第三十羽 「幻想からの侵攻」
その日は曇りだった。
黒く分厚い雲が天空を覆いつくし、太陽の光が届かない。折しも今は雨の多くなる季節であったため、町に住む人々は余り意に介しなかった。いつ空が泣き出してもおかしくないほど空気も湿り気を含んでおり、農地で作業している者達も降りこめられる前にできるだけ終わらせられるように少し急いで手入れをしていった。
成長した苗が花をつけ、多くの実をつけ倒れぬように添え木を当てる。
畝から所狭しと伸びた、白い根を持つ青菜を間引き、かごに入れる。
初めについた花よりも下に位置するたくさんのわき芽を、二つだけ残して後を摘む。
人が適度に手を加えることで作物はより丈夫に育ち、収穫も多くなる。
毎年見られる同じ光景。
昼を過ぎ、そろそろ一雨来そうだと言う頃合いに、それは突然訪れた。
―30―
突如雷鳴が轟く。それと共に巨大な鳥が奇声をあげながら大挙して押し寄せた。同時に突風が吹き荒れる。それにあおられ材木や屋根瓦などが飛散し、家屋や人々を傷つけた。それを見た怪鳥はげたげたと非常に耳障りな声を上げて笑う。
何が起きたのかよくわかっていない町の人々が、上空を舞うその怪鳥に気付き見上げると、あまりの恐ろしさゆえに腰を抜かし、ある者は気を失った。
広げた翼は一般の羽ありが持つそれの倍はあり、その脚は太く獲物を掴み引き裂く為の鉤爪が怪しく光っていた。しかし体は翼や脚とは不釣り合いに小さかった。
だが何より奇怪だったのは、その物の持つ頭部。それは醜く歪んだ人間の女性の顔。
げたげたと笑うその怪鳥は、通りの真ん中で腰を抜かして動けなくなっている若い羽ありの女を見つけると空から襲いかかり、その鋭い爪で女の肌を傷つけていく。泣き叫び助けを乞う羽ありをあざ笑うかのように、背中の羽を掴み空に舞い上がった。激痛と恐怖でさらに喚く女の声をかき消すほどの奇声をあげて飛び去った。
人を一人掴んでいるというのに悠々と羽ばたきあがっていくそれの後ろを、一人の羽ありが全速力で追いかけ、手にした工具で思いっきり殴る。その一撃で脚の力が緩み、怪鳥は掴んでいた女を落とした。怪鳥に一撃を見舞った羽ありの男は、今度は落下していく女に向かって全力で飛ぶ。屋根に叩きつけられる前に掬い上げ、通りの真ん中にふわりと着地した。同時に羽なしの女が駆け寄る。一撃を食らった時に散った化け物鳥の羽毛が、一緒に地に落ちてきた。その形状を保っていたのはわずかな時間で、ふっと霞のように空気に溶けた。
「ナイス! オルランド!」
羽ありの男から女を受け取る。たくさんの生傷を負い意識を失っているが、一命を取り留めていることを確認すると、かけつけた羽なしの女は安堵のため息をついた。
「くそっ 何だってんだ! おい、アネーシャ! みんなを避難させろ! 教会でも工房でもいい! ばらばらになってると捕まるぞ!」
空では怪鳥が奇声をあげながら、まるで獲物を見定めているかのように旋回している。民衆はすでにパニックに陥って、右往左往している。このままでは先程のように一人一人、弱い者から襲われてしまう。傷ついた羽ありに肩を貸していた羽なしの女は一旦彼女を下し、突風によって転がっていた材木を一本手に握りしめ、ごめん、と呟いた。
近くの建物のガラス窓に向かって振り抜く。何枚ものガラスが一気に砕け散る音が甲高く広がり、その音がした方に一瞬皆の意識が向いた瞬間に叫んだ。
「落ち着いて! 無事な人は怪我をしてる人、気を失ってる人を保護して避難所へ! バラけてたらさらわれるわよ!」
突然の音と、的確な指示に正気を取り戻した町人達は散り散りになることなくひとまとまりになり、上空を警戒しながらできるだけ急いで逃げ始めた。
雨がぱらぱらと降り始めた。殿には男達がつき、空に舞っていた化け物を見張る。怪鳥が再び襲ってこないかと気が気でなかったが、幸いなことに団体になった人間には興味が無くなったようで、ほどなくして飛び去って行った。その化け物が飛んでいく先に小さな点があったが、それが何なのか知れることは無かった。
一つの脅威が去ったのを見て胸を撫で下ろした次の瞬間、背筋を凍らせた。町の外に、巨大な人影が見えたのだ。それがゆっくりと町に向かって近づいてくる。今声を上げれば間違いなく再び群衆は混乱に陥る。懸命に心を落ち着け、それぞれ避難場所へと急いでいった。
……
…
