第三十一羽 「闇を運ぶ聖獣」
今回は七千字弱。今までの倍近くのボリュームがありますが、ご容赦を。
「四の五の言ってらんないわ! 何なのよ一体!」
急きょゴーレムの起動を始める。操縦席のハッチをあけ、インダクションコンソールに手を通し起動プログラムを走らせる。暗かった操縦席内部に明かりが灯り、低く唸るような音が格納庫に響き始めた。
「僕も行くよ!」
開け放たれたハッチに向かって少年が声をかける。これ以上少年に戦わせない、そう決心していた大人達は彼の提案に首肯しない。
「でも、あの怪獣が一体何なのかわからないんだから、エマの他にゴーレムの扱いに慣れてる僕がいた方がいいと思うんだ」
少年の冷静な判断を黒髪の羽ありは否定することが出来ない。逡巡する時間もないことを知っている。
「……お願いするわ」
ぱっと少年の顔つきが明るくなる。操縦席から降ろされてきたウィンチに捕まり引き上げてもらい、黒髪の羽ありの下につく。
「ジュド! あなたはアームズの試運転しておいて! 問題なく使えそうだったらすぐに持ってきて欲しいの! ほかにも小型の敵が入ってきたらゴーレムじゃ対応できないから! 場所は北西AMFピラー、お願い!」
アラームと共に格納庫とドックを遮る隔壁が閉じていく。それと同時に格納庫の屋根も開いていった。
「もちろんウィンも頼りにしてる。だけど一年ぶりの実戦だから、十分気を付けてね」
固定台に乗せられたまま銀の巨人は中央の発進位置に運ばれていく。停止するとともに安全装置が解除され、巨人は拘束から解かれた。
「ミスリルゴーレム・タイプ・フリューゲル、オルガ=ブロウ起動!」
風を巻き起こすと銀に輝く翼を羽ばたき、空を舞った。
―31―
強力な衝撃波に当てられた身動きの取れない男は、老羽ありの問いに答えなかった。鷲の頭と翼を持った獅子のような幻獣は、その前肢の爪に引っ掛け持ち上げていたその男を軽々と投げ捨て、くちばしを開く。大きく開けられたその口腔には雷球が生み出されていた。
「まったく、面倒な事じゃて」
銀に輝く書を開いた老羽ありはそう言い放ち、撃て、と命令する。巨大になった雷球が口から放たれ、炸裂した。雷鳴のごとく空気を裂いた音が鳴り響き、その後もバチバチと弾ける音が周囲を満たしている。倒れていた男の顔が青ざめた。
「ええか? 次は当てるでの。もっと簡単に聞いてやるわい。この装置を作った者は、この町におるのかどうかだけでもええ。答えんか」
巨大な幻獣が歩み寄り、威嚇するようにその頭部を近づけてきた。雄大にて高潔。恐ろしいのだが偉大なその姿に男はさらに言葉を失った。答えたところで約束を守られる保証もない。しかし答えないままでいたらおそらく本当に命を奪われる。それであればおそらく工房の主人は答えろと言ってくれるだろう。さんざん悩んだ挙句、男は首を縦に振った。
「それでええ。儂は命令を守る者には寛大じゃでな。なるほどのぅ、ではその者には我ら『ゴンドワナ』のためにひと肌脱いでもらうことにするか」
蓄えた白い顎鬚を撫でながらこれからの作戦を練っていた。その間に体の痺れが取れた一人の羽ありが、侵入者の目を盗んで事態を知らせるために飛び去った。だがそれを見逃さない。銀の書に手を当て、幻獣に命令を下す。羽ばたきあがった巨躯は決して鈍重ではなく、驚くほどの速度で羽ありに追いついた。追い越す際の翼の風圧でバランスを崩した羽ありを、すぐに旋回して戻って後肢の爪で捕えて主のもとに差し出す。
「逃げられるはずがなかろう。このグリフォンはな、我が軍の傑作なんじゃ。扱えるのも儂くらいじゃがの」
その場に倒れる者達全員が絶望にさらされた。いよいよこれまでかと思われたその時、ものすごい速度で空から巨人が現れた。
「何じゃとっ!? こんなものまで!」
飛来した銀の翼を持つ巨人はその右前腕の装甲を開く。そこから銀に輝く刃が飛び出し、着陸と同時に振り下ろした。
「うおぉりゃぁあああああああっ!」
ミスリルブレードが幻獣の翼を切り落とす。仰け反った獣から巨大な咆哮が上がる。しかし血は噴き出さない。切り落とされた翼は地面に落ちると、ふわっと煙が立つように空気に溶けてしまった。え? と黒髪の羽ありから疑問の声が上がり一瞬気を取られた。
「エマ! 前!」
