第四十三羽 「老兵の見る未来」
暗い室内に、渓谷での戦いの映像が流れる。ロディニア軍が前進する先に青い霧が立ち始め、周囲の草木が枯死していくところで映像が止められた。
「バジリスク周辺に展開されている毒性ガスですが、分析の結果、シアン、塩素、窒素酸化物、硫黄酸化物を主成分としていることが判明しました。おそらくバジリスクを形成するフィールドが触媒となり大気や土壌の成分から合成し、散布しているものかと」
そして場面が切り替わり、両腕を突出し、肩部から光の粒をこぼしていたタイプ・ギガンテが霧の隙間から顔を出した大蛇が広げた頚部にある紋にひと睨みされた直後に光を失い硬直した光景が映し出された。
「ゴーレムの急激な沈黙はエリクシルリアクターの急停止によるものと結論付けられました。リアクター内の励起状態が瞬時に安定化され、エネルギー供給が絶え、強制停止状態となったようです。またゴーレムの全身において電子伝導および伝達系に異常が認められています。リアクター停止後の予備エネルギーへの切り替えも、ミスリルからのエネルギー放射もなく、また外部からのエネルギー供給も受け付けない状態です」
「復旧にはどれくらいかかる?」
「現在のところ目途は立っておりません。エリクシルリアクターの起動はおろか、ミスリルからのエネルギー放射すら起きていません。文字通り石化している状態です。
何らかの方法で一瞬のうちに電子の流れに干渉したと考えられますが、邪眼の正体については依然不明のままです。しかし邪眼を受けた直後のゴーレムから、多種のハドロン放出と考えられる観測データが得られました。仮説ではありますが、邪眼から未知の素粒子を瞬間的に大量散布している可能性があります」
解析部隊による結果がロディニア軍の幹部達に報告される。それを聞いた高官全員が眉根を顰めていた。テーブルの上座に着く、勲章を多数つけた白い軍服を身に纏う壮年の羽ありが腕組みをしたまま問う。
「パイロットに死亡者は?」
「ありません。パイロットはハッチの強制破壊により救出済みですが、全員意識不明の状態でした。バイタルモニターもすべて機能停止しており、ログの確認もできませんので詳細はやはり不明です。現在全員意識も回復し、後遺症なども認められません。しかし機器の異常が電子干渉を起こす素粒子の放出による物と仮定しますと、生体が長時間暴露された場合にはイオン化を含めたすべての電離現象に障害が出ることが考えられます。そうなりますと正常な細胞活動も不可能になることが予想されます。パイロットの意識消失はその可能性を強く示唆する物かと」
「極めて厄介だな…… まさに死の国の王だ」
司令官は腕組みをしたまま椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げてため息を一つ吐いた。この要塞を突破することがこの戦争を終結させる必要最低条件であることは明白なのだが、そのためにはこの蛇の王を撃破しなくてはならない。しかし虎の子のミスリルゴーレムが完全に手玉に取られるほどの存在だ。正面から撃破するためには想定をはるかに超えた損害を覚悟しなくてはならない可能性がある。
「術者を叩く、か……。見当たらなかったのか? どうなっている?」
「はい、解析班の報告からは周辺に術者らしき人物の反応は認められなかったと……」
「しかしだな、あれほどのエネルギーを持つフィールドを遠距離から維持、操作できるものとは考え難いぞ。術者は必ず近くにいる。発見を急がせろ」
「で、ですがソナー、赤外線、X線、電磁場モニターすべてに反応しない人間というのは考えられません。ミスリルやエリクサーの反応も検出されませんでした。ネットワークから独立させている物からも同様の結果が得られています。ハッキングにより発見データを削除されたとも考えにくいです」
「特殊書の可能性は? 相手はフィールド技術の最先端を行くゴンドワナだ。各種索敵システムを欺くステルスフィールドを発生させる特殊書の可能性もある。それなら操作のために比較的近くに潜伏することが可能だろう。測定結果のみに頼らず、肉眼などの五感も活かせ」
「た、確かに。映像記録の解析を急がせます」
「今後のためにも必須だな。陣営周囲の警戒網を強化してはいるが、術者を見つける技術の確立は急を要するぞ」
