第三十七羽 「幻想への進撃」
異形が群れを成していた。左手に武器を、右手に盾を持った後肢で直立するトカゲや仔牛ほどもあろうかと言う黒々とした毛をした犬や、肉の一片も付かない骨格のみの人間がわらわらと集まり、周囲には唸り声や威嚇音が響き渡っている。その中心には片羽の少年と、栗色の髪をした羽なしの娘が居た。
黒犬が飛びかかるとその体躯は空中で輪切りにされ、二つになったそれは大地に落ちると煙となって消えた。それを皮切りに、一斉に怪物達が襲いかかる。
「行くよ!」
「はいよ!」
手すりを掴む左手に力を込め、急発進に耐える。巨大な三日月を肩に担いだ羽なしの娘は、弟が操るミスリルの馬の鞍上から右手一本でその三日月を振るい、すれ違いざまに数頭の異形を薙ぎ払った。その一瞬の質量移動で重心がぶれるが片羽の少年は意に介さず運転を続ける。急激な重心変化による転倒はなく、その手綱捌きは実に見事だった。
飛びかかってくる異形を薙ぎ払い続ける銀塊が、速度を上げて異形の群れに突っ込む。相手の突然の突進にひるんだ異形達は、飛び退いたり転がったりして衝突を躱したが、いくつかはその回避が間に合わず跳ね飛ばされた。魔物の包囲網を強行突破し、今度は集まった魔物の群れの外周を時計回りに、速度を上げながら走らせる。近づく魔物はすべて後部座席の羽なしの娘が持つ三日月の餌食になっていった。
「ウィン、そろそろ行こ! 全滅が目的じゃないわ!」
「うん! 派手に暴れてどんどん集めよう! エディ姉さん、つかまって!」
まるで皮むき器のように異形の塊を外周から削っていたスレイプニルはさらに速度を上げ、壊滅寸前の群れを置き去りにして走り去っていった。
―37―
銀色のビークルが全部で十二台、崩れた外壁から突入した。突入直後、他の物より二回りほど大きなトレーラー型のビークルの上部が開き、そこから円盤状の機械が射出された。
「ヘイムダル、発射成功。起動開始!」
「よし、一号から三号はヘイムダルの防衛に専念! 当基地の統括部を早急に確定せよ! 他の者は前進し、中型が現れた場合は必ず二隊以上で応戦すること! 小型は威嚇射撃程度で極力無視せよ! 『馬』が引きつけているから少ないだろうが、まだまだ居るぞ! キクロプス、ユニコーン級の巨大幻獣出現時は早急に報告せよ! いいか、敵はタフだ! 消耗戦覚悟でいろ、だがレーションまで使い切るなよ!」
「ハッハーっ! 隊長、戦闘中に早弁するほど食い意地張った奴はいねえよ! つまんねえジョークで気を削がんでくださいよ」
「よーし、それじゃあベルムの分は俺達の方で分配しておく! スモーク・サンドイールはヨハンとニベルとディ、ポラーチーズは俺とサージ、ライオスがいただいておく! 安心しろ、カロリークラッカーは残しておいてやる。いいか、聞こえてるな、ヒューゴ! お前の好きなウィスキー、ボトルでおごってやるから協力しろよ!」
「ひっでぇ! 俺の好物ばっかじゃねえか!」
「嫌だったらさっさと終わらせて、いの一番に確保しとけ! 遅れたらクラッカーだけだ!」
「ウィルコ!(注:了解、実行する。の意。無線用語)」
十メートルほどの高度を保ち、ヘイムダルと呼称された円盤が回転している。その回転速度は一定していて、風鳴りにも似た穏やかな音を立てていた。円盤の起動とほぼ同時に内壁にこの基地の360度鳥瞰図が現れた。このトレーラー全体が巨大なモニターであるようだ。他にも内部にはいくつも小型モニターを備える装置が設置され、そのオペレーター役の羽ありが着席している。
「西、『馬』の戦闘を確認。多数の小型幻獣に取り囲まれています。『月』によるアタックにより現在損耗確認されず」
「フィールド発生、全域にて確認。大型幻獣フィールド、現在発生認めません」
