲罰しているのかもしれない。火器を構えたまま、侵入した羽ありが拘束されている者に近づく。それに合わせて室外にいた一人も中に入り、室内での襲撃に備えた。一人目の侵入者が拘束されている羽ありの顔をライトで照らし、その者を確認する。両手で火器を構えたままでも使えるように、ライトはスーツの手首に備えられていた。その羽ありは男だった。急に強い光を当てられたため、反射的に目を閉じ顔を背けた。しかしライトを当てた者はじっくりとその羽ありの男の顔を確認し、自分の記憶と照合していく。
「ネフュー・バズ中佐ですね? ご無事のようで! 今拘束を解きます。動かないでください!」
そう早口で言うと携帯火器を背後に回ししゃがみ込んで、腿に括り付けられた短刀を鞘から抜いた。抜刀した直後は全く輝いていなかったが、手に取り拘束具に刃をあてがう時にはその縁がかすかに輝いていた。強固な材質で作られているにも関わらずその拘束具は苦も無く切り裂かれ、椅子に縛り付けられていた男は自由を取り戻した。拘束着の外に出た手首をぶらぶらと振り回してその硬直を解き、立ち上がって膝を少しだけ屈伸させる。自力での移動が可能そうである事を認めると、拘束を解いた羽ありが捕えられていた同胞に話しかけた。
「貴殿の救出も任の一つであります。さあ、我らとともに本国に帰投しましょう」
相手の言葉を聞いているのかいないのか、拘束を解かれた羽ありは動ける事を確認するのと同時に椅子に向き直ってごそごそと何かを漁りだした。椅子の背もたれに隠されていたのは一冊の書物。それを手に取り開いた。続けて文言を素早く詠唱すると、傍らに後肢で立ち上がった銀灰色の被毛に包まれた逞しい獣が現れた。低い唸り声が室内に響き渡る。突然現れた山林の神に息を呑んだ羽ありの兵士がゆっくりと立ち上がって次の言葉を発する前に、裏拳が彼を薙ぎ払った。いとも簡単に成人男性を弾き飛ばしただけではなく、命中したフルフェイス型のヘルメットにもひびが入っている。当然殴られた兵士は昏倒し、立ち上がることは無かった。
部屋に入り警戒を続けていたもう一人の兵士も、一瞬呆気にとられて銃口を下げてしまっていた。そのわずかな隙を見逃さず一瞬で一回り小さな狼の姿になった人狼が、壁面と天井を蹴って背後から飛びかかる。狙いを付ける暇どころか銃を上げる事も出来ぬうちに、その牙が利き手を奪った。
それとほぼ同時に、室外を警戒していた兵士がその携帯火器を砕き散らしながら弾き飛ばされていった。飛ばされていった兵士を追いかけるように、巨大な三日月を思わせる何かを手にした羽なしの女の姿が開け放たれた扉を横切った。
「悪いな。俺、こっちに就くわ。面白ぇ奴らが多いんでな。じじいに伝えといてくれ。出来の悪い孫が寝首を掻きに行くぜってな!」
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屋外ではキュウンキュウンと独特な音があちらこちらで響いていた。侵入者とこのキャンプに残った兵達が交戦しているのだと察せられた。一人の羽なしと一人の羽ありがその喧騒の中をかけていった。聞こえてくる音を便りに進んでいく。両者とも銀に輝く物を有していた。
野営基地自体が広いこともあるが、総力戦に出ているためこのキャンプに残っているものは少なく、味方に遭遇することもない。
「ところでハニー。どこに向かえば良いか分かってるか?」
「ハニーじゃないって言ってるでしょ、気持ち悪い! 名前で呼びなさいよ!」
