第三十八羽 「砦の守護者」
「トリアムが攻撃されている?」
執務机に向かっていた白い顎鬚を蓄えた老羽ありが聞き返した。報告に来た若い羽ありの下士官が短く返事をする。一旦手を休め、椅子を引いて立ち上がり窓の方へと歩いて行った。
「ロディニアもなかなか行動が早い。トリアムからか。落とされると厄介じゃのう」
眼下に広がる大地を歩いている人の姿が小さく目に入る。それを見て老人はやや満足気に口元を緩めた。本来警戒するべき報告の後で見せた不謹慎とも言えるその表情は、この者が軍の高官でなければ処罰の対象でもある。
「いやのぅ、ようやく元に戻り始めたと思うての」
幾分か上機嫌の老人が、訝しんでいた若い羽ありに答えた。初めに占拠したこの地を本拠地として彼らは行動していた。以前は急ごしらえの避難用緊急家屋をいくつも連絡し合った平屋造りの集合住宅のような物が彼らの本部であった。この建築物は完成してまだ日が浅い。だが設備の導入は順調であり、それが済んでしまいさえすれば新たなる中枢として機能する。そして上空から大地を見下ろすことが出来るこの塔は、以前彼らが暮らしていた浮き島からの光景をわずかにだが思い出させた。
「して、状況は?」
士官の若者は本来の厳しい顔つきに戻った老将校に報告を続けた。
「高機動戦車二個小隊と虎の子の人型兵器二機か。この後大隊で押し寄せるつもりじゃろう。あの人型はそれだけで相当な戦力。まあ乗り手にも因るじゃろうが。ユニコーンはどうじゃった? この数を相手にするにはちぃと力不足じゃろうが」
「そ、それが…… 一個小隊に敗れたと報告が。そして魔道書が拿捕されたとのことです」
老人の顔つきが一気に険しくなる。それを見た下士官は自分の事ではなくとも極めて強い恐れを感じた。この老人の命令を遂行できず、失敗を犯した将校が何人も厳罰を受けてきたことは、この国の軍部に属する者であれば誰もが知っている。たとえ自分が犯した失態でなかったとしても、怒りの矛先が自分の方に向く可能性があった。だが予想に反し、老人はため息を一つ吐くと表情を戻し、再び窓の方を見た。
「ふん、まあよい。使えん駒はこちらに回さんだけじゃ。どうせ奴らには扱えまい。……で、基地はどうなっておる」
胸を撫で下ろす間もなく下士官は報告を続けた。
「げ、現在外壁を遠距離射撃によって破壊され、戦車十二台およびデータに無い特殊車両の突入を許しています。小型幻獣部隊は特殊車両と応戦中。人型は今のところ基地内に入っていません」
「人型で大型幻獣をけん制し、その間に精鋭部隊で速攻をかけ基地司令部を押さえる気じゃな。先に基地内で人型が暴れればこちらに出る損害を甚大にできると言うのに…… エミリオも甘いわ。じゃが、それが間違いよ。何のために小僧にアレを持たせたか、その意味を恐怖と共に知るとよかろうて」
薄ら笑いを浮かべながら白い顎鬚を撫でた後、余裕を見せつけるかのようにゆったりとした歩調で窓から離れ、進路を譲った下士官の隣を通過する。扉を開き振り返ることなく部屋の外に出る。
「さて、また催促に行くとするかの。『プロジェクト・ワイルドハント』の約束の期日まで、もう少しじゃでな」
すでにいくつもの策を練り終えた老人は、仕上げとなる鍵を得るために、ある場所へと向かっていった。
―38―
「左翼、被害不明! 九から十一号まで応答取れません!」
「くっ、司令部の割り出し、急げ!」
