第三十二羽 「悪意からの使い」
鷲のような巨大な幻獣を退けたその日は、それ以上の攻撃がなされることは無かった。黒髪の羽ありが最も危惧した夜間の攻撃は無かったが、町全体が言い知れぬ不安と緊張感に包まれ、誰一人として枕を高くすることなどできなかった。そんな深夜。
「……きれいだね」
薄桃色を基調とし、虹色に輝く町を覆う天幕を見ながら、眠れなかった片羽の少年は呟く。避難所として提供された工房の敷地の中、大型機用の搬入路上に座っていた。傍らにいるのは栗色の髪をした羽なし。彼の姉。いつ弟がその背にある羽を広げてくれてもいいように、彼の左側に座る。
「そーだねー」
驚いた少年はきょろきょろと周囲を見渡した。彼の言葉に答えた声には覚えがない。後ろに振り返ると、そこには美しい黄金色の長い髪をした美しい羽なしの女が立っていた。その背後には背の高い男がついている。
「こぉら、エディ! いい加減にしときなさいって! こんな夜中まで連れまわして」
少年の姉も、そう言う声の主の方を見た。
「……ぅえっ? アネーシャ!」
ふっふーん、と、腕組みしたまま鼻を鳴らして、挑戦的な微笑みを浮かべて座ったままの彼女を見下ろす。
「寝付けないから外に出てきたんだけど、いい雰囲気の二人が居るからお邪魔しちゃだめかなーって思ったら…… まったく」
「え…… 去年の地姫の……?」
片羽の少年の脳裏に、あの時の舞台で煌びやかに力強くしなやかに舞う地姫の姿が一気に甦る。思わず頬が紅潮した。AMFの輝きは夜中でも町全体を照らしているため、その羽なしの女はそれに気づいた
「お? 覚えてる? ほらほら」
そう言って下していた髪を手でまとめ、当時の様な髪形を作る。薄桃色に輝く町の光が、その女の姿を艶やかに照らし、少年は当時の記憶と重なるその姿に見蕩れてしまった。
「おーおー。立派に男の子だねぇ」
「誘惑すんなっ!」
立ち上がって腕を引っ掴む。
「ちょっと、やめなさいよ! あんたの馬鹿力はシャレにならないんだから! そーだ。片羽君、今日も活躍ご苦労様! 工房の若女将といっしょに戦ってくれたんだって? あなたは前の時と言い町の英雄ね。ああ! 女の子達の抱かれたいランキング急上昇間違いなし! 私もフリーなら…… 痛たたたたたっ!」
眉間に皺を寄せ無言のまま握る手に力が入る。掴まれた女は結構マジっぽくもがいてようやくその手から逃れることが出来た。そしてそのまま走って逃げる。それをやはり無言で追いかける姉。
「助けて、オルランド~!」
呼ばれた羽ありの男は、はぁ、と大きくため息をついて羽なしの娘たちの間に割って入り、黄金色の髪の羽なしを抱き上げて飛び上がった。
「はあ、はあ…… いい? 今みたいにあんたが色んな意味でそこのかわいい弟くんを掴んで離さないから飛び立てないってこと、いい加減に自覚しなさいよ!」
うるせー! だまれー! と汚い言葉を投げつける。真っ赤にした顔は走って追いかけたせいなのか、腹から声を出したせいなのか、それとも隣にいる愛し君が理由なのか。はっきりとしなかった。地団太を踏むが、相手はすでに自分の手の届かないところ。
ようやく優勢を取り戻した羽なしの娘が、下から見上げる少年にやさしい声をかける。
「いつも本当にありがとう。でも、まだ子供のあなたに辛い仕事を押し付けるわけにはいかないの。町のことは大人達で何とかするわ。それはみんながそう思ってる。
だけど、もしもの時はあなたも力を貸して。私達ではどうしようもないことを、あなたは切り拓くことができる。そのことにもっと自信を持っていいと思うよ!」
ちっ! と大きく舌打ちが隣から響く。アデュ~と空からひらひらと手を振って遊覧飛行へと飛んでいく。わずかに戸惑いながら少年も微笑んで手を振りかえす。見送った後、自分の掌を見つめ、くっと握りしめた。