「へーへー。分かりました。で、ハニー。侵入したのは十二人と魔道士二人。有する幻獣はおそらく風の妖精が一冊、もう一つは不明。すぐ報告が入ってこないって事はデカかったり目立つような姿をしてるヤツじゃねえってことさ。やみくもに走ったところでぶち当たらねえ。通信待った方が良いと思うぜ?」
「うるさいわね! あたしはこんな風にされててじっとしてられるような性格にできてないのよ! 何でいっつも羽ありってやりたい放題なの? やっぱりサイテーよ!」
「おいおい、そりゃ言い過ぎじゃね? そっちが俺のトリアム攻めてきた時はこれ以上だったんだぜ?」
「そんなのそっちが悪いんじゃない! 元々の街道を占領して、元々住んでた人達を困らせてたんだから!」
「そうは言ってもだなぁ…… ここの奴らも必死なだけだって。ここを抜かれたらいよいよ本国なんだし」
「もともとアンタらの国じゃないでしょう?! 仲良くするだけじゃない! 何で侵略なのよ!」
羽なしの娘の言葉に対して返す言葉を持たない羽ありの男は沈黙するしかなかった。
「ホント、羽ありって野蛮な生き物ね! 好かれたかったらそこを直してからにしなさい!」
走りながら叫んでいたので体力に自信のある羽なしの娘もさすがに息を切らしてきた。しかし足を止める時間が惜しい。話すのを止め、呼吸を整えるのに専念する。羽ありの男は今の言葉を聞いて、娘が羽ありを根っから拒絶しているわけではないと理解し喜んでいた。が、しかし。
「アンタは、絶ッッッ対に好きになんてならないけどねっ!」
取り付く島もない言葉に空を翔る羽ありはがくりと肩を落とした。ほぼ同時に通信機から本部からの着信を知らせる警報が鳴った。機械の使い方に自信のない羽なしの娘が傍らを飛ぶ羽ありに回線をつなぐように命じると、男は、はいよ、と短く言葉を返して自分の持つ通信機を操作した。二人に同時に聞こえるように瞬時に設定する。
「現在C-4ブロックにて救援要請。中型以上の幻獣を確認。周辺警備隊はただちに応援に向かえ。繰り返す、C-4ブロックにて救援要請」
待ってましたとばかりに羽なしの娘が顔を輝かせた。
「了解! で、C-4ってどっち?」
それと全く同時に、大きく何かが崩れ落ちる音が響き渡った。あ、と声を小さく上げた後、羽なしの娘の口角がわずかに上がる。
「そう、そっちだぜ。んじゃ行きますか」
娘からの返事は無かったが、二人は同時にかけ出した。
……
……
兵士達が地上から宙から、携帯型機銃を乱射している。その先には何もいなかった。だがしかし何もいないはずの空間に機銃から発射される光弾は消えていき、射線上にある壁面には弾痕はひとつも作られていない。突然何もないのに一人の兵士が弾かれるように後方に飛ばされ、地に倒れ伏した。それに気を取られかけたが、訓練を受けている兵士達は何もない空間に向けて一斉射撃を続けた。一人の羽ありが違和感に気付き、皆に知らせる。光弾が壁面を抉っている。撃ち方を止めると、周囲に重たい音がゆっくりと響いているのが聞き取れた。
「後ろだっ」
空にいた兵士が叫ぶと同時に何かが彼に絡みつき、そしてそのまま大地に叩きつけた。振り返った兵士達の目の前には、一匹の巨大な四つ足の異形が彼らを睨みつけていた。
どこまでも伸びるかのような黒き舌と、どこまでも続くかごとき長き尾。
醜き腫瘤をいくつも負った背。
別々に動くその両眼は見ていぬようですべてを捉える。
見る者の目を欺き、己は欺かれぬ奇怪な竜。
動かなくなった羽ありを縛り上げていたその舌を解き己の口腔に戻すと、その巨躯を覆う鱗は色を変え、完全に風景に溶け込んでしまった。兵士達は再び射撃を開始したが、また一人見えない攻撃を受け戦線から離脱させられてしまった。