「……事情は分かりました。すぐにAMF(注:アンチマテリアルフィールド。ゴーレムにも搭載されている防御システムの一つ。)を展開します」
緊急のサイレンが鳴り響く。それとほぼ時を同じくして、降っていた雨が突然止んだ。
町の外周に沿って八本の柱がある。その柱すべてを結んだ円の中心に向かって、柱は途中で折れ曲がっていた。その柱の間に光の膜が立ち上がり、まるで天幕のように町全体を覆い尽くしている。雨粒はその光のカーテンに遮られ、それを伝って地面に流れていった。
ちょうどその時、光の膜のすぐ近くまで巨大な人影が迫っていた。その肩には先程の怪鳥を何羽も携えていた。その異形の頭部には耳や鼻はなく、二つあるはずの目は真ん中に一つあるだけで、大きな口がにたりと口角を上げていた。
思い切り握りしめた拳を振り上げ、その膜に叩きつけた。どおんっと太鼓を打ち鳴らすような音が響く。ただ、太鼓を叩くのとは比較にならないほどの轟音だった。何度も何度も巨大な拳をぶつけ、これまた巨大な足で踏みつけ、果ては頭突きをしていったが、その光の壁は揺らぐことがない。
一つ目鬼の肩から飛び立った人面鳥が壁に向き合い、一斉に大口を開ける。空気を吸えるだけ吸い込み、そして一気に奇声を放った。近くに立っている樹木という樹木から葉が大量に落ちる。そして小さな枝が次々と折れていった。まだ怪鳥の奇声は止まない。ついに幹に亀裂が走り、次々に砕け散っていった。だが壁は健在だ。
「ふん…… ハーピィの超振動波やキクロプスのパワーで破れんとはのぅ。となると物質ではなく、フィールド障壁か。こんなちっぽけな町が大層なものを持っておるわ。……そう言えばこの地の近くに天が堕ちたんじゃったな。……なるほど、天の面汚しが」
町が光に包まれた光景を見ていた者が呟く。手には銀に輝く巨大な本があった。怪物達もこの天幕を破ることが容易なことではないことを悟り、引き返していく。その様を見て未熟者どもが、と吐き捨てる。
「若造どもに喝を入れたらまた来てやるわい。年季の差を見せてやらんとな」
……
…
「……治まりましたね」
黒髪の羽ありが呟く。自慢のシステムが期待通りの働きをしてくれたことに安堵しているようだった。しかしこれからの問題を一番冷静に把握し、危惧しているのも彼女だった。
「今は人が制御しているのでシステムに蓄積されたエネルギーのみで出力が安定していますが、この悪天候の中での長時間運転は……。エリクサーも十分にはありませんし、夜間に及ぶまで執拗に襲われたら堪えきれないでしょう」
「……」
町長の顔に苦渋が見える。
「申し訳ありませんが戦いの備えは、不十分です…… ゴーレムを使いたいのはやまやまなのですが、町に入り込んでくるような小型の敵を相手にすると、戦闘時に町を巻き込む可能性が強すぎます。加えて当工房にて現行使用できる試作アームズは二機。これでは……」
黒髪の羽ありもきゅっと自分の下唇をかみしめる。
「申し訳ありません」
「いえ、ビネ女史に落ち度などありません。相手が何者で、どれくらい居るのかもわからない。今は専守防衛に徹し、凌げるだけ凌ぐしかないでしょう」
下階を見下ろせば工房のドックには町から逃げてきた人々があふれていた。片羽の少年が台の上に上がって少し高い位置から皆を落ち着けさせようと声をかけているのが見える。
「……当面の避難場所として使わせていただきたい。もちろん作業のための場所は立ち入り禁止にしてもらって構わない。温情ある判断をお願いします」
工房の主人は即答で首を縦に振った。
……
彼女の部屋には今、モニターが備えられていた。それらには町の外の様子が映し出されている。有事の時はAMFシステムと直接連絡が取れるように音声通信もできるようにしてある。今のところ大きな変化はないようだ。それを確認した黒髪の羽ありはようやく落ち着いて椅子に腰かけた。片羽の少年の兄が憔悴した感じの彼女に温かい飲み物を差し出す。受け取ってこくり、と喉に流し込むと、大きく息を吐いた。
「……人面鳥? 前聞いた噂の化け物だっていうの? 未だに信じられないわ」
「だが、実際に襲われ被害が出ている。……ロディニアに救援を頼めないのか?」
「今偶然農耕データ取りに来てる人に本国に連絡してくれるよう頼んでもらってる。でも、編成してこちらに来てくれるまでに三日から四日はかかると思う。……最短でもね。ゴーレムで飛んでも丸一日かかるんだから……」
ため息交じりに握った右手を額に当てる。