彼らの誇るゴーレムと並ぶであろう敵方の大型幻獣の戦闘力に皆が戦慄を覚えた。トレーラー内は一瞬騒然としたが、指揮官の一喝ですぐに皆冷静を取り戻した。戦況は刻々と進行し、わずかにも気を緩められない。
「八号、現在北東施設に接近。41秒で到着します!」
「四から七号、東部施設に到着、制圧を開始!」
「東部施設内、小型幻獣フィールド少数確認! 警戒されたし!」
現況報告が飛び交う。それに対し指揮官からの指示が出、オペレーターがそれを各隊に伝達していく。直接の戦闘が行われているわけではないが、このトレーラー内も戦場さながらの喧騒だ。もしもこの指揮系統に乱れが生ずれば部隊は容易に混乱し機能をなさなくなるだろう。このゴンドワナの基地にも同じことが言える。殲滅ではなく頭部の制圧こそが最優先だ。
「……出ました! 司令部は北東施設!」
今まで不明だった頭部を確定したことでロディニア側が大きな動きに出た。大型幻獣の脅威を目の当たりにし、戦闘が長期化すれば確実に不利であることが明白となった以上、もともとの作戦通り速攻を仕掛ける他に良策は無い。
「六号と七号をすぐに送れ! 残りは施設制圧を続行! 左翼部隊の被害把握は?」
「九号、大破! 十号、中破! 走行可能ですが、兵装に障害があります! 十一号小破、稼働に問題ありません!」
「ケルベロス移動開始、北東施設に向かっています! 左翼部隊負傷者多数、ヘルハウンドに囲まれ応戦中!」
「負傷者を保護し、撤退を指示しろ! 急いでゴーレムを回せ! 屋外の敵はゴーレムに任せて施設の制圧を最優先だ!」
戦況が動き出す。巨人の動員を即決し相手にプレッシャーを与え、そして少しでも味方にかかる負担を減らして勝率を上げる。だがゴンドワナも良いようにやられるはずがない。現場ではさらなる混沌の渦が巻き起こり始めていた。
「八号車、制圧開始! ケルベロス急速接近! 警戒せ…… い、いえケルベロス、ロスト!」
「何? 消えた?」
「はい、突然……」
「『馬』か?」
「いえ、『馬』は現在北部にて交戦中です。撃破ではありません!」
撃破ではない以上必ずどこかに潜んでいると考えられた。あの巨大な体ゆえ司令部の中に入ってしまった分隊をこれ以上追撃できないと判断したとしても、増援の阻止や退路の遮断と言った役割は大きく、魔犬を消す意味などない。だと言うのに巨大な地獄の門番は姿を消した。その脅威を目にすることは無くなったが、目に映らないその禍々しき巨躯が心の底に大きな不安の影を落とす。
「……六号、七号に通達。大型幻獣が司令部付近に潜伏。警戒を怠るな」
警告を伝えたのは良いが魔犬に対しては全くの無策とも言えるこの現状に、指揮官の羽ありの握り拳に力が入る。現在有効と考えられる対抗手段はゴーレムのみであろう。前線へと向かう巨人は、翼を持たないタイプ・ギガンテ。移動速度は決して速くなく、搭載したスラスターによるホバリング移動を駆使しても到着までに時間がかかる。それまでに魔犬による被害が拡大しないことを祈るばかりだった。
北東施設に到着した装甲車から武装した八人の羽ありが飛び降りた。全員が銃器を構え、二人が後方を警戒しつつ潜入する。侵入した施設内には赤い警告灯が明滅していた。赤く照らし出された屋内には緊張感が満ちていたが、妙な静けさが漂い違和感があった。素早い行動で深部へと向かうが、警邏用の幻獣にも遭遇しない。しかし隊員は全員警戒を解くことなく、むしろより強く押し寄せるただならぬ不安を前に緊張を強めていった。
そのような張りつめた空気の中、彼らの後ろから笑い声が響く。殿の隊員の銃口が後方を捉えるがそこには誰も居ない。
