第四十二羽 「死の吹き荒ぶ谷」
タイトル中の難読漢字ですが、「ふきすさぶ」、と読みます。指摘をうけましたので前書きにて失礼いたします。サブタイにもルビが振れたらいいのに……
片羽の少年が所属した部隊が主要兵站基地を制圧した事を皮切りに、各地のゴンドワナの基地が一つ一つ攻略されていった。工場基地、輸送基地、兵站基地を押さえゴンドワナの勢力拡散の起点を削ぐ。もともとそこに根付き、かつてより攻撃を予測し軍備を整えていた基地とは異なり、急ごしらえのそれらの防衛は専ら配備されている幻獣に依るところが大きく、防衛ラインに置かれた幻獣が撃破されてしまえば、制圧は容易だった。
もちろん幻獣そのものが脆弱であることはない。トリアム基地での人狼のように、一体で部隊を手玉に取るような存在もある。人狼との交戦経験から、人的被害が拡大する前に、とロディニア側も小型の自動機兵を投入し戦闘を行わせた。しかし哨戒中の幻獣は下級書であるとは言え、群れを成すことでロディニアの小型機兵を上回る戦力となり、制圧は進まなかった。小型機の空中からの急襲は人面鳥の群れによる超振動波攻撃によって阻まれ、大型機による強行突破は大型の翼竜が障害となり、有効な手段にはならなかった。結局トリアム攻略の時と同様、精鋭部隊の派遣および大型幻獣対策としてゴーレムの出撃が必要で、圧勝と言う形は無く消耗戦を強いられていた。
しかし周辺地域からの協力と言う観点と、光子炉も稼働していると言う点からロディニアの方が戦略的体力を有している。
じわじわとだが確実にゴンドワナの勢力を抑え込むロディニア軍は、いよいよ現ゴンドワナ本国へと迫っていた。
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そこは険しい谷だった。険しいながらも緑豊かで、空気も爽やかな土地だった。この谷を作り上げた河はすでに枯れていたが、地下水脈が代わりにこの渓谷に降った雨を導いている。もともと川底であった平地は数多の煉瓦で舗装され、立派な街道を成していた。この街道を北へ進んでいくと、その行く手を巨大な城壁が妨げる。
ここを越えたところに、この一帯で最も巨大な都市があった。かつて海運によって財を成し、数多くの塔を建てるほどの栄華を誇っていたこの都市は、ある日一瞬で瓦礫の山となった。浮き島が落ちたのだ。それ以後この地を中心に、各地域に化け物の軍勢の侵攻が始まった。この要塞を越えたところに、ゴンドワナ本国がある。
その都市は海運によって発展していたため、陸路は乏しかった。輸送されてきた物資を運ぶ街道はここ以外にも存在するが、部隊を一度に送り込むには細かった。しかしその近辺に迎撃ラインを敷かない理由は無い。想定されたとおり、偵察用の小型機は侵入早々ゴンドワナが設置していた無人の迎撃システムからの攻撃を受け、沈黙した。地形も併せ、この地はゴンドワナにとって天然の城壁となっている。
しかしこの街道を守る要塞を制圧すれば、ゴンドワナの喉元に刃が届くと言っても過言ではない。当然このような要所の防御には上級書および大型幻獣が多数配備されているだろう。攻略のためロディニアもタイプ・ギガンテ(注:陸戦用のミスリルゴーレム)を四機投入していた。
ゴーレムと高機動戦車、小型機兵輸送用のビークルおよび司令トレーラーを整列させて陣を敷く。後方支援のための兵站部隊、救護部隊、解析部隊も揃っていた。長期戦も辞さない構えだ。これにはゴンドワナにプレッシャーを与える意味もあった。まだ炸裂音のひとつも立っていないが、この谷に流れる空気は非常に張り詰めている。
空が落ちる前まで、ここは通る者達の心を癒すような風光明媚な土地だった。自然豊かな山間には鳥の囀りがこだまし、険の立つ山肌を登る鹿の姿に勇気づけられ、吹き抜ける風が草木を揺らす音が胸に染み入る懐かしきその光景は今は無い。壁を挟んだ両国から発せられるあまりの重圧に、周囲には野生動物の気配の一切がない。
地を轟かせ、谷間の大気を揺さぶりながら攻撃部隊が一斉に前進を始めた。今の季節、空気は乾いており、砂煙を残して進んでいく。壁に近付くにつれ、部隊の後方に湧き立つ砂煙とは別に、進行方向に青みがかった煙が立ち始めた。そしてその中で大きな何かが蠢いた。
「要塞前方、煙幕発生を確認。……いえ、異常です! 周辺の植物が一気に枯れていきます!」
「砂漠の王だ! 化け物を出してきたぞ! 全軍停止、攻撃開始! こちらに近付けるな!」
煙幕と間違うほど濃密な有毒ガスの中で首をもたげたそれは、頭部に王冠を思わせる飾りを持つ巨大な蛇。生ける者すべてを拒絶する空間の中で息をすることが出来る、唯一つの存在。