最大の懸念事項は、蛇の王を召喚する魔道書を持った術者が彼らロディニアの陣営の中に潜入する事だ。幻獣のもっとも恐ろしいところは、魔道書から呼び出されるまでその場に存在しないと言う事だった。蛇の王でなかったとしても、万が一大型幻獣の魔道書の侵入を許せば、自陣内に突然怪物が現れる事になり一瞬で全滅する可能性がある。もちろん術者にとっても身の危険が最高値であるため、その作戦はよほどのことが無い限り実行されないだろう。しかし可能性がないわけではない。
「だがバジリスクの術者を発見できなかった場合に備え、第二案も併せておくべきだと思われるが……」
「あの少年か?」
「いや、やはり止めておこう。あの報告によれば、リスクがあまりに巨大すぎる」
起動不能となった彼らの主力兵器復旧問題と同様、今後の展開についての作戦会議が終わる目途も立ちそうになかった。
兄弟三人の部屋として与えられた仮設基地の一室にて、片羽の少年がベッドの上に横たわっていた。彼の兄は、今は囚われの身である黒髪の羽ありとともに開発した二輪車型作業用機械「スレイプニル」の整備および量産のための企画会議に出席するため、昨日から帰ってきていない。彼の姉も今さっき出ていったため、今この部屋は片羽の少年一人きりだった。
唐突の事で、未だに胸が高鳴り苦しいくらいだった。大きく息を吸って整えようとするが、なかなか治まりそうにない。自分の唇を右手の人差し指でゆっくりとなぞった。とても温かで柔らかな感覚がまだ残っている。その感覚がだんだんと薄らいでいくのが名残惜しくもあるが、興奮の中に隠されていた後ろめたい気持ちが少しずつ大きくなってくるのを感じていた。うつ伏せになり枕に顔を埋めると、左だけの翼が小さくぱたぱたと羽ばたいた。戸惑い、やきもきしている時の彼の癖だ。
決して嫌だったはずがない。そして望んでいなかったと言ったら嘘であろう。今回限りでなく、これからもこんな関係を保ちたいと心の底で思っている。だがそれが認められるような事では無いことはずっと前から知っている。そしてその事を考える度に、一人の女性の姿が少年の脳裏をよぎるのだった。姉との関係を、手が届かなくなってしまった彼女への思いのはけ口にしているだけではないのか、そんな罪悪感にも苛まれた。
「エマ…… 僕はどうしたらいいんだろう……。どうしたいんだろう……」
この場に居ない囚われの羽ありの名を呟き、少年は少しの間、考えるのを止めた。
―43―
羽ありの老人が二人、窓から下を見下ろしていた。彼らが見下ろす先には競技場のような大きなスペースがあり、そこには複数の小型幻獣が隊列を成していた。左右の陣に分かれており、彼らから見て左側の陣は剣と盾で武装した二足歩行するトカゲが、右側の陣は鎧を着こみ斧を持つ小鬼でできていた。二つの陣の奥にはそれぞれ一人ずつの羽ありが居て、魔道書を手にしていた。
合図とともに両陣営が動き始めた。直進し正面突破する個体がいたり、派手に暴れまわっている個体を複数で取り囲んで相手している者達がいたりする。一方で回り込んで敵陣を横から攻撃しようと試みる集団、円陣を組んで術者を守ろうとしている集団もいる。各陣営ともに存在する術者は一人。術者の数に対して幻獣の数が明らかに多い。
「同時に扱えるのは?」
「魔道士の練度にも因るだろうが、一般的に下級書ならおよそ四から五だろう。中級書では二から三だろうな。彼らはテストパイロットとして初期から訓練しているため、下級書で最大七冊だ。今はその最大数でデモンストレーションしてもらっている。魔道士のキャパシティを超えた数を操作しようとすれば、精度が下がる。当然分かっていると思うが、適応は同種のグリモアのみだ。それに最初にリンクさせているグリモア同士でしか操作はできん」
「上級書では?」
「困難だろう。おそらくシモン、お前をもってしてやっとだろう。そもそも上級書を二冊同時に操作する事なぞ、精神力の限界に挑戦するようなものだ。上級書一冊を五分間具現化するだけで慣れない魔道士は疲労の極地に陥るのだからな」
「ほっほ、有望なのはおるでの。まだまだひよっこじゃがの」