「どうしよう…… このまま押し切られちゃったら、わたしのせいだ。もっと早く始めてたら……」
「お前が悪いんじゃない。武器があっても使いこなせなかったらどの道一緒だ。みんなで一緒に戦えばいいじゃないか」
後ろに立っていた短髪の羽なしは、彼の大きな手で彼女の肩をぽん、と叩き彼女の髪にキスをした。ちょうどその時、片羽の少年と栗色の髪をした羽なしがノックと共に部屋に入ってきた。
その光景を目にしても、もう少年は動じなかった。むしろ隣の姉の方が過敏に反応する。
「こ・の・エ・ロ・夫・婦が…… 白昼から何してんのよ!」
「なに? って…… これからどうするか考えて……」
別段やましいことを何もしていない黒髪の羽ありはきょとんとしたまま友達の抗議を躱す。しかしちょっと勘違いした若い娘はそのまま詰め寄りガミガミと説教を始めた。
そんなことだからこの前すごく大変だった、とか、みんなが混乱して頼りにしてるのだから慎みなさい、とか。
あの時の辛い感情を思い出させないように気遣ってくれているのだろうと察した片羽の少年は、微笑みながらそっと姉を羽交い絞めにして黒髪の羽ありから引き離していった。別の人間がしたのであればおそらく抵抗が激しかっただろうが、後ろに立つのが弟であったため、栗色の髪をした羽なしもすんなりと引き剥がされていった。引き剥がされた羽なしも何だか嬉しそうで、そして照れ臭そうな顔をしている。
「……」
「……」
お互いの顔を見合せた後、ほぼ同時にため息をついた。
「……どうしたの? 兄さんもエマも」
「……深入りしちゃダメよ?」
「?」
むしろ深入りして欲しそうな羽なしの娘は放っておかれた。
折角空気が和んだというのに、突如鳴り響くけたたましいアラーム音に、その部屋にいた者全員に緊張が走った。モニター枠の一つが赤く点滅している。同時に音声通信が入った。
『北西のAMF、攻撃を受けています! 今度は巨大な鷲のような生き物が! え…? お、おい、ウソだろ…… 突破されるぞ!』
枠が赤く点滅するモニターに映し出されている光景が変わっていく。光の壁が薄くなり、ぽかりと穴が開いた。その隙間を通って鷲の頭と翼を持った獅子のような巨大な生き物が入ってきた。それに続く一人の羽を持つ老人。
「まさかグリフォン……? こんな幻獣が実在するっていうの……? それにこの人は……?」
モニター越しだが目を疑うような光景に息を呑む。さらにその後も信じられないよう場面が続いた。
「やれやれ、やっと入れたわい。……だが思った通りじゃて。一ヶ所に電子干渉を繰り返して位相を揃えてしまえばそこに穴が開く。まあ動かぬ壁でなければ難しいことじゃがの」
町の若い男達がミスリル製の道具を手に、侵入者を撃退しようと飛びかかる。だが老人はそれに臆することなく手に携えた銀色の書物を開き、手を当て何か文言を唱えた。怪物は鳥のように甲高く、そして獅子の咆哮のように周囲に響き渡るような声で一鳴きすると、右前足を振り上げ威嚇するように鋭い爪で薙ぎ払った。さらに鳥のような後肢で大きく立ち上がったかと思うと、両前肢で地面を強く踏みつける。すさまじい衝撃波が立ち、飛びかかってきた男達は皆吹き飛ばされてしまった。
幻獣は静かに、だが圧倒的な脅威を見せつけながら雄大な体を揺らして倒れた者の方へ近づいていく。体を強く打ち、しびれて動けなくなっている一人の羽ありの衣服に爪をひっかけて持ち上げた。
「さて…… この町にこれだけの物を作った者に会わせてもらえんか? 場合によってはこの町を『ゴンドワナ』の拠点として優遇するでの。何、悪い話じゃなかろうて?」
年老いた羽ありは眼鏡の位置を直し、答えることなく呻く男の頭を手にした銀の書で平然と殴りつけた。
一応、SFです。ただし独自理論のトンデモ科学なところがかなり存在しますので今後も「おいおいそりゃ無茶だろ」となる点が多いと思います。
今回から登場する幻獣達も、この「羽」の世界ではちゃんとした科学の産物。その正体は次羽にて明らかになります。
「羽」の世界では「ミスリル銀」という未知の金属が媒介してはじめて成立する現象が数多くあり、今の科学ではとても説明ができないことが多いのですが、そんな世界も良いなあ、と思うのです。
ゆえにサイエンスファンタジー。
そんなものも嫌いじゃない、と言うことでしたらこれからもどうぞお付き合いくださいませ。
れいちぇるでした。