「『幻獣はおろか、防衛部隊すら姿を見せない。誘導されているのか? まさか罠が……』そう思ってるだろう? ばっかじゃねえ? お前ら生身を相手に罠なんか必要ねえよ。何人も魔道士を置いておく必要もねえ。この司令部の警備は俺一人で十分ってことよ」
人を見下した調子の、若い男の声だった。先程曲がってきた通路の角に、赤い警告灯の明かりに人影が映し出された。その影には羽はなかった。影だけを見ても屈強な姿を想像させる。だが、「人」と言うにはおかしい陰影。そしてその角から姿を現した。
全身を銀灰色の被毛で覆われた筋肉質な肉体。
長い吻部に深く切れ込んだ口唇の奥に隠された輝く牙。
逞しい四肢の先には研ぎ澄まされた長い爪が備えられ、耳は頭部の高い位置にあり鋭く尖る。
猛獣独特の唸り声がその喉の奥から響いていた。
それは人の形を成した、古くから人々の傍に在った山林の神。
「お、狼男?!」
「はっ、無粋だな…… 格調高くライカンスロープ、またはワー・ウルフって呼べよなっ」
その声と同時に、獣人が駆け出し部隊に襲いかかる。羽あり達はわずかに遅れて射撃を始めた。確かに光線は標的を射抜いているが、そんなことに構わず獣人は突進してくる。跳躍と同時に体をひねって右後肢で強烈な蹴りを浴びせてきた。最後尾にいた隊員はとっさに銃器を盾にしてそれを受けたが、その銃器は簡単に損壊され、蹴りの勢いを殺しきることが出来ずそのまま吹き飛ばされた。彼の後ろに立つ隊員が三人巻き添えを食らい、通路に転がされてしまった。
獣人は低い唸り声を立てたまま、蹴り飛ばした隊員の隣の者に左腕で裏拳をみまう。腕で防いだがまたしても簡単に防御を崩され、飛ばされた。側壁にぶつかり、跳ね返ってきたところを転ばされ、肉球のついた脚で頭を踏みつけられる。
「小型だから雑魚とでも思ったか? このワー・ウルフを舐めんじゃねえよ。この状態で中級書の最上位クラスなんだぜ? それこそ街の最終防衛ラインに置いてたユニコーン並さ。戦い方次第じゃあよっぽど戦略的だ。羽ありがどれだけ武装したところで勝てるわけないだろ!」
声の主はこの獣人ではなかった。銀に輝く書を携えた羽ありが通路の奥から姿を見せる。にやにやと見下した表情をしたその男は見た目まだ二十代の若い男だった。特に文言を唱えるわけではなかったが、獣人の傷が無くなっていく。
「見ろよ、この再生力。そしてパワー、スピード。大昔から人間が恐れてきた魔獣そのものだ。それにな」
書物の頁をめくって手を当て文言を唱えると、彼の目の前に立っていた大柄の獣人に変化が現れ、少しずつ小さくなって狼に変化した。一つ遠吠えをしたかと思うと同時に跳躍し、側壁、天井を蹴って侵入部隊の真後ろに回った。振り向く間もなく、残った三名はそれぞれ翼、腕、足を切り裂かれて倒された。
「別に人型の形態をとることもない。パワーに劣って攻撃手段が咬みつきくらいになっちまうが、こっちも速くて厄介だろ?」
獣の唸り声に混ざって負傷した人間のうめき声が屋内に響く。侵入者を物ともせず駆逐した羽ありの男性は満足気に雄弁に語る。
「中でも外でも、俺にかなう奴なんていない。じじいくらいさ。この完成した特殊魔道書でこれから手前らを散々弄ってやるからな。いい気になってたことを後悔していくといいさ。はっはっは」
口調は満足気であったが、まだ物足りないと言った感じもうかがえる。それに同調するように、流れる血が足りないと言わんばかりに、再び人の姿を成した狼からまた一つ遠吠えが上がった。