隣で姉が息を大きく吸い込んだことに気が付き、そっと姉の居る方の耳を塞ぐ。
「帰ってくんな! 色ボケアーシェ!」
―32―
彼女のデスクに座ったまま、黒髪の羽ありが大きくため息をついた。非常に難しい顔をしている。
「シモン・パディクト……」
それは彼女の身柄を押さえると宣言した幻獣の使い手。戦闘を終え、負傷者を回収しゴーレムを格納庫に戻した後、偶然町に来ていたロディニアからの使者に頼んでロディニアに連絡を取った。その老羽ありは彼女の祖父の旧知と名乗ったので、詳細を知ろうと思ったのだ。通信を受け取ったロディニアの代表から得た回答は、非常に深刻なものだった。
「まさか…… ただでさえハイランド至上主義のゴンドワナで、ゴンドワナ一の強硬派の将軍だなんて……」
かつてハイランド間でミスリルの原料となる鉱石の採掘権を巡り、会議では治まりがつかなくなったことがあった。有する鉱山からの採掘量が減少していた「ゴンドワナ」と「ヌーナ」の間で争いが起きたが、一人の羽ありが率いた部隊によって甚大な被害が出たために、ヌーナが手を引いたと言う闇の逸話があると言う。
その部隊こそが、『パディクト』隊。
「エマや、悪いことは言わん。こちらからの部隊が間に合わなかった時は何かある前に投降しなさい。シモンは手加減を考えない。だがあやつは命令に従い、実績を残せる部下には非常に寛大だ。お前のことが心配なのだよ」
彼女の祖父からの慈悲の言葉が何度も何度もこだまする。
「……ありがとう、おじい様。だけど、町を滅茶苦茶にされない保証がないわ。今日も布告なしに酷い真似をしてきたし。あのじじいが頭だって言うなら、それを潰せば蛇は止まる。だけどあのじじい、絶対ヤバい。飲み込まれる前に、何とかしないと……」
―うるせー! だまれー!―
突如響く知った声。
「何だってのよ」
いろいろ悩んでいたのが馬鹿らしく思えてきた黒髪の羽ありは、こみ上げてきた笑いを抑えることが出来なかった。ひとしきり笑った後、大きく息をつく。
「やる前から向こうに投降するわけにはいかないわ。精一杯やって、追い返してやるんだから! ここでみんなと生きるって決めたんだ」
―帰ってくんな! 色ボケ○○!―
なんともタイミングが悪かった。
「くっそ…… 色ボケはどっちよ。あーあ、十七年の片思いが実りそうで舞い上がってるのはアンタじゃない」
大きく伸びをして肩を回す。緊張の糸が少しだけ緩んできたようで欠伸がもれる。少し仮眠を取ろうと、ソファーに倒れこんだ。
「まずはあのレールガン、量産決定ね。多分三つは作れる…… チェインサイズは…… 作ってみたけど重くてまず無理かも…… ブレード部分をフィールドエッジに替えよっかな……」
そう呟いた羽ありは、うつ伏せになったまま寝息を立て始めた。
……
…
町が幻獣の攻撃にさらされた次の日。昨日の暗雲は去り、陽光が世界を照らしていた。強い光をエネルギー源として蓄積させるミスリルの性質から、日中のAMFシステムの稼働は問題がないと思われた。このまま展開を続ける。人々は一旦我が家に戻り、避難の準備を整えていた。いつもの仕事を始めることはさすがに出来ない。しかし信頼できる城壁があることは、皆に幾分かの平穏を取り戻させた。
昼を過ぎても何もなかった。壁を作り出すだけでなく、見張り台としての役目を持つ八本のAMFピラーからの緊急連絡もない。一つ目鬼やグリフォンが現れた北西方面はとりわけ厳重に警戒されていた。
巨大な人影が現れることもない。
空を翔る巨大な獅子が現れることもない。
連日の進撃は不可能なのかもしれないと思い始めていたころ、突如警報が鳴り響き、西と北西の二か所から慌てふためく声が届いた。
