おまけ挿羽 「逃げて! エマ先生」
「センセー、戦争って、何?」
羽なしの男子の一人が問う。
この町は今も昔も麦穂が揺れ、鳥がさえずり、虫が舞う。
人々は笑い、行き交う通りも穏やかな豊かで恵まれたこの地域では、他の地域と争いが起きることなど考えられない。戦争という言葉を聞いたことがあったとしても、子供達にはそれが一体どういうものなのか知る由もない。
「そうね…… 一言では言い尽くせないけど、簡単に言えば喧嘩よ、ケンカ。ただ、どっちかがごめんなさい、と謝っても終わらない、ずっとずっと続くケンカ。人も、物も、住むところまでも全部が壊されてしまう、そんな争い。
……そんなの、誰かしたい?」
子供達は全員かぶりを振った。
「ですよね。だけど、それが起こってしまったの。今だったらもしかしたら防ぐことができたかもしれない。だけど、当時はそれを抑えることができなかった。そしてそれがあったから、今のこの世界ができたんです」
―おまけ―
「この星の浄化がかなり進んで、人々はアースに戻り始めていました。ハイランドで生まれた羽あり達はほとんどがそのままハイランドに残りましたが、一部は羽なしと一緒にアースに移り住みました。
当時ハイランドの人口の四分の一くらいが羽ありだったそうです。数は少なかったのですが、羽なしよりもミスリルを巧く使え、そして頭も良かったから、かなり高い地位にありました。
羽ありは羽なしよりも優れている。
ミスリルを巧く使え、知能が高くなるように遺伝子調整されて作り出された羽ありは、いつの間にか自分達と羽なしは違う存在、というように考えるようになっていったようです。
……それは恥ずかしいことに、今も続いています。私達もそうだった」
かつて起きた諍いのことを思い起こした壇上の羽ありは自戒の表情を浮かべ、わずかな時間押し黙った。
「羽ありが羽なしを嫌いはじめ、住む人全員が羽ありと言う極端なハイランドが三つもできました。羽あり達が全員出ていったため羽なしだけになったハイランドもできました。ほかのハイランドでも羽ありと羽なしは住む地域を別々にして、ほとんど関わりあわないように暮らすようになっていきます」
今のハイランドとアースの関係とあまり変わらないわね、と助手の羽なしが呟く。同じことを何回でも繰り返すのは昔も同じことがあったことを知らないからなのよ、と講師の羽ありが申し訳なさそうに答えた。
「突然争いが起こりました。何が原因だったのか、今でもわかっていません。火種は静かに、でも確実に育っていた。ほんの些細なことで爆発して取り返しがつかなくなるほどになっていたなんて、ほとんどの人が気づいていませんでした。
羽なしだけのハイランドが羽ありだけのハイランドの一つを突然攻撃しました。いきなり攻撃されたハイランド『コロンビア』はひとたまりもありません。為す術なく墜落し、たくさんの羽ありが命を落としました。
戦争が始まってすぐ、また一つのハイランドが墜落しました。それは最初に羽あり達を攻撃したハイランド『アメイジア』でした。羽あり達の仕返しでとても強力な武器が使われ、やはりたくさんの羽なしの命が奪われました。
羽ありを根絶やしにしろ
古い羽なしはこの星に必要ない
耳を疑うような言葉が当時の空を満たしていました」
子供達は全員固唾を呑んで黒髪の羽ありの言葉を聞く。あってはならないことが大昔にあった、そしてそのことを誰も知らなかったのだと言う事実に身震いすら覚えているようだった。
「羽ありと羽なしの両方が暮らしていたハイランドではもっと酷い争いが昼も夜も繰り返されていました。体力に劣る羽ありがまともに戦って羽なしに勝てるはずがありません。アースに降りても結局羽なし達に追われるだけだから、アースに逃げることもできません。でもハイランドから羽なしを全員追い出してしまえば、羽なしの人達は登ってこれない。羽ありにとって唯一安心できる場所、それがハイランドでした。
必死になって戦いました。羽ありはミスリルの機械を使って羽なしと戦いました。羽なしもミスリル製の武器を手にし、羽ありの操る機械と戦いました。戦いの場になったハイランド『ウルティマ』は戦いの影響で光子炉が故障し、アースに落ちました」