流れ弾を避けるために簡易宿舎の壁から顔を覗かせていた銀の書を持つ羽ありが顔を引っ込める。大きくため息を吐き、頭を掻いた。
「ありゃあロングウィットンの竜だな。めんどうな奴を連れてきやがって。相変わらず出たり消えたり忙しねえ。お、おい! 最後まで聞けよハニー!」
再び姿を現した巨大な竜が射撃してくる兵士を追うように移動を始めた。壁に隠れる二人に背を向ける形になった直後、絶好の機会とばかりに三日月状の刃を持つアームズを右肩に担いでいた羽なしの娘が建物の陰から飛び出した。竜が接近に気付いて首の向きを直した瞬間に、羽なしの娘が手にした凶器を振り下ろしその首を刎ねた。周囲の兵士達から歓声が上がる。
「いちいちハニーって言うんじゃないわよ! さっきも言ったでしょ! それにあたしは! ぅ、ウィン一筋なの! アンタなんか心の片隅にもおいてやるもんですか!」
そう叫んだ羽なしの娘の顔は紅潮していた。走って駆け付けた直後に力いっぱいに得物を振り回した事からなのか、それとも。
「究極だな、マジで…… で、ハニー、後ろ見なって」
切り落とされた首は空気に溶けて風となっていったが、頭部を失ってもその竜は動きを止めなかった。何事もなかったかのように突進し周辺の建屋を破壊した。それどころか首の断面から頭部がみるみる再生し、わずかな時間で元通りの姿となった。生えた新しい頭を振りその収まりを確かめた後、ぎょろぎょろと異形の双眸を動かしていた。自身の首を刎ねた者を探しているようだった。巨躯の突撃を紙一重で躱した羽なしの娘は、屠ったと確信した相手に何が起きたのか理解できず息を呑み、動きを止めていた。
「な。不死身なんだよ、アイツ。マジめんどくせえ」
「どうすんのよ、アレ! 倒し方知ってるんでしょ!」
「あの長い尻尾の先に魔道士が居る。そのグリモアに繋がってるうちは不死身だ。しかも竜とつながってる間は魔道士の姿も見えねえ。消えてる時間の方が多いからめんどくせえんだって」
頭を掻きながら羽ありの男が答えた。心底この竜を相手にするのが億劫そうだ。再び透明になって消えていく。そこへ人狼が飛びかかった。拳が当たる直前に完全に姿が消えた。しかし重い音が響く。命中したのは間違いないが、行方は全く知れなくなった。
「で、曲がりなりにもドラゴンだから頑強だし力がハンパねえ。他に特殊能力は無いんだけどよ、単純だから余計に面倒なんだよ」
「要は尻尾斬ればいいのね! アンタ、自慢の狼男で捕まえなさい! 消えててもそこにいるんでしょ? 捕まえたところをあたしがちょん切るわ!」
羽なしの娘は竜の気配、竜が残した軌跡を見つけるため神経を研ぎ澄ませる。だがしかし完全に透明であり、臭気も無い。唯一感じ取れたのは移動の際に立つ音だけだった。あいにくまだ正確な位置を掴むまでには至らない。彼女の首筋に一筋の冷や汗が流れた。
わずかに響くその鈍重そうな足音が止まると、異形の竜が再び姿を現した。羽ありの男と彼が従える人狼、三日月を両手に構える羽なしの娘に正面から相対する。竜の方もこの場の敵を彼ら二人と一匹と認識したようだ。天に向かって首を伸ばし、建て付けの悪い扉を開いたかのような音に雄鶏の断末魔の声が混ざり合ったような不協和音を思わせる咆哮を上げ、再び姿を消していく。この場に居た兵はすべてその言い知れぬ不気味さに飲み込まれかけていた。その中で一つ、大きく息を吸い込む音がした。
「幻獣はあたし達が抑える! 無事な人達は敵の兵隊をよろしく!」
羽なしの娘の鬨の声がこの場を支配し始めていた不安を弾き飛ばす。羽ありの兵士達は思わずサー! と返事をし、二人と一匹を残して散開していった。