「……やはり小型を哨戒用として使っているな。大型は戦闘専用と考えていいだろう。あの規模の戦闘力だ、施設内では無許可の使用を控えるわな」
「施設全域に小隊と思しき熱源確認。およそ五名ずつ。馬に誘導され集まっていきます」
モニターをまじまじと見て隊長と呼ばれた羽ありが確信を得る。
「フィールドを発生源から切り離して固定すること自体が信じられんが、おそらく遠隔操縦もある程度の制限があるだろう。話によれば自律行動はできないと言うしな。術者が無くては機能せず。まさに手品か。ビネ女史も言いえて妙だ」
腕組みをしてモニターを見、報告を受けていた羽あり腕組みを解き、左手を腰に当て右腕を前方に出して全体に指示を飛ばす。
「司令部を特定し次第、突入! 屋内戦では大型は出せない! 速攻で決めるぞ!」
「サー・イェッサー!」
「特定急げ! 新種の大型が出たら本部にまで辿り着けんかもしれん。反撃の隙を与えるな!」
はっ! と言う短い返事と共にトレーラーの中でも慌ただしく装置の操作が始まった。
八台の車両が二列になって前進する。射撃窓は開け放たれ、そこから銃口が覗いている。すれ違う小型の幻獣に追撃させない程度に射撃を行いながら目的地を目指す。途中トレーラーからの指示で、東と北東の二手に分かれた。存在する人が多い施設が二棟あるそうだ。現在どちらが司令部なのか調査中とのこと。少しでも早く制圧を開始するために、戦力を分散することにしたようだ。
「幻獣フィールド発生を確認! 左翼部隊方面です!」
トレーラーからの報告を受けた北東に向かう分隊に緊張が走る。わずかの後に、行く手を遮るように一頭の獣がその身を起こした。
その姿は巨大な犬だった。
鋭利な牙は剥かれ、鼻先と視線には圧倒的な敵意が漲る。
地の底から響くかのような低い唸りを生み出すそれは、地獄を守護する三つ首の魔犬。
その六つの瞳には燃え盛る炎が宿され、三つの口からそれぞれ大きな咆哮があがった。
その咆哮に応えるように、仔牛ほどもあろうかと言う黒い毛並みの犬が何頭も集まってきた。行く手を完全に塞がれた分隊は停車し、大型幻獣出現の報告と同時に応戦の構えを見せた。黒犬が遠吠えをあげると同時に車両に向かって襲いかかり、乗車していた羽あり達は射撃で迎え撃つ。しばらくその状態が続いていたが、先頭から二番目の車両の屋根が開き砲台が現れた。そして同時に正面の魔犬に向かって一撃を発射する。命中した砲弾が炸裂して発生した衝撃波が周囲の黒犬の動きを一瞬止め、湧きあがった爆炎が魔犬の視界を奪ったその隙を見逃さず、先頭車両が急発進し全速力で魔犬の脇をすり抜けていく。それを援護するようにもう一発砲撃が行われた。味方車両と幻獣を後ろに置き去りにして、先頭を切っていた車両は目的地に向かって走っていった。
風に煙が払われていく。そしてその煙の奥から怒りの炎に満ちた六つの瞳が現れた。その砲弾を正面からまともに受けたにも関わらず、大したダメージを受けているように見えない。通過した車両を追うことなく、正面に残る三台に対して明らかに敵意を向けていた。
「各車両に通達。作戦デルタ、大型と小型の混成部隊遭遇時における作戦を実行。各人、被害を最小限に努めよ」
指示と同時に後部扉が開き、乗り込んでいた武装した羽ありが外に飛び出し空中から黒犬に対して掃射を始めた。飛び出したのは全部で十六人。黒犬を駆逐するのに十人が、残りの六人が魔犬に向かって攻撃を始めた。掃射によって何頭か黒犬が撃破されていったが、魔犬は全く動じる気配がない。しばらくすると黒犬が車両から距離を取り、物陰に潜んでいく。不審に思った一人が魔犬の方を見ると、口元の大気が歪んでいることに気が付いた。
「おいおい、まさか……」
大急ぎで車両を出すように、車外の味方の羽あり達に魔犬の口から急いで離れるようにと大声で指示を出す。直後、中央の口から火炎が吹き出し、正面の物すべてが業火に飲み込まれた。