前の地禮祭の時みたいだったの? と子供たちの方から質問が上がる。講師は大きく首を横に振った。
「長く、長く続いて比較にならないくらいたくさんの人が傷つき、たくさんの物が壊されていったの。
そんな莫大な犠牲を払った争いの末、ついに羽あり達は羽なしを全員ハイランドから追い出してしまった、と言います。何とか勝ちましたが羽ありの人口は半分以下に減ったと言います。それから先、ハイランドはアースと関係を断ちました。またあのような戦争が起こったとしたら同じように自分達を守ることが出来ないかもしれない。必死になってハイランドに閉じこもるしかありませんでした」
「かわいそう…」
板書する手を止め、振り返る。一人一人の顔を見ていくと、最前列にいた一人の羽なしの男の子が彼女と目が合った瞬間にうつむいた。
「…どっちが、かな」
伊達メガネを外し、声柔らかに穏やかに問う。思わず呟いただけの羽なしの男の子は突然の問いかけに多少困惑気味ではあったが、懸命に言葉を紡いでいった。
「…両方。お空に住めなくなった羽なしも、それまですごく怖い思いをした羽ありも…」
教師は教壇から降りて傍らに歩み寄り、中腰になって目線を合わせた後、答えた子供の頭を撫でる。
「それがわかるなら、君は立派だよ。大人になってまでする喧嘩なんてろくなことにならない。覚えておいてね。また、あんなことにならないように」
講師の羽ありは立ち上がり、講堂にいる全ての子供達に向って話しかける。
「それを感じて欲しくて、今日は歴史の話をしました。いがみ合って、お互いを分かり合おうとしない。自分を守ることに必死になりすぎて他人のことが見えない。そのままじゃ昔のことの繰り返しになってしまう。私だったら、そんな事嫌です。今のこの町のように、またいつか世界中で空と大地が手を取り合うことができるように、みんなもリュート君が感じたこと、覚えていて下さいね」
臆病な少年が驚いたように黒髪の羽ありに問いかける。
「え? ふふっ、だってよく似てるもの。すぐ覚えちゃった」
その一言に、少し離れた席に座っていた助手の羽なしも大きく首肯した。
中断していた板書を続け、書き終わると羽なしの娘に教材の中にある紙の束を出すように促した。そこには数々の機械の絵が描かれていた。羽ありが乗っていた球体のビークルや農耕用の四足機、昇降機の付いた荷車、そしてゴーレム。他にも色々なイラストがあった。一ページ一ページめくりながら話を進める。
「羽なしがいなくなり、身体能力の劣る羽ありだけになったということもあって、当然ハイランドでは自分達の代わりに仕事をさせるためにミスリルを使った機械技術がさらに発達していきます。その最先端がみんなもみたあの巨人。でもあれは先生がいた『ロディニア』という国ではそうだっただけで、ほかのハイランドではもっと違うものが独自で作り出されているかもしれません。みんな奥の手は隠してるものだからね!」
いたずらっぽく笑った黒髪の羽ありは伊達メガネをはずし、上着の胸ポケットにしまう。右手に持った教鞭で左手の掌を軽く打つと、ピシッと小気味のいい音が広がった。
「それじゃあ、今日のお勉強はここまで!」
子供達と羽なしの娘が委員長系女子の号令で席を立ち、講師の黒髪の羽ありに礼をする。これが今日の最後の授業だったのでめいめいに荷物を片付け、講堂を後にしていった。
「そう言えばセンセー、宿題は?」
「あ、そうか。それじゃあ」
シッと空気を切って白い影が黒髪の羽ありの額めがけて直進する。さっと挙げた右手で受け止め、投げ返した。白い影が飛んできた先にいた羽なしの娘は、返ってきたチョークを左手で受け取るのと同時に大きく舌打ちをした。
「……今日みんなが授業を受けて、昔にあったことに対してどんなことを思ったのか。それを明日までに出してください。みんなが思ったことをこれからも大事にしていくことが、きっと幸せな未来を作ってくれるからね」
今日の宿題のことや、これから遊ぶ約束を交わしながら羽のあるなしに関わりなく賑やかに、楽しそうに帰っていった。