下階では幻獣同士の戦闘がいまだに繰り広げられていた。両陣とも傷つき倒れた幻獣は霧散して、数を減らしていた。数が減った分、作戦に割かれる個体数の配分などに調整が必要となってきている。部隊を編成しなおし、そして補充として護衛隊から一体が前衛に派遣されていった。幻獣は魔道書から作り出される力場であり無生物に過ぎない物のはずだった。しかしその光景は本当に個体それぞれが命を持った生き物であり、将である羽ありの命令を忠実に実行する部隊を作り上げているようにしか見えなかった。
「ふむぅ、素晴らしい。これならば無駄に命を捨てさせるような部隊を作らんでもよいな」
「むぅ? シモン、そんなことを考えておったのか?」
「当然じゃ。儂が若い頃はそりゃあもう無鉄砲じゃったがな。有能なのを失うことは、たとえ勝利したとしてもそれは敗北に等しいことじゃて。将軍になって分かったことじゃがな」
顎鬚を撫でながら、細身の方の老羽ありは自嘲気味に目を細めていた。下の戦いは佳境に入っていた。小鬼の斧を右手に有する盾で受け止め左手の剣で切りかかるトカゲ、トカゲの剣を両手に持つ斧で弾いて、そのまま斧を真っ直ぐ振り下ろす小鬼。小鬼の陣営はだんだんと押し込まれていき、優勢に見えたのはトカゲの陣営だった。だが小鬼の方は少しずつ陣形を変えていき、いつの間にか相手の部隊を囲い込むような形になっている。攻め込んできたトカゲ達を逆に包囲したところで、術者を守っていた護衛の小鬼達が持ち場を離れ、一気に敵の陣地に突進していった。護衛の兵士を薙ぎ払い、術者の羽ありに斧を突き付ける。勝負ありだ。その光景に老羽ありは二人とも拍手を送っていた。
顎鬚を長く蓄えている方の老羽ありが、彼の補佐官に下の二人の若者に褒賞を用意するように連絡をする。下のコートに向けて労いの言葉をかけていたもう一人の老羽ありが軽く咳き込み出し、用意してあった椅子に腰かけた。
「我々も年を取ったな……」
「……セレ、無理をするでない。お主の身体の事を知らんと思ったか? 無理が祟って寿命を縮めたのう。まったく、バカな男じゃて」
「はっはっは。なに、お前が寄越してきたあの娘がおる。彼女は優秀だ。……こんな形で会いたくはなかったほどにな」
「お主が執心しておったレッドクリスタル、ビネの孫が完成させたのか?」
「もともと理論は完成しておったのだよ。だが最後の調整や、汎用化、実用化が上手くいかなかったのだ。これほど自分の生まれを呪ったことは無かったよ、今だから言うがな」
「……言うでない。儂がその分やってきておっただろう?」
「ああ、感謝している。だがもう我々も年を取りすぎた。私も彼女のような若者に託し、あとは隠居することにするよ」
「うむ。大切なのは、未来を残すことじゃ。ならば負けられんわい。このプロジェクト・ワイルドハントを提唱して大正解じゃ。大脳生理学、量子工学博士、ミスリル同期化技術の権威のお主ならそれに応えてくれると信じておった。魔道書とレッドクリスタル。この二つがあればロディニアに負けることなどない。あとは儂がおれば鬼に金棒よ! このゴンドワナを儂らの代で滅ぼすわけにはいかんのじゃ」
白髭を蓄えた羽ありが少しだけ腰を伸ばし、扉の方へと歩いて行く。もう一人の羽ありはまだ座ったままだった。自分と同じ歴史を歩んできた彼の姿を労わるように敬礼をすると、白髭の羽ありは扉を開けた。部屋を出る直前に再び姿勢を正し、威厳を持たせた声色でもって話しかけた。
「セレ・オーディ。お主の開発したレッドクリスタル、プロジェクト・ワイルドハントのコアとして正式に採用する。報酬目録は追って届けるゆえ、確認し次第提出せよ。不備があれば期日までに報告する事。ゴンドワナ軍司令シモン・パディクトの命じゃ。拒否権はない。……おそらくこれが最後になろう。今まで本当にありがとうな」
最後の礼は少し口ごもるような感があった。座ったままの老羽ありに聞こえていなかったとしても、気持ちはは伝わっているようで手を上げて応えている。それを見て白髭の羽ありはにやりと口元を歪めて背を向けた。
「しかし…… この戦争が終わっても、儂は捕まっとるバカな孫を鍛えなおさにゃならん。ケルベロスを持っとるのに負けるとか意味が分からん。儂はしばらく隠居できんのぅ。セレ、お前がうらやましいわい。……養生せいよ」
すっと静かな音を立てて扉が閉まる。椅子に腰かけたまま老羽ありは窓の外を見て、そして再び手を口に当てて咳き込んだ。