大きく開けたくちばしの間に巨大な雷球が生み出され、放たれた。防御フィールドを展開する時間的余裕はなく、ゴーレムはその直撃を受けて弾かれた。幻獣も飛び退き、距離を取る。大地に響くような唸り声が満たす。
「この程度の損傷で止められると思うてか?」
銀の書を開いた老羽ありはページを捲り、書に手を当て文言を唱える。書物全体が輝き、同時に切り落とされた幻獣の翼が再生していく。
「それ、もう一度じゃ。この程度で儂とグリフォンを退けられるわけがなかろう!」
再生し気迫が十分に漲る獣は勢いよく大地を蹴り、突進してきた。正面から受け止めるがその膂力は想像以上の物で、抑えきったもののかなり後方に押し下げられた。
「エマ、柱の傍は危ない! みんなが足元で倒れてる!」
「オーケィ、ちょっと離れるわよ!」
銀の翼を羽ばたき、羽毛の代わりに光の粒を散らしながら移動する。それを追って幻獣も飛んできた。
「ちょっと速さ比べしてあげようかしら? ウィン、よろしく!」
その声に併せて少年はエリクシルリアクターの出力を最大にまで上げた。同時に最大速力で飛翔を開始する。久しぶりの飛行で、そして生身では到底実感することがないような加速を全身に受けた少年は、軽く意識を持って行かれそうになったが何とか耐えた。彼が意識を失えばゴーレムは途端に力を失うことになる。大きく息を吸い、腹の底に力を込めた。
「さすがに追いついてこれないみたいね…… あのバカげた再生能力をどうするか、だけど…… あれって本当に生き物なのかしら」
「後ろ!」
少年の声にはっとする。大口を開けた幻獣が雷球を放ってきていた。翼を回転させ右に避ける。雷球は何発も連続して放たれ、巨人はそれを右に左に旋回しながら躱した。
「そりゃあ雷の方が速いわよね。こっちだって手加減しないわよ!」
急旋回し、幻獣の方へ向かっていく。すれ違いざまに相手の後肢を掴み、そのまま大地に向かって飛翔する。
「せぇ、のぉっ!」
激突する前に獣を地面に向かって投げつけ、自分は減速して着陸態勢を整えた。
鷲と獅子の混成獣は轟音を立てて大地に激突する。湿った大地からは砂埃が立たず、姿を見失うことは無かった。しばらく振盪して立ち上がることは無いだろうと思われたが、獣はすぐさま姿勢を正し、今まさに地に足をつけようとしていたゴーレムに向かって突進を仕掛けた。隙だらけの状態に一撃を食らえば、万が一のことも有り得る。搭乗者二名の背筋が凍った。
直後、幻獣の右側に強力な一撃が命中し、巨躯を吹き飛ばした。搭乗者二名は同時に、その一撃が来た方角を見る。
「ジュド!」
「兄さん!」
数日前に片羽の少年が起動試験を行い、十分使用できると太鼓判を押した二輪車をイメージした新型作業機械に試作アームズを乗せた少年の兄がそこにいた。砲身からはかすかな放電と陽炎が上がっている。
「おいおい…… 羽なし用でこの威力ってなんだよ…… エマ! やりすぎだろう!」
「それでこその試作機よ! 試作で無茶しないでどこでするのよ!」
もっともな意見ではあったが、放置しておけばもっととんでもない物を作り上げそうであった。
「レールガン…… それも実弾ではのうてプラズマか…… 羽なしの操縦でこの威力とは、ますます作った者を知りとうなったわ!」
使役する幻獣を吹き飛ばされてなお、老羽ありの自信は揺らぐことがない。この場に居る者はすべて、それにある種の悪寒を覚えた。
「あら、お褒めいただけますの? このフィールド障壁もゴーレムも、レールガンもわたしが設計して配備したものですのよ? 分かったらさっさとこの町から出ていきなさい!」
得体のしれない相手に対し背筋に何かが這いずるような嫌な感覚を覚えるが、黒髪の羽ありは強い言葉で立ち向かった。
老人がふん、と鼻で笑うのと同時に吹き飛ばされていた巨躯が立ち上がる。
「ちょっと…… どれだけタフなのよ」
しかし先程の一撃を受けたその姿は抉れ、歪んでいた。やはり血の一滴も流していない。歪み、わずかに霞むその輪郭は次第に修復され、元通りに回復した。老人の持つ銀の書がやはり輝いている。
「なるほど…… すごいわね、まさかミスリルにそんな使用法があるなんて」
呟いた黒髪の羽ありは、下の席に座る少年に操縦を任せ、ハッチをあけて地上に降りた。
