第二十六羽 「傷心の翼」
整えられた畝の上に、規則正しく野菜の若芽が列をなす。日差しを求めて日に日にその葉を広げ行き、日ごとに強まる光を受ける。畝と畝の間に小鳥が一羽降り立って、大地を啄み再び飛んだ。
去って行くその先にある樹木の枝の間に小さく構えた巣があった。親鳥の帰還を待ちわびる小さく甲高い囀りが葉の間をすり抜ける。
それを目指して戻った親鳥は大口を開けた雛の喉に咥えたミミズを放り込み、今日何度目になるかわからない農地と巣の往復へと出かけて行った。
町の工房では短い髪をした逞しい羽なしの男性と、長い黒髪をした羽ありの女性がにこやかに笑いながら農耕用大型機のメンテナンスをしていた。
彼が勤めるようになってから二か月ほど経つ。大型の機械の手入れも彼の手に任せることができるようになってから、彼女の細腕の負担も大きく減り、工房の仕事の幅も広がった。
古くなった機械の改良、羽なしでも使用が容易な農耕用小型機の開発。
本来彼女が為そうとしていた仕事も捗るようになってきた。
四年間大きな街で機械工として修業してきた羽なしは、最早この工房に欠かせない存在であり、彼女にとっての良いパートナー。
はるか昔から変わることのない命の輪は、今日もこれからも続いてゆく。
―26―
「しまったわねぇ……」
少年の母が夫にぼやく。
「まさかエマちゃんがねぇ……」
「仕方ないだろう。ウィンはいたく傷ついてるみたいだが、こればっかりは俺達がどうこうできる問題でもないからな」
片羽の少年は明らかに笑うことが少なくなった。いままで足しげく通っていた工房にもあまり行かなくなった。もちろん故障した大型機の運搬や起動は彼がいないとできないこともあったので、頼まれた時は断ることなく協力していた。しかし、明らかに避けている。誰の目から見ても明白だった。
地禮祭の頃までよく一緒だった黒髪の羽ありの代わりに、栗色の髪をした羽なしがそばにいることが多くなった。一年前の騒動以来、片羽の少年は同世代の女の子達に好意を持たれることが多くなっていたが、隣にいる羽なしが目を光らせているため近づけない。
「まずはエディをなんとかするべきだな」
「できるならとっくにやってるわよ…… どうしてああなのかしら」
両親の悩みは尽きない。
……
…
今日も少年の姉は満面の笑みだった。後ろで組んだ両手に小さなカバンを持ち、自分と同じか少しだけ高くなった片羽の少年の横顔を見て、また笑顔になる。
「……エディ姉さん、どうかした?」
「んーん? 別に何も?」
少年は母に頼まれお遣いに出ただけなのだが、どうしたわけか姉と街路でばったり出会い、そのまま一緒に歩いている。沿道に植えられた樹木が白い花をつけている。そろそろ時期が終わる頃だが、いまだその香りが町を満たしていた。
春の陽気にさわやかな香り。祖父と父のための晩酌用の酒を買いに行くだけなのだが、姉は明らかにデートモード。寄り道ばかりしていく。
雑貨屋に入って、棚に陳列された小さな黒猫を模した文鎮を見てかわいいと目を奪われた。なるほど凛とした姿に、長く伸びる尾が今にもしなやかに揺れそうなそれは、女性でなくとも猫好きであればだれもが目を惹かれる物だった。
花屋の店先に並んだ色とりどりの鉢植えを、愛でるように花弁を指でひと撫でして部屋に一つ欲しいとため息を漏らす。街路の芳香にも負けない、ふうわりと甘くさわやかな香りが広がる空間に散りばめられた鮮やかな花弁を前にし、少年の姉は右に左にと忙しそうだった。
結局鉢植えは買わずに花屋を後にし、ようやく目的の酒蔵に向かって歩き出した。が、今度は角から漂う甘い香りにふらふらと誘われてまたしても道を逸れていく。弟を置き去りにして一人で流れて行ってしまった。少年が追いつくと、店頭で焼き上げるオムレットに目を輝かせている姉がいた。
焼きたてのそれにクリームをたっぷり乗せ、果実のシロップ漬けを自由に選んでその上にトッピングし、二つ折りにして挟みましょう。クリームを掬って食べる薄焼きのパリパリゴーフルがサービスでついてくるので、クリームを乗せすぎた欲張りさんでもご安心を。こちらも店頭で焼かれ中。
思わずおなかが鳴りそうだったが、ぐっと堪えて立ち去った。
そんな姉の姿を見て、少々呆れたようにため息をつく。
「……やっと笑った」
え? と少年が聞き返す。踵を返して先程の菓子屋に戻る。二つ注文し、トッピングのフルーツは別々のものを選んで作り上げる。上にゴーフルを乗せてもらったそれらを両手に抱えて戻ってくると、ずいっと弟に突き出し手渡した。戸惑いながら少年も受け取る。
「まったく、今日も一日しなびたカボチャみたいな顔をし続けて。しゃきっとしなさいよ」
「別に…… そんなに変だった?」
変だった、と断言する栗色の髪をした羽なしは颯爽と少年の横を通り抜け、今度は惑うことなく歩き始めた。彼女の方からパキッと軽やかな音が弾む。
「あたしばっかりにこにこして、アンタがしょげてたらあたしが何かひどいことした! みたいに思われるでしょっ 前みたいな素直でいい笑顔してたウィンに戻ってよね」
ばつの悪そうな顔をして、片羽の少年も歩を進める。今まで落ち込んでいたつもりはない。だけど、心がぽっかりと空いたような感覚は常にあった。姉はそれに気づいていたのだ。
そばにいた姉を疎ましく思った時はない。空いた穴を塞ごうとしてくれていたと言うことに気付いた今、少年はこれまで以上に姉の存在がうれしく、代えがたいものに感じていた。
そんな姉を悲しませたくない。いつも明るく華のある姉のように、自分も羽を広げて前に進もう。顔を上げて、目の前を歩く羽のないのびやかな背中を見つめ、いただいたオムレットにかぶりつく。あふれるクリームと弾けた果汁のさわやかで柔らかな甘みが体に広がった。
いつの間に隣に来たのか、そっちのもちょっと頂戴、と姉がゴーフルを伸ばして掬い取っていった。パリパリと愉快な音が響く。それに釣られて自然な笑顔が少年に戻ってきた。
姉に負けじとゴーフルを少し割り、姉のトッピングを奪い取る。こらっ、と叱られたが、悪びれることなく口に運んだ。パリパリと楽しい食感が耳まで響く。
……ひどい事したのは、確かなんだけどね
そう呟いた姉の声は砕けるゴーフルの音に遮られ、少年の耳には入らなかった。
こーゆーお話、なにぶん書きなれないものでして。
こんなんで良いんでしょうか、がんばれウィン。
お姉ちゃん、やさしいなぁ。
…やさしいか? やさしいよね、多分!