『大変だ! か、枯れていく……』
『……おい、煙が上がってるぞ! 燃えている! 何とかしてくれ!』
北西のモニターには集落の外が映し出されていた。何かが蠢く。それを中心に映像が拡大された。その異形が体を擡げる。
それは王冠のようなとさかをつけた大蛇。
それが吐く息に曝された作物はみるみる萎れ、変色していく。大蛇が這ったその痕は無残な砂漠が広がった。
西のモニターにはまた違った物が映っていた。小さな赤い輝きが楽しそうに農地を跳ねる。それが触れる物はすべて黒焦げ、たちどころに火を噴いた。
その狂宴の主は炎に包まれた小さな蜥蜴。
火は火を生み、蜥蜴はどんどん大きくなった。
アームズの量産を急いでいた黒髪の羽ありがモニターにしがみついて歯ぎしりを立てる。何をされたのかを瞬時に悟った彼女はモニターを叩き、悔しそうに言葉を吐いた。
「最低だ、あのじじい…… 」
上空に待機している銀色に輝く球体ビークルから眼下に広がる農地が枯れ果てていく様子を嬉々として眺めている老人が一人。
「いくら天の技術があったとしても、要するにここは農村じゃ。何より作物が大事じゃろう? ほれほれ、籠城しておっては守れんぞぉ」
その手には銀に輝く巨大な書があった。青い宝石で装飾されたそれは他にも二冊ある。それぞれをまだ若い羽ありが手にし、使役していた。
「砂漠の王と炎の竜。お前たちが最も恐れるのはこやつらじゃろ? はようせんと皆飢え死にじゃ。ああ言う嬢ちゃんにはこういうやり方が一番効くでの」
しばらく窓からにやにやと見下ろしていたが、少しずつ笑みが消えていく。一つ大きく呆れたようなため息をつき、自分の目の前で魔道書を開く部下の方を睨みつけた。
「……しっかし何じゃお前ら。影響範囲はまだあれだけか? まったく、多少慣れてきとるようじゃったから上級書を渡してみたが、早すぎたわ。もうちぃと手早くやらんと幻獣形態を維持することだけにエネルギーを持って行かれるぞ? 期待させてこの程度か、やれやれ。後でエリクサーを使わんでもええ下級書からやり直せ」
厳しい上官の言葉に反論することなく、二人の羽ありは短く返事をした。興味なさそうに一瞥を投げた老人は再び眼下に広がる悪夢の観覧にいそしんでいた。
「……さてさて、べっぴんさんはまだ出てこんか?」
町長の他、彼女に近しい人間も彼女の部屋に集まっていた。
「わたし…… わたし……」
この場にいる人間すべてが昨日の報告を受けて、ゴンドワナの要求を知っている。そして黒髪の羽ありが何に苦しんでいるのかを理解していた。両肩を包む短髪の羽なしの大きな手に自分の手を添え、苦渋の決断を下す。
「……あいつらが欲しいのは、わたし。ごめん、わたしが居たら町のみんなの命を危険に晒してしまう……」
悔しさに打ち拉がれた顔を上げ、怒りに震える声でも毅然とした態度を崩さず全員に伝える。
「わたし、行きます。たった一年半だったけど、すごく楽しかった。今まで…… 本当にありがとうございました」
誰も引き止めることが出来ない。誰よりも頭の良い彼女の導いた選択を覆すような提案を、この場にいる誰一人として提示することが出来ない。片羽の少年と、その兄すら、無言で彼女の背中を見送るしかなかったのだ。
これ、お願い
部屋を出る際、彼女のパートナーに一枚のメモを手渡した。
黒髪の羽ありは町を覆う天幕を解除するよう指示すると、町の中央広場に向かって飛んで行った。虹色に輝いていた障壁が消え、彼女の姿を確認した老羽ありは彼女を追うように命じ、中央広場に球体ビークルを着陸させると扉を開けた。
唇をきゅっと噛み、両手を強く握りしめる。すべては計画通り、とほくそ笑む老人の顔を睨みつけ、黒髪の羽ありは老羽ありに招かれるまま、ビークルに乗り込んでいった。