「あなた、ハイランドの方ですね? どうしてこんなことをなさるのかしら」
「ほっほ、まさかこんなべっぴんさんとは思わなんだわ。儂も鬼ではないからの、ちぃとは話をしてやろか」
軽口を聞く老羽ありは幻獣を傍に控えさせ、動かぬように命令を下す。やはり書物が輝いた。それを見て黒髪の羽ありは二度頷く。
「……柱を壊さないで下さったことには感謝いたします。お話しする場を下さったり、思ったよりも紳士でいらっしゃるのね」
「ふん、女狐じゃな。この柱一本を壊したところでどうせ別の柱との間に壁ができるだけじゃろが。柱をすべて壊さなならんような面倒事は苦手での。この方がよっぽど簡単じゃ。まったく、難儀なモンをこさえよったな」
黒髪の羽ありがチッと舌打ちをする。
「儂はハイランド『ゴンドワナ』の軍人での。本来なら退役して司令部におればいいんじゃが、余りに若造どもが情けないんで第一線にやってきたというわけじゃ」
「『ゴンドワナ』……? この前落ちたあのゴンドワナだと言うの? ハイランドの民がアースに侵攻するなんて、どうしてそんなバカげた真似を!」
「バカとはなんじゃ、バカとは。アースに迎合するなんぞ考えられんじゃろ? もともと我々天の民は地を統べておるものじゃ。ならばハイランドを失ったとしてもその本懐は変わることはない。アースに我らが滞在するのが束の間としても、儂らの領土は正しい姿にせねばならんからの」
「……わたし達とは相容れませんわね」
まるで聞こえていなかったかのように老羽ありは言葉を続けた。黒髪の羽ありを懐柔するために惑わし囁く。
「……お主も元は天の民じゃろう? どれ、悪いことは言わん。お主ほどの技術があればアースにいたのでは物足りなかろう? 一緒に来なさい。その方がええ」
「そうですね…… まさかこのような幻獣を実際に生み出す技術があるなんて、思いもしませんでした。そちらでしたら、退屈しなくて良さそうですわね」
黒髪の羽ありの思いも寄らない発言を耳にして、片羽の少年は開かれたハッチから思わず身を乗り出していた。
「あるいは新種の生物として生み出したのではなく、本当に伝説上の幻獣を召喚する…… そんなことが本当にできるのなら、是非ともその仕組みを知りたいところです。そちらに帰依すれば、教えていただけるのですか? それでしたら考えさせてもらいたいと思いますが……」
少年が今まさに黒髪の羽ありに向かって声をかけようとした時、振り向いた羽ありは心配する必要はない、と言い聞かせるようににっこりと微笑み、老人の方に向き直り、きっぱりと言い放った。
「ですが、もう手品の種も割れました。召喚ごっこにはもう興味はありません」
「ごっこ…… じゃと?」
「ええ、ごっこ遊びです」
老人の顔つきが険しく変わる。自分持つの絶対なる力を見下された軍人のプライドがその一言を許せないのだろう。だが簡単に弾けるほど小さな器ではない。
「ふん、戯言を。これだけの力を見て強がりを言うでないわ! 少しやさしくしておれば付け上りおって…… お主は今自慢の鎧を脱ぎ捨てておる。線も露わな女の柔肌なぞ、そこの獣にいとも簡単に引き裂かれてしまうような脆い物よ。美しいうちに死にたいのかも知れんが、そんなに生き急ぐことはないぞ? お主のようなべっぴんさんが躯を晒すのを喜ぶ男はおりゃせんでの」
柔らかい口調とは裏腹に、老人の眼は鋭く女を刺す。やろうと思えばできる、そう言っているも同然であった。だが黒髪の羽ありは怯まず対峙し続けた。
「それでは当ててみましょうか? ……その本、ミスリル銀で印字し装丁してあるとお見受けします。そしてあなたの幻獣は実際には生物ではなく、力場(フィールド)。違いまして?」
老羽ありは無言のまま、驚愕の色を浮かべた瞳を黒髪の羽ありに向けていた。しかしさも当然と言わんばかりに老人の驚きを意に介さず、黒髪の羽ありは若干うきうきしたような感じで自分の推理を披露する。
「仮説ですが表紙に用いているミスリルに蓄えらえたエネルギーで力場を作り出し、『文章を読む』と言うことでイメージするよりも確実で具体的な形状で安定化させる。しかしこれほどはっきりとした力場を使役するためには相当な精神感応が要求されるはず。でもやはりここで『読み上げる』、という方法でそれをより確実なものにしているのですね?