……
…
今日使った教材を抱えた二人の女が歩いていく。台車に乗せたエンジンは後日ゴーレムで回収する予定なので学校に置いてきた。まだ日は暮れないが、大分傾いている頃合だった。
「今日は勉強になったわ。エマ、あんた科学者だって言ってたのに歴史とかもちゃんと教えれるんじゃない。先生に向いてるんじゃない?」
「向こうじゃ色んな発表とか講義とかやってたからねぇ。それとわたし、改めてハイランドの……っていってもロディニアの歴史だけだけど、勉強しなおしたの。いつかこうやって話さないといけないんじゃないかなって思ってたからね。
アースに暮らしながら史実だけを見直してみると、あそこの学校の授業で習うことって、すごく都合よく解釈された内容なんだって思ったわ。やっぱり、降りてきて良かった」
とことこと二人並んで歩く。羽の無い背中の方がすこし背が低い。しかし荷物の大半を手にしている。今日この教材を用意したのは羽ありだった。学校に行く時は半々にしていたが、帰り道では自分が多く持つと羽なしの方から名乗り出た。
「急に助手して、って言ってごめんね。驚いた?」
「だいぶね。何あの装置。ホンキでビックリしたわ」
「きゃー! だって。ぷーっくくくく! エディ、チョーかわいー。ウィン~、エディってやっぱりオトメよー」
「るっさい! また羽むしるわよ!」
またあんな目に遭うのはかなわないと一瞬だけ羽ばたいて隣から伸びてきた手をかわす。舌打ちをするが執拗に追うまねはしなかった。
「…あと、遺伝子とか品種改良とかよくわかんないけど、羽ありは作られたって話、あれホントなの?」
「もうはるか昔のことで誰も本当のことはわからない。記録に残っているだけよ。その記録が偽物かどうかもわからない。でもはっきりとわかっているのは最初の羽ありが生まれたのは『パンゲア』というハイランドだってこと。あそこは今でも超科学を誇る異質の国。遺伝子操作で作られたっていうのは多分、本当だと思うわ」
やはり理解の外ではあったが、声の調子から随分と深刻であることを感じ取っていた羽なしの娘は無言を通した。実際何と言ったらいいのかわからなかった、という事もある。その意を汲み取り、黒髪の羽ありが続けた。
「でもわたしは、ウィンはちょっと違うって思ってるの。多分あの子は本物の羽ありとして生まれてきた子なんじゃないか、って」
本物ってどういうこと? と怪訝そうな顔で少年の姉が問う。
「羽なしの体なのに羽を持って、精神感応率に至っては通常の七倍。訓練した羽ありだってあの域にまで達することなんて聞いたことがないわ。感応なんていうレベルじゃない。私たちのご先祖みたいに作り出されたんじゃなくって自然に出現した、本当の意味で次の人類じゃないか、って。考えすぎかしら」
羽なしの娘は学者の考えることは難しくってわからない、と肩をすくめて苦笑いを浮かべた。それを見て微笑んだ羽ありが続ける。
「いずれにせよ、あの子のおかげでわたし達は変わった。特別な存在なのは間違いないわ。あなたの弟、もっと誇っていいよ」
羽ありが不意に一歩前に飛び出す。ぶつかりそうになって足を止めた少年の姉の方に向き直って笑顔で大きな声を出す。
「でーも! ほどほどにしておかないと色んな意味でピンチよ、婚期とか! 科学的にも姉弟婚はあまりオススメできないからね!」
顔を真っ赤にしてわずかにうつむいた。よくよく見ると少し震えているようだ。覗き込む羽ありから顔を背け、噴火直前の火山のように体の底から沸き立つ感情を溜め込み、一気に解き放つ。
「だからいっつもぉ…… 一 言 お お い の よ !!!」
黒髪の羽ありは声高らかに笑いながら空高く羽ばたきあがり逃げていく。
「逃げんなー!」
大荷物を両手に、夕日に向かって飛んでいく羽ありを追いかけて大地を駆けていった。
ふー、長かったおまけも今回でようやく終了です。完ッッ璧SFっぽいですね(汗)
そして結局最後まで主人公不在(爆)
次からは本編に戻ります。第二部もどうぞお付き合いくださいませ。
れいちぇるでした。