停車した車両の屋根が割れ、中から砲台が姿を現す。照準を霧の中心に霞む大蛇に合わせて斉射が開始された。しかしここまで霞んでいては標的までの正確な距離が測れず、着弾しているかどうかもはっきりとしなかった。撃ち方止めの指令と同時に砲撃の轟音が止む。渓谷ならではの残響が治まるのと共に爆炎、土煙が薄くなっていくが、代わりに青色が濃くなっていく。霧を生む存在が健在であることの証拠だった。
「戦車隊後退! ゴーレム以外の有人機はこれ以上近付くな!」
四機のゴーレムを残して車両がすべて後退していく。銀の巨人が霧を取り囲むように散開し、戦闘態勢に入った。
「気密空間だからと言って無茶はするなよ!」
「了解! 秘密兵器同士で仲良くしようや!」
翼を持たない銀の巨人の一体が、スラスターを全開にして毒の霧の中に突っ込んだ。しかし想像以上に視界が悪いため、光学カメラがほとんど役に立たない。また内蔵されている赤外線モニター、ソナー、X線スキャナーは、これまでの幻獣との戦闘データから有効性が低いと判断されていたため、解析部隊から送られてくる幻獣フィールドのモニター情報を常にアップデートし、標的との位置関係を把握しなくてはいけなかった。巨人のコックピット内に舌打ちが響く。モニター情報からかなり近くに居る事は知れるのだが、あまりの視界の悪さに確認することができない。
突如足元から突然影が立ち上がった。その影の頂点には王冠のような突起があった。蛇の王は自ら放った霧に隠れ、地を這いずっていたのだ。現時点での戦略的索敵システムとしての幻獣フィールドモニターは立体的ではなく、二次元平面の表示に限られていた。つまり、足元に居ようと遥か頭上に居ようと、同じ場所に表示されてしまう。ゴーレムのような大型機の戦闘時において、相手との立体的な位置関係こそが重要。そのため距離感覚を得る事はできても、ほとんど目隠しして戦っているような状態に近い。
立ち上がった影が大きく口を開き、口内の剣を銀の鎧に向けて突き立てた。しかし巨人の搭乗者の反応も悪くなく、いち早く飛び退いた為にその咢に捕えられなかった。だが胸元を切り裂かれている。
大蛇の牙を受け、胸部装甲に欠損を生じた巨人のコックピットの中の照明が赤色灯に切り替わる。気密性が失われ、有毒ガスの浸食の可能性が出たのだ。頸部背側の装甲が開き、一瞬でコックピットカプセルが射出された。毒霧を突き抜け、遥かに離れたところの上空でパラシュートが開き、ゆっくりと大地に落下していく。
「クソが! パニッシャーで一気に薙ぎ払ってやる!」
搭乗者の緊急脱出の際の爆風で周辺の霧が少しだけ晴れ、わずかに姿を現した蛇の王に対して照準を合わせる。両肩部辺りから光の粒をあふれさせる巨人に気付いた蛇が再び高く鎌首をもたげた。同時に頚部を広げると、その中央には巨大な眼を思わせる禍々しい紋があった。威嚇するように口を開き、牙を見せつけた次の瞬間、銀の巨人を睨みつけていた巨大な邪眼が輝いた。
「この距離から喰らえっ ……うお! 何だ? 出りょ……」
「おい、どうした! 応答しろ!」
通信が途切れ、ノイズのみが流れる。直視された銀の巨人は輝きを失い、まさに砲を放たんとしていた姿のまま固まっていた。
「せ、石化? ウソだろ…… 科学的にありえ」
再び通信が途切れた。もう一体の銀の巨人もその魔物の睨みを受け、輝きを失い不動と化した。
「くそっ、退却だ! 急げ、全滅するぞ!」
撤退命令を受け、残された巨人も踵を返し、スラスターを全開にして離れていった。その後ろ姿を見ていた悪魔はちろちろとその口から青い舌を覗かせた後、膨らませていた頚部を閉じて城壁の方へと滑るようにして大地を進んでいった。青い霧に晒された大地からは緑が失われ、すべてが乾き、死の世界が広がっていた。
大きな窓を背にして、椅子に座った一人の老羽ありが机に肘をつき、その光景を映し出していたモニターを見ていた。
「人型を三機、か。これまでで最高の戦果じゃな。ほっほ、上々、上々」
ゴンドワナ軍の最高実力者であるこの老羽ありは、同室していた補佐官に褒賞を準備するように命じた。補佐官が通信機を手に取り連絡を取っている間も、顎鬚を弄びながらモニターの中に広がる光景を嬉しそうに見ていた。蜘蛛の子を散らすように、ロディニア軍が退却していく様子が映っている。
「愚か者共が。バジリスクは無敵じゃ。儂がやっておったらこの程度では済まさんがな。凶悪過ぎて扱いに困っておったが、この大型相手には非常に有用じゃて。自軍までの距離に気を付けんとな。やはり強襲用か。さて、あの煙を反撃ののろしに、若造どもに奮起してもらわんとな」
薄ら笑いを浮かべる老羽ありと同じく、冠を戴く巨大な蛇が、外敵を退けた事に満足したかのように一度高く立ち上がり、頚部を広げ巨大な紋を見せ、舌を覗かせた。その後、毒の霧を再び吐き出すと、生命にも機械にも死をもたらす悪夢の住人は再びとぐろを巻き、眠りについた。