そして幻獣という形で実像を与えられたその力場は、目にした相手に生き物であるかのように錯覚させるため、プログラムされている範囲である程度生命のような振る舞いをする。しかし基本的には術者が手にしたその書に記載された通りの行動をとり、しかし書を介さなければ例え命令を与えたとしても動くことはない。いかがです?」
すべてを見透かされていた事に言葉を失い、老人は先程まで顔に浮かべていた余裕を消していた。
「……その通り。この魔道書こそがこのグリフォンの本体よ。どこで気付いた?」
「初めに翼を切り落としたときに、おかしいと思いました。加えて生命としてあまりにも頑強過ぎること、そして最後のアームズの一撃でその力場に乱れを生じていたことが決定的でした。それにあなたが幻獣に命令したりダメージを回復させたりする度に、手にしたその本が輝いていましたからね。気付かない方がどうかしていますわ」
核心を突いた黒髪の羽ありに対して、年老いた経験のある羽ありが変化を見せた。最大限の注意と警戒を払う。そのような状況でも女は相手を追い詰めるように、かつおどけて見せるように上目遣いに見つめる。
「もしお手持ちに余裕があるようでしたら、その魔道書を一冊貸していただけませんか? 実際の仕組みを手にとってよぉく調べてみたくって」
くっと老人がこみ上げてくる笑いを抑えた。この羽ありは自分達の脅威になる。だがここで殺してしまうのも惜しい存在であることを彼が一番よく理解していた。
「類稀な知性に満ちる美しき羽ありよ。今日はこれまでにしておこう。お主が居ると言うだけでこの地は我等『ゴンドワナ』にとって十分な価値がある。いずれその身をいただきにあがる。それまでその命を大事にせいよ。先程のように死に急ぐようなことは努々(ゆめゆめ)なさらぬようにの」
そう言い後ろに聳える光の壁の方へと向かって飛び立つ。それに従い幻獣も飛び立った。
「……そうじゃ、お主の名を教えてもらえんか?」
狙いを定められた事を自覚している黒髪の羽ありは、もう逃げ果せることができなくなった現実を毅然とした態度で迎え撃った。
「ハイランド『ロディニア』のエミュール・ビネと申します。以後お見知りおきを」
彼女の姓と出身国の名を復唱し、わずかな時間考え込むと何かを思い出したかのように嬉々として大声を上げた。
「おお! もしかしてエミリオの孫娘か! 実にべっぴんさんに育ったのぅ。ビネの一族がまさかアースに肩入れしておるとは。文字通り地に落ちたもんじゃて」
黒髪の羽ありの顔色が俄かに険しくなる。それを一向に気にすることなく、老羽ありは魔道書を見せつける様に掲げ、眼下の者達に向かって警告する。
「ゴンドワナは地に落ちん。いずれ再び空に上がる。儂らの力は地を統べるに相応しい天の物じゃでな。エミリオとは旧知の仲じゃて、儂のことを知りたかったら聞くとええ。シモン・パディクト、この爺の名を忘れるでないぞ。近いうちに迎えにあがるでの」
飛び立つ老人の背中を見送ると、ぺたん、と黒髪の羽ありは腰を地面につけてしまった。老兵の威圧に当てられ続けていたため、話の途中でいつこの様にへたり込んでしまってもおかしくなかった。息を切らして立ち上がるのもままならない。ウィンチに掴まってゴーレムから片羽の少年が、砲身を備えた小型機から短髪の羽なしの青年が飛び降り、駆け寄り支える。
一度退けたものの未だに脅威は去っていない。いずれすぐに現れる強大な軍勢に対し如何なる手段で立ち向かえばよいのか。彼らの心には今の空模様のように拭い難い暗雲がじわじわと広がっていった。
狙われたエマ。押し寄せる軍勢。
今回は郊外だったためゴーレムが動かせましたが、これからは……
波乱と混沌の次羽以降も宜しくお願いいたします。