第二十九羽 「砕けて、つないで」
前羽に引き続きR指定? 今回はさすがにまずいですか?
少年が来た時、工房のドックでは作業用の新型機の組み上げ作業が終わり、接続や固定不良がないか点検を受けているところだった。作業中の技師の一人に声をかけられ、挨拶をするのとともにその機械に近づく。まだ起動試験前だと言うことだが、まずは触ってみてほしいと頼まれた。機体に上ってみる。
「……今回の子、変わってますね」
そう言って操縦席のサドルに跨り、ハンドルに手をかける。
「ああ。この新型機、操縦席のデザインだけじゃなくって操縦も二輪車のイメージなんだ。体全体を使って操作する感じかな。機械だけの力で作業すると言うより、羽なしの体力をサポートするコンセプトなんだ。もちろん羽ありだって操縦できるぞー。ミスリルからの放射エネルギーが高い時は機械メインで、放射エネルギーが少ない時は操縦者のサポートに切り替わる。エマさんは本当にすごいよな!」
まだ起動前だが、片手で操縦席正面に位置する操作パネルに手を当てる。技師達はその様子を黙って見守っていた。少しの間目を閉じ、耳を澄ませる。鼻からゆっくりと息を吸い、穏やかに吐く。それを何度か繰り返したのち目をあけた。
「……すごく、力強い。生まれたばかりで早く動きたくてうずうずしてますね、この子。今までの中で一番やんちゃかもしれない」
ははは、と技師達の間で笑いが起きる。
「やんちゃか! 確かにそうかもな!」
「ああ、よりスポーティーに動かせるように設計されてるからなぁ! 操縦に癖があるかもしれないな!」
笑いに包まれている中で少年は操縦席から降り、皆にまたあとで、と声をかけてその場を去った。兄に母から頼まれた届け物をするためにやってきたのだ。階段を上り、おそらく居るであろう部屋に向かっていった。
―29―
居るはずの部屋のドアノブには札が掲げられていた。以前よく来ていた時もたびたび見かけていた札だ。夜遅くまで仕事をしていることの多かった黒髪の羽ありがこうしてよく空いた時間に仮眠を取っていることを、彼はよく知っていた。下階に姿を見かけなかったので兄は別の部屋に居るのだろう、そう思い、彼女の部屋の前を通り過ぎようとした時だった。
部屋の中から上擦った声が聞こえる。それに続く、押し殺すような喘ぎ声。何が起きているのか一瞬分からなかった少年は不躾ながら鍵穴に目を当て、中の様子を覗った。
窓から入るはずの光がカーテンに遮られ、仄暗くなっている部屋の中、黒髪の羽ありが仮眠にも使っているソファーの上に人影があった。一つではなく、二つ。
上下に重なる二つの人影の、下になる者には翼があった。なめらかで細く、しなやかに長い肢は押し広げられ、一本は上になる翼のない者の背に絡められている。その肢が規則的に揺れていることから、上の者がわずかに動いているのがわかる。
片羽の少年の目は、その鍵穴から離れなかった。彼もいつまでも子供ではない。もう十七になった。直感では気づいているのに、理解したくなかった。確かめたくないのに、確かめなくてはいけない、そんな矛盾に苦しんだ。
折り重なる二つの人影が一緒に起き上がる。上になっていた者はソファーに腰掛け、その上に翼のある者が跨る。二人の姿は暗がりであったが裸体であることがよくわかった。信じたくない光景が広がる室内に、少年は息をすることを忘れていた。
先程とは逆に上に乗る者を抱き寄せ、その豊かな胸に顔を埋める。翼のある者はその首に手を回し、さらに抱きしめた。腰を波打たせる度に、背中の翼がわずかに開き、声が上がる。
「あ…っ ぁ… ふ……あ …愛してる、ジュド……」
「ああ…… 言わなくても、わかってる…… 俺も… 愛してる……」
初めて直接聞いたその言葉に、遂に片羽の少年の心は引き裂かれた。さすがにその場に居た堪れなくなった彼は、気付かれないように音を立てぬよう慎重にその場を離れた。
音を立てないように下階に降りると、そこからは全速力で走って去った。後ろから呼び止める技師達に振り返ることもせず、今までそんなに速く走ったことがないほどの速さで工房を離れていった。
……
…
「おかえ…… ちょっと! ウィンどうしたの?!」
帰ってきた弟の様相に驚いて姉が駆け寄る。彼の手には兄に渡すはずの荷物が握られたままだった。そして涙が乾くことのない頬は歪みきっている。
「兄さんと…… エマが…… わかって…… わかってるんだ。だけど……」
二人が一緒にいるようになってから、今日目にしたような事が何度も行われていたであろうことは、たとえ純情な彼だとしても気づいている。だが実際に目にしてしまった衝撃は、想像していたよりも遥かに強大に少年を打ち拉いだ。
姉はそんな引き裂かれきった弟を抱きしめ宥めながら、部屋へと連れて行く。未だ途切れることのない涙はベッドの上に腰掛けた彼の膝を濡らしていった。子供の頃に苛められて泣いて帰ってきた姿を数え切れぬほど見てきた栗色の髪をした羽なしも、ここまでの姿を見たことはなく、尽くす手立ても思いつかず狼狽していた。
声を震わせながら、先程見てきた顛末を語る。他人の情事を人に語るなどそんな無粋な真似をするものではないと言う冷静な思考をすることが出来ないほど、片羽の少年は困惑しているようだった。だが、彼が耳にした言葉は、決して口にしなかった。もしも外に出そうものなら、彼の心は二度と戻らない位に砕け散ってしまうだろう。無意識に自分を守っていた。
まだ涙は頬を濡らしていたが何とか呼吸を落ち着け、正面で彼の手を取り床に膝をついて見守っていた姉の顔を見た。今度は弟の方が狼狽した。
「ごめん…… ごめんなさい……」
そう言う姉も弟のように涙でくしゃくしゃになっていた。いつも慰められる立場だった片羽の少年は、正反対の立場に立たされた今どうすればいいのかわからず困惑していた。あまりのことに彼の涙は止まっていた。
とりあえず握られていた手を握り返し、やさしく撫でてみる。さっきまで気が付かなかったが、火照りきった自分の手とは対照的に姉の手はひんやりと冷たかった。
「ね、ウィン。あたしさ、間違ったみたい」
唐突の独白に思わず、そんなことないよ、と反射的に声をかける。しかし彼女は首を横に振り、さらに涙を流して続けた。
「そんなことない。間違ったの。……盗られたくなかったんだ。いつか離れないといけないその日が来るまでは、ずっと一緒にいたかったんだ」
声をかけることなく、姉の、姉自身の言葉が紡がれるのをひたと待った。
「ごめんなさい…… こんなことになるなんて、思いもしなかったんだ…… 大好きなウィンが、こんなになっちゃうなんて…… あたしって、最低だ」
彼女の言葉を待つというよりも、本当にかける言葉が見つからなかった。そして、信じたくない言葉を耳にする。
「実はね、あの二人をくっつけたの…… あたしなの」
少年の頭はまた真っ白になった。ひたすらにごめんなさい、と謝り続ける姉の声もどこか上の空な感じで聞いていた。裏切られた、そんな感覚が少年の胸に湧く。
「ウィンのことが、大好き」
何度目かになる言葉を耳にする。だが素直に聞き入れることができない。
「ほんとうに、大好きなんだ」
姉の手を握る力が強くなる。しかし受け入れられなかった。
「僕だって…… 大好きだったんだ…… エマに見合うようになるまで、なれるまで、ってずっと我慢してたのに…… もう滅茶苦茶だよ!」
手を払い、立ち上がって部屋を出ていこうとする。その弟の背中に追いすがり、引き戻す。それは物凄い力で、成長した片羽の少年も抗うことができないほどだった。
「お願い! 最後まで! お願いだから最後まで聞いて……」
真剣な目で、真正面から見据える。力強いのだが弱弱しい。そんなもどかしい表情に、少年も戸惑いながら再び腰掛ける。弟の正面で、床板の上に正座する。再び手を取ろうとしたが伸ばしかけた手を引っ込め、自分の膝の上に置いた。
「……大好きなウィンがこんなに落ち込んじゃうくらいだったら、初めからしなかった。結局ウィンのことを全然知らなかったのは、あたしだったのね」
さっきまで涙が止まらなかったのは少年の方だった。だが今涙が後から後からあふれ出すのは姉の瞳から。
自分から愛しかった人を引き離した張本人が目の前にいる。許せないはずだった。しかし彼女の包み隠すことのない心から少しずつ湧き出す言葉に反感を持てないでいるのも確かで、ますます少年は混乱していた。
「初めてあの二人が出会った時からまんざらじゃない顔してたのよ? 覚えてる? だからさ、焚き付けちゃった。そしたらあっという間に大炎上。笑っちゃうよね」
やめとけばよかった、と呟きが聞こえたことから、自分に対しての嘲笑なのだと少年も気が付いた。自分の心は手酷く傷ついた。だがもう、その復讐をすることは考えられない。その相手は目の前で十分すぎるほどに傷ついている。
「……怒ってもいいよ。罵ってくれたっていい。ウィンから笑顔を盗ったの、あたしだから」
無言でずっと聞き続けた。猜疑の心はすでにない。
「もしそれでまた前のウィンに戻ってくれるって言うなら、嫌われたって全然かまわないよ。だから…… ね? そんな苦しまないで…… お願い……」
とても苦しそうな声だった。喉は絞り上げられ、やっとのことで滲み出した声。
弟は、姉が愛おしくてたまらなかった。
慈しみたくて仕方なかった。
ベッドから立ち上がり、ぎゅっと抱きしめる。
わずかの後、声にならないほどの慟哭が世界を満たした。少年は自らの左だけの翼を大きく開いて、その涙と共に彼女の全身を包み込み受け入れた。
「……僕も、姉さんのことが大好きだ。教えてくれて…… 本当に、ありがとう」
声にならない響きはなかなか治まることはなく、少年は少し戸惑いながらも優しく微笑み抱きしめ続けた。
……
…
少年の心と共に彼の住む町もようやく平静を取り戻すはずだった。
その日の夕方、少年の住む町に一番近いところにある村が、化け物を従えた羽ありの一団に襲われたという報告があるまでは。
禁断の愛へようこそ…… っていうわけではないですが(汗)
波乱続きのウィン君をどうぞこれからもいたわってあげてください。
次羽ではとうとう新たな脅威が現れます。